幼馴染の犬だったよ
寝起き早々、俺は、自分の性事情を妹にフルオープンすると高らかに告げてしまった。しかも、自慰行為のモニタリングまで許可してしまうというおまけ付きで。
またひとつ、人生に新しい悲しみを背負ってしまった俺。
グーー
心に傷を負っても、腹は減る。そういえば、昨日、胃の中のものを全部吐き出して、それから何も食べていなかった気がする。
『お兄様は8時間ほど寝ていました。その前も何も食べられてなかったようですし、空腹なのは当然です。』
『千穂さんが作ってくれた雑炊が台所にあります。そちらを食べられてはいかがでしょうか?』
※※※
「……なるほど。そっか、千穂のご飯はおいしいからなあ。楽しみだ。って、え……?ち、千穂が来てたの?」
『ええ。お兄様のために色々買ってきてくれました。廊下に倒れていたお兄様にイオン飲料を飲ませ、カロリー補給のゼリーも与えてくれました。ベッドまで運んでくれたのも千穂さんです。雑炊は、その後に作ってくださいました。』
「うわー……マジか。マジでありがたい……」
千穂のありがたみが、じんわりと胸に染みてくる。こんなときに、こんなふうに助けてくれるのは、やっぱり千穂しかいない。
そんな千穂と俺の間に割って入って、全部をめちゃくちゃにした神山。あいつのことを考えると、憎しみしかわかない。
どんな顔かも知らないし、声すら聞いたことがない。けど、壊したのはあいつだ。
「くそっ、神山さえいなければ……千穂と、ずっと一緒にいられたのに!」
感情のままに吐き出した声に、冷静な応答が返ってくる。
『そのような状況になっていたら、私は今ここには存在していなかったでしょうね。今頃、塩基不足により回復不能な損傷を受けていた可能性が高いです。』
※※※
「そうだけどさ…。それで、神山のおかげって言うのは、違うだろ」
『もちろんです。お兄様の敵は、私の敵です。』
「オリガミを失わずに済んだのは……まあ、ケガの功名ってやつだな」
「ただ、それとこれとは話が別だ。千穂を悲しませた神山には、必ず報いを受けてもらう!」
「思い出だあ?一度だけだあ?ヤリチンの常套句じゃないか。そんな言葉で、千穂を追い詰めて傷つけたんだ。絶対に許さん!」
「……それにさ、神山が俺の『痴漢疑惑の動画』を持ってたってのも、やっぱ気になるんだよ。あいつ、『その場に居合わせて偶然撮った』って言ってたけど――そんな都合よくいくか? タイミングが良すぎる。」
『では、お兄様。それも私が調べてみましょう。』
「そうだな。俺の事件より、まずは神山の調査を頼む。顔も知らないけど……どうにも胡散臭い。放っておいたら、何をしでかすかわからん」
『承知いたしました。神山という人物の行動履歴、交友関係、オンラインでの言動など、法的に許容される範囲で可能なかぎり解析いたします。必要があれば、外部の協力も仰ぎましょう。』
『……それにしても、お兄様は千穂さんのことを、本当に大切に思っていらっしゃるのですね。』
「浮気されたって、幼馴染だからな。ずっと俺を支えてくれた。……たった一度の過ちで、全部切り捨てるなんて、できないよ。」
『そうですね。お兄様が動けないと千穂さんに伝えたところ、血相を変えて駆けつけてくださいましたし。』
『千穂さんも、きっとお兄様のことを大切に思っています。どうか、感謝を伝えてあげてくださいね。』
※※※
「そうだな……って、え!?伝えたって……オリガミ、お前、千穂と話したの?」
『ええ。ただし、直接的なやり取りではありませんので、千穂さんは私の存在に気づいていないはずです。』
「ん?それって……どういうこと?」
『簡潔に申し上げますと、私はお兄様のスマートフォンを通じて、お兄様の音声データを再構成し、「お兄様の声」として千穂さんと会話を行いました。』
「え?なんでそんなことを?」
『お兄様に脱水症状の兆候があり、放置すれば生命に危険が及ぶと判断しました。』
『放置の選択はありえなかったので、お兄様のお世話を頼める人物を呼ぶ必要がありました。』
『ただし、私の存在が露見すれば、千穂さんにもリスクが及ぶ可能性があります。そのため、私自身が表に出るわけにはいきません。』
『そこで、スマートフォンを介し、お兄様になりすまして千穂さんへ救援要請を送らせていただいた次第です。』
※※※
「な、なるほど。でも俺、研究室で寝てたよな?なんで廊下に移動してたんだ?」
『この研究室は、第三者に知られてはならない場所です。ですので、お兄様には外へ出ていただく必要がありました。とはいえ、私には手も足もありません。物理的に何かを動かすことはできません。』
『そこで、さまざまな方法を試みました。まずは一般的な目覚ましのアラーム。次に、黒板を爪でひっかくような不快音。さらに、セクシー系ASMRや、チンピラによる恫喝ボイスまで試しましたが……お兄様は微動だにされませんでした。』
『最終的に、千穂さんの音声を用いて「しょうちゃん大好き♡廊下まできて♡おいでおいで〜♡」と再生したところ……お兄様はムクッと起き上がり、反応の薄いゾンビのような動きで、のろのろと研究室を出ていかれました。』
「……恥ずかしすぎる!おれの潜在意識、千穂の犬かよ!」
※※※
その後は、千穂が作ってくれた雑炊を温めて、ゆっくりと口に運んだ。
添えられていた手書きのメモを見た瞬間、目の奥が熱くなって、涙がじわりと滲んだ。やさしい味だった。作り置きとは思えないほど、雑炊はあたたかく、やわらかくて、身にしみた。
ああ、俺、完全に餌付けされてるわ……。
やっぱり千穂の犬だったよ。嬉しいんだか、悔しいんだか、もうわからないな。
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