第5話 倒さなくてはいけない相手
記憶から戻ったゼーテルは酷い目眩に襲われた。天地がぐるぐるとひっくり返っては戻って、と繰り返している様だ。吐き気を感じてきた頃、それが現実だと気が付く。荒くなった息を整え、辺りを見る。アルヴが魔法から解放され、こちらを見た瞬間、記憶の水底で出会ったあいつの顔が思い浮かぶ。全くの同じ顔のはずなのに、なぜか確かに別人であると思えるのだ。
「…あいつは誰だ」ゼーテルが問う。
「何を言っている」バゼアは剣を向け、様子のおかしいゼーテルを見て尋ねる。
「あいつは誰だと言っている!」ゼーテルは叫ぶように問う。驚いたバゼアは一歩退いて、アルヴの方を見る。
「彼は何を言っているんだ」バゼアは今度はアルヴに尋ねた。が、彼は頭を押さえたまま静かに首を横に振った。魔法のせいで視界がまだぼやけている。
「…わからない」そう言った後、徐々に視界も戻って来て、周りの状況に目がいく。怒りか、あるいは困惑か、興奮しているゼーテルと、彼に戸惑いながらも警戒を緩めず剣を向けているバゼア。周りで戦っている彼の使い魔たちと最高管理部門の者たち。
「…俺の何を見た」アルヴは尋ねる。
「お前は何なんだ。その内側に何を隠している。何を―――」彼は畏れの表情を浮かべる。杖を突いて使い魔たちに指示を出す。
『全員戻ってこい。今すぐこいつを、“アルヴ・ソイルス”を殺せ』すぐにその命令を聞きつけた使い魔たちが戻ってくる。その後、バゼアの周りに他の最高管理部門の者たちが集う。
「お前の中にいる者は誰だ」彼はアルヴを見つめる。アルヴは変わらず、訳がわからないと言いたいような顔でゼーテルを見る。
「バゼア!お前たちは秘星の力で何を隠した!?…いいや、そんな事はどうでもいい。あいつの中にいる“あいつ”はなんだ?秘星の力を使い記憶に触れたなら、きっと見えたはずだ。……それとも秘星はそれの存在を言わなかったのか?」ゼーテルは何かに気が付き、合点がいった様な表情で納得したかの様に数回頷いた。
「さっきから何を言っているんだ」バゼアは彼に訊き返す。
「もういい!…とぼけるのもいい加減にしろ」ゼーテルは怒りを露わにしてバゼアの言葉を振り払う様に叫んだ。そしてアルヴを指さし言う。
「あれを、殺せ」その直後、全員が一斉に襲い掛かる。ジュウは反響を見て、冷静に一人一人の行動を予測したが、そのどれもが自分たちの敗北を示していた。
「ああ、この数を相手にするのは無理なのか」風と氷の刃が彼の身を裂いて、剣を折った。
「まずいかな…」ナナカは周囲を金の炎と激流に飲み込まれていた。ここから出ようと外に向けて魔力を放っても、それをすぐに焼き尽くされ、外に到達しない。このままでは負けないがここから出る事も出来ない。
「しかたないか」ナナカは自分の周りに留めていた炎と激流を抑えるのをやめて、自分のいる空間を縮小させる。そして彼女は次元の狭間に消えた。
「あー、面倒だな」ガラーは迫る草花と木々、岩と土石流に押し流されていた。それでも彼はそれら一つ一つを再構築して別の無害なものに変えていくが、物量が異常であるせいか気が付いた時には彼はそれらの檻の中に囚われていた。
ゼーテルは前に出て手を伸ばす。
「これで邪魔者はお前だけだな。バゼア」彼は杖を一回突いて背後に魔法陣を展開する。無数の斬撃が放たれる避ける事は不可能だろう。バゼアは剣に魔力を集中させ一振りする。放たれた斬撃は全て斬られ消えるが、すぐに次の斬撃が彼を襲う。それどころか、彼を囲うように魔法陣が合計で六面展開され、それらから同時に無数の斬撃が放たれる。一撃一撃は魔力によって作られている。普通の魔法使いなら魔力がすぐに枯渇するだろうが、ゼーテルはほぼ無尽蔵の魔力を持つ。これほどの量の魔力を一度に消費しても尽きるどころか、減っているのかもわからない。おまけにその一撃一撃は彼の強大な魔力のせいで通常のものよりも強力だ。バゼアは剣に記憶されている魔法によって自己を強化しそれらに対処しているが、彼の身が壊れるのが先か、剣が折れるのが先かといったところだ。
「邪魔者は全て退けた。後はお前を殺すだけだ」ゼーテルはアルヴに杖を向ける。使い魔たちが再び彼の周りに戻って来て、アルヴへ一斉に襲い掛かる。
金の炎と雷撃が彼を襲う。アルヴは力の形をすぐに剣から盾に変え前方に構え、それらの攻撃に耐える。背後の地面から生え来た草花が彼の脚を絡めとる。すぐに片手に剣を作り、絡まった草花を斬り落とす。前方からの攻撃が止み、盾にしていた力を解くとすぐに突風が吹き、頬や手を切り裂き始めた。そこに氷が混じり、吹雪が周囲を覆い尽くして周りの景色が見えなくなる。吹雪の中に時折混じる氷が腕や脚に突き刺さり、小さなダメージを与えてくる。同時にあらゆる方向から一定間隔で岩がせり出し彼を殴ろうとする。それを躱すと、吹雪の中から姿を現した泥の巨人が彼を叩き潰そうとする。力を拳に纏わせて岩を砕いても、崩れた岩はまた吹雪の中に消え形を整えて何度も襲ってくる。泥の巨人を力で形作った槍で貫いても、中から水が溢れ出てきて、濁流を生み出し彼を飲み込む。アルヴは濁流の中で力を体の内側から外側に向けて放出し、それを吹き飛ばす。濁流は消えるが、吹雪の中から次の泥の巨人が現れる。同時に三つの方向から木の枝がアルヴを捕らえる。振りほどこうとするとその枝の先から顔の様な模様が入った大木が現れる。それらは怒った顔をしており、口を開いたと同時に生物の物とは思えない音を発する。その音に一瞬気を失いかけるが、逆にその音の不快さで意識がはっきりとした。自分を捕らえている枝に触れ、力を流す。彼の手に触れた場所から枝は黒く染まり、腐食した紙の様にボロボロになって崩れる。泥の人形の拳を避けて、肩に手を触れて力を流すと泥は崩れ、土とも水とも言えない黒い粉と液体になって散った。先ほど放出し散らばった力を戻すために意識を集中し、吹雪の中にそれらが散らばっているのを感じるとアルヴは思い切って地面に手を殴り、力を地面から吹雪の中にあるそれらに向けて広げ、繋げた。そしてその全てに等しく力を流して、さらに外側に向ける。力を伝って外でこの吹雪を作っている使い魔たちを見つける。それの他の使い魔もこの吹雪の外、比較的遠くない位置にいる様だ。アルヴはそれらにしっかりと狙いを定め、そして同時に彼らに向けて力を突き刺した。吹雪の中から逆に自分たちを狙った一撃は予想外だったようで、唯一無傷で済んだのはゾスワルだけだった。アルヴの力は彼らを蝕んで、その体に満ちる魔力を喰らっている。吹雪が止んで、使い魔たちが地面に伏して苦しんでいるのを横目に、ただ一人無傷で立っているゾスワルを見る。
「避けたのは僕だけ…ですか」ゾスワルは同胞たちが苦しむ声の上で、そう呟きアルヴをしっかりとその目で捉える。
「いいからっ、早くそいつを殺せよ!」ヴレアが金色の炎で体を燃やし、アルヴの力による侵蝕を遅らせながらゾスワルに向かって叫んだ。彼女は立ち上がるが、すぐに膝をついてしまう。
「わかっていますよ。でも、はっきり言ってこれは不利です」ゾスワルは地面に広がった黒い力を見て後退りする。
「これほどまでの力があるとは…ガフラ、驚きですぞ」苗木が黒く染まりきって、ころっと倒れて転がる。
「苗木、ジジィ…」ヤファタームは丸い苗木だったそれに手を伸ばして、パシャリ…と弾けて水になった。
「タルクタ…手を」ラユナは半身が既に黒い粉になりかけている土の使い魔の這って行き、手を伸ばす。
「……ラ、ユナ」その手に触れた瞬間、タルクタの触れた手がぱさっと崩れる。目の前で黒い粉になって消えていくタルクタを見つめながら、ラユナは体が消えていくのを感じ目を閉じた。二人が目の前で消えるのを見ていた氷の使い魔は手の中で小さな氷の結晶を作った。それは強く光を反射するとても綺麗な氷の結晶。エプリアの体が溶けて消える時、その結晶だけが残って、手の内から落ちた。結晶は砕けずに地面に転がった。
「みんな、消えていくのね」サーナは残った魔力で自分と仲間たちの周りを色とりどりの綺麗な花で囲った後、桜が散る様に風に乗って消えた。
「最後は儂か……」ツファーナは自分の身を預けていた岩の杖を撫でる。
「ゾスワル、これを取れ」彼は崩れつつあるその身を起こしながら、ゾスワルに杖を渡そうと手を伸ばす。しかし、ゾスワルがそれを手にする前に彼は崩れて消えてしまった。
「……」ゾスワルは何も言わず、静かにしゃがんでその岩の杖を拾い手に取って、彼がそうしていた様に杖を撫でる。
「運よく残るのも、辛いですね」ゾスワルはただ一言それだけ言って魔力を解放した。
弾ける赤い電撃が地面を跳ねまわり、空には雲もないのに青と白の雷が彼に向かって何本も降り注ぐ。一瞬、ゾスワルの内側から黄色と赤の電流が発せられた後、全ての雷は黒と紫色に変わった。跳ね回る雷撃がアルヴに迫る。彼が立っている自分の力の散らばった黒い地面に雷撃が侵入した瞬間、雷撃は風に吹かれた火の様にふっと消えた。岩の杖をそっと地面についてゾスワルはアルヴに視線を向ける。怒り、悲しみ、諦め、それらの感情が混ぜ合わさり、もはやその目には一筋の雷光しか映らない。
「……雷鳴の如く雄々しく」彼が口を開く。空で雷が泳ぐように騒いでいる。彼が受け取った岩の杖を掲げると、それらは一層激しく騒ぎ立てる。
「雷光の如く勇ましく―――」力強く荒々しい雷が二本、彼に向かって降った。同時に彼はアルヴの目の前に移動し拳を当てる。直撃した拳から胴体を突き抜けて雷撃が走る。
「っぐ……」意識が飛ぶ。一瞬、心臓が止まる。それでも力が危険信号を発し、意識を連れ戻す。目を開いた時には既に二発目の雷撃をその身に受けていた。体が地面を転がり、視界が周る。傷は力が覆っている。地面を伝って先ほど散らばった力が彼の身に戻り、内臓を修復してく。
「あ……ぁあ。ってぇ」まともに声が出ない。言葉は頭に思い浮かぶが、舌が動かない。空に雷光が閃くたび、ゾスワルは彼に歩みを進め、そして彼に到達すると今度は雷鳴が響くたびに彼に雷撃を浴びせた。何度も、何度も、何度も殴り飛ばし、蹴り飛ばした。それでもアルヴの身は、彼の身に宿る力は彼が死ぬことを許さない。体は焼け焦げようとも修復され、心臓は止まるたびに動き出す。全身が痛みでおかしくなったのか、雷撃による痺れを感じなくなった頃、彼は立ち上がろうとした。それを見たゾスワルは彼を立たせまいと、より一層激しく攻撃続けた。今度は彼の拳や蹴りだけでなく、空から降る雷も彼を襲う。地面に落ちた雷は飛び跳ねながらアルヴを追いかけまわす。それでも彼は立ち上がる。
「なぜ……ですか。なぜ、立ち上がれる!」放電、いやもはやこれは放雷と言うべきだろう。雷を放ちながら、やっと立ち上がった彼に迫る。思い切って振りかぶった拳を振り下ろす。彼を確かに捉えた一撃。しかしそれは二人の間にできた影から現れたグリエスプによって受け止められる。グリエスプの手を雷撃が貫通しようとするが、それは彼を形作る深い影に沈んで消えた。
「なんであなたが、邪魔をするのですか」
「……ゾスワル。もう、やめよう。こいつには触れてはいけない部分がある。主はそれに触れて、一時的におかしくなっただけだ。命令に従う必要はない」グリエスプは自分の影をゾスワルの影に重ねて彼の纏う雷を影に沈めていく。
「それに、あいつらは消えていない。使い魔は自分を構成する魔力がなくなれば一時的に体を保てなくなる。それだけだろ?」グリエスプはゾスワルを落ち着かせるようにいつになく穏やかな声色で話しかける。
「…っ、それはわかっていても。あんなものを目の前で見せられたら……それに、彼らはもしかしたら本当に」
「未知の力で消えた、その事実に動揺しているのは理解できる。だが、落ち着いてもう一度その杖を撫でてみろ」グリエスプはゾスワルが持っている岩の使い魔の杖を見る。深呼吸をしてゾスワルは彼に言われた通り岩の杖を撫でる。
「それから、魔力を感じてみろ。みんなここにいる」グリエスプはもう片方の手で辺りに何かある様な動きをしてみせる。ゾスワルは目を閉じて魔力に集中する。自分の魔力ではなく、それ以外の外側にある魔力に意識を向ける。確かに、そこに感じる。
「…いただろう?」グリエスプは目を開けたゾスワルに尋ねる。彼は最初、驚いた表情でグリエスプを見て頷いたが、三回目に頷く時には既に彼の目には大粒の涙が浮かんでいた。
「……ああ、いたよ。いた…みんな。ここに……いた」彼は膝をついて崩れる。岩の杖を置いてポケットからハンカチを取り出し、涙を拭った。
「さて、それで主。ゼーテル、お前も落ち着け」グリエスプは彼の前に行き、ゾスワルの時と同様に穏やかな声色で話しかける。だが、彼はグリエスプに見向きもしない。
杖を二度地面に突いて、それから掲げる。
「愚かな者たちだ。こんな程度の事もできないか」彼の頭上に巨大な魔法陣が展開される。そのさらに上にもう二回り大きな魔法陣が展開される。
「うおおお!」バゼアが衆の一色に魔力を集中させ、記憶させているナナカの空間魔法とその他大勢の攻撃魔法を合わせて斬撃に乗せて放ち、ゼーテルの魔法を破壊し脱した。同時に彼の近くに姿を現すナナカ。
「次元の狭間の旅も、楽じゃないね…」息を切らしながらナナカは辺りを見る。使い魔たちが消えたお陰で彼らの作った檻から解放されたガラー。彼は傷だらけのジュウに肩を貸しながらナナカとバゼアの近くに歩いてくる。
「ナナカ。ガラーとジュウを連れて本部に戻れ」彼女が現れたのを見たバゼアはすぐに指示を出す。
「あら、そんなにまずい状況なの?」
「いいから早くしろ。戻ったらすぐにお前の魔法で周囲に結界を張れ。誰も本部施設とこの敷地から出すな。それからガラー、戻ったらすぐにジュウを医療班に任せて、お前は本部の外壁と内側の防御を固めろ」そう指示した後すぐに彼はアルヴたちの方へ走り出した。
「はいはい。それってほぼ全部を再構築しろって事だろ……面倒だな」彼は呆れた様に笑ってジュウの傷口をこれ以上悪化しない様に錬金術を用いて修復している。傷が出来てからかなりの時間が立っているから、下手に再構築するよりも現状を維持する方がいいと思った。何よりも医療はガラーの専門ではなく苦手意識が強いせいでそれ以上の事が出来なかった。
「じゃあ、ガラー掴まって」ナナカはガラーに片手を差し出し、彼の横でほぼ引きずられている状態のジュウの肩にもう片方の手を置いた。ガラーがその手に触れるとすぐに三人はそこから消え、本部施設内に姿を現した。ナナカとガラーはすぐに医療班を呼びジュウを任せると言われた通り、各々の作業に取り掛かった。
アルヴはその身が修復されているのを確認すると、ゾスワルの横を通り過ぎ、グリエスプの少し後ろに立った。そこにバゼアが合流する。
「大丈夫か」バゼアがボロボロのアルヴを見て尋ねる。
「ああ…俺はな。あんたは?」
「大丈夫だ。少し魔力を使いすぎたが」バゼアは衆の一色の刃の輝きが弱くなっているのを気にしているようだ。
「…どうして助けたんだ、グリエスプ」アルヴは前に立つ影の使い魔に尋ねる。
「主は少し前から正常な判断を下せていない。恐らく、お前の幻影に会ったのが原因だと“オレ“は思っている。正常な主なら、この戦いを始めない。”オレ“は主の目を覚まさせたいんだ。それに……お前との戦いを”オレ“は望んでいない」アルヴはその発言を聞いて、彼が今抱いている感情に何となく、ぼんやりとだが理解が及んだ。
「……お前は自分の役目を。龍火を守るという役目を果たした。ファルツを守ってくれて…ありがとう。」グリエスプは続けて彼に言った。アルヴは龍火の事は覚えてこそいないが、なぜだか不思議と自分の行いが認められたと思えた。
「ああ…グリエスプ。あいつを、お前の主を止めるぞ」アルヴは彼の隣に立つ。
「私も、もうあまり役には立てないかもしれないが…」バゼアも衆の一色を手に二人の横に並ぶ。
三つ目の魔法陣が展開される。空を覆うような巨大な魔法陣。三つの魔法陣が重なり合うと、それらの中心に何かの形が浮かぶ。
「あれはなんだ?」バゼアが空に描かれた魔法陣を剣でさす。
「あれは魔界の扉だ」グリエスプがそれを見て言った。
「第二世界の物か?」バゼアが彼に尋ねる。
「違う。あれは主がこの数年間、世界を回って集めた魔獣を封じている空間に繋がる扉だ。“オレ”たちはその空間を魔界と呼んでいる。あの中には機関でクラス3もしくはクラス4以上の危険指定魔獣がうじゃうじゃいる」
「……クラス5はいるのか?」バゼアが恐る恐る尋ねた。
「数匹だが、いる。しかしそれらはあの奥深くに半永久封印魔法で封じてある。主はそれらをまだ完全に制御できないからな。あれらを暴れさせる事の危険性は理解しているはずだ。まあ、それも普段の主ならの話だが…。今の主ならそれを呼び起こす可能性もある。そうなったらいよいよ…」
「おしまいだな」アルヴはそう言って魔法陣がゆっくりと開いていくのを見る。彼はバゼアと比べてこの状況に焦りを感じてはいないようだった。
「だが、そうとも限らない。全てが終わらない様に、“オレ”たちが来たのだから」
「俺たち?」グリエスプの発言がアルヴとバゼアを含めた三人を示していないと思ったバゼアは彼を見る。
とても静かに足音一つなく、彼ら三人の横に並ぶものがいた。それは確かな息遣いで存在を感じさせるが、見る者によって姿かたちを変えるので、誰にも気が付かれる事無くそこまで来れた。
「……」そいつが三人の隣に並び立った時、全員がその者を見た。そこにいたのは歪んだ空間。光を捻じ曲げ、影を飲み込み、小さく魔力を感じさせる存在。
「これはなんだ?」バゼアはその存在に理解が及ばないようで、とても不思議なものを見ているかの様に顔をしかめて尋ねる。
「……ッ!ミ…ミラグリラなのか?」三人の後ろからゾスワルが名前を呼ぶ。それは形こそ歪んでおり捉えられなず、頭があるかもわからないが、確かに頷いた。
「どうして、ここに戻ってきたのか?僕たち使い魔として」ゾスワルは涙で腫れた目で嬉しそうに期待と喜びの混じった声で尋ねる。
「チ、がぅ」それは音を発し回答した。
「こいつは“オレ”が連れて来た。主を止めるには必要な存在だからな」
「ォレ、ゎタ、し…僕は、一応あれの使い魔?だから。」そいつは音を発し言った。そしてぐるぐるとその歪みは捻じれ曲がり、複雑に絡まり合って形を変えて姿を形成した。その姿はグリエスプと同じ姿になった。唯一違うのは彼とは真逆の真っ白な色をしている点だけだ。
「これで、話しやすくなるか」ミラグリラは三人とゾスワルを見て言った。
「ああ、その方がわかりやすい」グリエスプは自分と同じ姿になったミラグリラを足先から頭のてっぺんまで見て言った。
「こいつは何者だ?」バゼアはグリエスプとゾスワルに尋ねる。
「彼、いや彼女か?とにかく、そいつは主の使い魔の一人。闇の使い魔で名前は、ミラグリラ」ゾスワルが四人の元へ歩きながら答える。
「使い魔と言っているが、こいつは魔物や妖精、精霊なんかに位置する存在でもなければ、魔法生物でもない。お前たちがいう神に近い存在。内に神性を秘め、純粋な魔力とそれに似た神聖な力を持つ存在。そして“オレ”の最も信頼する仲間の一人」グリエスプは彼と目を合わせてそう言った。彼はそれに対して特に何か言うでもなく、ただその目を見つめ返す。
「闇の使い魔?あなたがそうではないのですか?ずっとグリエスプがそうだと思っていたのですが?」ゾスワルは自分の認識と違う情報に疑問を口にした。他の二人も同じ事を思ったようでグリエスプの方を三人が見る。
「“オレ”は影の使い魔だ。影は光から生まれる。だから“オレ”は一応光属性に対応する」グリエスプがめんどくさそうな話題になったと思いながらも、手短に伝えた。
「影は光と闇、どちらの特性も持つ。二面性のある存在。だからグリエスプも普通の使い魔に比べたら特別な存在と言える」ミラグリラは彼の説明に自分の考えを付け加えた。
「お喋りもいいけど、そろそろ主を止めないといけない」グリエスプは三人、いや四人の視線を魔界の扉と呼ばれる魔法陣に向けさせる。
「確かにそうですね。僕も、微力ながら手助けしましょうか」そう言ってゾスワルが正式に加わって五人は横に並び、開く扉から現れようとしている魔獣の魔力を感じ取る。そしてそれが一つではない事に気が付く。しかし最初にここに現れようよしている存在が異様に小さいと感じ、それに疑問を抱く。そうして構えていると小さな、人間の子供程度の大きさの魔獣がポトリと落ちてくる。それはスライムの様に全身がドロドロしており、落ちた衝撃でパシャリと飛び散るかと思えば、飛び散る寸前、落ちた衝撃で弾けた形状でピタリと動きを完全に停止し、金属の様に硬化した。
「あれは?」アルヴが指さし尋ねる。
「あれは以前に北西の山で会った魔獣だ」グリエスプが回答する。その後すぐに扉の役目をしている魔法陣が断続的に光を放つ。そしてそこから四角い鱗にびっしりと覆われた大きな腕が一本現れる。
「暫定だが、クラス3危険指定魔獣に相当する存在だな」バゼアはすぐにそいつの強さを目算と感じ取れる魔力によって決定する。
「あの程度であれば一人で十分だな」ミラグリラはそう言って前に出る。周りの光や自分の足元に伸びた影を飲み込みながら、姿を変えていく。背中には大きな腕が二本生え、その間からは背骨をある位置をなぞる様に尻尾が生え出る。そして脚はやや長細くなりつつも大きくなっていき、胴体はそれらで支えられる程度に巨大になりながら、鱗から人の皮膚に近い皺を持つものに変わる。頭は口が大きく裂けて狼の様に鋭い牙が生え、瞳は左右と真ん中、合わせて三つになった。そして現れようとする魔獣の腕を引っ張って、本体を引きずり出したと思ったら、その頭部を正面から殴りつけ、四本の腕でそれを扉の奥まで殴り返してしまった。
「とんでもない助っ人を連れて来たな」バゼアはグリエスプの方を一瞬横目で見て、ミラグリラのその行いを苦笑いして見ている。そしてそれを押し戻した後、ミラグリラは再び白いグリエスプの姿に戻った。
「これで終わりではないだろう?」ミラグリラはゼーテルの足元に立って彼に向かって挑発する様にそう言った。そして先ほどから魔法陣の下に落ちて固まっているままの魔獣を手に取って、扉の中に向けて投げ入れた。
「バカな使い魔如きが、いい気になって…」ゼーテルはそう言って魔法陣により強い魔力を与え、さらに二つの魔法陣を展開、融合して、扉を大きくする。そこから現れたのは四足の脚と四本の腕を持ち、三つの口と五つの目玉、蛇の様にうねる鋭い触手の様な髪を持つ、大人の人間よりも少しサイズの大きい魔獣だった。その者が持つ魔力は異質で、どれかの属性を強く持っている訳ではなく、雑多な属性で、とても邪悪な魔力を感じた。
「クラス4危険指定か」バゼアはすぐに剣を構えなおし魔力を込める。刃が光を放つより先にその魔獣は彼の頬を殴りつけ、彼を吹き飛ばしてしまった。
「ぐっ…!」ゾスワルが最初にそれに気が付き、反応をする。彼は雷撃を纏いながらそこから離れつつ、魔獣に向けて地面に飛び跳ねる雷を放った。しかし彼が再びそれを見た時にはそこに魔獣はいなく、魔獣は彼の背後に回っていた。そして魔獣は彼の頭を左の腕で掴むとそのまま持ち上げた。ゾスワルは背後にいるそいつの腕を頭から離そうと雷撃を浴びせ抵抗するが、効果はなく彼の頭部は魔獣の手の中で潰され、淡い電流を放ちながら魔力が零れ、そしてその残った体が地面に投げ捨てられ、パチパチと電気を放ちながら消えていった。
魔獣がアルヴとグリエスプを目視し次の標的に入れた瞬間、そいつはすぐにアルヴの方へ手を伸ばす。その手をグリエスプが腕のとげで突き刺すが、魔獣はそれに不快な顔をするだけで特に効いている様子はなく、むしろグリエスプをもう一本の腕で掴み上げ、逆側にある二本の腕で何度も執拗に殴った。グリエスプは床にポトリと零れた一滴の墨汁の様に地面に落ちた。魔獣はそれを踏みつけ笑みを浮かべ、そして再びアルヴに視線を向ける。伸ばした腕を力で作った剣で斬ろうとするが、その腕は硬く刃が通らず剣が折れてしまう。
「くっそ!」アルヴはすぐに飛んでいく破片に手を伸ばす。破片は霧状の力になってアルヴの手に戻って来る。そのままアルヴは腕に力を集めて拳闘と盾を合わせた物を作って腕に纏う。魔獣は彼に殴りかかり、アルヴはその腕にある盾でそれを受け止めるが魔獣の力が強く受け止めた方の腕の骨が砕けてしまう。声を上げそうになるが、それをぐっと堪える。もう折れた腕の方に纏う力は不要だと判断して、もう片方の腕に力を集めて、拳で魔獣に一発殴りを入れる。さすがに彼の持つ特異な力は効いた様で魔獣は狼狽えて殴られた横腹を抑える。が、すぐにアルヴに殴り返し、彼は大きく後ろに飛ばされる。全身を強く打ち付け、いくつかの骨を砕かれながらアルヴは意識を保って立ち上がろうとするが、魔獣はすぐに彼の傍まで移動し、その脚を強く踏みつけ砕いてしまう。アルヴは声を上げず、力に集中し魔獣の背後にそれを集め不意を突いて攻撃をしようとするが、その前に魔獣による無慈悲な拳が彼に振り下ろされる。彼の胴体を確実に捉えたその一撃は彼の内臓を数個破裂させ、肺は萎縮して呼吸が止まり、心臓はその強い衝撃に停止した。魔獣は動かなくなった彼の頭を掴んで持ち上げ満足げに笑みを浮かべる。
ちょうどアルヴに拳が振り下ろされ、彼の体がピクリとも動かなくなった時、二人の少女がその場に辿り着き、その悲惨な光景を目にする。
「嘘…アルヴ……くん。」エリムは言葉を失い。口元を手で覆い、その場に膝から崩れる。
「先輩ぃ!」ティルミはすぐに彼に駆け寄る。
「この!…っ先輩を離せ!」ティルミが魔獣に力を振るおうと手を構えた時、ミラグリラが魔獣に襲い掛かる。
「よくも…」ミラグリラは鋭い刃に歪み変えた腕で、魔獣の腕を切り落とし、アルヴの体は地面に転がった。ミラグリラは何度も姿形を変えながら、様々な化け物になって魔獣を切り刻んだり、焼き焦がしたり、魔法を用いて拘束して叩き潰したり、それでも魔獣はミラグリラに反撃を繰り出し抵抗している。
「彼はオレの良き友の一人だった……。それを魔獣如きがッ!」ミラグリラは自分の秘めた神性を解放する。魔獣の体を金色の鎖が縛り、赤い剣がその手に握られる。黒い血脈が刃を脈動して彼の怒りが注がれていく。ティルミはそれを見て、すぐに転がったアルヴの元へ向かい抱きかかえる。
「先輩…先輩!アルヴ先輩……」返事はない。呼吸もない。体は揺すると異様に柔らかく曲がり、強く抱きしめれば潰れてしまいそうだ。
「そんな…こんな簡単に、死ぬわけないですよね……?」ティルミはその事実を受け入れられず彼の顔を見つめ、今にも目を覚ますと信じて待っている。それでも彼は息一つせず、その顔に彼女の涙が零れ落ち、頬を伝う。
「…アルヴくん」やっと立ち上がり近づいて、抱えられているアルヴの顔を覗き込むエリム。突然の同級生の死をまだ受け止められない彼女は、そっと彼の額に触れてもう動かない彼を感じる。彼に寄り添う二人の後ろで怒りに脈動する赤い刃が魔獣の胴を貫き、その体を引き裂いた。そして反撃しようとする魔獣の拳を、起き上がったバゼアがその脚を二本切り落とし、ミラグリラから逸らして地面に拳が当たる。ミラグリラはその腕に自分の腕を歪ませて捻じ入れていく。魔獣は呻きを上げ、その腕をミラグリラの腕が開き裂いて、ボロボロになった魔獣の腕の先を千切り捨てる。そして膝から剣を歪み生やしたミラグリラは魔獣の頭部を掴み、喉下から頭まで貫き刺した。バゼアが衆の一色に魔力を集め、魔獣の首元に刃を当て引き裂き斬り落とす。魔獣は完全に動かなくなった。
二人の少女は動かなくなったアルヴをそっと寝かせて立ち上がり、ゼーテルの前に立つ。ティルミは静かに手を振るう。周囲に満ちた魔力が消えていき、魔界の扉を構成する魔法陣が縮小する。エリムがゼーテルに手のひらを向けて、伸ばした指の間から彼を覗き見て力を込める。ゼーテルを守る様に覆っていたであろう透明な魔力のバリアが砕け散った。そして彼の手に握られていた杖が粉々に弾けて壊れる。
「なにっ!?」ゼーテルは驚き二人の少女を見る。
「それでも、まだ奴の肉体を完全に消し去るしか完全に殺す方法はない……」彼の瞳は何かにとり憑かれた様に濁った色でアルヴの死体を見つめる。魔界の扉を構成する魔法陣へ向けて手を掲げ魔力を流す。その手と扉の間に、魔力を増幅する通過点として機能する魔法陣が複数展開され、それを貫く形で増幅された魔力が光の筋となって見える。その扉の奥で胎動する者がいる。それが扉からこちらの世界を除いている。
「あれは、魔獣ではない」バゼアがそれを見ると、その者と目が合った。
「ならば、あれは…」ミラグリラはバゼアを見て尋ねる。
「あれは異形だ。」彼の言葉にミラグリラは記憶を辿る。影の奥から主を見ていた時、彼がこの世界で異形とは戦っていた記憶はない。ならばあれはいつ封じた?
「…そんなものをゼーテルは封じていない」ミラグリラは断言した。彼がそれと戦った事は自分の記憶にないから。
「違う。これはあくまでも予想だが…封じたんじゃなく、あの扉の奥。お前たち使い魔が魔界と呼んでいる空間は何らかの形で、第六世界の外側と繋がったんだ」バゼアは考え得る中で最悪の予想をしていた。その空間から、あの世界に住まう異形が入り込み、扉から溢れ出てしまうという想像。だが、それは今のところ起こらず、たった一体の異形がそこから現れようとしているだけだ。
顔を覆っている薄い皮膜を破り捨て、千切れた皮と半透明の液体が糸を引く悍ましい口を開き、肉と血を泥の様にかき混ぜ捨てながら踊り笑うような醜い産声を上げ、管楽器を叫びながら狂い吹く音を合わせた福音を響かせ、その異形が顔を現す。切れ傷の様に細い隙間から覗く瞳がぎょっと膨張して開き、ぎょろぎょろと下にいる者たちを見る。その薄い皮膚の下に透けた血脈を流れる濁った血が激しく流れる。それは扉をこじ開けて外に出ようと暴れている。外周の魔法陣の一つが砕けて消える。そして扉に注がれる魔力に手を伸ばし、それを掴み取ると全身に魔力がめぐり、濁った血が鮮やかな色に変わる。青紫色の血が全身に満ちると異形の腕が扉から通って出る。そのままそれは産み落とされ、二本の細長い腕とめちゃくちゃに捻じれた様な歪んだ肉塊に似た形の腹と腰、そしてそこから生えた一本の太い腕。脚は無いように見えたがよく見ると後ろに二本小さな尻尾の様な生えかけの脚がある。それは再び叫びをあげる。
四人を掴もうと手を伸ばす。ツタの様に指が伸び絡み取ろうとする。その手をエリムは振り払う様に力を振るって破壊する。力に触れた指はボロボロと土クズの様に崩れ、その破壊は腕を伝って肩に位置する部位までを砕き壊した。エリムは己の意思で力を振るい、それを制御している。怒りや悲しみを抱えていながら、それを力に乗せてもなお飲み込まれる事無く自分の意思で完全に超破壊の力を制する。その瞳は目の前の異形、そしてそれを呼び出したゼーテルをしっかりと捉える。
「エリムさん…」ティルミは彼女を見て安心する。この人が彼に救われた事に、そして彼がこの人を救うために戦った事を誇らしく思った。異形は叫びを上げながらもう片方の腕を振り下ろして四人を叩き潰そうとする。前に出てバゼアが剣を振るう。光を放つ刃から青黒い炎の斬撃が放たれその腕を切り裂く。傷口から炎が広がり、腕を燃やし尽くす。
「効果はあるが、この程度では異形は倒せない」バゼアはミラグリラの方へ視線を向ける。
「オレの神性を全てぶつければあれは倒せる。だが、それはお前たちも巻き込む事になる。それに、主はそれを止めてくるはず。もちろん異形も。それに、今は神性を引き出すのに必要なモノが、足りない」ミラグリラは一度、後ろで静かに眠るアルヴへ視線を向け、再び前を見る。異形が腕を再生する。燃えた傷口が縫い合わさる様に繋がって、砕け壊れた腕は新芽が芽吹くように生え出て徐々に元の腕になる。異形は腰から生えた腕で顎を押さえ口を開くと口の中にエネルギーを集合させる。
「まずいな。誰かあれを止められるか?」ミラグリラは三人に順番に視線を向け尋ねる。
「私がやります」ティルミが前に出る。
「でもお前の力ではあれを受け止められない」バゼアが彼女を引き止めようとする。
「受け止められないけど、エネルギーを消す事はできます」ティルミは肩幅まで足を開き、胸に手を当て深呼吸をする。そして手のひらを異形の顔に向け、自分の力をそこに集めるよう集中する。異形のエネルギーが最も高まった瞬間、ティルミはその力を異形に向ける。異形の口の中に満ちていたエネルギーは纏まりを失い放散していく。
「何度も出来る訳じゃないから、早めに終わらせましょう」ティルミは平然とそう言っていたが、その身は強い疲労感と脱力感に満ちていた。ミラグリラはそれに気が付いていたが、彼女がただ強がって平静を装っている訳でないと理解していたから、それを口にしなかった。
「それでもう一つ、あれを倒す方法があるんだが…」ミラグリラはエリムを見る。
「お前の力であれを完全に破壊するんだ。異形は特異な存在。これと言って特別な能力を持っている訳ではないから、ティルミの力で無力化する…という方法は出来ないだろう。もちろん今の様にエネルギー攻撃は止められるが、倒すという結果には直結しない。バゼアの衆の一色を用いても、あれを倒せる魔法は記憶されているだろうが……もうバゼアの魔力が足りない。オレの魔力は神性を帯びるせいでバゼアに分ける事は出来ないし、オレは剣に選ばれていないから代わりにその魔法を使うことも出来ない」もう理解できるだろう、と聞くようにミラグリラはエリムを見つめる。
「あれを倒せるのは、あの異形の肉体を完全に破壊できるお前の超破壊の力だけだ」彼はそう言って彼女に決意を問う。彼女はその問いに迷わず答えた。
「わかりました。やります。私が、私の意思で、この力であの異形を破壊します」彼女の答えにミラグリラは頷いて、今度はバゼアを見る。
「とはいっても、彼女の力だけでは足りない。オレの神性を用いて彼女の超破壊の力を増幅する。だがそれだけでは彼女の肉体と意識が力に耐えられず、壊れてしまう。だからバゼア、お前の剣に記憶されている魔法で彼女の肉体が力に耐えられるように補助するんだ」
「つまり、私はエリムを常に魔法で補助しつつ、この二人を異形の攻撃から守りながら戦う必要がある、という事か」バゼアは冗談を言う時の様な作り笑いを見せる。
「そうだな。だが、エネルギー攻撃は…」ミラグリラはティルミに目を向ける。
「私が止めます」ティルミは自らそう言った。
「ああ、お前にしか頼めないからな。オレは主の…ゼーテルの攻撃を引き付ける」ミラグリラは背中を歪み変えて簡単に翼を生やして全員と視線を交わす。
「では、行動開始だ」そう言って彼は飛び立ちゼーテルの方へ向かっていく。
異形が飛行するミラグリラを掴もうと伸ばした腕をバゼアが地上から雷を帯びた斬撃を放ち切り裂く。バゼアはもう一度斬撃を放ち、今度は腰から生えた太い腕を斬り落とそうとするが、斬撃を受けても多少肉まで傷がつくだけで中の骨までは通らない。
「あの腕はさすがに硬いな」バゼアはエリムの為に魔力をある程度温存しなくてはいけない事を頭の片隅に置いて攻撃の方法を考える。異形が口を開いてエネルギーを溜める。ティルミはすぐにそれを無力化しようと手を伸ばす。徐々にエネルギーが解けて消えていく。
「やっぱり、少しずつの方がちょっとだけ楽だ」ティルミは全身に力を入れて姿勢を保つ。異形の腕が彼女の上から振り下ろされるが、エリムはそれが彼女を潰す前にバラバラに分解する様に壊し守った。
「ティルミちゃん大丈夫?」エリムはその下にいたティルミが頭を押さえてしゃがんでいるのを見て声をかける。
「だ、大丈夫…」ティルミはゆっくりと振り返って苦笑いしながらエリムに返事をする。本当は力の反動で目眩がするのを堪えていたのだが、それは顔に出さなかった。立ち上がって次の攻撃に備える。バゼアが異形の足元まで行き、その体を駆け上がる。飛び出して、異形の巨大な目玉を狙って剣を振るう。雷撃を帯びた刃が右の目玉を抉り裂く。青紫色の血を噴き出しながら叫び声をあげ、目を覆った異形の隙を見て今度は首に向かって剣を振るう。朱色の炎が刃と共に首の脈を裂き、燃やしていく。だばだばと血が溢れて体が青紫色の血で染まっていく異形の足元に着地する。
「この隙に…エリム!」バゼアは彼女の傍に行き異形に向けて構えていた剣の先を向ける。
「今の内に君に保護魔法と身体強化魔法、各種耐性魔法などをかけていく。少し気持ち悪い感覚になると思うが我慢してくれよ」バゼアが剣に魔力を流し刃が淡い光を放つと、その光が切先から溢れ、彼女を包み込む。エリムはすぐに軽い吐き気と目眩に襲われるが、気をしっかり張って耐える。
「頑張ってください、エリム先輩」本当は彼女の背中に手でも触れてあげたいが、そうすれば彼女にかかった魔法が解けてしまう可能性があるからと、ティルミはただ傍で見守る事しか出来なかった。
空を飛び、ゼーテルの前に来たミラグリラは主の瞳を見る。
「無様な者だ。最高の魔法使いと言われるお前が、その魔法で操られるとは…」濁った瞳の主を嘲笑い、皮肉って見せる。その濁りの中に薄っすらと宇宙の様な模様がある事に気が付いたミラグリラは溜息をついて呆れた顔で彼を見る。返答もない。
「やっと自分にかけられた魔法に気が付いたか、主よ。」ミラグリラは彼に手を伸ばし、触れようとしたが、後少しの所でその手を止めた。
「…もう少し待っていてくれ。必ず、オレたちが解放しやるから」ミラグリラは伸ばした手を握り拳を突き出す。ゼーテルの瞳がぎょっと動いて彼を見る。奥に見える恒星の様な光がミラグリラを見つめている。彼は少し手を動かし魔法を使おうとしたが、ぐっと何かに抑えられるように両手を広げて大の字で固まる。意識の奥にいる本物のゼーテルが自分にかけられた魔法に抵抗しているのだろう。それでも彼の周囲には魔法陣が展開され、ミラグリラを狙って魔法が放たれる。ゼーテルの魔力とは違う。別人の魔力、別人の魔法。ミラグリラの神性に直接作用する様に構築された拘束魔法は彼の手足を鎖の様に縛りつけたかと思うと、その体に満ちる神性を感知すると楔の様に鋭く体に食い込んだ。
「…っく」血と共に溢れた魔力に混じった神性にさらに反応して、その身を引き裂こうと強く縛りつけられ、さらに棘が肉に食い込む。
「……いるんだろう。グリエスプ、もうこっちは準備できている」ミラグリラは全身を歪ませて拘束から抜け出すが、すぐにそれらが歪んだ体めがけて突き刺さる。体に棘が突き刺さった瞬間、強制的に姿形を先ほどまでと同じ、白いグリエスプの姿に固定される。
「…っぐ……こ、来ォい!」ミラグリラは叫んだ。すると彼の体に鎖が突き刺さった傷口から光が溢れる。数秒の激しい発光の後、元に戻ったその場所にいたのは、グリエスプ。その本人だった。そしてゼーテルの背後から現れたミラグリラは彼の体を抑えつけ、その胸元に自らの神性で形作った青と白の混じった刃を突き立てる。
「うおぉぉ!」彼の体に満ちていた魔力が溢れ出る。濁った眼から煙の様に何かが抜けていく。それは宙で薄まって消える。刃が突き立てられた位置からは大量の魔力が溢れるが、それはゼーテルの魔力ではなく、同時に多くの血が零れる。十数秒間、ゼーテルの叫びと何者かの魔力が彼から溢れ出た後、もう血だけが流れ出なくなったのを確認したミラグリラはその刃を抜いた。そして彼の周りに展開されていた魔法陣が消え、拘束から脱したグリエスプがゼーテルを受け止め、抱える。彼の傷口に手を触れ、自らの影でそれを覆い癒し始める。
「…まったく、イかれているよ。お前は」ミラグリラはグリエスプが抱える彼の体に共に手を添えて言った。空に開いた魔界の扉を構成する魔法陣が砕け、扉は閉じて消えていく。
「“オレ”の作戦の成功はお前がいなければいけず、この作戦ははっきり言って異常だった。お前は“オレ”の考えを理解し、作戦に参加し、完遂した。そのお前の方が十分、イかれていると言える、と“オレ”は思うがな」グリエスプは安堵した表情で意識のないゼーテルを見た後、そう言ってミラグリラの顔を見る。そんな彼に対し、ミラグリラは大きな溜息をついた。
「…そうかよ」そう言ってミラグリラは主を彼に任せて異形と戦う三人の元へ向かった。
目を覆い、首を押さえて苦しむ異形を横目に三人の元へ降り立つ。
「どうだ?準備は…もう少しか」エリムが魔法による不快感に耐えているのを見てミラグリラはそれ以上彼らに話しかけるのをやめた。下手に話しかけて集中を切らすのもよくないと思ったから。彼は異形が再び動き出す前に、もう一撃喰らわせようと思い、再び飛び立つ。神性を練り合わせ、巨大な槍を作る。異形の腰から生えた太い腕をめがけ、その槍を突き刺す。突き刺した槍を内部で炸裂させ腕を内部から弾け壊し、槍の破片を集めて流し動かし、全身を擦り裂くように異形の周りを飛翔させる。
「もう十分強化はしたが…大丈夫か?」バゼアは目の前の少女が強く目を瞑って苦しみに耐える姿を見ながらも、自分の役目を遂行した。
「…っ、いけます」エリムはゆっくりと片目ずつ開いてまだ少しだけぼやけた視界でどうにか彼を見つけて返事をする。徐々に視界が澄んでくるが、体が異様に重たく、頭がぼーっとしている。意識を強く持たないといけないと思い、自分の頬を軽く叩いて前を見る。
「よし、ミラグリラ!こっちはいいぞ!」上空から異形に反撃をさせないように攻撃をしている彼をバゼアが呼ぶ。
「わかった。では、すぐにやろう」ミラグリラは槍の破片を身の回りに飛翔させるようにして地上に降り立つ。そしてその一つにさらに多くの力を注ぎこみ、縦に長いひし形の結晶を作る。完全な神性の欠片をエリムの周囲に飛翔させ託す。その一つから彼女に神性を流していく。
「さあ、エリム。異形に君の力をぶつけるんだ」ミラグリラは彼女にそれを促し、エリムは異形に向けて手を伸ばす。
神性を受けて金色の髪が輝き、美しい曲線を描きなびく。超破壊の力が青い瞳の奥から赤い光を放ち、その眼を染めていく。多くの力の副作用で彼女の体は苦痛に満ちていたが、それでも彼女は力強く、しっかりと前を向いて立っていた。増幅された力が彼女の奥で蠢く。怒り、悲しみ、憎しみ、多くの負の感情を煽り、彼女を飲み込もうとするが、彼女は自分を信じた人の事を想い、彼女を信じる人たちの想いを感じて、彼女の奥に蠢く力を抑え込んだ。力は彼女を飲み込まず、ただ純粋に彼女の力として彼女の意思で、目の前の異形を壊す。異形が苦しまぎれに四人を狙って腕を振るうが、それが落ちる前に腕が崩壊する。肩が砕けて、脚が弾ける。腰から粉砕されて胴体が消え、頭がひび割れ砕けて崩れ落ちる。その中から球体状の異形の核らしき物が現れる。
「あれを壊すんだ」ミラグリラがそれを指さし、彼女に言った。彼女の力がそれに触れて、ヒビが入る。これで戦いが終わる。そう、思ったが―――。
ヒビが入った核から叫びが響く。異形の核はエネルギーを集中し四人めがけて放とうとする。ティルミが三人の前に出て、そのエネルギーの放出を無力化する。
「早くあれを壊してください」息を切らして膝をつき、彼女は振り返りエリムに言った。エリムはそれに力を向け、破壊しようとするが、それでもヒビが深く入るだけで砕けない。異形の核から細い紐の様な数本の腕がうねりながら伸びる。それは暴れ狂いながら四人に襲い掛かる。真っ先に目の前にいたティルミにその腕が伸びる。が、バゼアがそれを剣で止める。しかしその力は強く、剣と共に彼は吹き飛ばされてしまう。受け身を取る間も与えず、異形の細い紐の様な腕が三本、地面に転がったバゼアに叩きつけられる。彼は拭き取んだ衝撃を緩和するためにギリギリの所で保護魔法を使っていたが、それでも手足の骨が数本砕け、立てなくなった。剣が彼の傍に転がる。当然、彼がエリムにかけていた神性の影響を緩和するための魔法も解けてしまう。
「くっ…これ以上は出来ないな。二人は彼を連れて本部内へ逃げるんだ」ミラグリラは彼女に神性を流すのを止め、自身に纏って戦闘準備をする。しかしそれに気が付いた異形が彼に襲い掛かる。腕が彼を狙って叩きつけられる。ミラグリラはそれを避けたが、巻き込まれたエリムと近くにいたティルミがその衝撃で吹き飛ばされる。エリムは魔法の副作用と神性の影響で体が限界だった。何とか立とうとするが、もう体に力が入らない。霞んだ視界の端に横たわるティルミが見えた。ティルミは自分の力の反動で意識を保つのがやっとだった。普段ならこんなに強く反動が出る事などないのに。何かがおかしかった。吹き飛んだ衝撃で意識を手放しかけた彼女は薄れる意識の中でも彼を想っていた。それはエリムも同じだった。二人は彼が、アルヴがまた立ち上がって、助けてくれるんだと。
「どうにか彼女たちだけでも…」ミラグリラは足元の影を見る。
「グリエスプ!彼女たちを連れていけ!」彼の呼びかけに影から姿を現した使い魔。
「それは出来ない」グリエスプはミラグリラの背後に立っていった。
「なぜだ?」
「あの金色の髪の少女は連れていけるが、もう一人の少女は…彼女の力で“オレ”の魔力が散ってしまう。だから…」グリエスプは彼の隣に立って構える。
「…共に戦うか」ミラグリラは彼の六つの瞳に映る自分と、目の前の敵を見る。
「違う。」彼はミラグリラの胴に手を突き刺す。
「何…ッを……」
「“オレ”の魔力をくれてやる。代わりに、お前の神性を“オレ”が……あるべき状態にする」彼の体から神性が抜けていく。反対に、グリエスプの身が神性で満たされる。
「お前…」手が体から離れ、力を失ったミラグリラは落ちていく。その時、彼はグリエスプの瞳に映る自分を見た。彼の口がわずかに動いた。
『ごめんな。』そんな事を言うぐらいなら、一人でいくなよ。地面に落ちたミラグリラは力を失い、動けなかった。
「“オレ”なら、一人でも神性を全て使える。主の身は…影から家に置いてきた」数本の紐状の腕を揺らめかせながら宙に浮かぶ異形の核を見つめ溜息をつく。
「悪いな、みんな」彼は周囲に感じる他の使い魔たちの微弱な魔力に向かって言った。
そして、覚悟を決めて神性を解き放つ。金色の剣が空に現れる。それは五本あり、隊列を組む様に並んでいる。剣先は異形の核を捉えて、グリエスプは自分の身に満ちる全ての神性を剣に与えた。たとえそれでこの身が滅ぶと理解していても、これが、彼にとっての最善策だった。彼は薄れゆくその身に残った力を振り絞って剣を振り下ろす。五本の剣は異形の核に直撃した。でも異形はその剣を飲み込んでしまった。
「…っはは。結局、“オレ”一人じゃ足りないか」グリエスプはその身が消えていく中で、神性を取り込み光を放つそれを見ていた。そして、剣が消えた時、彼の体も散って消えてしまった。
異形はこの戦いの中で、神性を理解してしまった。そして目の前のそれは偶然にも彼らが持っていた神性と相性が良かったんだ。
「こんな不幸が、偶然が、あってたまるものか」ミラグリラは動かない体で必死に足掻こうとした。彼の雄姿を見届け、そして同時に最悪の現実を突きつけられた。結局、全部無駄だった。ここでみんな死んで、終わるのか。エリムもティルミも、バゼアもそれを見届けた。全部が無力で、無駄な足搔きだったと……。冷たい現実がここにある。もう誰も、首を動かして、背後に眠る彼を見る事は出来ない。異形は神性を帯びて、今にも彼ら、彼女らを滅ぼそうとしている。