8.5間話 外から内へ戻るために
ジュウの眠っている病室を訪れたガラーとナナカは彼の横たわるベッドの傍へ行く。彼は静かに眠っている。遠くの空では雨雲がゆったりと蠢いている。
「…彼は何を見たと思う?」ガラーは壁に身を預け、眠る彼を見ながら言った。
「わからない。けれども、バゼアのあの態度を見るに最悪の……未来の反響を見たのでしょう。」ナナカはベッドに腰掛けると彼の額に手を置き、そっと撫でた。
「ただそれだけだと思うか?」彼の問いに対してわずかな時間の逡巡を経て、ナナカは口を開く。
「…何度も考えたけど、きっと私達の知りえない絶望を見たのでしょう。」違う。言いたい事は他にある。
「ナナカ、誤魔化すのはやめろ。俺は本当の事を口にしても構わないと思っている。だから、ここで…ジュウが視た未来の反響について、お前の噓偽りない認識を話してほしいとも思っている。」ガラーはいつになく真面目な表情と声色で鋭い視線を眠ったままのジュウとその隣に腰掛けるナナカに向ける。ナナカはガラーの方を見て数秒間視線を合わせた。彼女は黙ったままその意思を表明するかのように正しい姿勢を取っていた。
「限りない絶望の未来、そして全ての反響に…良い未来が無かった、だから彼は絶望した。それでも未来を探して読み解いて、自分で自分を発狂寸前まで追い込んでしまった。ジュウの能力は強力だけれど、酷使すれば当然、それだけ自分への反動も強く大きくなる。彼は自分の精神を極限まで擦り減らしながら他の可能性を探して、その答えを何とかバゼアに伝えたのでしょう。」ナナカは震える唇を何度も噛みしめ、涙を零さない様に袖で何度も拭いながら答えを出した。そして、その答えはガラーの想像と完全に一致していた。
「やっぱり、か。そうなると、回復してももう能力は使い物にならないかもしれないな。」
「重要な戦力の一人を失い、不測の事態への対抗策として最も有用な能力を失い、残ったのはほぼ確実に訪れる新たな終わり。『定められた結末』さえも明確な解が出せていない現状でいつ訪れるかもしれない新たな脅威が見つかったのは―――。」ナナカは腕を何かが掴んでいる感触に言葉を止める。その腕を掴んでいたのは未だ眠ったままのジュウだった。意識が戻ったのかと思い、一瞬喜んだが彼は目を閉ざしたままだ。無意識に彼は彼女が言いたい事を止めたのだろうか。或いは深い意識の奥底で誰かに何かを伝えようとしているのか。いずれにせよ、彼の手は程なくして再び力を失い腕から滑り落ち、ベッドの上に落ちた。
二人は彼の動きを余すことなく観察し、今にも目を覚ますかと構えていたが、彼は目覚める事ないまま部屋には数分の静寂とその後に訪れた空虚さだけが残った。
「戻ろう。」ガラーはただそう言って部屋から出て行った。ナナカも頷き、彼の少し後に部屋を後にした。病室の扉を閉める前、もう一度だけジュウの方を見たがやはり彼は眠ったままだった。
眠り、或いは無意識の底。反響によって視た未来を彷徨う。世界が終わるその様を何度も見せつけられる。目を背けたい。背ける事が出来れば、楽になるのだろう。でもそれはまだできない。
まばゆい光が世界を照らす終わり、闇が世界を呑み込む終わり、星の神が下した裁きに抗うも全ての者が敗れた終わり、化け物が世界を蹂躙する終わり、ありきたりな戦争による終わり、宇宙の重なりによる終わり、未知の外的要因による終わり、時空の崩壊による終わり―――何度、何度だ。無数の終わりが脳内に響いた。星の神々は終わりを知っている。あの空にて黙し鎮座する神々も、大地を人ともに歩む神々も、定められた結末を知っている。重大な秘密を隠している。
「…無理だ。」見てしまった世界が終わる様を。何度も友人や家族、大切な人々が世界と共に終わりゆく様を。無数の可能性の先にある終着点。全てが同じ未来に辿り着く訳ではないが、その結果だけを見るならば、終わりという結果だけは同じだった。異なる未来の異なる終わり。
「結末は、終わり。」ジュウはただそう呟いて深い深い意識の底で膝をつき、俯いた。
浜辺に置いたビーチチェアに腰掛け、淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら、古臭い年代物の大型プレーヤーにお気に入りのカセットを入れて、鼻歌混じりに海を眺める。
「バゼアからの電話には驚いたけど…そうか、僕の研究が役に立ったみたいでよかった。」エフベルタは得意げにコーヒーにミルクを注いで、それをゆっくりとかき混ぜる。
「でも八星たちはもう星空にいないにも関わらず、星光の揺れによって言葉を交わしているとは…盲点だったな。当時、これを証明する術はなかったから仕方ないともいえるけど―――。何はともあれ、研究が実を結んだ時の快感はやはりいいものだ。」一口飲んでテーブルにカップを置く。
「さて、彼が言っていた事が正しいなら、僕はもう一度自分の中の恐怖心と探求心と、そして―――。」彼は立ち上がり、少し離れた所に視線を向ける。浜辺にあるはずのない、不自然極まりない淡い異様な光を放つ扉がそこにあった。
「この扉の向こう側に行かなくてはいけない、か。」
星光の果てで、強く輝きを何かが揺らいでいる。視界の隅にその波動を捉えたエフベルタは光の海へ視線を向け、その波打ち際まで歩みを進め、足首まで光の水に浸かる所で立ち止まった。その強い波動を注視する。
「何者かがこの領域に近づいている……彼女の言っていた通り、この海自体が他の世界へ繋がっているのか。」その光の波動の向こう側に一つの存在を見た。何者よりも、どんな星光海の星よりも強い光を放つ存在を。
「ヴァルティではない。敵意はない。悪意もない。」その波動から伝わる意思を感じて脅威ではないと判断した彼はその通りがかった光の行く末を眺める。光は尾を引いて世界の淵を流れて行った。
第七区、魔法道具店にて。一人の客がその古びた扉を開いた。店の中は静まり返っていて、店主の姿も見えない。棚にはわずかに埃を被った品が眠りについている様に、静寂と共に並んでいる。それらは誰かの手によって目を覚ますのを待っているのだ。だが、その客の男はそれらの品には目もくれずに奥に歩みを進める。やがてカウンターの前に立った男はそこに置かれた空の壺を見ると、内側の胸ポケットから一つのコインを取り出した。それは金色に輝く一枚のコイン。この都市では通貨としての価値も意味も無いその一枚のコインを指で弾く。宙を舞うコインを見つめる。宙を舞うコインの表と裏に反射する光が視界の中で煌めく。そのままコインは壺の中に落ちて行った。底にコインがぶつかる音は壺の大きさから想定される深さよりもずっと遠くから聞こえた。
音が響いた後、コインが壺から吐き出される。コインを反射した光が視界を通り過ぎると目に見えていた現実が異なる姿に変化していた。静かな店の中にいたはずの男は賑やかな繁華街の一角にある小綺麗な魔法道具店にいた。店内は清潔感があり外観も整っているにも関わらず客はほとんどいないようだ。
「珍しい客だな。」店の奥から声がした。店主の男が今ここに現れた彼を見ていた。
「そうだな。ここに来るのは数年ぶりか。」
「最後に来たのは、あの日。彼らと決別した日だったか?」店主の男は腰を叩きながらゆっくりと立ち上がる。
「それで、今日ここに来たのは…何か商品をお探しで?」彼は小さな箱を持ったまま客の横を通り過ぎる。箱を開けて商品棚に減った分の魔法道具を補充する。
「ゼーテル・ラリエスともあろう人間が、うちの店に魔法道具を買いに来るなんて…いい宣伝になるかもな。」
「ドーツ……いや、ドツァロ・ナオン。」ゼーテルは丁寧な口調と真摯な態度で彼に向かって頼み込む。
「あなたに杖を作っていただきたい。」ゼーテルは深く頭を下げた。店主であるドツァロはそれを見ると最初は困惑する様な表情をしたが、よくゼーテルを見てみると服も髪もボロボロで、第七区にある自分の店と大して変わらない様に思えた。寂しさと悲しみ、悔しさと失意。そうしてようやく彼が何をしたのか理解した。
「あの少年と戦ったのか。いいだろう、作ってやろう……しかし、あの杖が壊れる程の力とは、やはり彼は恐ろしいな。」ドツァロは商品を補充し終えると箱を畳んでレジに戻ると、それを置いて何かの計算を始めた。
「感謝する。だが、杖を壊したのは彼ではない。」ゼーテルの言葉に一瞬だけ手が止まるが、すぐに計算を再開する。
「なら、誰がそれを壊した?」
「―――エリム・ヴァレイン。」その名にドツァロの手は止まる。驚きのあまり目を見開いてゼーテルを見る。だが彼の表情はすぐに穏やかさを取り戻した。
「エリム、彼女は君と敵対したのか?」
「元よりオレは彼女とあまり仲が良くなかったが…彼女の意思でアルヴを守るために戦った。その際に、杖が砕けた。オレも未だに信じられない。以前の彼女ならオレごと破壊されていたかもしれない。」
「でも彼女は君の杖だけを壊した。彼女の力が大きすぎて受け止められなかったのか、或いは彼女があえてそうしたのか……。でも、本当に驚いたよ。彼女がそこまで力をコントロールできるように成長していたとは。」ドツァロは彼の言葉を聞いて計算を最初からやり直していた。
「あの時だけ、一時的に意識的な覚醒に至っていた可能性もあるが。だとしたら、あの瞬間の彼女は恐らく今までで最もミリア・ワイエルに近づいた人間になったかもしれない。」ゼーテルのその言葉をドツァロは信じられないという様に笑った。
「ははは…、ミリア・ワイエルは世界でただ一人の到達者だ。それに迫れる人間がいるとしたら当代の裁定者、もしくは最高管理者バゼアだけだろう。一人の少女に彼女に迫る力など。」
「ミリア・ワイエルも、その一人の少女と同じだがな。それに、エリム・ヴァレインの力は恐らくアルヴ・ソイルスを殺すことができる。」
「ハハ…!何、そんな馬鹿な事を言って。」
「オレは見た。混沌とした意識と思考の中、時空を超えて記憶が流れ、あらゆる世界の歴史、可能性を見た。既に潰えたそれらの可能性の中で彼女は何度も彼を殺していた。」
「それは……まあ、何があったかを聞いたところでその様子だと君も理解しきれてはいないようだな。」ドツァロはゼーテルの不快な感触に耐える様な表情に困惑と絶望が混じっているのを見た。
「彼女の力は、禁忌の力を超えた力に成りえる可能性があるのか。超破壊の力、概念にまで作用する可能性は指摘されていたが、絶対のものと思われる彼の力さえも破壊するか。それとも魂を壊したのか。まだその可能性は未知数だが、アルヴが……彼がこの可能性を知らないとも思えない。だとしたら、その上で彼はエリム・ヴァレインを助ける選択をし続けているのには何か理由があるのか。」ゼーテルは俯いて考え込む。
「あるいは、単なる願いなのかもしれないな。」ドツァロはふと、ある事を思い出してそう言った。
「願い?」
「彼はただお前や彼女に生きてほしいと願っていたんじゃないか?」
「どうしてそう思う。」
「根拠はない。ただ、彼はそういう人間だと以前会った時に感じた。」ドツァロは計算を終えゼーテルに新たな杖の見積価格を提示する。ゼーテルはそれを見て苦しそうに唸った。
「ふん…、だがドーツ。君が彼と会った事があるとは、初耳だな。それにこれは少し高すぎるのではないか。」
「あ…、ああ。以前、彼に魔法道具の作製を依頼されたんだ。君から店の評判を聞いたと言っていたのでな、少し話が盛り上がったのさ。それと、杖の価格に関してだがまだ安いくらいだ。本来ならその倍近い価格でもいい。何せ、希少な材料を多く必要とするからな。君の魔力と、君の使い魔たちの魔力、何よりも…ファルツの魔力に余裕を持って耐えられなければ、作る意味がない。」
「そうか。わかった、支払いは二日後に行う。それが済んだらすぐに…。」
「わかっている。最高の材料と最高の作り手で最高の杖を作ってみせよう。」




