ざまぁの裏側①
数週間前。神山をいかに追い詰めるかについて話し合っていた時のこと。
オリガミは言った。
※※※
『お兄様、今回の作戦ですが、多少なりとも法の枠を超えなければ、実行は難しいかもしれません。』
「やっぱりか……まあ、向こうが痴漢冤罪なんて卑怯な手を使ってきたんだ。こっちだけ律儀にルール守る義理はないよな」
「よし、許可する。ただし、神山と痴漢冤罪女、それに例のサークルメンバーのスマホの細工だけにしてくれ」
『それで十分です。』
「あと一つ、これが一番大事」
「……絶対に、バレるなよ?」
『もちろんです。先日の件を踏まえて、秘密保護リージョンを大幅に強化しました。私の存在も、お兄様につながる痕跡も、決して表には出しません。ご安心ください。』
「ほんとに大丈夫かな……なんかオリガミって、超優秀なんだけど、たまにポカしそうなイメージあるんだよなあ」
『お兄様……不安に思われているのですね?では、その信頼に足る存在であることを、実際の成果で証明してみせます!』
「……頼りにしてるよ、ほんとに」
※※※
『それに、万が一、何かの拍子で尻尾を掴まれたとしても、警察には言えませんよ。警察が介入して困るのは、あちらも同じですから。』
「……それも、そうか」
※※※
三日後の朝、オリガミの声がスピーカーから聞こえてきた。
『お兄様、サークルメンバー全員のスマホを掌握しました。』
「おいおい、はやすぎだろ…どうやったの?」
『実は私、SNSであの痴漢冤罪女と交流してたんです。少しチヤホヤしてあげたら、あっという間にこちらを全信頼してくれました。』
『そこで、私が作成したアプリを紹介しました。ヤリサー向けの“超便利アプリ”です。メンバーリスト、ただれた交流会のカレンダーやチャット、参加者の記録に適したホテルの選定機能まで完備。さらには、お金や女の子の勧誘実績、雑用の貢献度を記録して、グラフ化までできる優れモノです。』
『評判が良かったようで、ヤリサーの人たち全員がインストールしました。結果、全メンバーの携帯の中身は、現在すべて私の手の内です。』
「……うわぁ」
『ちなみに、先日、画像・動画投稿機能も実装してみたのですが――すごかったですよ。』
『倫理的にお兄様にはお見せしたくないレベルの内容でした。このサークルは、もはや存在しない方が良いと判断できる程度には。』
『気が進みませんが、ご覧になりますか?動画・写真、あります。』
「……いや、いいよ。オリガミの判断に任せる」
『了解しました。』
『というわけで、神山も、痴漢冤罪女も、そしてサークルメンバーも、全員のスマホの中身が丸見えです。現在位置もわかりますし、通話への割り込みも可能です。』
『この前提で、作戦を立案してもよろしいでしょうか?今回はお兄様の経験値向上という側面が強いので、お兄様にはたくさん動いていただきます。頑張ってくださいね。』
「……オリガミ、なんか妙にウキウキしてない?」
※※※
『フェイズ1を開始します。呼称は「幻覚作戦」とします。』
最初にオリガミから出された指示は、ただ一つだった。
――神山の前に現れて、無表情で見つめてください。
意味は分からなかったが、オリガミを信じることにした。
※※※
言われた通り、指定された場所に向かい、ただ黙って立っていると、神山が現れる。こちらに気づいた彼が顔をしかめるのを見ながら、俺は黙って彼を見つめ続ける。
それを、ただ繰り返すだけだった。
次は校舎裏。
次は3-1の教室裏手の扉前。
次は3階西側階段の踊り場――
オリガミは、神山の動線をすべて先読みしていた。彼女はスマホの位置情報と過去の行動履歴から、神山の行動パターンを極めて高精度で予測できるらしい。
何をするでもなく、何を語るでもなく。ただ、じっと立って見つめる。それだけで、じわじわと、神山の顔色が悪くなっていくのが分かった。
なんだ?最初は余裕そうだったのに……。
※※※
ある日、ラブホテルの前に立っていた。もちろん、オリガミの指示だ。すると案の定、中から神山が出てきた。
「お盛んだなあ」
そう思いながら無言で見ていると、神山がこちらに気づいた。
その瞬間、あいつはズンズンとこっちに歩み寄り、俺の胸ぐらをつかんで建物の影に引きずり込んだ。
「お前、一体何なんだよ!ストーカーしてんじゃねえよ!」
……まあ、ストーカーだよな。客観的に見れば。
とぼけてやり過ごそうとしたが、神山の拳がわずかに震えているのが見えた。……やばい、これ殴ってくる。痛いのは嫌だったので、とっさに大声を上げた。
「え?なんなんですか?やめてください!暴力振るわないで!」
その声に驚いたのか、神山は舌打ちをして、そのまま走り去っていった。
※※※
『お兄様、大丈夫ですか?』
「ああ、大丈夫。なんか、あいつ……余裕なくなってきてるな」
『はい。想定通りの反応です。』
「でもさ、俺、ただ見てるだけなんだけどなあ」
『だからこそ効いているのです。無言の圧力。神山にとっては、それが最も不気味なのです。何度も目の前に現れるのに、何もしてこない。敵意も感情も見えない。目的もわからない。理解不能な存在に対して、人は強いストレスを感じるものです。』
『人間は、“理由のわからない行動”に強い不安を覚えます。明確な敵意なら対処できますが、理由が不明なままだと、思考はその一点に縛られ続けてしまいます。』
『「なぜ見てくるのか?」「なぜ黙っているのか?」「なぜ自分なのか?」その“なぜ”が埋まらない限り、思考は止まらず、心は休まりません。』
「……あれか。グループRINEで俺のだけ既読スルーされてて、他のやつには返信してるとき。なんかした?って勝手に考え始めるやつ」
『まさに、それです。その現象を、物理的に・意図的に・継続的に・最大効率で仕掛けているのが、今の作戦です。』
『もう少しだけ続けましょう。神山がどこまで壊れていくか……お兄様、しっかり観察していてくださいね。』
※※※
数日そのまま続けただけで、神山は見るからにやつれていった。
その日、三度目の“視線攻撃”を行っていたときのこと。場所は学校の廊下、すれ違いざまに俺を見つけた神山は、顔を引きつらせながら、強引に俺の腕を掴んだ。
そのまま、非常階段の影に連れ込まれる。
「お前、一体なんなんだよ……!千穂を抱いたことの復讐か?ストーカーか!?」
用意していたセリフを、俺は感情を込めずに吐き出す。
「……あなた、誰ですか?」
神山の顔がみるみる赤く染まり、怒鳴り声を上げたが、俺は無表情でとぼけ続けた。
その時、骨伝導マイクからオリガミの声が届く。
『スマホの画像を見せてください。昨日、お兄様が姫路城にいたという“証拠画像”を加工しておきました。』
言われたとおりに、神山にスマホの画面を見せる。昨日の夕方、俺が姫路城前でポーズを取っている写真だ。当然フェイク画像だ。
神山は、まるで地面が崩れ落ちたような顔で、スマホを凝視した。タイムスタンプも確認しているようだ。
「……大丈夫ですか?病院、行きます?」
声をかけた瞬間、神山は顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、そして走って逃げていった。
※※※
「オリガミの言う通りだな。相当、追い詰められてる……でも、こっちもだいぶ疲れてきたぞ」
『あともう少しの辛抱です。反応は、こちらの想定通りに進んでいます。』
それから、さらに二日ほど、同じ行動を繰り返した。
神山の顔色は、日を追うごとに青ざめていき、教室でも廊下でも、常に何かに怯えるような目をしていた。視線が合うたびにびくつき、まるで見えない敵に追われているかのようだった。
そして、ある日の放課後。オリガミが、静かに報告してきた。
『……もう、十分でしょう。スマホからの音声データを分析した結果――神山はすでに、お兄様の“幻覚”を見ているようです』
「……幻覚?」
『はい。どこにいても、お兄様の姿を見かける気がしてならない。常に、気配を感じる。視線を感じる……そんな認知症状が出始めています。』
「えええ……ヤバすぎるだろ、それ……」
※※※
神山が正太郎の幻覚を見始めたころ、俺は、オリガミと次の作戦について話し合っていた。
『フェイズ1「幻覚作戦」、目標レベルに到達と判断しました。』
『これより、フェイズ2に移行します。呼称は「幻聴作戦」とします。』
「幻覚ときて、今度は幻聴か……」
『このフェイズでは、神山の席の周囲にスピーカーを3つ設置していただきます。』
『スピーカーは、お父様の部屋の棚A-5に保管されています。平らなプレート状のものです。外見ではスピーカーとはわからないため、教室に設置しても違和感はないはずです。』
父さんの部屋に行き、棚を探ると、いかにもそれっぽいものがいくつか見つかった。
『それです。プレート型の小型スピーカー。Bluetooth接続と小型バッテリー内蔵型です。』
『私は音声で外部に干渉することが多いため、家の外でも対応できるよう、お父様がオーダーメイドで用意してくださっていたものです。結局、使用されることはありませんでしたが……。』
「そっか……父さんも、お前が成長していくところを見たかったろうな。……代わりに、俺がちゃんと見届けないとな」
『お兄様……ありがとうございます。』
※※※
作戦は、神山のクラスが移動教室に出たタイミングを狙って始まった。「トイレ行きます」と言い訳して俺は教室を抜け出し、神山の席の周囲にスピーカーを設置していく。
後ろの掲示ポスターの裏、天井の角、カーテンレールの奥。すべて、オリガミの指示どおりだ。強力な両面テープでしっかり固定し、短時間で作業を終えた。
オリガミが周囲の監視を引き受けてくれていたおかげで、俺は神経をすり減らさずに済んだ。
「ふう……ざまぁって、意外と手間かかるな……」
「それで、スピーカーを複数仕掛けてどうするんだ?まさか全部で音鳴らすのか?」
『いいえ、音は極めて微弱です。ですが――その“鳴らし方”に意味があります。』
『このスピーカーたちから、わずかな音をそれぞれ少しずつずらして出します。その音波が、神山の頭の位置でちょうど重なるよう、位相とタイミングを精密に調整します。』
『音は波です。干渉によって重なれば強くなり、逆位相で打ち消し合えば消えます。つまり、神山の頭の位置でだけ音が明瞭になり、その他の場所では音が小さすぎて聞こえない――そういう仕組みです。』
『わかりやすく言えば、ノイズキャンセリングヘッドホンは“逆位相の音”で雑音を消しています。今回はその逆です。“音を足し合わせて”特定の位置だけで聞こえるようにしているのです』
「……え、そんなの普通のスピーカーでできるの?」
『はい。位相制御さえ適切に行えれば可能です。少々、面倒ですが。』
「すげえな……」
※※※
午後イチの授業が終わった直後のことだ。オリガミが行動を開始するようだった。
『お兄様、これより音声をリアルタイムで流します。』
骨伝導イヤホンから、ザワザワとしたノイズ交じりの音が流れ込んできた。教室内の環境音……そして、混乱。
どうやら、もう始めたらしい。神山の声が飛び込んでくる。
『な、なあ……今、何か聞こえなかったか?』
『おい!本当に聞こえないのか!?頼むから、聞こえるって言ってくれよ!』
『やめろ!やめてくれぇ!」
『なあ!なああっ!お前は聞こえるよな!?聞こえるって言えよっ!」
ガタッと椅子が倒れる音。続いて、ガサガサと乱雑な足音。神山は教室を飛び出したらしい。
『神山、学校から離脱しました。進行方向から判断するに、自宅へ戻るようです。』
「……はあ。もう憐れすぎて何とも言えない」
※※※
オリガミは、外に出た神山に対しても、手を緩めなかった。
『――妹には、手を出さないで……お願い……』
『――結婚式、だめになっちゃった』
聞こえてきたのは、女の子のか細く震えたような声。背筋がゾッとするようなヤツだ。
再生されている音声の内容は、あまりにえげつなかった。だが、それが効いているということは、神山には“心当たり”があるということなのだろう。
聴いているこちらが引くレベルで怯え、取り乱し、叫んでいる。ということは、あの言葉の一つひとつが、神山の内側に刺さっているのだ。
今、音声はイヤホン越しに聞こえてきている。つまり、普通にスマホのスピーカーから音を流しているのだろう。ということは、周囲にも丸聞こえだ。
けれど、神山はもう冷静ではない。周りの視線や音量のことすら、たぶん気づいていない。完全に、自分の世界に引きずり込まれている。
「……悪いことは、するもんじゃないな」
俺は心の底からそう思った。
※※※
神山は、自宅に戻ったようだった。
骨伝導イヤホン越しに流れていた音が、ふっと静かになる。オリガミが、このタイミングで音声の再生を止めたのだろう。……おそらく、次の“仕掛け”の準備だ。
しばらくして、スマホを操作する音。タップ音が数回鳴ったかと思うと…
プルルルル……プルルルル……
電話の発信音。コール音が聞こえるということは、通話相手の声も、このまま拾える。
『よ、よう!なあ、今から家に来ないか?と、特別に、すっげー優しくしてやるぜ』
『……』
『おい……?お、おい!なんか言えよ!』
必死に呼びかける神山の声。だが、返ってきたのは、想像もしなかったものだった。
「「「死んでくれない?」」」
ビクッ!思わず俺まで肩が跳ねた。……こええよ。
そして、間髪入れずに、重なるような声が続いた。
「「「ずっと……見てるから……」」」
『ひっ……やめろ……!やめてくれえっ!』
神山の絶叫が室内に響き、それきり音はピタリと途切れた。あとは、遠くを通る車の走行音が、かすかに耳をかすめるだけだった。
しばしの沈黙の後、オリガミが静かに口を開いた。
『お兄様、いかがでしたか?最後の通話は、痴漢冤罪女への発信を私がインターセプトしました。』
「……こわいよぉ。こわすぎだよ、おまえ……」
『そうですか。では、作戦は成功ですね。いくつかのホラー映画を参考に演出してみました。神山、失禁したようです。』
「失禁?おもらしか?憐れな……なあ、真面目に聞くけどさ、神山、ショック死とかしてないよな?心臓発作とか起きてたら、ガチでまずいぞ」
『ご安心ください。スマホのマイクから取得したノイズを分析し、心音は正常であることを確認済みです。』
「……はあ、よかった。なあ。もう限界だろ、あいつ。完全に壊れかけてる」
『おっしゃる通りです。そろそろ、最後のフェイズへ移行いたしましょう。』
※※※
『フェイズ2「幻聴作戦」が、目標レベルに達したと判断しました。』
『これより、最終フェイズに移行します。呼称は「救済作戦」とします。』
『というのも、これ以上追い詰めると、さすがに壊れてしまう恐れがあります。ですので、最後に“救い”を与えてあげましょう。』
「……救済って、なんか怖い響きなんだけど。まさか“死”とかじゃないよな?お前、『死は救済なのです。』みたいなこと言い出す雰囲気あるぞ?」
『私をなんだと思ってるんですか。今回は本当に“助け”ます。落ち込んで、落ち込んで、もう駄目だ……って時に、誰かが助けてくれたら――お兄様なら、どう思いますか?』
「……そりゃ、恩を感じるだろうな。普通に感謝する」
『そうです。それと同じです。最後に、一発で印象づける強烈な“救い”を与えます。これで、幻覚も自然と消えるでしょう。』
『しかもその“助けてくれた人”が、かつて自分が陥れ、そして彼女にまで手を出した――あの“相手”だったとしたら?』
『神山は、どう思うでしょうね。私の予測では……約60%の確率で、お兄様の偉大さにむせび泣き、そのまま信者になります。』
「ええ〜?ほんとかよ……?」
『ほんとうです!そして何より……将来、何か行動を起こすときに使える、“手駒”がひとつ増えるということでもあります。』
『素晴らしいと思いませんか?ざまぁで神山を潰すのは簡単でした。収集した神山の所業を拡散すれば、警察にこそ捕まらなくても、退学くらいにはできたはずです。』
『でも!そんな、捨て去るはずだったゴミを!使える資源に変えるんです!リサイクルです!エコです!SDGsです!』
「……考えがこわい」
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