弱者のための道
季節は冬を迎えていた。
雪がしんしんと降っていた。昼ごろになると雪は溶け始める。車の通る道は除雪車が通り、除雪車は歩道に雪をよける。歩道だと膝まで雪に埋まる。車道は雪と水が混じり、靴に染みて最悪だ。
道は立場の強いもののために作られるので弱いものには牙を剥く。
山の麓には住宅があり、古く、錆だらけの2階建てのアパートが並んでいる。他には、木で作られた趣のある北欧風の家がポツンと見える。山際の道から広い道を選びながら進むと飲食店のある通りにつながり、だんだんと町の風景になっていく。このあたりからバス停が見え始め、バスが行き来している。乗っているのは学生か年寄りばかりだ。一体この町の大部分を占めている人たちはどこに存在しているのか。
老若男女水たまりを避けながら目的に向かって歩いている。
しかし、良くも悪くも僕だけは何も進む方向は無く、自分で選びどこにでも行ける。しかし、その道を構成しているのは目的を持ち、需要と供給を頭に入れた大多数の人たちである。よって僕の自由は社会に左右される。その証拠に前まで散歩の目的としていた電子部品店は店を閉めてしまった。私の歩きは目的を達成するための移動手段から体力を消費するためだけの行動になってしまった。
私は適当な場所でバスを降りた。車の行き来がまばらな、商店街の通りを路面電車が走っている。
そしてその道には枝のように細い道が生える。
細い道には信号がある道と信号がない道がある。例え同じ道幅でも、信号がある道は車の量が多く、主要な道路とつながっていて、信号のない道は、住宅とつながっているのか。
本当にそうか確かめてみようか。