喪失と救い2(幼馴染視点)
そんなときだった。サッカー部の神山先輩が、私に声をかけてきたのは。
「俺、正太郎くんの無実を知ってるんだ」
「え……?」
「実はあのとき、俺もその場にいたんだ。ほら、これが証拠。拡散されてる動画とは違うでしょ?」
そう言って、スマホの画面を差し出した。
たしかに、拡散されていた動画とは違うアングルだった。聞けば、彼自身がその場で撮ったものだという。
ただ肝心の正太郎の冤罪が晴れる部分までの動画ではない。
「じつは、俺、学校の外で活動してるサークルがあってさ。あの日は、そのメンバーと一緒にお台場の方に出かけてたんだ。帰り道、ちょうどその現場に居合わせたんだよ。俺の動画は途中で切れてるけど、もしかしたら、他のやつが最後まで撮ってるかもしれない。探してみるよ」
私は、胸がいっぱいになった。ようやく、光が見えた気がした。
しょうちゃんの無実を証明できるかもしれない。すぐにでも、しょうちゃんに伝えようとした。
だけど、そのとき先輩が言った。
「……正太郎くんには、まだ言わない方がいいと思う」
「なんでですか?」
「だって、自分がひどい目にあったときの映像だろ?もしそれを何度も見たら、トラウマになるかもしれないし……。思い出させたくないんだよ、俺は……」
そのときは、「たしかに」と思ってしまった。先輩の言葉には、どこか優しさがあるように感じて、私はそれを信じた。
けれど、今になって思う。私はうまく言いくるめられて、先輩の都合のいいように動かされていたのかもしれない。
そのあと、先輩はいくつかの動画を手に入れてくれた。どれも「あと少しで真実が映る」と思わせるような場面で終わっていた。決定的な証拠にはならなかった。
何か手がかりがないかと、先輩と一緒に何度も何度もその動画を見返した。目が痛くなるくらい繰り返した。しょうちゃんの無実を信じてもらうために、人に説明しに行くときも、先輩はそばにいてくれた。
そのときの私は、心強いと思っていた。支えてくれる人がいるって、それだけで救われた気がしていた。けれど、その優しさに、ほんの少しだけ違和感を覚えた。でも、気のせいだと思ってしまった。
今思えば、それが彼のやり方だったのだろう。
※※※
しょうちゃんと過ごす時間よりも、気づけば先輩と一緒にいる時間の方が長くなっていた。そんな日々が続いていた、ある放課後のこと。先輩が静かに言った。
「千穂ちゃん、俺、千穂ちゃんのこと好きになっちゃった。俺と付き合ってくれないか?」
「もちろん正太郎くんのことは、これからも協力するよ。でも……気持ちが抑えられないんだ」
私は言うしかなかった。
「すみません。私は、正太郎くんと付き合ってます」
当然の答えだった。けれど、それで終わらなかった。
先輩は、それからも何度も何度も、会うたびに私に想いを伝えてきた。私はそのたびに断った。丁寧に、傷つけないように、気を遣いながら。
でも、どんな相手であっても、告白を断るというのは想像以上にエネルギーを使う。私はだんだんと、心がすり減っていくのを感じていた。
※※※
そんな日々が何度も続いた、ある日のことだった。
「そっか……さすがに君といるのが辛くなってきたよ。一緒に協力して正太郎くんの無罪を証明しようと思ってたけど、俺の身がもたないよ……」
「……ごめんなさい。私は、しょうちゃんが好きなんです」
「……わかったよ。じゃあ、一回だけ、俺に思い出をくれないか?」
「思い出?」
「本当に、一回だけでいいから。君のぬくもりを感じさせてほしい」
……私は、疲れていた。彼の告白を何度も断ることにも、誰に話してもしょうちゃんの無実を信じてもらえない現実にも。
そして、私は屈してしまった。
「……本当に、一回だけですよ」
それがすべての間違いだった。いや、もっと前から、私は間違えていたのかもしれない。本当は、しょうちゃんのそばにいればよかった。変な使命感なんて、持つ必要なんてなかったのだ。
神山先輩との行為は、ただただ気持ち悪かった。罪悪感、嫌悪感、全部が重くのしかかってきた。「一回だけ」「思い出を」そんな曖昧でやさしげな言葉の裏に隠れていたのは、あまりにも生々しくて現実的な行為だった。
吐き気がした。何もかもが、嫌だった。
※※※
そして、最悪な気分で帰宅した。
帰ってから、母からしょうちゃんの様子がおかしかったこと、私が駅前にいてそろそろ帰って来ると伝えられた事を聞いた。
血の気が引いた。しょうちゃんに、神山先輩とホテルにいた所をみられたかもしれない。
私はすぐにしょうちゃんに電話をかけた。何度も、何度も。でも出てくれなかった。メッセージも何通も送った。
その夜は、まったく眠れなかった。後悔と不安で、胸がずっと締めつけられていた。
※※※
翌朝。重い体をなんとか起こし、しょうちゃんと登校するために彼の家のインターホンを鳴らした。いつもならすぐに出てきて、笑顔を見せてくれるしょうちゃん。でも、その日は何も応答がなかった。
何度鳴らしても、返事はない。ドアの向こうは静まり返っていて、まるで誰もいないようだった。ピクリとも動かない。
学校が終わったら、ちゃんと話そう。すべてを打ち明けよう。私は、そう心に決めて、学校に向かった。
※※※
放課後、私は急いでしょうちゃんの家に向かった。
傷ついた彼を支えて、癒して、恋人になって、幸せを感じさせて。その後、それを自分の手で壊してしまった。
はしごを掛けて登らせておいて、そのはしごを、横から蹴り倒す。まさにそんなことを、私はしてしまったのかもしれない。
おじさんが亡くなったときのしょうちゃんの顔が、ふいに脳裏に浮かんだ。あのときの彼は、今にも崩れてしまいそうだった。消えてしまいそうだった。
……もし、今もあのときと同じくらい、心が壊れそうになってたとしたら?私の裏切りが、引き金になっていたら?最悪の事態が、もう起きてしまっていたら……?
そんな考えが頭をよぎった瞬間、私は立ち止まって、その場で震えた。
怖い。怖い怖い怖い。そんなの、絶対にイヤ。
背筋が冷たくなった。息がうまくできなくなった。そこからはもう、なりふり構わず走った。必死に、しょうちゃんの家を目指した。
お願い。生きてて。お願い。ちゃんと、そこにいて。
願いながら、私はインターホンを鳴らした。
※※※
私の心配は、杞憂だった。
しょうちゃんは、新しくやりたいことを見つけたようだった。その目は、決意に満ちていた。折り紙に夢中になっているときの、真剣で澄んだ目に似ていた。
……本当に、よかった。
何が彼をそうさせたのかは、わからなかった。でも、私のせいで駄目にならなくてよかった。彼が壊れずにいてくれて、本当によかった。
そのあと、私はしょうちゃんの家に招かれた。ソファに座らせてもらい、全てを洗いざらい話した。もう何も隠す気にはなれなかった。隠せるような状態でもなかったし、隠したくもなかった。
やっぱり、しょうちゃんは見ていた。私と神山先輩が、ホテルから出てくるところを。
そして、当然のように、私は振られた。
泣き叫びたくなるほど、悲しかった。でも、仕方ない。私は、それだけのことをしたのだ。
私は絶望した。
もう、しょうちゃんと一緒にいられない。話せない。笑い合えない。そんな日々が来たら、私は耐えられない。
でも、しょうちゃんは言ってくれた。
「千穂さえ良ければ、千穂が辛くないのであれば、付き合う前の関係に戻らないか? 友達だったあのころにさ。家にも普通に遊びに来てくれていいよ」
しょうちゃんは、私を幼馴染のままでいさせてくれた。「幼馴染だった」じゃなくて、今もちゃんと「幼馴染」って言える。それが、どれだけ救いになったか、言葉では言い表せない。
しょうちゃんは本当にすごい。こんな私を、見捨てずにいてくれた。裏切った私を、拒絶しなかった。
その優しさに、私は救われた。私は、このことを絶対に忘れない。
※※※
……でも。
しょうちゃんは、カッコイイ。誤解が晴れれば、きっと女の子にだってモテるはずだ。
この先、しょうちゃんが他の誰かと仲良くなってしまったら。もし、隣にいるのが私じゃなくなったら。私は、そのとき、どうなってしまうんだろう。
……考えたくなかった。
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