2.5間話 協力の取引
教室の扉の開く音がして、もしかしたらって思って振り返る。だけど、そこにいたのは先輩じゃなかった。
「エノードさん…ですか」ティルミは彼を見て少しがっかりした表情をした。
「そんなに残念そうにしないでくれよ」冗談交じりに笑いながら彼は言った。だが彼女が俯いているのを見て彼はすぐにその理由に察しがついた。
「彼はどうだった?」答えはわかっていたが、彼はあえてそう質問した。
「そうですね。やっぱり変わらず覚えてはいませんでした。それに、私は……とても無力でした」謙遜でも何でもない。心からの無力感。自分の力は彼には何の役にも立たないと、はっきりとそう自覚している顔だ。彼女は机に腰掛けて足を揺らし始めた。
「でも、彼はこの後きっと君の助けが必要になる」エノードはティルミに言った。彼女は彼がまたいつもの様に冗談を言っていると思って、それでも少し期待して尋ねる。
「本当ですか?」彼女の声には、隠れてはいたが確かに期待があった。
「本当だよ。彼は今とても複雑な問題に直面している」
「それって…」机から降りて彼に説明を求めようとした。それを彼は片手をそっとあげて止めた。
「大丈夫、ちゃんと説明するから」そう言って彼はアルヴが直面している問題を彼に説明した時と同じ様に説明した。それを聞いて彼女はますます気を落としてしまったが、エノードはそこまでちゃんと考えていた。
「やっぱり私は……役に立てそうにないですね。せっかく監視役になったのに」
「そういう訳でもないよ」エノードは楽しそうに彼女に言った。
「君にしかできない事があるんだ」彼がそう言った時、また別の人物が教室に入ってきた。
そこにいたのは裁定者の側近の女性だった。
「あなたは誰ですか?」ティルミは警戒しながら彼女に尋ねた。
「あなたが、ティルミさんですね。私は裁定者様の使いで、シュレーという者です」彼女は丁寧にティルミの方を向きながら一礼した。
「裁定者……、最高管理部門の……」ティルミは状況が飲み込めず困惑している様子だ。
「大丈夫、君が不利益を被る事はないはずだよ」エノードが落ち着かせる様にティルミにそう言うとシュレーはエノードを見て言った。
「やはり、あなたは何でも知っていますね」そしてシュレーはティルミの方に向き直って続けた。
「彼が言う通り、私はあなたに審判令を届けに来たわけではありません。ただ協力していただきたいのです」彼女はティルミを誤解させないように丁寧に言葉を選ぶ。
「協力…?」
「エノードさん、彼女に現状の説明は?」シュレーは彼に確認するように問う。
「終わっている」彼らのやり取りはとても慣れた事の様に行われた。
「ならば話は早いですね。ティルミさん、彼から聞いている通り現在は裁定者様の権限を以てしてもエリムさんの抹消を取り消す事が困難な状況です。しかし、それは“今”の話です」シュレーは強調して言った。
「でも、私に現状をどうにかする権利なんて…」
「ええ、ですがあなたが取引に応じてくださるならば…話は変わってきます」
「どういう事?」
「裁定者には強制審判権があります。しかし、それは今は行えません。強制審判権には八星集会の同意が必要です。そして彼らの同意を得るにはあなたの力が必要です」
「つまり、これは『お前の慕う先輩を助ける代わりに、お前の力を貸せ』っていう取引だ」エノードは緊張してきた空気を緩めるためにわざと砕いた言い方にした。
「考える時間は…」ティルミはシュレーに尋ねる。
「あまりありませんが、できるだけ待ちます」それを聞いてティルミは考えた。自分の有用性、信頼、そして。でも最後に決断の理由の大半を占めたのはやっぱり『先輩を助けたい、力になりたい』というその気持ちだった。一時の感情で大きな決断するのは賢いとは言えない事はよくわかっている。だけど―――。
「私は力になりたいから、その取引に応じます」ティルミの返答を聞いてシュレーはホッとした表情で落ち着いた様に言った。
「ありがとうございます」そしてそれを見てエノードも静かに安堵した。
「じゃあ、行こうか」エノードは二人の間に立ってそう言うと教室の扉を開けて移動を促した。