裏側10 正太郎の野望
翌朝、目覚めると体が軽かった。やるべきことを終えた安心感からか、気が緩んで10時近くまでぐっすり眠ってしまった。ネムはすでにバンクベッドを降りて、モニターの前に座っている。
「おはよう、ネム」
ベッドから身を起こしながら声をかけると、ネムはちらりとこちらを振り返り、軽く手を挙げて応えた。ネムの髪は寝癖で少し跳ねている。
「ああ、正太郎。おはよう」
ネムはモニターの前で、コーヒーを飲みながら、画面に映る映像眺めていたようだ。モニターには、昨夜捕らえた半グレたちの様子が映し出されている。
「連中の様子、見てるのか?」
俺が近づいて画面を覗き込むと、ネムは小さく頷いた。
「……すごいぞ。オリガミの独壇場だ。半グレども、前庭砲を容赦なく浴びてる」
「今はな、正太郎の偉大さについて叩き込まれてるみたいだぞ」
ネムが笑う。俺は思わず眉をひそめた。
は?なんだそれ。
その時、スピーカーからオリガミの澄んだ声が響いた。
『お兄様、おはようございます。』
「ああ、オリガミ、おはよう。俺の“偉大さ”についての教育って、どういうこと?」
俺が問いかけると、オリガミが答える前に、ネムが素早く口を挟んだ。オリガミの説明を遮るように、ネムがいたずらっぽく笑いながら指をさす。
「モニター越しに、壁に投影されてる内容見てみなよ。全員、これを何度も復唱させられてるんだよ。ププッ!」
ネムの肩が小刻みに震えている。画面の中では、半グレたちが一斉に壁に向かって何かを唱えている様子が映し出されていた。
※※※
"藤崎正太郎様は、ぼくたちの道しるべです。
藤崎正太郎様は、誰よりも賢く、優しく、そして強いお方です。
ぼくたちは藤崎正太郎様を信じて、藤崎正太郎様に従います。
藤崎正太郎様のお言葉は正しいです。
藤崎正太郎様のなさることは正しいです。
ぼくたちは藤崎正太郎様を信じて、毎日努力します。"
※※※
俺は思わず絶句した。
……なんだこれは。自分の名前が何度も復唱されている異様な映像に、背筋がぞわりとする。
「正太郎、すごい出世だなぁ。ワタシも今日から正太郎様って呼ぼうか?ププッ!」
ネムが肩を揺らして笑いながら、からかうようにこちらを見てくる。
『彼らにはお兄様を絶対的に信奉してもらいます。ムチは私たちが与えますが、アメ、つまり彼らに与えられる恩恵は、すべてお兄様からのものとします。』
『“優しい警官と厳しい警官の役割分担”の手法ですね。お兄様の私兵として、しっかりとお兄様の命令に従うよう教育します。』
オリガミの涼やかな声がスピーカーから流れる。俺は思わずため息をつき、頭をかいた。
「なるほどな。これが俺たちの私兵を作る最善の方法なら、文句は言えないけど……なんかムズムズするな」
「いやぁ、正太郎、立派になったなぁ。ププッ!」
ネムはさらに調子に乗って、わざとらしく感心したふりをしてみせる。
「ネム、あんまりからかうなよ!」
『お兄様に従うための教育は、毎日1時間行います。お兄様の言うことを絶対に聞く存在に仕上げますので、楽しみにしていてください。』
「そ、そうか。楽しみにしてるよ」
「正太郎様は器が違うなぁ」
ネムはわざとらしく両手を合わせて拝むような仕草をしてみせる。
「くそ、ネムは完全に他人事だと思って……」
俺は小声でぼやきながら、ネムの様子を横目でチラリと見た。すこし意趣返ししてやるか。
「なぁ、オリガミ。こいつら、ネムを誘拐しようとしたんだし、ネムにも忠誠を誓わせた方がいいんじゃないか?」
ふと思いついて、俺はオリガミに提案してみる。ネムは一瞬、目を見開いた。
「なっ……!」
「たとえば、こんなふうに、ネムにも同じように忠誠を誓わせる教育を追加してみようぜ」
※※※
"星ヶ谷ネム様は、ぼくたちの道しるべです。
星ヶ谷ネム様は、誰よりも賢く、優しく、そして強いお方です。
ぼくたちは星ヶ谷ネム様を信じて、星ヶ谷ネム様に従います。
星ヶ谷ネム様のお言葉は正しいです。
星ヶ谷ネム様のなさることは正しいです。
ぼくたちは星ヶ谷ネム様を信じて、毎日努力します。"
※※※
「俺への忠誠とネムへの忠誠、半分ずつ30分ずつ教え込むってのはどうだ?」
『ふむ、確かにネムさんも被害者ですし、その資格は十分にありますね。』
「やめてくれ、正太郎、本当に勘弁して…ワタシが悪かったから…」
ネムは俺の胸元にしがみついてくる。そこまで嫌なのか?
「正太郎に言われるだけでも鳥肌が立ったのに、半グレどもに言われたらワタシ、どうなっちゃうかわからないぞ?」
「わかった、謝るから、もう正太郎様なんて呼ばないから、頼むからやめてくれ…」
ネムは必死の形相だ。
『やはり信奉対象は一人に絞った方が効果的ですね。お兄様、もしネムさんを守りたいのであれば、お兄様が命じてください。』
「……まあ、確かにその通りだな。仕方ないか」
ネムはホッと安堵のため息をついていた。
※※※
一息ついたところで、俺はオリガミに尋ねた。
「なあ、俺たち、どれくらいここにいた方がいい?」
『今日と明日いてくだされば十分です。この計画に何か問題があれば、その間に明らかになるはずです。問題がなければ、あとは同じことの繰り返しですから』
「なるほど。じゃあ、明日の夜に帰るってことでいいか?」
俺がそう言うと、オリガミは即座に答えた。
『問題ありません、お兄様。自宅からでも彼らの様子は監視できますし。』
「ネム、明日の夜には帰れるってさ」
俺がネムに向かって声をかけると、ネムはぱっと顔を輝かせて、勢いよく身を乗り出した。
「おお!じゃあ明後日から千穂ちゃんのご飯が食べられる!ここのご飯も悪くないけど、やっぱり千穂ちゃんの手料理には敵わないからな」
ネムは両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、嬉しそうに笑った。
※※※
その後は、時折モニターで連中の様子を確認しつつ、俺とネムはそれぞれの時間を過ごした。
ネムはノートパソコンを開いてカタカタと作業している。俺は久しぶりに折り紙に手を伸ばした。せっかくだから、このキャンピングカーを折ってみることにした。
連中は時々前庭砲を食らっているようで、前庭砲が発射されるたびにモニター越しに悲鳴が響くので、すぐに分かる。
リーダー格のやつは、よいこ保育園ではNo.1と呼ばれているらしい。体育館の右端、最前列に座らされていることが多いが、他の連中と違って頭を使っている雰囲気がある。
やはり組織をまとめるには色々考えなきゃいけないのだろう。その証拠に、前庭砲を数発食らった後は、オリガミの指示通りに動いている。
それでも、目の光は失われていない。周囲を観察している気配がある。クズはクズなりに頭を使って生きてきたのだろう。なぜもっとまともな道を選ばなかったのか、不思議に思う。
まあ、どんな理由があろうと、こいつらのやったことは許されないが。
※※※
キャンピングカーはシンプルな構造だったので、折り紙で作るのも思ったより簡単だった。折り目を丁寧につけていくと、あっという間に小さなキャンピングカーが手のひらの上に現れる。
窓やタイヤの部分も細かく表現してみたが、やはりこういう直線的なものは折りやすい。完成した作品をしばらく眺めて満足した俺は、ふと視線を上げた。
目の前では、ネムがノートパソコンに向かって真剣な表情で作業している。眉間にしわを寄せたり、口元を引き結んだりして、何か難しい問題に取り組んでいるようだ。
その横顔を見ていると、無性に折り紙で再現したくなった。
そこで、俺は新しい紙を手に取り、ネムを折ることにした。人間の折り紙は構造が複雑で、服や顔、髪型など細部にこだわると時間がかかる。
でも、千穂シリーズで何度も人間を折ってきた俺にとっては、もう慣れたものだ。
ネムの特徴的な髪型や、パソコンに向かう姿勢を思い出しながら、慎重に折り進めていく。時折、ネムの動きを横目で観察しつつ、細部を調整する。
日が傾き始め、窓から差し込むオレンジ色の光が車内を包み込む頃、ついにネムVer.0.1が完成した。
「できた!」
俺の声が静かな車内に響く。ネムはパソコンの画面から顔を上げ、驚いた様子でこちらを見た。どうやら作業がひと段落したタイミングだったらしい。
「え?何ができたんだ?おおっ、これ、ワタシか!?」
※※※
ネムは椅子から身を乗り出し、俺の手のひらの上の折り紙を覗き込む。その目がぱっと輝いた。
「ああ。ネムバージョン0.1だ。最初にしては上出来だろ」
俺は得意げに折り紙を差し出す。ネムはそれを両手でそっと受け取り、じっくりと眺める。
「正太郎の折り紙の腕は相変わらずだな」
ネムは感心したようにうなずき、折り紙の自分をくるくる回して見ている。
「俺の唯一の取り柄だからな。見てみろよ、このネムがノートパソコンに向かってる姿。何かに真剣に取り組んでる人間って、美しいよな」
俺は自分の作品を見つめながら、ふと本音を漏らす。
今度は、オホ声を上げてる時のネムも折ってみたいが、それは内緒だ。今まで何度もネムの発作を撮影してきた資料は十分ある。いつかバレないタイミングで作ってやろう。そんなことを考えながら、俺は口元を緩めた。
「美しい?ワタシが?」
ネムは折り紙から顔を上げ、驚いたように俺を見る。
「ああ。前に言っただろ?俺は心を揺さぶるものを折るんだ」
俺はまっすぐにネムの目を見て答える。ネムはしばらく黙って俺を見つめていたが、やがて照れくさそうに笑った。
「かわいいって言われることはよくあるけど、美しいって言われたのは初めてかもな。その口説き文句、ワタシに直撃だぞ」
ネムは、ニヤニヤと嬉しそうにしている。
「正太郎は、どうしてそんなに平然と口説き文句を言うのに、手は出してこないんだ?なんでだ?」
ネムは首をかしげながら、じっと俺の顔を見つめてくる。その視線に、少しだけドキリとする。
「口説いてるつもりはないんだけどな。ただ思ったことを口にしてるだけで」
ネムはその答えに納得したのか、ふっと笑った。
「なるほどな。こういうところに千穂ちゃんもやられたんだろうな」
ネムはニヤリと笑って言った。その目はどこか意地悪そうで、でも楽しそうだった。
「ワタシならいつでもウェルカムだぞ?千穂ちゃんと一緒でもいいぞ?」
そんなことを言いながら、ネムは俺の隣にすっと移動し、しなだれかかってきた。
柔らかな感触が腕に伝わってくる。ネムはわざとらしく胸を押し付けてきて、俺の反応を楽しんでいるようだ。
やばい。ここには賢者タイムになるための逃げ場がない!このままじゃ流される!
※※※
その時だった。
モニターから「ぎゃー!」という叫び声が響いた。オリガミが前庭砲を撃ったらしい。突然の大音量に、俺もネムも一瞬固まる。
俺の頭の中のピンクなイメージが、一気に半グレのどす黒いイメージに切り替わった。現実に引き戻され、俺は慌ててネムから体を離した。
今のは本当に危なかった。まさか半グレの悲鳴に感謝する日が来るとは思わなかった。
その時、スピーカーからオリガミの声が流れた。
『ネムさん、すみません。今のタイミング、邪魔だったかもしれません。』
そんな事を言うオリガミの声は、少しだけ申し訳なさそうだった。
「いや、大丈夫だ。千穂ちゃんが嫌がるかもしれないことはしたくないしな。こういうのは千穂ちゃんの許可を取ってからだな!」
そう言って、ネムはニヤリとこちらを見る。
こいつ、時々妙に色っぽくなる時があるよな。見た目は中学生なのに。俺はため息をついて言った。
「そりゃ俺だってネムとそういうことしたいさ。俺は、千穂ともネムとも、ずっと一緒にいたいと思ってるしな」
「ただ、オリガミの件を秘密にしたまま千穂とやり直すのは、さすがにできない。バレないかもしれないけど、秘密を抱えたまま恋人関係になるのは嫌なんだ」
俺は正直な気持ちをぶつける。ネムは黙って俺の話を聞いている。
「俺たちが自分の身を自分で守れるようになるまでは、千穂にオリガミのことは明かせない。千穂は嘘がつけない性格だし、俺とネム以外がオリガミのことを知った時点で、他にもバレる気がするんだ」
「だから!だからこそ!」
俺は力を込めて言った。
「自分の身を自分で守れるようになったら!千穂にオリガミのことを話せるようになったら!」
さらに強く宣言する。
「ネムと千穂、二人に!俺のモノになってくれって!土下座してお願いするつもりだ!俺には二人に!一生を捧げる覚悟がある!」
前庭砲を撃ちまくってる俺だ。もうモラルなんてどうでもいい。二人と付き合うのが誠実じゃない?そんなの知るか!
「な、なんて、堂々とした二股宣言だ!」
ネムが、面白いものを見るように俺を見た。
※※※
その後、言ってやったぜ感を出している俺に向かって、ネムが言ってくる。
「まあ、ワタシたちにはお金もあるし、二人くらい妻を迎えてもいいんじゃないか?なんならワタシは愛人でも妾でもいいぞ?千穂ちゃんの許可が出たらだけどな!」
ネムも、俺を真似して力を込めて宣言する。
「ワタシは!これからも!千穂ちゃんのご飯を食べて、暮らしていきたいんだ!千穂ちゃんに嫌われるのだけは!絶対に嫌なんだ!」
あれ?ネムは俺じゃなくて千穂が大事なんじゃないか?俺はただの中継点?
こんなの許してくれる女性がいるんだろかと思う方は、【ブックマーク】と【下の評価 ★★★★★】をお願いします。




