アフロの恩返し
夜更けの繁華街、その路地に一歩踏み入れたらそこに巨大な黒いモジャモジャの球体が転がっていた。
よく見ると人間だ。巨大アフロの男が倒れていた。
「うううう」
巨大アフロの髪が唸っている。
俺は踵を返す。
関わりになったらロクなことがないのは明らかだ。
「待って、待って」
アフロは苦しげに俺を呼びとめる。
見るからにうす汚い身なりの若い男だ。
「すまん。俺はもう家に帰るところだ。向こうの通りに抜けられたら近道だと思ってこの路地に迷い込んだが間違えたようだ。サラバだ」
俺は手を拝む格好にして遠ざかろうとする。
「待ってください。この足にかかった罠を外してほしいだけです」
アフロが手で足下を指さす。
「…罠?」
何故東京のど真ん中の路地裏に人間を挟む罠があるのだ。
「俺は貧乏で現金もなければカードの残高も残り少ない。狙うならもう少しマシな人間を狙った方が」
なおも俺は一応言い訳をしながら後ずさった。
「お願いです。本当に怪しいものではありません。マリモ師匠も保証してくれます」
アフロの男は懇願した。誰だマリモ師匠って。
俺は足下を覗き込む。
何だか昔話の挿絵でみたような野生動物の脚を挟むトラバサミがアフロの足首をガッチリとつかんでいる。
「本当に罠だな。痛くないのか」
「痛いにきまってるじゃないか。早く助けろよ」
偉そうにアフロをユサユサと揺すって言うので、ちょっとムカついた。
「それではサラバじゃ」
「すいません、すいません。助けてください」
「…」
仕方なく俺はアフロを助けることにした。
あまりに怪しすぎてどうかと思ったが、こんな泣き顔を放っておいて帰宅するのも寝覚めが悪そうだ。
ガッチリと嵌まっているトラバサミを手で開こうとしたがビクともしない。
道路に置かれていたブロックと吞み屋の看板の脚を使って力任せに罠を弛めた。
「ありがとうございます。このお礼はどうしたらい」
「ダイジョーブだ。それには及ばない」
関わりになりたくない俺は食い気味に返す。
男はブンブンと首を振る。アフロがブインブインと揺れてちょっと風が来る。気持ち悪い。
「いいえマリモ師匠も受けた恩はきちんと返すようにと」
…だから誰だって、それ。
「何だか変な夜だった。まあ、あのアフロも悪い奴には見えなかったからな」
俺はアパートに帰宅してパジャマに着替えながらため息をついた。
何度も頭を下げて去って行った人の良さそうな顔を思い出す。
ペコペコするとやはり大きなアフロがボワンボワンと前後上下に揺れ、それ自体が妙な生き物のようだった。
俺は思い出し笑いをした。
その時、玄関の呼び出しベルが鳴る。
こんな夜更けにまた怪しい。
俺はドアの穴から外を覗く。
思った通りやっぱり怪しかった。
大きなアフロが見えたのだ。
「何の用だ。お礼は要らんと言っただろう」
ところが外からは女性の声が返ってきて俺は面食らう。
「何のことでしょう。引っ越しのご挨拶に来ましたの」
こんな巨大アフロに偶然何度も出会うかな。しかも一晩のうちに。
「アフロ」という生物が俺に何らかの狙いを定めて仕掛けているのではないか。
「もう遅いんでお引き取りください。ではサラバです」
「待って、待って。せめて一目、ご挨拶を」
「引っ越しのご挨拶はもう受けましたので充分です。おやすみなさい」
「お礼を。お礼を」
早くも正体を現した。
「お礼って何の」
「はっ、しまった」
馬鹿なのかもしれない。
相当の馬鹿だと思ってうっかりドアを開けたのが間違いだった。
ドアの外にいたのは確かに女だったが、助けた若者とよく似ていた。
というより女性の格好をしている以外は同一人物の巨大アフロだ。もう嫌だ。
「面と向かってお礼をされたし、充分だよ。もう帰ってくれ」
ところがアフロが変にシナをつくって妙な声を出す。
「お礼を。あの…私、魅力無いですか?」
「あるわけないじゃん、キモ…いや、いやいや」
気持ち悪いと言いかけられて、早くも涙ぐんだアフロに俺は慌てる。
「そうじゃない、そうじゃなくて…俺はそういうお礼は受け取らないんだ。そうなんだ」
「まあ」
アフロはそう言うと悲壮な顔で何らかの決意を固める。
「わかりました。仕方ありません。でもこのままではマリモ師匠に怒られます」
だから誰だ、何とか師匠って。
「開けちゃだめですよ」
アフロはそう言うと止める俺の手を振りきって浴室に閉じこもった。
「…」
不吉な予感しかない俺が黙り込んでいると中から妙な音とうめき声が聞こえてくる。
「ブチッブチッ」「うっ」「ブチッ!」「あうう」「ガションガション」
「嫌な音と声が聞こえる。頼む。やめてくれ。何をする気かわからんがもうやめてくれ」
恐ろしさで足がすくみ、浴室を開けることができない俺は震えていた。
俺が何をしたっていうんだ。罠に掛かったアフロを助けただけじゃないか。
俺が浴室の前に座り込んでいつの間にかウトウトしかけていると、突然ドアが開いた。
「お待たせしました」
そう言ってアフロが俺に何やら手渡す。
「む?」
セーターか?手編みの黒いセーターに見える。
何だか手触りがおかしいし、全体的に縮れている。
縮れて…?うん?縮れてる?
「!」
俺は思わずセーターを落としてアフロを仰ぎ見た。
「うわああっ!」
「そんなに感激していただけるとは」
恥ずかしそうに微笑むアフロは半分アフロだ。
つまり球状だった髪の毛が半分に、きっかり半分の半球状になっている。
しかもむき出しになった頭皮が赤くただれて、奴が何を材料にセーターを編んだか一目瞭然だ。
「な、何でこんなことを」
「命を助けていただいたお礼です」
深々と頭を下げるアフロ。だが縦にきっかり半分と成り果てた50%アフロが痛々しい。
「…わかった。本当に君の謝意は受け取った。ホントに感激したから帰ってほしい」
俺も涙目となって懇願した。
できたらセーターも持ち帰ってほしいが、今度は残り半分を使って何をするかわからない。
「あ、ありがたく受け取っておくよ」
俺は人差し指と親指の先でつまんで無理矢理に笑顔を作る。
「何か持ち方が微妙ですが…まあ、いいです。いずれマリモ師匠もお礼」
「本当に!」
俺は遮る。
「本当にもう充分だから、二度と来ないでく…いや、その、これ以上の礼は要らない。ま、マリモ?師匠にも伝えてくれ、ホントにまったく100%不要だ」
半球アフロはようやく俺のアパートから帰っていき、恐怖の一夜は過ぎ去った。
何度も何度も振り返って頭を下げるアフロに俺は手を振りつつ十字と九字を切った。
「二度と来るな。絶対来るな。ナンマイダ、アーメン、エコエコザメラク」
震える声で呟きながら。
以来あのアフロとは会っていない。オスにもメスにもだ。
セーターは捨てると何か災いがありそうだったが、持っていても災いが訪れるような気がした。
しばらく押し入れの奥に入れておいたが、やはり不気味だったし妙な匂いもしてきたので結局燃えるゴミの日に捨てた。まだバチは当たっていない。
だが緑色の大きなアフロがアパートを尋ねてくる、そんな悪夢を見てうなされることは何度かあった。
読んでいただきありがとうございました。
何も浮かばないけど何か書こう!とPCの前に座って30分で書き上げました。
何故こんな話を書いたのか自分でもよくわかりません。
楽しんでいただけたら嬉しいのですが。