ママレード・キャンディ
今日、渡部 七緒先輩に告白しよう。
片思いを始めて一年と半年。このままでは想いを伝えることなく先輩は卒業してしまう。
それだけは嫌だった。
だから、俺は『今日』の告白を決意して家を出た。
七緒先輩は俺の通う高校の文芸部の一個上の先輩だ。
背中まである綺麗な黒髪を風になびかせる、秋風みたいな人だった。
その先輩の居るうちの部は、なぜか伝統的に人数が多い。
それはうちの学校が単位制の高校であることが関係してるとかしてないとか。
そういった学校の数が少ない分、集まってくるのは変人が多いなんて噂もある。
所属している俺が言うのもなんだが、青春真っ只中の高校生がわざわざ文芸部に入るなんて、わりと変わった趣味の持ち主だと思う。
ここまで言っておいてなんだが、俺は変人ではない。
なぜなら俺がここへ入ったのは思春期の健全な男子として、とても真っ当な理由だからだ。
それは、新入生歓迎会で文芸部のチラシを配っていた七緒先輩に一目惚れしてしまったから、である。
断じて不純などではない。
◆
「渡部先輩、去年初めて見た時から好きでした。よければ俺と付き合ってくださいっ!」
自慢じゃないが、俺は女の子と付き合ったことなんて一度もない。
対して七緒先輩は美人だ。相談した友達にも「面食い」とはやし立てられた。
そんな俺に上手いやり方などあるわけもなく、できるのは自分の気持ちをストレートに伝えることだけだった。
……だったのだが、俺の言葉は頭をループするばかりだ。
「ん? どうかした?」
「いえ、なんでもないです……」
「そう」
七緒先輩はそう言うと、再び手元の本へ目を落とした。
俺としてはそれをずっと眺めていたいのだが、先輩にばれたりしたら恥ずかしくて死んでしまうので、慌てて目を逸らした。逸らしてからもう一度、その整った横顔を盗み見る。そしてまた弾かれたように目を逸らす。心臓を爆発させながら、それを5回、繰り返した。
木曜二限の部室。七緒先輩が授業を取ってないのを知って、後期の授業は一度も出席していなかった。
二人っきりになれる貴重な時間が、何事もなく過ぎ去っていった。
◆
脈がないのに告白なんかするなよバカ、と友人。
そいつに言わせれば告白は勝率十割を確信した時だけ。
それは極端な例だとでも、大方の人に言わせれば勝率五割は特攻、未知数は愚行。これすなわち常識であるらしい。
一目惚れで告白なんてキモい、告白は周りの人間関係を巻き込むことを忘れるな、等々。
一年前はいろいろ言われたものだった。
そんなやり取りも今は昔。
俺は、昼休みを使って屋上へやってきていた。
「あれ、先輩。なにやってるんですか?」
「うん、ちょっと風に当たろうと思って」
俺の白々しい言葉にも、七緒先輩は気づいた風もなく軽く答えた。
先輩はいつも昼休みを友達と部室で過ごしているが、たまにふらっといなくなる。
もしかしたら二人っきりになれるかも、と今日はそっとつけていたのだ。
冬も間近のこの季節、屋上には先輩と俺以外には誰もいない。
俺はごくりと、まずい唾を飲み干した。
心臓が自分を殴りつけているんじゃないか、という気さえした。
「俺、邪魔っすかね?」
そんなことは全力で隠して、小さく笑いながら七緒先輩に話しかけた。
「そんなことはないよ」
先輩の澄んだ、それでいてくりっとした愛らしい瞳が俺を捉える。
たったそれだけで、俺は死ぬかと思った。
「先輩は、風にあたりに?」
ああ、俺、顔赤くなってないかな。
ちゃんと笑えてるかな。声震えてないかな。
すっごく不安だけど、やっぱ幸せだな、これ。
「うん」先輩は小さく伸びをしながら「さっきの授業、眠くって」
そんなことを言った。
一瞬後、二人してくすくすと笑った。
幸せだけど、苦しかった。
赤の他人から始まって約一年半。
接点のない、同じ部の先輩というだけだった七緒先輩とも、こうして下らない雑談をしたり、メールをしたり、たまに電話もしたり出来る仲になった。最近では本の貸し借りも頻繁で、七緒先輩との会話作りのためだけに読み始めた小説も、すっかり趣味の一部だったりする。
勝率五割は特攻、未知数は愚行。
俺には自分の勝率なんて分からない。
だとすれば、これはただの愚行なのかもしれない。
それでも、俺はもうこの苦しみには耐えられなかった。
「……先輩」
「どうしたの?」
貴女が好きです。
◆
でも、言葉は出てこなかった。
気がつけば放課後、今日は文芸部の集まりもないし、もう今日が終わってしまう。
そう思うと、血の気が引けた。
今日というきっかけが失われてしまうことが怖かった。
「七緒先輩、もう帰っちまったかなぁ」
ひとり、校門に寄りかかりぼやく。
ただの未練だ。なにが出来るわけでもない。
だって先輩が帰っていなかったところで、俺にできるのは挨拶くらいで、話しかけられる用事なんてない。
「私が、どうかしたって?」
「うん、今日中に伝えたいことがあって……」
「ふーん、どうして今日?」
「それは……ってあれ?」
俺の真横に先輩がいた。
ふわりと香る彼女の匂いに気づいて、俺の心臓はドロドロに溶かされた。
「あ、えっと。その、あれ? なんで」
「なんで、今日?」
「それは、今日、俺の誕生日だったんで……」
きっかけが、欲しかったんです。
「あれ? 藤咲くん今日誕生日だったんだ」
今日初めて彼女に名前を呼ばれた。
それだけでトクン、と心臓の水面に波がたった。
「おめでとう」
七緒先輩はそう言うと、涼やかな笑顔と共に俺の胸ポケットへ飴玉を三つ、突っ込んだ。
服越しに触れた先輩の指で、俺は火傷するんじゃないかと思った。
決意は、一瞬だった。
だけど、先に口を開いたのは先輩のほうだった。
「奇遇だね、今日は彼氏の誕生日なんだよ」
七緒先輩は照れ笑いひとつせずに、そんなことを言った。
その瞬間、俺の中心で強く熱く輝いていた塊が音もなく一斉に散った。
「先輩、彼氏いるんですか」
それは季節外れのさくらのように、淡く光る粒となって中心を照らした。
俺は、そこで照らされたものが黒ではなく白に近い色だったことに安心して、口を開いた。
ただ、聞きはしたが実は知っていた。
噂で聞いた時はショックだったけれど、その時はそんなことは関係ない、と思ったのだ。
「あれ? 言ってなかった?」
「聞いてません」
「ふふ、たまに『彼女』がいそう、なんて言われたりもするけどね」
「それは……」
分かるような気がする、と言うこともできずに困ったように苦笑いをすると、先輩はいたずらが成功した少年のような顔をした。
「そういえば、伝えたいことって?」
「あ、いいんです。もう用件は済んじゃったんで」
俺はそう言うと、胸の飴玉をひとつ、口に放り込んだ。
「誕生日プレゼントをせびろうと思ったんですよ」
その後、彼氏と会うと言う先輩と分かれ、俺はだらだらと帰り道を歩いていった。
飴は、甘くて苦い幸せの味がした。
「お、可愛い娘発見」
END