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ざまぁ③ 心をつかんでみよう(間男視点)

目が覚めると、自室の床に転がっていた。ズボンの股間まわりがべっとりと濡れていて、ひどく気持ちが悪い。


藤崎の姿も見えない。あの女の声も、もう聞こえない。俺はホッとした。久しぶりに訪れた、完全な静寂だった。


……そのときだった。


プルルルル……プルルルル……


スマホが震えた。


心臓が跳ねる。思わずビクッと身を縮める。恐る恐る、着信相手の名前を確認する。


千穂だった。


……ほんとうに、千穂か?


さっきみたいに、また妙な声が流れてくるんじゃないか。警戒が胸を締めつける。


けれど、おれの脳裏に浮かんだのは、優しく笑う千穂の顔だった。もう誰でもいい。誰でもいいから、俺を助けてくれ。


おれは震える手で、着信ボタンを押した。


※※※


「は、はい……」


『夜分遅くに失礼します。神山先輩のお電話で、お間違いないでしょうか?』


「そ、そうだけど……」


『私、藤崎正太郎と申します。今は千穂のスマホを借りて通話しています。千穂から、あなたのしたことを聞きました。とんでもないことをしてくれましたね?』


「な、なんだよ……」


『先輩、いま、なにかおかしなこと起きてませんか?』


ダンッ!


そのとき、窓ガラスが叩かれた。


「ひぃぃっ!」


『ああ……やっぱり出てきてますか。見えないものが見えたり、聞こえないはずの音が聞こえたりしてますよね?』


「な、なんなんだよこれ……!」


『よくは知らないんですが、多少は防げます。でも……先輩、千穂を泣かせましたよね?俺、正直、かなり怒ってるんですよ。あなたのせいで、俺たちの関係、ギクシャクしてるんです』


「すまん!俺が悪かった!頼む、助けてくれぇ!」


『人に助けを乞う態度がそれですか?」


「す、すみませんでした……!どうか、お願いします……!」


俺は、自室の中で、通話相手にも見えないのに土下座していた。額を床に押しつけて、泣きながら懇願した。


『……はあ。仕方ないですね。このままあなたが死んだら、こっちも寝覚めが悪い』


「し、死ぬ!?どういうことですか……!」


『助けますよ。ただし条件があります。通話を切らず、そのままの状態でうちに来てください。少し“処置”を施します。治療というか、儀式のようなものです』


「す、すぐ行きます!」


『通話を維持している限り、幻聴は聞こえないはずです。俺の姿が見えるかもしれませんが、手は出しません。安心してください』


「は、はい……!」


『では、住所を送ります。急いで来てください……時間はあまりありませんから』


※※※


おれは、尿で濡れたズボンだけを履き替え、急いで靴を履き、玄関を飛び出した。


スマホのマップで藤崎の家を確認しながら、全速力で駆けた。幸い、距離は近かった。息が上がる頃、十分ほどで目的の家にたどり着いた。


藤崎の家は、一見すると普通の一軒家だった。けれど、玄関や窓際に、不自然なほど丁寧に紙垂しでの飾りが吊されている。まるで簡易な神社のように見えた。


神社の関係者なのか?それとも、単なる素人のまじないか。呼吸を整えながら、スマホ越しに声をかけた。


「……ふ、藤崎さんの家、つきました」


『じゃあ、入ってきてください』


「は、はい……」


ガチャリ。


玄関の扉を開いた。


家の中は暗く、電気は点いていなかった。代わりに、ところどころに置かれたろうそくの火だけが、ゆらゆらと闇を照らしている。


その炎の群れの真ん中に、藤崎が立っていた。


白装束をまとい、手には神主が使うような、白い紙のフサフサがついた棒。大麻おおぬさを持っている。


「驚かせてすみません。変な格好でしょう。でも、こう見えても色々と段取りがあるんですよ」


「い、いや……その、神社関係の方なんですか?」


「さあ、どうでしょうね。ご想像におまかせします」


藤崎は微笑んで、ゆっくり背を向けた。


「ついてきてください」


おれは靴を脱ぎ、ろうそくの明かりに導かれるように、家の中に足を踏み入れた。


「“お邪魔します”は?」


「あっ……お、お邪魔します……」


「基本ができてませんね。そういうところから、悪縁って寄ってくるんですよ」


藤崎は淡々と、むしろ少し面倒くさそうにそう言った。おれは黙って従うしかなかった。


通されたのは、家の奥の一室だった。


※※※


藤崎が扉に手をかけ、静かに開いた。


その瞬間――


キィィィン……


金属音のような、耳鳴りのような、どこからともなく鳴り響く不協和音。ぞくりと背筋が冷える。空気が変わった。目の前の部屋は、まるで異界だった。


照明はなく、ろうそくの炎だけが灯る和室。壁のあちこちには、神社で見かける白い紙垂しでが何十枚も吊り下げられ、揺れている。


床には、円形に配置されたろうそく。その中央には、六芒星が描かれた半紙が、まるで結界のように敷かれていた。


「ろうそくの輪の中へ。……とっとと終わらせましょうか」


藤崎の声は平坦で、感情が読めなかった。俺は躊躇いながらも、炎をまたいで輪の中に足を踏み入れる。


「直立して、姿勢を正してください。目を閉じて。……これからいろいろ起きると思いますが、動かないでください」


「……わかりました」


言われたとおり、背筋を伸ばし、目を閉じる。手のひらに、じわりと汗がにじんでいた。


次の瞬間、藤崎の手が俺の額に触れた。そのまま、小さく唱え始める。


「たかまのはらにかむづまりますかむろぎかむろみの……」


柔らかいが、確かに空間を震わせるような声だった。俺は目を閉じたまま、動かず、その声に全身をゆだねた。


※※※


すると――


ドンッ!!!


玄関の方から、何かが壁を叩きつけるような重い音が鳴り響いた。俺の身体がビクッと跳ねる。


「動くな!!!!」


藤崎の怒号が飛んできた。


「いいか、絶対に動くな。いま動いたら、全部が水の泡だ」


藤崎の声はいつになく鋭く、硬かった。彼はすぐに唱えを再開する。呪文とも、祈りともつかない低い声が、部屋に流れ続ける。


その間にも――


ドンッ!ドンッ!ドンッ!


ガタガタガタッ!!


玄関の方から、狂ったような打撃音と、金属が揺れるような振動音。なにかが暴れている。必死で、なにかをこじ開けようとしている。


俺は震えながらも、目を閉じたまま耐えた。心が折れそうだった。逃げ出したい気持ちが込み上げてくる。


でも、藤崎の声があった。あの言葉が、かろうじて理性をつなぎとめていた。


……永遠にも思える時間が流れた。


やがて、玄関のほうの音が、少しずつ静まっていくのがわかった。


効果が出てきているのか?もう…だいじょうぶなのか?俺が少し気を抜いた、その瞬間だった。


ドォォォン!!!!!!


家全体が揺れるような、大きな音だった。衝撃でろうそくの炎が跳ね上がる。鼓膜がビリつくような爆音。腰が抜けそうになる。


「動くなッ!!耐えろ!あと少しだ!」


藤崎の怒鳴り声が飛ぶ。絶望寸前の意識を引き戻された。俺は奥歯を噛みしめて、なんとか体勢を立て直す。身体がガタガタと震えていた。


藤崎の言葉……その異様な声の波が、再び部屋に満ちていく。


……そのまま、数分が過ぎた。


「……ふう。疲れた。もういいぞ、動いて」


ようやく藤崎がそう言ったとき、俺はヘナヘナと膝を折り、その場に座り込んだ。


全身の力が抜けていた。


※※※


「お前さ、なにやらかしてきたんだ?無茶苦茶たくさんの人間から恨まれてたぞ?」


俺は何も言えなかった。反論の余地なんてない。確かに、俺はやりすぎていたかもしれない。調子に乗っていたのだろう。イケメンの自分なら許される。心のどこかで、ずっとそう思ってた。


「……まあ、ひとまずは抑えた。もう声は聞こえないはずだ」


藤崎は息をつき、続けた。


「俺の姿は……時々見えるかもしれないけど、徐々に治まっていくだろう。だから、これからは心を入れ替えろ」


胸が詰まった。罪悪感と安堵が混ざり合って、気づけば涙がこぼれていた。


「すみません!すみません……!本当に、心を入れ替えます……!」


「……いいよ。誰の心にも、そういう闇はある。だがな、これからはちゃんと向き合え。あと、俺の言うことは全部聞け。俺を否定するな。俺の事を悪く考えるな。俺を尊重しろ。でないと儀式に矛盾が発生して、効果が薄れるから」


そう言って、藤崎は黒い小さなお守りのようなものを差し出した。


「これを首に掛けて持ってろ。お前の身代わりになってくれる」


藤崎……いや、藤崎さんは、まるで当然のように、俺にそのお守りをくれた。


「風呂以外では、常に首からかけとけ。……まあ、行為の最中には外してもいいけど、長時間はダメだ」


なんて人だ。


俺は藤崎さんの彼女に手を出した。藤崎さんを追い込んだ張本人だ。なのに……そんな俺に、こんなにしてくれるなんて。


「……千穂さんの件、本当に、本当に申し訳ありませんでした……!」


「……ああ。わかってる。だが、お前から千穂に近づくな。もし話すことがあっても、敬語を使え。千穂は俺にとって、特別な存在だ」


「……はい」


「謝罪なんか、もういらない。ごめんで済む話じゃない」


「……はい。あと……言いにくいんですが……」


俺は唇を噛みしめ、言った。


「藤崎さんの痴漢冤罪も……俺のせいです。あれ、俺が画策して……動画も、俺がばら撒きました」


しばらく沈黙が流れた。やがて、藤崎は穏やかに言った。


「知ってるよ。……だから言ったろ?そういうところが、ダメだったんだよ」


「ふ、藤崎さん……そ、それでも……それでも俺にこんなことしてくれるなんて……うっ……うぅっ……」


嗚咽が漏れた。自分の醜さに、恥ずかしさに、藤崎の優しさに、心が壊れそうだった。


「……俺のことはいい。だが、千穂のことは、絶対に許すわけにはいかない。二度と手出しするな」


「……わかりました」


「それともうひとつ。悪いことをすれば悪い存在を引き寄せる。今度は、もう助けないぞ」


「はい!ありがとうございます……!本当に、ありがとうございます……!」


俺は、ようやく地獄から解放された気がした。全ては、藤崎さんのおかげだった。藤崎さんに帰宅を促されたため、俺は深く頭を下げ、帰路についた。


帰路の最中、見上げた夜空が、本当にキレイだった。


「今まで、夜空なんて見てなかったな……」


ジワリと涙がにじみ出てきた。


※※※


――ぶひゃひゃひゃひゃひゃ!


遠くで馬鹿笑いをしている存在がいることなんて、彼は思いもしていなかった。

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