38話 『元』橋姫ガールとお泊まり(その3)
冷静になってみると、オレはこれから『ヤバい』ことをしようとしているのかもしれない。『ヤバい』って言葉しか思いつかないくらいには語彙力が死んでいる。逆に、これから起こる状況を考えてみれば語彙力が死に絶えないほうが『ヤバい』のかもしれない。
現在、璃世の家の洗面脱衣所。格好は全裸。
──まあ、これだけならまだおかしいことじゃないよな。風呂は毎日入るもので、泊まりに来たからってその習慣が無くなるなんてことはない。
しかししかしっ! オレだけが風呂に入るのではない。璃世も『一緒』に入るのだ。……もちろん、生まれたままの姿で。なにも身につけていない生身の姿で。
いや、もうこれは『前哨戦』と言ってもいい行為なのでは!? 若い付き合いたてのカップルが、一緒にお風呂に入る。しかも格好は両者とも全裸──。
うん。これは想像しちゃうな、どうしても。『イチャイチャ』、想像しないほうがおかしいよな。
そういう行為はもうちょっと後になってからと思っていても、実際にするのと想像するのとは違うもんな。仕方ない仕方ない。
璃世と一緒に風呂に入ることができるのは、素直にうれしい。うれしいことだけど──問題点が2つ。
1つは、背中にある無数のキズ。
昔、虐待を受けていたときに否応なく付けられたもので、その時の痕が生々しく残っている。オレは残念ながらもう慣れっこだが、初めて見る璃世には少々ショッキングなものになるのかもしれない。
『百聞は一見にしかず』っていうことわざがあるように、聞くのと実際に見るのとは違うからな。
もう1つは──体の一部が平常とは違う状態にあること。どうやらオレの体は気持ちに敏感らしい。硬いし、熱も持っている。……これは、普通に見られるわけにはいかない。まだ、その時が来るときまでは隠しておかなくちゃいけないけど、隠せるかなぁ……。横入りじゃ──ギリ無理か? まあ、璃世がこっちを見なければやり通せるが……。
「颯君、まだー?」
「も、もう入るっ!」
璃世はすでに浴室のなか。
彼女の、一通り髪や体が洗い終わって、湯船に入ったときの合図、『入ってきていいよー!』が出されたので、服をせっせと脱いだ。ちなみに、声がかかるの待っている時はスマホもいじらず体育座り。ひたすらに悶々としていた。
オレ自身との戦いは、もう始まっている。理性を失わないように、頑張ろう……!
──────────
浴室に一歩足を踏み入れる。目線は地べた。
璃世が湯船に浸かっている以外は、どんな体勢か、どの向きを向いているのかが全く分からない。でも、たぶんオレの方を向いている。
「お、お待たせ……」
「颯君。お腹、痛いの?」
「いや、痛くないけど……」
「なら、そんな前かがみにならなくても。もうしゃがんでるじゃん」
「そ、そそ、そうだよなっ!」
『前かがみで移動作戦』は結構不審に見られてしまった。つ、つぎの作戦は……
「颯君」
「は、はいっ!」
「私、颯君の顔見たいな」
「い、いや……それは──」
「今、背中しか見せてないでしょ? 後ろ向きの状態で移動ってちょっと危なくない?」
「……おっしゃる通りです」
うっ。『背中を向けた後ろ向き移動作戦』も早々に失敗か。でも、堂々と前を向くのは……。
「お、オレ今元気な状態だからさっ! だから、ちょっと前を向くのは控えておきたいというか」
「元気……? なにが?」
「うぅ。言わせないでよぉ……」
「うーん、颯君が恥ずかしいって思ってるもの?」
「ほ、ほらあるだろっ! 下半身のやつだよ、男の子には付いてて、女の子には付いてないやつ!」
「……あっ」
しばしの沈黙。
璃世の顔は見えないが、沈黙の前に発した声は震えていた。
「ご、ごめんっ颯君! そ、そうだよね。私ったら無神経に……」
「そういうわけだから、ちょっと前を向くのは難しいっていうか、向いたらモロ見えって言うか」
「わ、私そっぽ向いてるから!」
「そうしていただけると、とっても助かります……」
この会話のあと、オレと璃世は完全に無言になってしまった。シャワーの音と、心臓の音が響くだけ。自分の鼓動で体を揺らしてしまうくらいには昂っていた。
未だ、璃世の顔は見ていない。……見るという行為はそのまま体を見ることにもつながっているので、仕方がないことでもある。
悶々とする中、オレは体や髪を洗い始めた。緊張からか、自分の家で風呂に入った時よりも早く洗い終わった。
途中、シャンプーをボディソープと間違えたり、元気になっている自分の下半身を見て触るのを躊躇ったりしたがそれでも早く終わったのは確実だ。
次は、璃世のいる湯船の中に──。
シャワーを止め、一気に静寂が訪れる。
「璃世っ! オ、オレ、洗い終わったから入るぞっ!」
「う、うんっ! どんとこい!!」
妙にやる気が入った璃世。声は震えていない。
「あっ、でも入るときは背中合わせにしてくれるとありがたいというか」
「……まだ『元気』なの?」
「……はい」
「私は別に──ううん、なんでもない」
「いいのか、最後まで言わないで」
「うん。背中合わせでも、私は十分だから」
一瞬胸が締め付けられる感覚がしたが、きっと気のせいだ。
「じゃあ、そろそろ……」
「うん。入ってきて、いいよっ!」
一呼吸置いたあと、湯船に入るために思い切って正面を向く。
浴槽の右側には生まれたままの姿の璃世。左側は空いている。
顔は俯かせたまま。
胸などの前面は見せないが、後面の背中やお尻の一部はハッキリと。
湯気はそんなにない。もんもんと沸き立つ白い湯気の存在は、空想の中の話だと思い知らされる。
なので、うなじもハッキリと。
微かに見える顔は、ちょっと赤づいているように見えて──。
湯船の中に足をつける。
緊張からか、感覚が敏感に。思わず体を『ビクッ』と震わせてしまう。
「お、おじゃましまーす……」
たどたどしいオレの声が、浴室内に響くことは無かった。璃世には聞こえていたようで、コクンと1回頷いて応えてくれた。
──────────
「颯君、湯加減はどう?」
「ちょうどいいと思います」
「私、スペース取りすぎてないかな? 狭くない?」
「……ちょうどいいと、思います」
「なんで敬語?」
「それは、緊張しているからです」
……ぴったりと背中がくっついている。
璃世の体は、驚くほど柔らかかった。
あと、背中越しでも伝わる璃世の心臓の音。『速い』以外の感想は思い浮かばない。『チャプ……』という水の音の中にある彼女の呼吸音。ちょっと荒い。
緊張が何度も最高潮に達する。
この状況で緊張・ドギマギしない男っていうのは人の皮を被った『なにか』なのではないかと思い始めた。
「ねえ。背中、触ってもいい?」
「えっ、背中……!?」
オレの、キズだらけの背中。
それに触れたいという言葉は、確かな『動き』をもたらした。
「いいけど……大丈夫?」
「なにが?」
「結構キズがあって、初めて見るとショッキングかも……」
「でも、いずれは知っておかなくちゃいけない」
「……そうだな」
「私は颯君のことをもっと知りたい」
「固いな。決心」
確かな声に籠もるは確かなる決心。
璃世が『大丈夫』と言うのなら、オレから拒むことはしない。
水の動きとともに、璃世が離れていく。
それが、ちょっぴり寂しい。
「さ、触るよ……?」
すぐ後ろに璃世の声。
体同士が当たることはないが、乱れた吐息は首筋に当たる。
「どんとこいっ!」
言った瞬間、璃世の1本の指が背中にピタッと。
オレ以外の人が背中を触っているというのは、相手が璃世であっても不思議な気分にさせる。
彼女の手つきは、どこまでも優しいものだった。
『ツンツン』と触られても、『ツー』となぞられても、指に込められた優しさがオレを満たす。
「……痛くない?」
「こんなに優しく触られてるのに、痛いわけあるか」
「まだ痛むときってあるの?」
「……たまにな」
璃世の指に動揺がはしる。
「……ひどい」
「ひどいよな。でも、璃世はこんなことしないよな」
「当たり前じゃん! 颯君が辛いときは私が守るからねっ!」
「当たり前のことを『当たり前』って言える彼女さんがいるオレ、幸せだなぁ」
受け止めてくれる人がいるということは、本当に幸せだ。
でも、ただ甘えるだけじゃフェアじゃない。
オレも、璃世になにか与えられる彼氏にならないとな。
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