22話 橋姫ガールと揺蕩う影
1章の最終です。
ハッキリ言って、暗く重い内容となっています。
すみません。
それは、思いもよらない一言だった。
さっきまでとは比べ物にならないくらいの、熱くて、それでいて真剣な眼差し。
「ねえ、颯君。今度は颯君のことについて聞かせて。大丈夫、どんなことだって受け止めてみせるから。今度は私の番。…………だからさ、泣かないでよっ……」
頬に涙が伝っている──。
璃世に言われて初めて気がついた。
頬を触ってみると、一直線上に濡れた形跡。
止まらない。
拭っても拭っても、枯渇を知らずに流れてくる。
『本能』がそう行動させている。決して逆らえない。自制なんて、効かない。
璃世の目の前で、その純粋な黒の瞳を見つめて泣いてしまっている。
「あれっ、お、おかしいな……。なんで、オレ……」
「颯君」
「ちょっと待ってて。すぐ止めてみせるから……」
でも、止まらない。
強く『泣き止めっ!』思えば思うほど、溢れてきてしまう。
声にならない嗚咽が、止まらない。
「こ、このまま泣きっぱなしも璃世は困るだろ……?」
「困らない」
弱々しいオレの質問に、力強い確かな答えが返ってきた。こんなときくらいは、『弱い璃世』であってほしかった。でも、今の璃世は憎たらしいほどに真っ直ぐに強くなっている。
「私ね、颯君に『がんばったね』って言ってあげたいの。涙が溢れるほど颯君が抱えてきたものに、『今までがんばったね』って……」
そう言われたら……抑えきれなくなるじゃん。
こんな重いもの、璃世に背負わせるわけにはいかないのに……。
「颯君は私を救ってくれた。だから、今度は私が颯君を救う番なの。大丈夫、今の私は強いから。痛みを知ってる私なら、受け止められる」
璃世の言葉を聞いたら、もうダメだ。
急に力が入らなくなった。
地べたにへたり込んでしまった。
暗い部屋のはずなのに、物が映し出す『影』が妙に怖く見えた。
そんな中でも、橋立璃世は強かった。
内心はオドオドしているのかもしれないが、全く外には見せなかった。
地べたのフローリングしか凝視することができないオレに、璃世もしゃがみ込んで等身大で接しようとしている。
きっと優しい眼差しなんだろうな。
もう、オレは抱いている気持ちを外に溢すしかなかった。
璃世に、吐き出すしかなかった。
──────────
──オレの人生、なんなんだろうなって思う。
オレを産んだ親っていうのは、それはそれはヒドかった。『ロクデナシ』って声を大にして言えるものだったよ。どうしようもない奴らだった。
アイツら2人とも仲が悪かったし、異性関係もめちゃくちゃだったな。……なんで結婚なんかしたんだろうって常日頃から思ってた。
親も、連れてくる互いの不倫相手も、誰もが荒っぽくて、オレはサンドバッグになるしかなかった。
気に食わないことがあれば殴る蹴るの暴力。
『死ね』や『消えろ』、『邪魔』の暴言だってたくさん。
ロクに世話もされなかった。アイツは自分の子どもよりも目の前の欲望に忠実だったってわけだ。
今でも思うよ。
なんでオレって生き延びてたんだろうなって。
神の気まぐれって言うのなら、オレはその神を許さない。
そんなある夏の日のことだ。今日ぐらいの暑さがある日だったのを覚えてる。
オレはいつも通り『サンドバッグ』になってた。確か……あの時は父親だったかな。もしかしたら母親の不倫相手の男かもしれないが、そんなことはどうでもいい。
それでオレは突き飛ばされた。『気に食わない』の気持ちだけで。ま、突き飛ばされるのは日常茶飯事だったが、その時はいつもと様子が違ったらしい。
目が覚めなかったみたいだ。
どんなに乱暴に扱われようが起きなかったんだと。
これは後で大人に聞いたんだ。
ハッキリ言うが、これはオレ、覚えてない。 意識が朦朧としてたから、当たり前の話だけど。
それでしばらく放置してたみたいだ。誰からも助けられなかったらしい。
そんなオレでも今ここにいるってことは結局助けられはした。オレを助け出したのは警察の人だった。
実はオレの家には児童相談所の人が定期的に来ててな。オレの様子とかを見に来てたんだ。ま、そこでは何も救われなかったわけだけど。どうせ役に立たないって分かってたから、オレ自身も助けを求めることなんてしなかった。
アイツらに『大丈夫、パパママ大好き』って言えって脅されてたからな。傷も服で隠れるところに付けてくから何とかやり過ごせてたみたい。だから、ただ来ては帰ってくだけの存在だった。
オレが突き飛ばされてから数日後、児童相談所の人が来たそうだ。そこでアイツらはいつもと違う行動をとったらしい。
訪ねてきても応じなかったそうだ。
オレは死にかけてるし、そんなところを見せるわけにはいかなかったんだろう。『サンドバッグ』がいなくなったら、今度は誰に当たればいいのかって話にもなる。そんなことが数回あったらしい。
次に出てきたのが警察だ。
児童相談所からの通報があって来たんだと。最初は警察すらもだんまりを決めていたみたいだったけど、だんだん応援も呼ばれて大ごとになってきて……ついに観念したらしい。
警察の人に発見された時、オレは死にかけてた。
夏の暑さ真っ盛りの中だ。とっくに死んでもおかしくない状態だったんだって。
ともかく、オレはこれでアイツらから離れることが出来たわけだ。結局逮捕されて、今は何をしてるのかも分からない。だからといって、知りたくもないけど。
──そんなこんなで、オレを取り巻く日常は変わった。暴力や暴言からおびえる必要がなくなった。病院から始まって児童相談所に保護されて、養護施設に行って……そして、宮石颯は茂木家に養子に迎えられて茂木颯になった。8歳くらいの時の出来事だな。
オレと家で血のつながりはない。父さんや母さん、妹の杏樹とだって……。でも、そんなオレにも分け隔てなく接してくれた。
オレの家族は、あの人たちだけだ。
茂木颯になって、いろいろなことが変わった。苗字が変わったのもそうだけど、通う学校が変わった。
学校自体は保護される前と養護施設にいた時とで違ってるけど、茂木颯として通う学校はやっぱ特別だった。
初めは苦労したこともあったよ。その時は首を絞められた跡が残ってたから、みんな気味悪がって距離を置かれてた。
それはどの学校でも同じだったけど、茂木颯として通った学校では蓮太がいた。
前にも言ったことがあるだろ?西條蓮太とはこの頃からの付き合いなんだよ。
蓮太は気さくな奴で、よくオレに話しかけてくれて……相談もして。元気づけられることが多かった。おかげでクラスにも馴染めたし、蓮太には感謝しかない。
蓮太だけじゃない。
妹の杏樹だってそうだ。
いっぱい話しかけてくれた。
話の一つをとっても面白くて……。
父さんも、母さんだってそばに居てくれたからオレはここまでやってこれた。
蓮太や杏樹がいたからこそ、オレは勉強とか運動に力を入れることができた。
……みんなに首の跡だけ見て判断してほしくなくて、本当の茂木颯を見てほしかったから。気分よくお互いに会話をするための研究的なこともやってみたりした。
茂木颯として生きる人生は、それはそれは順風満帆なものだった。オレの人生、ここから始まったようなもんだ。
望むものはだいたい手に入れることができた。
みんなと関わるための学力や運動神経──。そして、安心できて信じることができる人がいる環境。
学校には蓮太とか友達がいて、一緒に遊んだり時には怒られたり。
家には杏樹がいて、からかったり逆にからかわれたり……。母さんや父さんが作る手作りのご飯はどれも温かくて。何気ない話でも、笑って聞いてくれた。
これは天から授けられたものだと思った。
それぐらい順風満帆だと思っていた。
──でも、それは本当に思っているだけだった。
茂木颯として生きていても『過去』はずっと纏わりついてきた。楽しんでいても、どこか苦しいままだった。
こんな気持ち、どこにも吐き出せない。思えば、アイツらに虐げられてきた時からそうだ。宮石颯として存在していた時からだ。
──迷惑をかけたくない。
──心配をかけたくない。
あの時から、本心で相談なんてしなかった。それは、茂木颯になってからも同じだった。
──迷惑、かけたくない……。
──心配、かけたくない……。
何も、変わらなかった。
蓮太に相談する時だってめちゃくちゃ端折って、本心はひた隠しにしてた。
今ある日常を壊したくなかった。
話すことで、相手にオレを背負わせたくなかったんだ。
嘘だってついてる。
自分を守るためには仕方なかった。
昔も今も、嘘で乗り切ってきた部分がある。
璃世、前に言ってたよな?『どうして彼女を作らないのか』って。ここまでの話を聞いてたら分かる部分があるんじゃないか?
いくらオレが茂木家の人間だとしても、オレを産んだ親は違ってる。暴力的で、そして異性関係にだらしなくて……。
そんな奴らの遺伝子を継いでるオレが彼女を作ろうなんて、そんな話ないだろ?悲しませたくないんだ。オレは、きっと上手に愛することができないから。
あと、『オレは隠したいものがあるからプールはずっと見学』ってやつだな。ハヤテガールズの紬さんが言ったもの。曖昧な噂で、あの時は否定したやつだ。あれも、嘘。
オレが隠したいのは腹や背中に残ってる傷のことだ。さっき、親から殴る蹴るの暴力があったって言ったろ?それが服で見えないところに集中してるんだ。
でも、水着になれば上半身は晒すことになる。それがどうしても怖くって、ずっと見学してる。ラッシュガードを着ても、これはムリだ。
ライターで炙られた跡。
タバコを押し当てられた根性焼きの跡。
殴られたり突き飛ばされた時にできた紫色に変色した跡。
こんな痛々しい跡が無数にある体なんて、見せるわけにはいかないだろ?……バレる可能性があることすらイヤで仕方ないんだ。
オレ、弱いな。
璃世は強くなろうとしてるのに、オレは過去に囚われて弱っちいままだ。
璃世には弱いままでいて欲しかった。
認めたくないけど、心のどこかでそう思ってた。
オレの抱えてる『影』は正真正銘オレだけのものになって、どんなに辛くても苦しくても抱えていかなくちゃいかなくて……。
過去に囚われてるオレは、そんな『影』を璃世と共に見出そうとしたんだ。弱いままだったら、『影』はオレだけじゃなくて璃世も抱えるものになるから。
『影』がオレ一人だけのものになるって感じて、堪らなくなって、そして──。
ああ、オレって弱いな。
──────────
痛いほどの沈黙が、辺りに響く。
涙は、もう流れなかった。
涙を出すほどの、そんな気力もなくなってきたから。
ただ凝然と地べたを見つめるだけ。
璃世の顔なんて見れるはずがない。
璃世に、オレを背負わせてしまった。
重くて暗いものを、背負わせてしまった。
ただただ、申し訳ない。
そう思った時、不思議と自身の影が揺らいで見えた。
「強い、強いよ……!颯君は十分に強いよ……」
「オレは、弱いよ」
「いいや、違う。強いからこそ、外に見せまいと自分一人で悩んで抱え込んで、そして辛くなって」
「そう、なのか……?」
自分で聞くもの変な話だ。
「颯君はさ、頑張ったんだよ。今も昔もずっと。どんなに辛い過去があったとしても、颯君はめげなかった。私のことも助けてくれた」
璃世の手が、傷跡だらけのオレの背中を優しくさする。
「……だからさ、泣いてもいいんだよ。自分の気持ちを吐き出して、すっきりして……明日一緒に学校に行こうよっ!」
楽しい思い出もあった。
でも、やっぱり辛い思い出だってある。
全部を、辛い思い出に塗り替えたくない。
楽しかったものを、楽しかったままにしておきたかった。
だから、オレは泣いた。
だから、オレは自分の気持ちを吐き出した。辛く苦しくて、暗く重い気持ちだ。
子どもみたいに、声を上げて泣いた。
璃世は、それをしっかりと受け止めてくれた。
素直に、強いなって思った。
そして、温かいと思った。
──────────
過去はいつまで経っても残り続ける。
残った傷跡は、未来にまで引き継がれる。
やり直しなんて、できない。
でも、それでも──。
過去がなければ、オレは璃世や蓮太、杏樹に出会えていなかったのかもしれない。
過去があるからこそ、今があるんだ。
純粋な気持ちで『好き』だと言えるようになった目の前の璃世のためにも、オレは明日のために歩んでいこう。
互いに支え合って歩む明日は、今日よりもずっといいものになるはずだから──。
ここまでが1章。
2章へと続く。
次の2章では、1章の後日談と公園デートの内容の予定です。
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