なんでも貯金箱
「なんでも貯金箱?」
朝、お母さんに押入の整理に付き合わされていると、奥の方からそんな文字が書かれた箱が出てきた。
開けてみると、中からは陶磁器のようなもので出来たぶたの貯金箱が出てきた。
どうやらかなづちなどで壊さないと中身を取り出すことのできない類の貯金箱のようだ。
箱の底になにやら手紙のようなものが入っているのが見えた。開いてみると、おじいちゃんの字だった。
曰く、これはどんなものでも貯金することができる貯金箱である。紙に貯金したいものを書き貯金箱の中に入れれば、それが自分のものならどんなものであっても貯金することができる。手紙にはそんな内容のことが書かれていた。
バカバカしい、そんなことがありえるか。
おじいちゃんには世界各地を放浪しつつ、価値があるのかないのか分からないような代物を買い付けてくる困った性癖があるのだ。
僕は再び箱にフタをすると、押入の奥へ戻すことにした。
「……」
したのだが、なぜかいざ仕舞おうとするとその手が止まっていた。
結局、少し迷ったがその貯金箱を自分の机の上へひとまず置いておくことにした。
まったく、学校最終日の朝っぱらからなにをやっているんだか。
*
今日は一学期最終日。
もうすぐで中学校生活最後の夏休みがやってくる。
同級生にこんな話を聞かれれば変人扱いは確実だろう。だけど、僕は何年も前から思っていた。
夏休みは嫌いだ。
退屈で死にたくなる。
学校はいい。やること、やらなければいけないことを、こちらが何をしなくても指示してくれる。僕はただそれを退屈しのぎに従ってさえいればいい。上手にできれば「優等生」というレッテルもおまけでついてくる。
夏休みを楽しみにしている人たちを馬鹿にする気はない。
僕だって夏休みを楽しめたらどんなにいいだろう、とは思うのだ。
ただ僕は他人とコミュニケーションを取るのが怖い。死ぬほど怖いのだ。
だからといって独りが好きだとか、そういうわけでもない。
バカバカしいと思いながらも貯金箱を片付けられなかった理由がここにある。
思ってしまったのだ。
僕の「夏休み」を貯金してしまうことはできないのだろうか、と。
*
通信簿を手に入れ、家に帰ってきた僕は自分の勉強机に座っていた。
目の前には再び箱から出されたぶたの貯金箱。
どんなものでも貯金できるという貯金箱だ。
もしこいつが本物のファンタジーだったとして、いったいどうなるのかは僕にも分からない。
だが、夏休みをなかったものにできるのであれば、やってみる価値はある。
どうせダメで元々。
ダメだったところでこんな恥ずかしいファンタジーを僕が信じたことなど誰にもバレたりはしない。
などなど。
僕は自分の中でいろいろと理由をつけ、ついに「夏休み」とシャーペンで書いたメモ用紙を用意してしまった。
そして、
「ええい、いっとけ……っ!」
不本意なことにどきどきと心臓を高鳴らせながら。
僕は、自分の夏休みを貯金した。
*
翌日、目が覚めると。
驚くべきことに、なんと本当に日付は九月一日になってしまっていた。
僕は貯金箱の力に感謝しつつ、上機嫌で学校へ登校した。
だが、貯金箱の不思議はそれだけでは済まされなかった。
「よ、渡辺。おはよう」
「え?」
突然、クラスメイトが話しかけてきた。
彼はクラスの中でも人気のある中心的人物で、僕なんかとはまったく接点などないはずである。
「ふーん、なるほどねぇ」
「な、なにが?」
そいつは僕のこと面白そうにじろじろと眺める。人柄のなせる業かあまり嫌な感じはしないのだが、それでも居心地のいいものではない。
「いや、昨日のお前の言うとおりだと思って」
「き、昨日の僕……!?」
そんなわけはない。
僕にとっての昨日とは七月の終業式だ。だが、彼にとっての昨日とはもちろん八月三十一日のはずである。僕らの昨日は噛み合っていないのだから、彼から「昨日の僕」という単語が出てくるのはおかしい。
「おーい、みんなー。渡辺来てるぞ!」
彼はそう言って、いつもつるんでいる三人の友達を呼んだ。
おかしなことに、そうして集まってきた他のクラスメイトたちも、僕に向かってまるで友達にするかのように挨拶をしてきた。
「おー、きょとんとしてるねぇ」
「演技だったら将来役者だな、これは」
がやがやと、僕の周りで僕の分からない話をしだす彼ら。
「でも、これでようやく納得できたわけだ」
「本当に納得しちゃっていいのかぁ?」
「あ、でもこの渡辺キョドり方は懐かしい」
「一ヶ月前、だな」
「いきなり家に来て『僕を見なかった?』だもんな」
「はは、あれは傑作だったなぁ」
「でも思えば、あれがキッカケだったわけだ」
彼らの言っていることはよく理解できないが、僕の脳裏にはひとつの可能性が浮かんできた。
「も、もしかして。君ら、昨日、というか、八月三十一日に、僕と会った?」
それは恐ろしい想像だった。
噛み合っていないはずの僕らの『昨日』に、僕がいる。
そこから導き出される結論は、つまり、僕の姿をした『僕ではない誰か』が僕の夏休みを勝手に過ごしていた、ということである。
その想像が浮かんだときに僕を支配したのは、まるで自分の死体でも見せられたかのような恐怖だった。
だが、彼らから返ってきた返事は、僕の想像をはるかに上回るものだった。
「昨日どころか、俺らとお前は夏休み中、ほとんどずっと一緒だったぜ?」
目の前が、真っ暗になった気がした。
一ヶ月間、自分の姿をした誰かが自分のふりをしてクラスメイトと会っていた。
その事実に、僕はもう身動きすら取ることができなかった。
ドッペルゲンガー、という単語が頭をよぎる。自分を殺して自分そっくりの誰かが自分に成り代わる、という有名な怪談だ。
あんな滅茶苦茶な貯金箱があるくらいだ、ドッペルゲンガーだっていてもおかしくはない。
最悪の想像に体が震えた。
そんなとき、最初に話しかけてきた彼が僕の両肩を掴んだ。
その手は力強く、僕はその手のおかげで少しだけ自分を取り戻すことができた。
「渡辺、昨日のお前から今日のお前へ伝言だ」
「え?」
なんだって?
ドッペルゲンガーから僕への伝言だって?
「『僕は君のドッペルゲンガーじゃない。なにも心配はいらない。放課後、家に帰ったら貯金箱を割れ。それで全て上手く行く』」
「ど、どうして……」
「以上だ。俺たちも、お前が上手くいくのを知っている。ともあれ、今日じゃだめだ。また『明日』会おうぜ、渡辺」
彼はそう言って、軽く僕の肩を叩くと仲間たちと共に席へ戻っていった。
邪気のない彼を見ていると、いつの間にか幾分恐怖感は薄れていた。
――放課後、家に帰ったら貯金箱を割る。
そして、なぜか昨日の自分からの伝言を素直に聞き入れている自分がいた。
そのときいったいどんなことが起こるのかは分からない。
ただ、きっと今の僕にはきっとそれしか選択肢がない。
それに、なぜか悪いことにはならない、そんな予感があった。
*
放課後、僕は家に帰ると真っ先にビニール袋とかなづちを探した。
そして、その二つを見つけるとぶたの貯金箱を袋につめて、かなづちで叩き割った。
*
『そうそう、時間を貯金するときは気をつけなさい。貯金は必ず、後で下ろして自分が使うためにするのだと、そのことを忘れないように』
おじいちゃんの手紙の裏面にあったこの注意書きが僕の目に触れるのは、僕が夏休みから帰ってきたあとのことになる。
END