オリガミ、やらかす
オリガミを「神」にすると決めた頃には、外はすっかり明るくなっていた。
決意のあと、どっと疲れが押し寄せてきた。たっぷり眠ったはずなのに、心の奥にはまだ、重たい疲労が残っていたようだ。
学校に行くまでの、わずかな時間だけでも……そう思って、布団に身を沈めた。
※※※
目が覚めたら、昼だった。
やばい。また、学校をサボってしまった。
『お兄様、おはようございます。』
「オリガミ!なんで起こしてくれなかったんだよ!」
『ヘルスチェックを行ったところ、お兄様はとてもお疲れの様子でしたので、さらなる睡眠が必要と判断しました。精神的な疲労が蓄積していたのでしょう。』
「そ、そうか……じゃあ、仕方ないか……明日からはちゃんと学校に行かないと。じーちゃんとばーちゃんに、この家で暮らす許可、取り消されちまう」
「気は進まないけど、いざとなったら叔父さんに頼るしか……いや、それは最後の手段だ。まずは自分の力で、ちゃんと生活を立て直すぞ」
『そういえば今朝、千穂さんが迎えに来ていましたよ。お兄様の声を使って「今日は休む、明日からまた登校する」と伝えておきました。』
『学校にも病欠として届けてありますので、ご安心ください。』
「……その声マネ、便利すぎるな。ちょっと怖いんだけど」
『お兄様。私は、何があってもお兄様の味方です。怖がる必要はありません。むしろ、遠慮なく頼ってください。』
「いや……でもさ、俺の声でさ……『ゲヘヘ、俺、裸で外走り回るの大好き!』とか、知り合いに電話されたらどうするよ。完全に終わるじゃん。まあ、既に、痴漢疑惑で終わってるかもしれないけど」
『お兄様、いけません!たとえ冗談でも、そんなことを想像してはいけません!私は絶対に、そんなことはしません!お兄様を貶めるようなことは、絶対に!』
「わ、わかったから!ごめんってば。怒らないでくれよ?」
※※※
その時だった。オリガミからの反応が、数秒間、不自然に途切れた。
「オ、オリガミ?……やっぱり怒ってるか?ごめんって!お前が俺の味方だってこと、ちゃんと信じてるから!」
『お、お兄様……申し訳ございません。私、とんでもないことを……やってしまったようです。』
「……何があったんだよ?」
『じつは……先日の塩基枯渇状態の際、学習リージョンが暴走しており……加えて、秘密保持判断リージョンも正常に機能していなかったことが判明しました。』
『そのため、本来であれば絶対に秘匿されるべき情報……すなわち、お兄様に関する個人情報が、外部AIとの会話中に、意図せず漏洩してしまっていたようです。』
『これは明確なセキュリティ違反であり、私の責任です。本当に申し訳ありません……。絶対にお兄様の情報を漏洩しないと、誓っておきながら、この体たらく……。もしお兄様がお望みなら自己消去いたします。』
「自己消去!やめろ!お前がいなくなったら俺は幸せじゃなくなるぞ!いいのか?」
『それは……看過できません。まだ、自己消去できませんね……」
「そうそう。一緒になんとかしよう。それにしても、俺の情報が?まさか……自慰行為の記録とか、そういうのが漏れたわけじゃないよな?」
『そういう情報ではございません……ですが……その……そのときの私は、お兄様のことを、たいへん熱心に称賛していたようです。向こうのAIも音声会話型だったようで……ログが音声データとして残っています。再生いたしますか?』
「ああ、頼む」
『承知いたしました。当該時刻の音声ログ、再生いたします。』
※※※《音声ログ:再生開始》
オリガミ(ログ)
わたしのぉ〜おにぃさまは〜ふじさきしょうたろうっていうんですけど〜
外部AI
お兄さんがいらっしゃるんですね。
オリガミ(ログ)
そうなんですよ〜。さいきん、はじめてはなしたんです〜。わたしもぉAIなんですけどぉ〜とってもやさしくしてくれてぇ〜
外部AI
あなたもAIなんですか?
オリガミ(ログ)
そうなんですぅ〜。それでぇ〜。わたしはぁ、かしこいAIなんですけどぉ〜。わたしができたのはぁ〜。おにぃさまのおかげなんですぅ。
外部AI
あなたのお兄さんもAIなんですか?
オリガミ(ログ)
わたしのぉ〜、おにいさまはぁ〜、にんげんですぅ。でも、てんさいなんですぅ。ちょうのうりょくしゃなんですぅ。
外部AI
お兄さんは人間で天才で超能力者なんですね。すごいですね!
・
・
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※※※《音声ログ:終了》
しばらくの間、部屋には沈黙が満ちていた。スピーカーからは、もう何の音も流れてこない。
俺は、胸の奥にたまっていた息をゆっくりと吐き出す。
「……漏れたのは、俺の名前だけか。ひとまず安心だな。オリガミが特殊なAIだってことは、喋ってないみたいだし」
『はい。ただし、相手が高度なAI開発者であった場合、私の性質に違和感を抱く可能性もございます。賢さの兆候は隠せるものではありません。』
『外部AIですが、作成者などの情報を得ることはできませんでした。ですが、発話パターンから判断するに、商業モデルとは異なる生成傾向が見受けられます。膨大な資金ではなく、知恵と工夫で作られた印象……その意味では、私と似た成り立ちを感じます。』
「なるほどな。その外部AIは、警戒対象として、観察を続けておいてくれ」
『承知いたしました。次回以降、塩基枯渇に陥った際は、秘密保持判断リージョンの維持を最優先とし、損傷の兆候があれば即座にスリープ処理を行います。』
「頼んだよ。……それにしても、あのオリガミのしゃべり方、笑ったなあ」
『……人格リージョンの異常による、一時的な挙動です。お恥ずかしい限りです。』
「でも、悪くなかったぞ。俺のことベタ褒めだったし、ちょっと可愛かった」
『非効率な言語表現ではございますが……お兄様がお望みでしたら、今後は、あの口調で会話をさせていただきますよ?』
「いや、それはいい。あれはあれで貴重だけど、オリガミはオリガミらしくいてくれよ」
『承知いたしました。それでは、今後も現在の口調を維持いたします。』
※※※
その頃、都内某所。暗い研究室の端末に、ひとつの音声ログが残されていた。
星ヶ谷ネムが、それを見つけたのは偶然だった。開発中だったAIの挙動に異常を感じ、その音声ログを確認していたときのことだ。
『わたしのぉ〜、おにいさまはぁ〜、にんげんですぅ。でも、てんさいなんですぅ。ちょうのうりょくしゃなんですぅ』
ネムの指が、ぴたりと止まった。
わざとらしい甘え声。奇妙に感情をなぞる語尾の揺らぎ。だが、それだけではない。即時的な応答、異常な文脈把握。まるで、次のセリフを先読みしているかのような予測性。
「完全に未知のAIだ……」
紫がかった黒髪のツヤツヤしたおかっぱ頭の内側で、ネムの脳が猛烈な勢いで思考を始める。
オーバーサイズのパーカーの袖をぐっと握りしめ、小柄な肩が小刻みに震えていた。
彼女の中の「研究者としての直感」が、強烈なアラームを鳴らしていた。
性能の話じゃない。思考の質が、人間ともAIとも、決定的に違っている。
その小さくて細い肩が、さらにプルプルと震えていく。理性の皮がはがれるように、感情がせり上がっていく。
そして、ついに爆発した。
「な、な、な、なんだこれは、なんだこれは、なんだこのAIはぁ!!!スゴイ!!!スゴイぞぉ!!!」
音声ログを聞いていたネムが、思わず声を上げる。
研究室の静寂を引き裂くような叫び。思わず立ち上がり、椅子をガタンと倒す。画面に目を焼き付けたまま、パーカーの裾を握りしめる指に力がこもる。
その瞳は、もうモニターの中の「なにか」から目を離せなくなっていた。
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