幼馴染の暴走
ひどい目にあった日曜が明けた月曜日、俺はいつもどおり学校に登校した。
まだ、気分は良くなかった。
だからといって、その程度で学校を休む訳にもいかい。一人でしっかり暮らしていけることを、心配する祖父母に、行動で示さなければいけないのだ。
千穂には、昨日のことをざっくり話した。といっても、ただの愚痴だ。
「痴漢と間違えられてマジで最悪だった」くらいだ。軽口まじりで、あまり深くは話していない。俺としても、もう過去のことにしてしまいたかった。
けれど、教室のドアを開けて一歩踏み込んだ瞬間、何かが違った。
※※※
俺が入った瞬間、談笑していたクラスメイトたちがふっと黙った。何かを言いかけていた口元が閉じられ、誰もが一瞬だけ俺を見て、それから慌てたように視線を逸らした。顔を伏せる者、スマホに目を落とす者、あからさまに無関心を装う者――どれもこれも不自然すぎて、逆に目立っていた。
「え……?」
戸惑いながらも、なんとか平静を装って自分の席へと歩く。
でも、その道すがらですれ違った女子たちは、避けるように距離を取って通り過ぎていった。まるで、俺に触れるだけで何かうつるかのような反応だった。
中には、目が合った瞬間、軽蔑の色を隠そうともしない視線をぶつけてきたやつもいた。
何かを言われたわけじゃない。何かされたわけでもない。ただ、「明らかにおかしい」としか言いようのない空気だけが、教室全体を包んでいた。
「え? なんか俺、やった?」
声に出しそうになったそのとき、千穂が真っ青な顔で駆け寄ってきた。
※※※
「しょうちゃん……っ」
言葉の代わりに、震える手でスマホを差し出してくる。画面には、RINEのクラスグループが開かれていた。
そこには動画が貼られていた。
昨日の――俺が電車内で取り押さえられ、もみくちゃにされていた、あの瞬間を撮った動画だった。
《痴漢とかマジ終わってる》《こいつじゃんw》《女の顔映ってないのおかしくね?》
コメントが大量についていた。
「……え、なにこれ。なんで……なんでこんなもんが……?」
※※※
背後から声が飛んできた。
「おい、痴漢野郎。よくノコノコ来れたな」
振り返ると、男子のひとりがあきれたような目でこっちを見ていた。
「いや……違うんだ、俺は痴漢なんて――」
「は? 言い訳とかすんなよ。キモいわ」
「……」
「千穂さあ、そいつから離れたほうがいいよ? 犯罪者だよ、こいつ」
「ちがう!」
千穂が声を張った。
「しょうちゃんは、痴漢なんてしてない! ただ勘違いされて取り押さえられただけで――!」
「えー、もう言い訳きいたの? 擁護するってことは千穂もグル?」
「……!」
「犯罪者の味方ってことは、千穂も犯罪者予備軍ってことだよね。やば〜」
「言いすぎじゃない?」と誰かが小さく笑ったが、その声は広がらなかった。
「……お前ら、俺の事を責めてるんだろ? 千穂につっかかるなよ。てか、今俺がここにいる時点で、警察に連れて行かれてない事わかるだろ?冤罪動画だよ」
「いやいや、それはわかんねーって。どうせ時間の問題じゃね? 明日あたり警察くるっしょ」
「じゃあ、警察来なかったら、お前、自分の言葉の責任取れよ。人を犯罪者呼ばわりしたんだ。それ相応の償いをしろよ?」
「うぐっ…!」
※※※
教室の空気はどんどん悪くなっていったが、なんとか場は収まった。教師が入ってきたのもあって、みんな黙ったふりをした。
けれど――動画のリアリティは、強かった。
カメラ越しに切り取られたあの場面の印象は、言葉ではどうにも覆せない。どれだけ必死に否定しても、「映像」がある以上、俺の言葉なんて、誰にも届かなかった。
俺は「痴漢野郎」として、完全に定着していた。
※※※
正直、クラスの連中がどう思おうと、どうでもよかった。俺が何を言われようが、勝手にすればいいと思っていた。あいつらの目も、噂も、興味もない。ただ、千穂への影響だけは無視できなかった。
千穂は、なにがなんでも俺のそばにいようとした。
昼休みになれば俺の席まで来てくれたし、下校のときもいつもどおり一緒に帰ろうとしてくれた。周りから何を言われても、俺の顔をまっすぐ見て「しょうちゃんは悪くない!」と言ってくれた。
その姿勢が、逆にきつかった。本当はつらいはずなのに、千穂は笑おうとしていた。
「しょうちゃんは、何もしてないの!」
それだけを、何度も何度も繰り返していた。
だがある日、女子のひとりがにやけた顔で言った。
「千穂さ〜、そいつに何かされて洗脳でもされてんの? キモいよ?」
「……っ!」
千穂は俺ほど図太くない。声を張って否定してはいたが、日に日にその顔から余裕が消えていった。何を言っても届かない、そんな空気に押し潰されそうになりながら、それでも俺の味方であろうとしてくれた。
だからこそ、見ていられなかった。
俺は耐えきれなくなって、ある日、放課後の帰り道で立ち止まった。
「千穂……もういいよ。学校では、俺と離れててくれ。帰ってから仲良くしてくれると嬉しい」
「しょうちゃん、なに言ってるの!?」
驚いたように目を見開いた。声も少し震えていた。
「千穂が、俺のことでおかしく言われるの、俺がムカつくんだよ!」
それは本音だった。俺自身よりも、千穂が悪く言われることのほうが、よっぽど堪えた。
「ダメだよ! しょうちゃんは悪くない! 私が、しょうちゃんが無実だってこと、みんなにちゃんと伝えるから!」
涙こそ流れていなかったが、千穂の目は限界寸前だった。声は張っていたが、その奥にある芯が、揺れているのがわかった。
「俺のことより、千穂が心配なんだよ!それに、大丈夫だから。俺、そんなに弱くないから」
事実だった。でも、千穂に納得した様子は見られなかった。
「でもっ……!」
千穂はボロボロだった。それでも、目だけは強かった。泣きそうなくせに、絶対に引かないって顔をしていた。揺るがない意志が、そこにあった。俺は、何も言えなかった。ただ、見ていることしかできなかった。
このとき俺は、無理矢理にでも止めるべきだったのかもしれない。強引にでも家に連れて帰って、無理やりキスして、ベッドの上でドロドロにして、全部やめさせておけばよかった。
※※※
次の日から、千穂はクラスを回りはじめた。俺の無実を訴えるために。最初は同じ学年だけだったが、そのうち上の学年にも足を運ぶようになっていった。そのぶん、俺と一緒にいる時間は、どんどん減っていった。
「もういい」って、何度も言った。でも千穂は、絶対に引かなかった。
俺はただ、千穂と一緒にいられれば、それでよかっただけなのに。千穂が俺のために行動すればするほど、俺のそばから離れていった。
「頼むから一緒にいてくれ。俺には千穂との時間が必要なんだ…」
そんな俺の声も千穂には届かなかった。
もう、どうしたらいいのか、俺にはわからなかった。
※※※
数週間がたち、あの動画はもう学校中のほとんどの生徒が見ていた。動画のインパクトは強すぎた。誰も「事実」になんか興味がない。俺が本当にやったのかどうかなんて、もはや誰にとってもどうでもよかった。
そのうち、俺への嫌がらせが始まった。俺の下駄箱は汚され、教科書は切り裂かれ、体操服も上履きも消えた。いじめは、静かに、でも確実に進行していった。
それでも、俺は平気だった。父の死を乗り越えた俺には、こんな嫌がらせなんて、鼻で笑えるものだった。
千穂さえ、いてくれれば。それでよかった。
※※※
しかし、俺は見てしまうことになる。
千穂の裏切りを。
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