バカップル
水族館内を一通り見て回った後、俺たちは併設のカフェで一息ついていた。俺はドリアとアイスコーヒー、千穂はサンドイッチと紅茶を注文している。
「千穂、他に行きたいところある?」
「うーん、他は特に……あ、でも二時間後くらいにイルカショーがあるんだって!それ見たいな。イルカ、すごく可愛いよね!」
「イルカショーか、いいね。最後に見たのは父さんと一緒だったな……」
父さんと一緒にイルカショーを見た日のことが、脳裏によみがえる。幸せな記憶だ。
「しょうちゃん、すごい楽しかったってはしゃいでたの覚えてるよ。小学校高学年くらいだったっけ?」
「たぶんそれくらいかな。楽しかったなあ……」
「私、実はイルカショーって見たことないんだ。しょうちゃんが前に話してくれた時から、ずっと見てみたかったの」
千穂が微笑みながら言った。そういえば、小学生の頃にも「羨ましいな」って言っていた記憶がある。
「そうだったんだ。じゃあ決まりだな。時間までのんびりして、イルカショー見に行こう!」
「うん!」
「じゃあ、もう少しここでゆっくりしようか。……そのサンドイッチ、美味しそうだな。結構手が込んでそう」
ふと千穂の手元に目をやると、彼女が食べているサンドイッチがやけに美味しそうに見えた。ふわふわの卵がたっぷり挟まっていて、見ているだけで食欲をそそられる。
「うん、美味しいよ。しょうちゃんも食べてみる?はい、あーん」
「あーん」
俺は千穂が差し出してくれたサンドイッチをパクリ。うん、うまい!千穂の手料理には敵わないが、あれは別格だろう。
「しょうちゃんのドリアも美味しそうだね?」
「食べてみる?はい、あーん」
千穂が俺の差し出したスプーンに、ためらいもなく口を近づけてパクリと咥えた。
「あーん。ん!んん!これ、すごく美味しい!」
千穂は頬を緩ませながら、幸せそうにドリアを味わっている。
「千穂がモグモグしてる顔、めっちゃ可愛いな。もっと見せてよ」
「やだよぉ、そんなに見ないで……恥ずかしい……」
そんな風に千穂とじゃれ合っていると、ふと周囲の視線が集まっていることに気がついた。
ん?なんだ?どうしてジロジロ見られてるんだ?
その時、骨伝導イヤホン越しにオリガミの声が聞こえてきた。もちろん、この声は千穂には聞こえない。
『お兄様……かなり目立っていますよ……大丈夫ですか?少し、イチャイチャしすぎなのでは?』
た、確かに。俺たち、まさに絵に描いたようなバカップルじゃないか?ふと周囲を見渡すと、お客さんや店員さんがちらちらとこちらを見ている。中には砂糖を吐きそうな顔をした人や、呆れたようにため息をつく人、さらにはニヤニヤと楽しそうに眺めている人までいる。
……さすがにちょっと目立ちすぎてるかもしれない。「ドールハウス社長、イチャイチャしすぎ!」なんて動画が出回ったらどうしよう。
俺がそんな心配をしていると、まるで心を読んだかのようにオリガミが声をかけてきた。こいつ、普通にこちらの考えを読んでくるから怖い。
『大丈夫です。今のところ動画を撮られている様子はありません。でも、人前でのイチャイチャはほどほどにしてくださいね。責任ある立場なのですから』
はい……面目ありません……
オリガミは普段、俺が誰かと話している時はあまり割り込んでこない。よほど注意が必要な時だけだ。どうやら、俺たちのイチャイチャはオリガミ的にも危険水域だったらしい。
「ちょっと……イチャつきすぎたかもな……」
「う、うん……」
千穂も自分たちの行動に気づいたのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
※※※
その後、軽食を食べ終えて、アイスコーヒーを片手に、千穂とまったりとした時間を過ごしていた。
ふと、近くの席に新しく女の子二人組がやってきて座った。彼女たちの小声の会話が、なんとなく耳に入ってくる。
「ねえ、あの人……ドールハウスの社長さんじゃない?高校生社長って、テレビで見たことある気がするんだけど……」
「えっ、あのVTuber事務所の?私、オリ男の配信よく見てるんだよね。サインとかもらえたりしないかな……この際、社長さんでもいいや」
“この際”ってなんだ、“この際”って。まあ、俺のサインなんて需要ないのは分かるけどさ。
「や、やめとこうよ。彼女さんとイチャイチャしてるし、邪魔しちゃ悪いって……」
「たしかに……『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ』って言うし……」
「その言い回し、渋すぎない?」
どうやら、そのヒソヒソ話は千穂にも聞こえていたらしい。少しだけ寂しそうな顔で、ぽつりと呟く。
「やっぱり、しょうちゃんって有名なんだね……すごいなぁ……」
そんな遠い目で、俺のことを見ないでくれよ。
「俺は、どんなに有名になっても、千穂の隣にいるよ。ずっと一緒だ」
すると、また女の子たちのヒソヒソ声が聞こえてくる。
「うわぁ……あんなクサいセリフ、普通に言えるんだ……さすが社長……」
「うん……やっぱり只者じゃないね……」
クサいとか言うな!その内緒話、全部聞こえてるから!お願いだから、もうちょっと声を小さくしてくれ……。
※※※
カフェを出た後、俺たちはもう一度水槽を巡り、ネム魚の愛らしい動きを眺めてから、イルカショーの会場へと向かった。
イルカショーは本当に素晴らしかった。イルカたちが高くジャンプし、華麗に回転するたびに、観客席から歓声が上がる。その光景を見ていると、ふと昔、父さんと一緒にイルカショーを見た日のことが思い出された。
父さん……俺、今ちゃんとやれてるかな。気がつけば、婚約者が二人もできてしまったよ。もし父さんが知ったら、どんな顔をするだろう。呆れながらも、少しは笑ってくれるのかな。オリガミも、父さんの娘としてどんどん成長しているよ。俺も、オリガミも、もっともっと頑張るから……どうか見守っていてくれ。
そんなことを考えている間も、千穂はイルカショーに夢中になっていた。イルカが水しぶきを上げてジャンプし、くるくると回転するたびに、千穂は子どものように目を輝かせて歓声を上げる。
「きゃー!すごい!しょうちゃん、見て見て!」
千穂の無邪気な笑顔は、まるで宝石のように眩しかった。その表情を見ているだけで、俺の胸は温かく満たされていった。美しい……この千穂の姿を、千穂Ver.8の素材にしよう。しっかりと心に刻み込んでおかねば。
※※※
水族館を出る頃には、空がすっかり夕焼け色に染まっていた。
結局、ほぼ一日中水族館で過ごしてしまった。でも、千穂が心から楽しそうにしていたから、これで良かったのだろう。
車に戻ると、千穂が少し名残惜しそうに俺を見つめる。
「今日は、もう帰っちゃうの?」
「いや、まだだよ。実は、人気のレストランを予約してあるんだ。今夜はそこでディナーにしよう」
「本当?嬉しい!いろんな味を覚えて、しょうちゃんのために毎日のご飯に活かすね!」
本当は、本当は自分のために美味しい料理を楽しんでほしいんだけど……まあ、千穂が楽しいならそれでいいか。
※※※
そこで、俺は千穂の瞳をしっかりと見つめ、はっきりとした声で告げた。
「それに……今夜は家に帰すつもりはないよ?夜もずっと一緒だ」
千穂は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに俺の言葉の意味を悟ったのか、頬を真っ赤に染めて俯いた。
千穂は恥ずかしそうにうつむきながらも、かすかな声で、しかしはっきりと頷いてくれた。
「うん……わかった……」
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