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俺はやってない!

夜のニュースで「大型旅客船が東京国際クルーズターミナルに入港した」と報じられていた。


写真も何枚か見たけど、あれだけの大きさの船が東京の港に来るのは珍しいらしい。


ふと思った。この船の構造、折り紙の題材にできないだろうか。形が複雑だから一枚の紙では難しいだろうけど、何枚か組み合わせて立体的に作れば、面白いものができるかもしれない。


気になったので、翌日、実物を見に行くことにした。千穂も誘おうか迷った。でも、今回は調査や資料集めが目的なので、彼女を退屈させてしまうかもしれない。一人で行くことにした。


豊洲からゆりかもめに乗って、東京湾沿いの景色を眺めながら目的地に向かう。ビルの隙間からちらちらと海が見えて、その向こうには港に停泊している船の姿もあった。


車内は観光客らしき人たちで賑わっていたけど、俺の頭の中は別のことでいっぱいだった。


「あの船、どうやって折れるだろう」「構造は左右対称か」「デッキの段差は何枚使えば再現できるか」


そんなことばかり考えていた。


東京国際クルーズターミナルの駅に着いてホームに降りると、すぐに視界に入ってきた。俺は、ターミナル内に入り、船がよく見えるであろうテラスへと向かった。


想像していた以上の大きさだった。白くて巨大な船体。複雑に積み重なったようなデッキ。先端は鋭く、全体のフォルムも洗練されていて、見れば見るほど情報量が多い。


「……どう折ればいいかな」


思わず口に出た。


スマホを取り出して、船の前方、側面、デッキの構造、後部の形状、可能な限りいろんな角度から写真を撮っていく。ズームして、細かい装飾や窓の配置も記録する。


展開図を作るためには、全体の構造だけじゃなく、細部の寸法感やバランスも把握しておく必要がある。頭の中で立体を分解して、折り筋や接続箇所をイメージしていく。


静かに眺めているだけだったのに、胸の奥からふつふつと湧き上がってくるものがある。


「これなら折れるかもしれない」


ぼんやりとしたアイデアが、だんだんと現実味を帯びてきた。


※※※


帰りの電車の中、俺はドア付近に立ち、窓の外をぼんやり眺めていた。


スマホには、さっき撮ったフェリーの写真が何枚も並んでいる。前方、側面、デッキ、煙突。どの角度から見ても構造が複雑だ。ちょこちょこ写真を見返しながら、頭の中で折り筋の構成を組み立てていた。


まず船体をどう形にするか。甲板部分は別パーツで分けるか、それとも一体で畳み込む方式にするか。


なんとなくの完成図が浮かびかけてきた、そのときだった。


「痴漢!このひと痴漢です!」


突然、車内に甲高い叫び声が響いた。


一瞬、何のことかわからなかった。耳だけが反応し、頭が追いつかない。でも次の瞬間、その声がすぐ隣から発せられていることに気づく。


「え……?」


気がつくと、見知らぬ女が俺の手首を掴んでいた。ぐいっと強引に腕を上に引き上げられる。


「この人です!この人に痴漢されました!」


周囲の空気が一変した。視線が一斉に俺に集中する。


「マジかよ……」


「今どき痴漢だなんて……」


「最低!」


どこからともなく聞こえてくる声。女性の言ったことを理解したのだろう、まわりのざわめきが次第に大きくなっていく。中にはスマホをこちらに向けて構える人もいた。撮影しているのかもしれない。


斜め前に座っていた中年の男が立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩いてくる。そのすぐ後ろから、スーツ姿の男も同じように近づいてきた。


「ちょっと、君。動かないで」


「いやいやいや、ちょっと待ってください!俺、何もしてません!」


必死に声を上げる。でも、声が出ているだけで、自分でも何を言ってるかわからない。何がどうなってるのか、頭の中が真っ白になる。


「さわったでしょ!私、お尻をさわられたんです!」


「いや、本当にしてないですって!」


腕を掴んでいた女は、興奮した様子でわめき続けていた。俺は完全に、まわりから「加害者」として見られていた。


立っていた場所から無理やり引き離され、数人の男たちに取り囲まれ、腕をつかまれ、取り押さえられた。


「駅で降りてもらおう。駅員に渡すから」


「ちょっと待ってください!ほんとにやってないんです!誤解ですって!」


誰にも届かない。誰も俺の言葉を信じようとしない。疑いの目と、軽蔑の視線が突き刺さる。電車が駅に到着し、男たちは俺を引きずり下ろそうとした。


そのときだった。


「……あれ?さっきの女、どこ行った?」


誰かがぽつりと呟いた。


「あれ?さっき、叫んでた人は?」


俺を駅員につき出そうとしていた男たちが顔を見合わせ、周囲を見回し始めた。


「え?え? ……いない?」


俺の手首を掴んでいたあの女は、いつの間にか消えていた。周囲にも、それらしき人物の姿はない。


「ちょ、ちょっと待って……俺、ほんとに何もしてないです!」


俺は、半ばパニックになりながらも、男たちの手を振りほどいた。拘束が緩んだ瞬間に一歩下がり、何とか息を整える。


「まさか、イタズラ……?」


「……ってことは、冤罪か?」


「おい、ほんとにやってなかったのか……?」


空気が変わった。さっきまで俺を責めていた男たちの顔が、一斉に気まずそうな色に変わった。すぐに男の一人が謝ってくる。


「……すまなかった。完全に誤解だったみたいだ」


「いえ……わかってもらえれば、それで」


痴漢呼ばわりされ、取り押さえられ、しかも肝心の相手はいなくなっていた。結局、何もわからずじまいだった。


けれど、とりあえず濡れ衣は晴れた。今さら安堵なんて気分じゃない。腕はじんじん痛むし、膝はガクガクだ。周囲の視線が消えたあとも、しばらくその場から動けなかった。


駅のホームに出たとき、ようやく少し息ができるようになった。


でも納得はしていない。やってもいないのに疑われて、一方的に騒がれて、何事もなかったかのように終わった。


俺をハメた女はいなくなったし、誰も助けてくれなかった。正直、理不尽すぎて、あとから腹が立ってきた。


まったく、ひどい目にあった。


※※※


この出来事がなければ、俺はただの「折り紙バカ」として、平和に折り紙ばっかりやって生きてたと思う。


けど、この日を境に、いろんなものが少しずつズレ始めた。冤罪という最悪の形で、俺は他人の視線と無関係ではいられなくなった。


これが、すべての始まりだった。

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