26話 『元』橋姫ガールと回顧録(後編2)
後編は2つに分割してます。この26話はその後半部分です。
太陽は沈むことを知らずに振る舞おうとするが、空というものは正直なもので青からオレンジ色へと変化を遂げようとしている。
夜が否応なしに主役に台頭してくることを予感せずにはいられない、金曜日の放課後のこと。
オレと璃世は、1年生の教室がある5階を訪ねていた。
「──ここか、1-Eは」
「ちょっと戸惑わなかった?颯君」
「『戸惑う』って……。まあ、確かにそんな感覚はあるよなー。分かるぞ、璃世」
璃世のこの感覚は分からなくない。いや、むしろ共感する。
オレたちも半年くらい前までは1年だったワケで、この5階でガヤガヤワイワイやってたのは記憶に新しいものだ。
でも、今2年生のクラスがあるのは4階だ。
クラスも変わって当初は窓から見える景色が違って興奮することもあったが、それはせいぜい2日くらいのハナシ。3日も経てば、ずっとそうであったと錯覚するくらいには気にならなくなるものなのだ。
今では、4階にいるほうが落ち着く。無論、璃世と一緒にいる場所が一番落ち着くのは言うまでもない。
5階にいる1年生は知らない人ばかり。部活に入ってないオレからすれば尚更のこと。
まるで急に異国に連れてこられたみたいだ。
普段見ない顔からか、好奇な目に晒されているような感覚にも陥りそう。
璃世も多少は不安に感じているのだろう。
いくら書道部に所属していて後輩とのつながりがあるにしても、自分のいることが多いフロアを飛び出してほかのところに出向くという機会は少ないはずだ。
不安げな表情を浮かべる彼女に、オレは『大丈夫』と諭すかのような、そんな優しい微笑みを向ける。
璃世もそれに応えて安心したような顔になる。その後に、なにかを決心したのか胸の前で小さく拳を握った。自身を鼓舞するためか──はたまた別の理由があるのかはオレには分からない。
今日この1-Eを訪ねたのは、璃世と同じ書道部に所属している彼女の後輩の、秋津撫子にお礼を言うためだ。
昨日、撫子には本ッッ当に世話になった。あの子がいたからこそ、今日という日を無事に迎えられているといっても過言じゃない。璃世と……オレが救われるきっかけのカギを持つ人物だった。
撫子がいなければ、たぶん璃世と連絡がつかず家の場所も分からなかったので、なかなかに重大な役割を果たしていたのだ。
そんな撫子に最後言われたことがある。
『全てが解決したら……2人で書道部に顔を見せに来てくださいねっ!』
この言葉が紡がれたからこそ、今ここにいるのだ。
……もっとも、このような言葉を投げかけられなくても、お世話になったからにはちゃんと顔を見せようと思っていた。書道部ではなく撫子当人に会いにいってしまっているが、意味合いとしてはたぶん同じ。
できるだけ早く、撫子に安心させてあげたいのだ。
「撫子ちゃん、帰ってないかなぁ……」
そう言いながら、ガラガラ扉の先に見える1-Eの様子を伺っていた。
今は放課後。
璃世の話によれば書道部の活動日に金曜は入っていないらしい。だから、もう帰ってしまっているのかもしれない。
今日、撫子が掃除当番だったとしても、たぶん帰りのホームルームからはちょっと時間が経ちすぎているので、まだ学校にいるか分からないのだ。
午後3時48分。
教室を覗いた璃世の表情というのは──パッと明るくなった。
『オレもオレも!』といったカンジで、一緒に覗いてみると、黒髪のポニーテール、あずき色のシュシュ、短めのスカートを纏っている小柄な少女。
ああ……間違いない。昨日見た、女神とは似つかないお転婆少女の秋津撫子だ。
その撫子は、今男子と会話しているらしい。
1人じゃない状況からか、璃世は教室の中まで足を踏み入れるのを躊躇っているようだった。
撫子と会話している男子の顔をよーく凝視してみる。
髪型はツーブロックで、スッキリしている。
顔もそれなりに整っている……。
長袖のワイシャツは肘が隠れる程度にまくられていて、第2ボタンまで外していて。黒のインナーはハッキリと。ネクタイはしてなくて──
あれ、オレこの顔どっかで……。
いやっ、『どっかで……』なんてそういう次元じゃない。しょっちゅう見る顔……。
これ、蓮太じゃね?
──────────
「蓮太……!?」
驚きの感情の赴くままに教室に入る。この瞬間だけは、璃世のことをすっかり忘れてしまっていた。
教室に足を踏み入れてから数秒した後に、慌てた様子で璃世も付いてきた。姿は見てないが、『タタタッ』と駆け寄るようなものだったから、慌てたのは合ってると思う。璃世は静かに歩くタイプだからな。
「あれ、ハヤテと……そっちは……。なんでここに?」
「撫子さんにお世話になったから、お礼を言うためだよ。……蓮太はどうしてもここに……」
「いや、ただ撫子ちゃんとおしゃべりしたいなーって」
撫子は黙りこくっている。
その様子を見た蓮太に動揺の影がチラッと見え隠れしてきた。
「撫子さん、昨日は本当にありがとう。おかげで、璃世を助けることができた。これは撫子さんがいたから成し得たことなんだよ。今日は、そのお礼をしに揃って顔を見せに来た」
「問題は、全部解決しましたか?」
「ああ、おかげ様で。だから今ここにいるんだろ?」
撫子の声にならない嗚咽が、辺りにこだまする。
「──おかえりなさいっ、璃世先輩ッ!颯さんもっ!」
急に飛びつく撫子。
バランスをちょっと崩しながらもしっかりと受け止める璃世。
撫子の堪らえようとしても溢れてくる気持ちは、すぐに璃世のベージュ色のベストを濡らした。
頭を『ポンッ……』と撫でられる撫子。
安心しきった微笑みが、そこにはあった。
「撫子ちゃん、心配かけてごめんなさい」
「なに言ってるですかぁ……。し、心配だなんて。私、ちゃんと璃世先輩の役に立ってましたか……?」
「十分役に立ってた。撫子ちゃんがいなかったら、2人とも学校に来てなかったかもしれない。私も、颯君も……。颯君を信じてくれて、そして待っててくれて、ありがとう」
「颯さんに璃世先輩を託した後も、どこか心配な気持ちがあって……。で、でもっ!2人とも信じて待っててよかったです」
「また来週から書道部にもいくから、よろしくね」
「ええ、こちらこそですよぉ」
幼い子どものように、周囲にはばかることなく抱き締め続ける撫子と、それを受け止める璃世に割って入る衝動など存在しなかった。
──────────
「ハヤテ、今なにが起こってる?一体何があった?」
「そんな一気に質問しないでくれ。オレがパンクしちゃうだろ。蓮太は撫子さんからなにも聞かされてないのか?」
「いや、なんにも……。だから、この状況がなにがなんだか」
「惹かれてる相手にはヒミツにしておきたいものなのか」
「なんか言った?ボソッとしててあんまよく聞き取れなかったんだけど……」
「いやぁ、なんでも」
蓮太はますます混乱してそうだ。態度にも、顔にも出やすい蓮太は分かりやすい。
「撫子さんに抱きつかれてる人は、橋立璃世って名前だ。蓮太、この名前聞き覚えないか?」
「橋立璃世……。橋立……。あっ、いつぞやの勉強会で……」
「そう、オレが『呼び出されたから、勉強会早く切り上げさせてくれ』って言ったことあったろ。正真正銘、その時の子だよ」
「あの子が……」
「ここ最近、ちょっとしたトラブルに璃世が巻き込まれた。そのトラブルの解決に、撫子さんが一役を担ったってワケ。そのお礼をしにきたことはさっき言ったよな。璃世と撫子さんは、書道部の先輩後輩の関係だよ」
まじまじと璃世を見つめる蓮太。
……ちょっと釘を刺しておこう。
「蓮太。璃世を狙わないでくれよ?」
「ね、狙わねぇよ!いきなりなんだ、どうした……。お、俺にはその、撫子ちゃんがい、いるし……」
「好きなのか?」
「…………うん」
ド直球な質問に、真っすぐな答え。
蓮太らしくない、素直でしおらしい返事だ。
一瞬のうちに、顔が『ポッ……』と赤く茹で上がった。
「そっか。……オレもな、璃世が好きだぞ?大好きだ」
「へっ、えっ……ハ、ハヤテ……。お前、本当にどうした?そんなこと、堂々と言うタイプじゃないだろ?」
「自分の気持ちを隠すよりも、素直に言ったほうが気分がいいことに昨日気づいたんだよ。でも、肝心の璃世にこの気持ちは言えてないんだよなぁ」
「そりゃあ、勇気いるだろ。てか、その子ハヤテの本命……?」
おそるおそる尋ねてくる蓮太。
気持ちが分からないでもない。
「当たり前だ。大本命だよ」
「ハヤテ、とうとう1人の女の子と……」
「璃世の気持ち次第だけど、少なくともオレは璃世一筋だ」
「昔、ハヤテにはいろいろなことがあったよなぁ。俺だって、お前に何があったかは全部じゃないけど他の人よりは知ってる。過去を乗り越えた、ってこと?」
「これも璃世のおかげだ。もちろん、蓮太もだよ」
感慨深そうに、オレを見つめてくる。
いつもの蓮太の様子じゃないのは明白だ。
「あっ、そうそう。蓮太に言いたいことが」
「んっ、なに?」
「撫子さんのこと、気に病むなよ」
「ハヤテェ……。俺、振られてないんだけど……」
「いや、そういう意味じゃねぇよ。ごめんな」
言い方がまずかった。
反射的に謝るオレに、蓮太は恨めしそうな顔で見つめてくる。
「蓮太、今回のこと撫子さんから話されてなかっただろ?そのことを気に病む必要はないってこと」
「俺、撫子ちゃんからそんなに信頼されてなかったのかなぁ」
「信頼とかそういう問題じゃないと思うぞ?」
「そうなの?」
「きっと、蓮太は撫子さんから大切に思われてる。だからこそ、今回のことはひた隠しにした。巻き込んで、心配させたくなかったんじゃないのか?オレが絡んでることでもあったし……。オレはすべてを大っぴらにすることだけがいいってことじゃないと思うんだよ。時には、相手のことを思って隠すのも正解なんだ」
「俺、撫子ちゃんから嫌われてない……?」
「そんなわけあるか。むしろ──」
──両思いだよ。
「むしろ……なんだよ」
「いいや、なんでもない。これは蓮太が確かめることだからな。……てか、いつもの調子に戻ってくれよ?いつもの蓮太じゃないとオレの調子が狂う」
「……俺、いつもこんなカンジじゃなかった?」
「絶対違う」
そこには、まだまだ遠いけど元気を取り戻しつつある蓮太の姿があった。
ふと気になったので、璃世と撫子さんの様子を伺ってみる。
撫子さんは気持ちを全部出し切ったのか、清々しい表情になってオレたちを見つめていた。もう、璃世に抱きついていない。
璃世も、ほっとしたしたような表情を覗かせる。
昨日の撫子さんとの会話と、今日の蓮太との会話から、2人が好きあっているのは言動とか態度から丸わかりだった。
純粋に、羨ましいと思う。喜ばしいことだと思う。
璃世も、オレのことを好きだったらうれしいんだけどな。
次回からは颯と璃世の公園デートが始まります。
お手数でなければ、ブックマークや評価をしていただけるとうれしいです!!!




