終章その後
「――は? 今、なんて言った?」
登校中のことだった。
隣から発せられた衝撃の言葉に龍夜は思いっきり怪訝な顔で聞き返した。
「だから、これからクオルがうちで暮らすことになったんだってば」
「な、何でだよ!?」
「あの洋館が改修されるってなったじゃない。その話がクオルの耳にも入ったみたいなの。それで昨日の夜うちに来たんだけど、クオルが怒って工事の人とか始末するって言い出したからあたしが止めたら、今度は新しい住処を提供しろって言い出して」
「だからって何でそれがお前のとこになるんだよ!? まさかあいつが言い出したのか!!?」
「ううん、お父さん達が」
すごい乗り気で提案しちゃった、と結衣は深くうなだれて言う。
確かにあの二人なら言いかねない。特に父親の文人が。
「なんでおれを呼ばなかった。来たら呼べって言っただろ」
そんな最悪の展開、是が非でも阻止したのに。というか、今からでも考え直すよう結衣の両親を説得にいきたいくらいだ。
「そんな暇なかったんだもん。クオルもすんなり受け入れるしさ」
うぅ、と心の底から結衣が嘆く。
怖がりの結衣のことだ。魔物と一緒に暮らすとか不安しかないだろう。その気持ちも分からなくもない。が、それよりも先ず一つ、非常に気になることがあるんだが。
「……なぁ、前から気になってたんだけどよ。お前、吸血鬼のこと呼び捨てにしてるよな」
「え? あ、うん、なんかいつの間にか。最初はちゃんとさん付けだったよ。会った時は礼儀正しい年上のお兄さんって感じだったから。でもあの態度が本来の姿だと分かったらなんか違うなって。クオルも特に気にしてなさそうだし、もういいやって」
「……」
いつの間にかっておい。呼び捨てってなんかすごく親しみ感があるんだが。
(……まさかこいつ、あの吸血鬼のことを?)
あんなぽっと出の、しかも生粋の女たらしの魔物のことが気になってるのか?
(そ、そんなことないよな? 仮にも吸血鬼だぞ? あ、でもこいつ、あいつに手を握られただけでも動揺してたし、イケメンだって言ってたしもしかして……。それにあいつも、なんだかんだ言いながら結衣のこと気にかけてたし。いやでも、それなら一緒に住むことを嫌がるはずない、よな……)
ひょっとして、いやでも、と龍夜は考え込む。そうしてひとり悶々と思案に耽っていると、くっと後ろからシャツを引っ張られる感覚がして意識を浮上させた。
何事かと思い振り返ると、さっきまで隣を歩いていた結衣がいつの間にか背後に移動していた。す、と背中に隠れるように寄り添い、シャツをちょっとだけ掴んでいる。
「どうしたんだよ?」
一旦考えるのをやめ尋ねてみる。しかし何故か俯き口を開かない。そんな結衣を訝しみ、なんとはなしに辺りを見回してみると、目の前にさしかかった交差点である物を見つけ納得した。
その交差点は交通量の多い場所だった。信号と横断歩道も設けられている。そこを渡りきった先には一本の電柱があるのだが、その根本に昨日まではなかった小さな花束が供えられていた。
それを見て龍夜は、
「……回り道するか」
まだ時間あるし、と方向を変えるために今し方通ってきた方へと足を向けた。
来た道を戻りながら、すれ違いざま龍夜は後ろにあった頭に手を置く。いつものように数回軽く叩いてやると、一瞬の間の後「ありがと」と小さく礼を言われた。
ちらりと見やると、ほっとしたような顔でこちらを見上げる結衣の姿があった。そこには照れや気恥ずかしさは見あたらない。
(……やっぱ、夏木の言うとおり、甘やかしすぎたのがダメだったのか?)
はぁ、と内心溜め息を吐く。
心底安心しきった顔しやがって。つくづく信頼しかしてないのか。
『君が甘やかしすぎるのがダメなのよ。頼るのが当たり前になってる。だから意識されないのよ』
そんなことを以前聡恵に言われた覚えがあるが。
(けど、そう言われてもなぁ)
こんな不安そうな顔見たらほっとけないんだよ。
――だって、好きなのだから。
(はー、マジでこいつ、おれのことどう思ってるんだろうな)
こっちは初めて会った時からずっと好きなのに。
なのにこいつときたら、怖いからっていつもいつもほいほい抱きついてきて人のこと動揺させておきながら自分は顔色一つ変えやしない。慰めてやっても安心しきった顔しか見せないし。信頼しすぎだろ。意識してないのが丸わかりなんだよちくしょう。
(そんな状態の奴にどうやって気持ちを伝えろってんだ)
言ったら絶対微妙な雰囲気になるだろ。それで距離でも置かれてみろ。いざという時守れないじゃないか。それじゃあダメだ。ずっと側にいるって、こいつを守るのはおれだって決めたんだ。
そのためには自分のことを恋愛対象として、いや、まずは男として意識してもらわないと。
(でも、正直どうしたらいいんだ? どうやったらおれのこと意識してくれるんだよ、こいつ)
気付かれないようにもう一度結衣を見る。
先程の怯えた様子はどこへやら。いつものあっけらかんとした表情で隣に並ぶ。その様子に安堵しつつも、龍夜はやるせなさに深く息を吐いたのだった。