表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/17

第8話 それぞれの役目

 放課後。学校の廊下には既に文化祭に向けていくつかの飾り付けがされている。一年教室前の廊下には各クラスの出し物に関する紹介と呼び込み用の広告が貼られ、その下には机が並べられ四角く底の浅いお菓子の空きカンなどに『ご自由にお取り下さい。』と書かれたチラシが入れられている。

「みんな結構気合入ってるな。」アルヴはそれらを流し見ながら廊下を進み、自分の教室の扉の前に立った。中を覗くと皆が真面目に演劇の練習や小道具の作成に取り組んでいるのが見える。

「あなたは、そんなに乗り気じゃないのね。」隣から声が聞こえ視線を向ける。

「ミリアさん。今日は来てたんですね。」

「せっかくの文化祭だし、こういう時くらいは家の立場とかを気にせず楽しみたいのよ。」

「そうですね。一応、まだ高校生ですしね。」アルヴの含みのある返しにミリアはムッとした表情を浮かべる。

「私が高校生に見えないって言いたいの?」

「いえ、違いますよ。」アルヴは彼女の表情を見てすぐに訂正する。

「ただ、普段からあの大人たちと向き合っていると考えるとすごいなって思って」アルヴは再び教室の方に視線を向ける。

「……それはあなたもそうでしょう。」ミリアは彼の言葉を聞いて、頭に浮かんだ言葉を口にした。アルヴはそれを聞いて頷く。

 教室に入らずに玄関に向かおうと背を向けたアルヴに声をかける。

「あら、今日も見回り?」

「ええ、文化祭の邪魔はされたら困りますから。それに……。」アルヴは窓の外を見る。日が傾き始め薄く赤く染まっていく空に引かれた飛行機雲があった。

「今は調停委員会が控えていますから。内側だけじゃなく、外側の人たちも守らないといけないですから。」

「…お互い色々大変ね。」

「そうですね。」アルヴはミリアに軽く会釈してそのまま行ってしまった。ミリアは彼が廊下の角を曲がって見えなくなるまでその背中を見つめていた。

「結局、私が彼を拾ったのは正しかったみたいね。」過去の自分の選択の正しさと、それが皮肉にも彼を苦しめている現状に思い悩む。その苦悩を顔に見せずに彼女はアルヴと同じように玄関に向かって歩き出す。取り出したスマホには機関から数件のメッセージが届いていた。



 ジュウはバゼアに頼まれた通り、いくつかの反響を見た。彼の持つ反響の超能力は多少のブレを持った過去や未来を視る事が出来る。ブレ、と言うのは反響が持つ可能性の分散によるものであり、そうして視た未来や過去が絶対に正しいものであるというわけではない。ただそれに限りなく近い事象が存在するというものだ。だからこそ、ブレの強いものはまだ変えられる可能性があるという、ある種の保険にもなる。

今回の様に完全な未来の予測に使うのは初めてではないが、それでも例外と言わざるを得なかった。何せ今回反響で視た未来にはほとんどのブレが感じられなかったのだ。完全にブレが無いという訳ではない。ただ、限りなく無いに等しく、それが意味するところはつまり、反響によって視えた未来は確定したに等しいという事である。

「どうだった?」バゼアは反響を通して未来を視たジュウに尋ねる。まだ反響の余韻に浸っているのか、あるいは反響による影響を強く受けているのか、彼はまだ少し虚ろな目をしながらもわずかに口を動かし小さな声で言った。

「……。」たった一言、その口の動きでバゼアは理解した。そして、ジュウの意識は一瞬だけ完全に覚醒し、バゼアを見て頷くと彼は意識を手放した。

「ジュウ!」ナナカがすぐに反応し、声を上げた。彼の頭が床に打ち付けられる前にその体を支えたのは次に動いたガラーだった。バゼアは数秒立ち尽くしてテーブルに手を置く。瞬間的に冷静に状況を整理した彼は救護班を呼ぶように命令する。すぐにジュウは運ばれていき、部屋には彼の他にガラーとナナカだけが残った。

 バゼアは落ち着いた表情で息を吐く。

「……くそ!」バゼアはすぐにその態度を一変させ、机に拳を叩きつける。普段は絶対に見せないであろう態度に部屋にいた二人は驚き、小さく体が跳ねた。

「ぉ、おい…」ガラーが彼に声をかけようとしたが、ナナカがすぐに彼の顔の前に手を伸ばし止めさせる。ナナカの方を見ると彼女は静かに首を横に振っていた。ガラーは少し迷ったが頷き、二人は静かに部屋を出て行った。

 一人残った部屋の中、バゼアは呼吸を整え冷静になろうとする。深く息を吸って、吐いて。そうして目の前に置かれた紙と端末に目をやる。決断しなくてはいけない。手を伸ばしてそれを取った。画面に映ったいくつかの連絡先の中からエフベルタの名前を探す。

「…よし、大丈夫。きっと彼なら。」そう意を決して発信ボタンを押す。端末を耳に当て応答を待つ。



 しばらくして、部屋の前で聞き耳を立てていたナナカとガラーは背後に気配を感じて振り返る。そこにいたのはアルヴだった。

「……二人とも何をしているんだ?」彼は疑問と呆れの混じった表情で二人を見ている。

「あなたこそ、何をしに来たの?」ナナカは彼に尋ねる。

「俺はバゼアに呼ばれてきたんだけど。」調停委員会に関する事で呼ばれているのは黙っておいていいだろうと思い、彼はあえてそれを言わなかった。

「今は入っていいのか?」アルヴは二人に尋ねる。二人はわからないようで、答えに困っていた。

「てか、この部屋防音だから聞き耳を立てても聞こえないだろ。」アルヴはそう言うと部屋のロックが解除されている事を確認して中に入った。

「あ、ちょっと…」ナナカが彼を止めようとするが、既にバゼアは通話を終え、二人が部屋を出た時の様に荒れていた心は鎮まり、いつもの様な冷静な表情で椅子にもたれていた。

「ああ、来たのか。アルヴ・ソイルス」

「あんたが呼んだんだろ。」そう言って後ろの二人を気にする様に視線を向ける。

「ナナカ、ガラー。少し席を外してほしい。二人だけで話したい事なんだ。」彼がそう言うと二人は訝しげにアルヴの背中を見つつも、部屋を出て行った。さっきの様に聞き耳を立てているのだろうと、アルヴには容易に想像できた。

 部屋のドアが閉まった後、バゼアは机から部屋のロックを閉めるとアルヴに座る様に促した。彼は勧められた通り対面にあった椅子に腰を掛けた。

「さて、まずは今回呼んだ理由にも関わる事だが。」バゼアが手元のパネルを操作すると、スクリーンに幾つかの国旗が映された。

「これらの国の内、今回の調停委員会にやってくるのは主要国の内のアピニア以外のこの八か国だ。」彼がパネルを操作すると一つの国旗がフェードアウトした。

「ニュースでも報道されている事だな。知っているさ。」アルヴがそう言ったのを見てバゼアは頷き、画面を切り替えた。

「…君に頼みたいのはこの調停委員会の期間中に起こると予想される各事件への対処だ。君の為に特務部隊を二つ編成してある。もちろん、君の素性や本来の立場、階級に関しては秘匿し、こちらで用意している身分で部隊指揮に当たってもらう事になるが…頼めるだろうか。」

「断った場合は?」

「その場合は君の期間中の第三区外への移動を禁じ、ティルミ以外の監視役を二名追加で配置する。」

アルヴは面倒そうに溜息をつくと渋々その依頼を受け入れ、頷いた。

「わかった。やろう。ただし、そちらが用意した部隊は必要ない。単独の方が動きやすいからな。」

「そうだろうと思った。が、今回は少し状況が芳しくない。非常事態に備えて、君の意向を無視して指揮権の付与は行っておく。この点に関しては、受け入れてもらいたい。」

「いいだろう。だが、俺に直接あんたから依頼が来るとは…相当だな。」

「エノードは信用に足る者だが、彼の立場を考慮した結果、今回は彼を介さず直接依頼する事が相応しいと判断した。今回の調停委員会には裁定者や、それに仕える者たちは関わらない方がいいだろうからな。君は機関に属していながら特異な立場にある。だからこそ、今回の役を任せたのだ。」

「まあ、俺が問題を起こし、どれだけの損害を出そうと、言い訳も尻尾切もしやすいだろうからな。」

「だが、それによって我々は救われている。」彼の発言に対してバゼアは否定の言葉を述べる事が出来なかった。

「…そうか。」アルヴはそれ以上彼に何かを言うでもなく、その場を後にした。




 第二区・郊外にて。シュレーはある男の帰還を待っていた。天気は曇り、今にも雨が降り出しそうな程の昏い雲が立ち込めているが、彼女はそれを気も止めず傘を持たずに空を見ていた。雷光が一筋、空を駆ける。

「リラ、久しいな。」先ほどまで誰もいなかったその場所に彼は立っていた。シュレーの隣に立った男は彼女に親し気に声をかけると手に持ったいくつかの袋の中から一つ選んで彼女に差し出した。

「土産だ。君の好きそうな茶を選んでもらった。」

「満喫していますね。」差し出された土産を受け取って彼女は小さく頭を下げた。

「そういう君だっていつも手紙で彼女の事を自分の娘の様に可愛がっているではないか。」

「彼女は娘と言うよりも……無理して大人のふりをしている妹の様な、そんな存在です。」シュレーはそれをなんと表現すれば適切かを考えて一番近いと思える言葉に訂正をした。

「そうか。まあ、なんにせよ今回わざわざ僕を呼び戻した理由を聞いておきたいな。」ガロリアとシュレーは互いに目指す場所がわかっているかのようにほぼ同時に同じ方向に歩き出した。




 時刻は放課後、夕暮れ。空が赤く染まっていく中、誰と一緒でもなく、ただ一人で街を歩く。アルヴは遠い記憶に触れるように空を見た。機関に入る前の事はもう何も覚えてはいない。それでも確かな懐かしさが胸の奥で、微かにまだ感じられるのはなぜだろうか。きっとそれらを忘れたのは覚えている必要がないからだと、そう言い聞かせてきたのに。

「…っぐ。」頭痛がする。動悸と目眩。記憶の中で誰かが呼んでいる。学校に続く道からは今日の分の文化祭の準備を早く終えた生徒たちが歩いてくるのが見える。その反対、行く先には―――見慣れた誰かが見えた気がした。瞬きをした次の瞬間には消えてしまったが。同時に苦しみからも解放された。呼吸を整えて目的の場所を目指してまた歩き出す。

 次に同じ感覚に陥ったのは第七区に入ってからだった。長い間電車に揺られ、わざわざここに来たのは遊ぶためじゃない。バスに乗り換えて先を急ぐ。

空を覆う様に広がる巨大な魔法陣は視界に収まらない程で、周りを行くのは人と魔法生物がほとんどだ。バスの上を大きなシャチの様な魔法生物がゆったりと泳いでいる。今が夕方だと言うのにも関わらず、この区画の空は青く染まっていて、それはまるで水槽の中にいるような感覚を想起させる。やがてターコイズブルーから群青へと移ろう空を手足とヒレの生えた何かが泳いで、或いは飛んでいく。ビルには紺碧色の素材と、灰褐色の素材が多く使用されており、街の雰囲気はさながら深海の都といったところだろうか。だがここには確かに空気があり、人が住んでいるし、苔がそこら中に生えている訳でもない。

バスを降りて第七区の街を歩く。第三区とは異なり穏やかで、静かな街の雰囲気は少しだけこの症状を楽にしてくれる。耳鳴りもしてきた。先を急いだほうがいい。そう思いつつ、スマホを取り出し、先にバゼアに任された特務部隊の一つに連絡を入れる。彼らへの命令の内容は簡単だ。自分がいない間の第三区の防衛。たぶん敵は出ないだろうが。大事な友人たちから離れて、こんな場所に来るんだ。バゼアが用意した特務部隊なら学園一つくらい、簡単に守れるだろう。

溜息をつく。症状が緩和された、というと違うか。楽になったフリをしている。見慣れた誰かの影は見えない。別の何かの影が視界の隅で動いている。瞼が重い。でも目を開ける。空気が不味い、息が喉に詰まっている様な感覚がある。大丈夫、問題はないはずだ。

目的の場所、の前にある路地までは辿り着いた。後は目の前にある扉を開けて、この寂れた建物に入ってあの男を見つけるだけだ。ここまでだいぶ歩いた。もうほとんど陽が沈んだのだろう。もう普通に歩けるみたいだ。視界の隅がまだ暗い事に目を瞑れば。

「目でも閉じてみたらどうだ。」男の声がした。その方に視線を向ける。いたのはエノードだった。

「そうしたら楽になるだろう。視界の隅に映る影も、目を閉じている間は見えないしな。」エノードは手に持った缶コーヒーを飲み干すと、扉の横にある空き缶用ゴミ箱に入れた。

「エンドランナーが動いている。調停委員会に合わせてこちらに接触してくるだろう。」

「それが俺を呼んだ理由か?」

「いや、エンドランナーはこちらで対処する。ただ、一つ頼みたいことがあって…それに、渡したい物もあるしな。直接会っておきたかった。」そう言うと彼はポケットから白い布に包まれた一つの小さな箱を取り出した。

「模造神器、掟と盤だ。君に渡しておく。」

「なぜこれを?」エノードからそれを受け取る。

「実は頼みたい事に関係があってな。もしもの事があったら、それを使って律星と接触してほしい。」

「もしもの事とは?今にも世界が終わるとかか?」アルヴはふざけてそう言ったがエノードの表情は笑ってはいなかった。

「それはいつもの事だ。だが、今回はよりその状況が近くなる。だから取返しが付かなくなる前に最後の切り札として、君にはそれを介して律星の力を継承してほしい。」

「裁定者という存在がありながら、それ無視して律星の力を行使しろと?」

「それと、支配の星の力も掌握するんだ。掟と盤にはその両方との繋がりがある。そして君にはそれが可能だ。違うか?」エノードは真剣な表情でアルヴを見つめる。

「…もし、そんな状況が来たとしたら、俺よりも先に八星が動くだろう。」

「だから、そんな状況が来たら君が新たに裁定者になるんだ。そして正しく世界を裁け。他の誰にも任せられない。裁定者もこれには同意している。」

「……。」とんでもない事を次から次へと述べるエノードに対して、アルヴは困った表情で手を広げて後退りする。

「俺が、なぜそこまで信頼できる。お前は何者だ。エノード。あの時も、俺とお前はただの依頼者とそれを受ける仕事人。機関の連中の様に利害の一致だけで動く関係のはずだ。なのにお前は俺と同様、裁定者と繋がっている。お前は俺と近い立場にある様にも思える。が、それは違う。だってお前は俺と違って抹消命令を受けていない。」

「確かにそうだ。概ねあっている。だが、今もこの先も、それは重要じゃない。アルヴ、俺と君は同じく世界を終わらせたくない。違うか?そうだろう。」エノードの言葉にアルヴは二回ゆっくりと頷いた。

「なら、それで十分だ。互いに最善を尽くそう。―――君の疑問への答えはいずれ話す機会が訪れるはずだ。それまでは死なない様に生きるんだ。」




 日が完全に沈み、月が見下ろすその下で、光の当たらない道を行く二つの影。

「…それが今回僕を呼び戻した理由か。」ガロリアは一連の話を聞き、呟く。

「だが、僕の力を以てしてもその…約束の…」

「約束の刻です。」

「そう、その約束の刻というのを退けるのは容易ではないだろう。」

「ええ、ですが…裁定者様の力とあなたの力、そしてこちらに対して協力すると申し出た…あの者の力があれば。」

「可能性はあるか。……だが、たとえ今脅威となっている赤子の刻を退ける事が出来ても、その後に続く敵を退けられる保証はない。」

「ですが、保証がないからと言って、ただ終わりを待つだけでは…迫る死から逃げず足を止めて待っていろと言うのですか?」

「足掻かなければ、無用な苦しみを感じる事無く死ぬ事が出来る場合だって少なくはない。」彼の発言にシュレーは顔をしかめ、隣を歩く彼の方を見る。影に隠れて確認はできなかったが、彼はきっと顔色一つ変えずに進む方向をただ見ていた様に思う。

「…それでも彼は足掻きました。」

「彼の戦う理由は我々…裁定者や君の理由とは違うところに要点がある。それに、彼にできた事が我々にもできるとは限らない。凡人の生まれでありながら、特異な力に目覚め、その力を一切の容赦なく発揮し、多くの功績を残す。極めて異質であり、稀有な存在…と言う言葉で表すにはあまりにも遠い場所にいる。それらを退けた当時の彼の力の全力を恐らく我々は知らない。そんな彼と我々の間にはどれだけの時間をかけても埋められない溝があり、どれだけの努力を積み重ねても届かない壁があり、どれだけ追いかけても追いつけず追い越せない距離がある。その力が何に起因するのかはわからない。単純な感情的な要因や努力による成長と言った一般的な人間の持つ素質の範疇に収まるものなのか、それとも外的要因に起因する誓約や交換条件の提示、もしくは天命の遂行の為に上位存在…つまりは星の神々などから与えられた力なのか、いずれにせよ……彼の払った代償は計り知れないものだろう。それが時間や努力、特定の代価に値する何物であってもな。」そして彼は重苦しく息を吐き出し、歩みを止める。それと同時にシュレーも歩みを止め、ガロリアを見る。

「君たちにそれと等しい、或いはそれ以上の代価を用意できるのか。そして、それらを払う覚悟はあるのか。」いままでの彼の口調とは打って変わって、真剣な声色で暗闇の中からシュレーを見つめる眼は一切の揺ぎ無く、その目に映る小さな光さえも震えず、彼は問う。

「…払えなければ、全てが終わるなら。」

「そんな消極的な言葉は答えとしては受け入れがたいな。…シュレー、以前の君なら同様の答えを出すにしても、もう少しまともな理屈と道理を以って言葉にしていたはずだが。時間の経過はこうも残酷に人を変えるのか、それとも他者との関わりが君を変えたのか。もしくは…自分の過去の行いを顧みた事による後悔からか。情に流される人間になった、というよりかは感情の表現が以前よりも明確になったな。…それでも以前に比べて僅かにわかりやすいというだけだが。僕やヴァルティでなければわからないかもしれないな。もしくはエフベルタも気が付くかもしれないが。」

「以前、エノードにも同じような事を言われました。私は少し…変わった、と。」

「ああ、彼は気が付くだろう。だが、そうか。まだ彼は君や裁定者の近くにいるのか?」

「ええ。むしろ、今あなたが名前を挙げた二人は既にいませんが…」シュレーの声に混じった悲しみと僅かな怒りをガロリアは感じた。

 暗闇の中に、微細な違和感を感じたガロリアはすぐにその刃を鞘から抜くための構えを取る。と言っても彼の傍には剣など見当たらず、彼は構えを取りはしたがその姿勢は一見すれば先ほどと全く変わっていない。彼が剣を抜くと考え、構える意識をした瞬間に剣はここに存在している。

「…そう警戒せずとも、少なくとも今はボクはあなた方の敵ではないはずですよ。」その声と共に現れたハイリアスは静かに月明りの下に照らされる場所まで歩いてきて、こちらに姿を見せた。対してガロリアとシュレーの二人は未だに影の中に身を置いている。

「アダモスさん、ボクは既に代価を払う覚悟は出来ています。ただ、それが足りているかの確証は持てませんが。」

「盗み聞きとはよろしくないな。君は礼儀を弁えている人物だと思っていたのだが。」ガロリアは構えを解き、彼に向かって一歩、歩みを進めた。それでもまだ影の中に隠れてはいるが。

「確かに、少しばかり失礼な事をしましたね。申し訳ございません。」彼はそう言ってそっと頭を下げ、顔を上げるとまたガロリアを見る。

「話に聞いてはいたが、君が口頭のみの宣言かつ一時的とはいえ、こちらと協力関係を結ぶとは予想外だったよ。以前、君が機関から離れたと聞いた時は驚いたものだが…まあ、それも彼の現状を思えば当然とも言えるか。」

「なんとでも言ってくれて構わない。ですが…」

「わかっている。君がこうして自ら姿を現した事を、君の誠意の証明として僕は君と協力する事を宣言しよう。」そう言って彼は月明りの照らす、彼と同じ場所まで歩み寄り、手を差し出した。二人は互いに目を合わせた後、握手を交わした。




 エノードとの会話を終えて、アルヴは第七区のホテルの一室にいた。数日はここに泊まるように彼から指示があったからだ。シャワーを浴びて、テレビをつける。机の上に置いた掟と盤の入った箱を見る。

「模造神器、かつては俺の手にあったはずのあの剣も今はどこかに行った。代わりにこんな箱に入った小石が渡されるなんて。まあ、こいつも十分すぎる程に強力なんだが。」アルヴはテレビで流れるニュースを聞き流しながらベッドに横になる。

今日から数日、この第七区に留まっておく必要がある。それはエノードからの依頼によるものだけではない。ある人物から、個人的な連絡があったからだ。テーブルの上に置いたスマホに視線を向ける。何かの通知が来ているのか、点滅しているのが見えた。体を起こしスマホを手に取ろうとした所で、部屋のチャイムがなる。頼んだ覚えはないが、ルームサービスでも来たのだろうか。警戒しながらドアを開けに行く。

「先輩。」ドアを開けて、目の前にいたのはティルミだった。

「?」

「お邪魔しまーす。」彼女はアルヴの横を通り、さも当然かの如く部屋に入り、荷物を置いた。

「何をしている。」アルヴはドアを閉じ部屋でくつろぎ始めているティルミを見て尋ねる。彼女はスマホを片手にベッドに横になってその画面を見せてくる。

「エノードさんから、先輩がここにいるから監視していろって。あと、何かあったら一緒に行動するようにとも。」彼女が見せた画面には確かに彼からのものと思われる連絡が来ている。それも機関の正式な命令として。

「はぁ。」アルヴは溜息をつく。面倒な状況だ。

「ところで先輩、もしかしてその姿シャワー浴びた後ですか?」ティルミに言われて自分がバスローブ姿だったのを思い出す。このホテルのバスローブが着心地が良くて忘れていた。

「先に浴びてるなんて用意がいいですね。どうせなら一緒が良かったんですけど。」彼女は残念そうに言った。そして何かを思いついた様に笑みを浮かべる。

「先輩…どうせならもう一度、一緒にどうですか?」柔らかな手つきで自分の太ももをなぞり、スカートを軽くめくる。下着が見えないギリギリでわざと止めて視線を向けさせようとしている。いや、若干見えた様な気もするが気のせいだろう。彼女は小悪魔的な笑みを浮かべてその小さな舌で唇を一瞬ぺろりと、舌なめずりをした。

「ねぇ、先輩…?」

「行かない。それにお前が思っている様な理由で浴びたんじゃない。そもそも、お前がここに来るなんて知らなかった。なんでエノードは部屋を分けてくれなかったんだ。」アルヴは愚痴っぽくエノードへの不満を漏らす。

「まあ、その辺は彼の粋な計らいってやつ?じゃないんですか。」彼女はベッドから降りて浴室へ向かう。

「先輩、いつでも来てもいいんですよ。」入口で止まって彼女はまたアルヴを誘う。

「いいから早く済ませて来い。」アルヴはめんどうくさそうに彼女の誘いをあしらうと気怠そうにソファに腰掛けた。

 扉が閉まった音の後、背後を見てティルミがいない事を確認する。ソファに身を預け深く息を吐く。何も考えない時間が過ぎる。思考をしないのは楽でいい。管理機関や友人たちの事を考えては頭を抱えるのはもうたくさんだ。それでも考えなくては誰かが不幸な目にあう。ずっと戦っているんだ。いつからこうだったかは忘れてしまった。もう長い事この生活をしているから。昔、家族も友人も家も失って、この命と忌々しい力だけが残って……抹消処分を待っていた俺はミリアさんに拾われた。そして彼女のお陰で……何があったんだったか。色んな事があった気がする。今はもう思い出せないくらいたくさんの事があって、どれも楽しい日々だった。失った事はもう過ぎた事だから、あの時はそう言って前を向いていた。でも今は、失う事を恐れて、必死になって戦っている。禁忌の力は睡眠や食事の必要性を失わせた。不可能になったのではなく、必要性が損なわれたんだ。だけど俺はまだ人間だから、俺はまだ人間だと思いたいから、その為だけに今も食事をすることでそれを保っている。睡眠は…滅多にできないが、それでもたまに静かに眠れる日はとても心が落ち着く。

 目の前にあるエノードから受け取った箱を見る。ティルミがいない間にやるべき事がある。アルヴは箱を手に取る。エノードは取り返しのつかなくなる前にと言っていたが…。

「それではダメだ。」アルヴは箱を手にしたまま窓際へ行き箱を開いた。箱の中には小さな石が入っていた。薄っすらと輝きを放つその石を指でつまむ様にして持つとそれを空にかざしながらその中を覗き込む。

「掟と盤。律星の光芒の一端を捉える者だけがその力を使える。」アルヴは石の中に広がる宇宙を見た。だがそこにあったのは光ではなく果ての無い闇と虚無を捉えた星々の瞳だけだった。瞳の内側に痛みが走り、狂気の奔流に押し流されてしまいそうな感覚に襲われる。気が付けば辺りに光はなく、無限に広がる暗闇と凍える程の冷たい空間にいた。きっとこれはこの石の内側にある固有世界のだとアルヴはすぐに気づいた。彼を捉えた星々の瞳は未だ虚無に染まり、まるで死んでいるかの様だ。だが確かに今もそこにはかつての星の光と思しき力を感じる。自分の内側にある力がこの空間と干渉しているのを感じる。今にもそれは暴れ出しそうな程に激しく脈動し、この体を突き破ろうとしているが、それに必死に耐えアルヴは手を伸ばす。

「律星の光芒の一端を見つけるんだ。」身を裂くほどの激痛が体中に走る。このままでは禁忌の力が溢れてしまう。

「だめ…なのか?」伸ばした手が塵になっていく。意識が後ろに突き飛ばされる。激しい痛みが体から消えていくと同時に視界の隅を暗闇と光が通り過ぎていく。もう死んだ星たちの声が囁きとなって頭の中に響き、体が徐々に重力と温度を感じるようになる。気が付くとアルヴの意識はホテルの部屋の自分の体に戻っていた。ティルミはまだ戻って来ていないようだ。アルヴは石を箱にしまい、再びソファに腰掛ける。意識が突き飛ばされ、体に戻る直前、一瞬だけ裁定者の顔が見えた。彼女はこちらを認識しているかの様に視線を向けていたが…。

「まさか、な。」アルヴは再び箱に視線を向ける。自分は光芒の一端を見つけられなかった。意識が戻る前に見えた光は虚無を捉えた星の瞳たちと果てに飲まれる前の星の光だろう。

「俺ではだめなのか。」掟と盤に選ばれた者にしか光芒は見えない。あの狂気に耐え、光芒に辿り着いた者がいるという噂は聞いた事があるが、あれほどの長時間あの空間にいる事は出来ないだろう。

「無力感……というほどではないか。掟と盤の力が得られずとも俺は。」世界を終わらせない。エノードが言った通り、もし今日終わりが来ても、それを止める。それが自分が生かされている意味であり、この命が持つ唯一の価値だから。

 しばらくしてティルミがシャワーから戻って来た。彼女はやけに嬉しそうにベッドに腰掛けると髪を乾かし始めた。それから寝る前にやる一通りのことを終えると彼女はアルヴに声をかけた。

「電気、消しますね。」

「ああ、いいぞ。」アルヴはエノードの言っていた事を思い出しながら空を見ていた。今日世界が終わる、そんな状況になるかもしれない。ずっとそれが不安だった。でも星空を見る限り、そんな事は起こらないと言っているように思える。何の滞りもなく星空は今日も運行されていて、人の世も止まることなく動いている。ならば、きっと今日が終わってもまた明日が来るだろう。……そうであってほしい。

「先輩。」少しだけ、それでも精一杯艶っぽくなるようにティルミは言った。窓際で空を見ていたアルヴは彼女に視線を向ける。

「一緒に寝ましょうよ。」まだ子どもなのに、どこでそんな事を覚えたのか。少しシーツをめくって隣に入る様に催促してベッドをポンポンと叩いている。わざとなのか自然とそうなったのかわからないが、バスローブの胸元が少しだけはだけている。

「俺はいい。」アルヴはまた視線を外に向ける。ティルミはそんな彼の態度に少し寂しさを感じた。

「先輩は、私が嫌い…ですか?」その声は少し震えていた。自分の行いだけを見れば確かに嫌われてもしかたないと内心理解しているけど、それでもつらかった。

「……しかたない。眠れるまで隣にいるだけだぞ。」アルヴは彼女の隣に腰掛ける。

「ベッドには入らないんですか。」

「隣にいるだけだって言っただろ。それに、俺は…力のせいで滅多に眠れない。たぶん今日もそうだろう。」

「じゃあ……」ティルミは彼の背中に飛びついた。そのままベッドの上に倒れ込む。

「こうしたら眠れますね。」彼女はアルヴの頭に手を置いて優しく撫でる。

「おい、やめろ。」アルヴは彼女を払おうとするが、すぐにそれをやめた。彼女の手から伝わるのは本当にただ優しい感情だけだったから。彼女は自分を想ってくれているのはわかっているけど、その好意を受け入れてはいけないとずっと思っていた。

「今日だけ、今だけ、私の傍にいてください。監視役とか、そういうのじゃなくて。」ティルミはアルヴの背中にぎゅっと抱き着く。

「一人の女の子として、好きな人に傍にいてほしいんです。」ティルミの鼓動が直に伝わる。激しく脈打つ心臓の音が聞こえてきそうだった。アルヴは好意を受け入れる訳じゃないと、自分に言い聞かせて返事をする。

「…わかった。今だけだ。」

「ありがとう……ございます。」彼女は嬉しそうに少しだけ抱き着く力を強くした。

「先輩、贅沢を言ってもいいですか。」

「なんだ。」

「こっちを向いてほしいです。」

「……」少し躊躇ったが、アルヴは彼女が見えるように姿勢を変えた。二人は向かい合う様にベッドに横になっている。彼女はもう一度アルヴの背中に手を回して抱き着く。

「えへへ…あったかいですね。」彼女の声が胸元で響く。身長差があるから、彼女の頭がちょうどアルヴの胸元くらいに来る。こうしてみると意外と小さいんだな、と思った。ティルミは深く呼吸してアルヴの心音を聞きながらその体温を感じていた。

「ずっとこうしていられたらいいのに。」ティルミの幸せそうな表情に寂しさを感じた。気が付くとアルヴは彼女をそっと抱きしめていた。別に特別な感情がある訳じゃない。ただ、そうしたいと、そうしないといけないと思ったから。

「…先輩?」ティルミはわずかに困惑しながら彼の名前を呼ぶ。返事はない。けれど、自分を優しく包む腕に安心して目を閉じた。

「おやすみなさい。」そっと、彼の温もりを感じるられるように、決して強くないが、それでも確かに抱きしめて目を閉じた。




 第十区、廃墟と残骸の上。シュレーとガロリアとハイリアスは共に、全てが崩れ去った区画に訪れていた。ガロリアは少し高く重なった残骸の上に立ってその荒れ地を見渡していた。かつてはここも多くの人が住み、他の区画同様に独自の技術による進歩や発展をしていた。だが今ここにあるのは枯れ果てた草木と残骸、何も語らぬ廃墟とくすんだ空だけだ。

「……。」ガロリアは空を見上げる。星は変わらず光を放っているが、この地を照らす光は一つも、どこにも灯ってはいない。

少し離れた所で彼が戻って来るのを待つ二人。

「裁定者には彼が帰還した事を伝えているのか?」

「いいえ、彼は私が個人的に呼び戻したので。恐らく知らないかと。」

二人は彼の方へ視線を戻す。隣に立つ者がいる事に気が付き、目を疑う。

「久しぶりだな、ガロリア。長めの暇はさぞ楽しかったようだな。」裁定者は彼の隣に現れ、久しぶりの再会に喜ぶ。

「あなたはかなり変わられたようですね。……最近、強制審判権を行使したと聞きましたが、また彼の為に無理をしたのですか?」

「あの者の為ではない。この都市と未来の為に必要な決断だ。」

「…結果的に律星の力を得る事が出来た上に、その後にティルミ・ファリニアの協力を獲得し来星との対話も行った。なかなかに急ぎ足に思えますが、機関の視線も痛くなってきたのでは?」ガロリアは裁定者の身に流れる力の変化に目をやって、またすぐに視線を空に向けた。

「機関の者達によって左右されるような者では裁定者の器としては相応しくないでしょう。あなたの目には私がその様な人間として映りますか?」

「いや…そうは見えないが。ただ、君はまだ……」ガロリアはそこで言葉を止める。後ろからの足音に振り返る。

「未熟だ、と言いたいのですか?」シュレーはハイリアスと共に歩いてきて、ガロリアを突き刺す様に睨む。

「…否定はしない。その身に注がれる視線に対して、未だ君は律星の力の半分も掌握出来ていない上に、他の八星集会との対話の機会さえ、自分で得る事もまともに出来ない。それを未熟と言わずして何と言おうか。」ガロリアは畏れる事無くそれを口にする。もし裁定者が彼を攻撃する素振りを見せた時、すぐに対応することが出来るようにハイリアスは心の中で覚悟していた。だが、彼女は一切の怒りを見せず、冷静にそれを受け止めた。

「そうだな。君の言う通りだ。私は裁定者としては確かに未熟だろう。だが、それがどうしたと言う?君は私を裁定者としてしか見ていないか?」彼女は真っ直ぐな瞳でガロリアを見る。

「…いえ、僕はあなたを人として見ている。」

「ならば、この話はこれで十分だろう。今はこんな話よりも先に……。」裁定者はハイリアスの方へ視線を送る。

「赤子の刻を終わらせる必要がある。」三人は彼に視線を向けた。

「現状、赤子の刻はまだ本格的に動き出してはいない。だけど、あれが一度動き出せば、人類は壊滅的な打撃を受ける。」

「それはどの程度なのだ?」ガロリアは彼の発言を大袈裟だと思った。

「次の者が動き出すまでに最悪の場合、人類の七割が死滅する。」だが、それが大袈裟ではない事は彼の瞳を見てすぐに理解できた。その目は全てを見てきた者の目をしていた。

「残った三割はどうなる?」裁定者はその先を尋ねる。

「次の者が目覚める間もなく、終わりを迎える。」

「次の者とは、何を指しているのですか?」シュレーは彼がずっと口にしているその先の敵についてずっと疑問に思っていた。彼の口からそれの具体的な詳細が語られた事はない。

「…幸福な夢、人々の理想。それが次の者、水底の刻。あれを倒せるのはボクが知る限りでは一人だけだ。」

「八星や禁忌の力を以てしても太刀打ちできないのか?」

「可能か不可能か、というのであれば可能ではあるが、それらの力を以てしても難しい。以前、赤子の刻を超えた時は、もはや世界には守るべきものは何も残されていなく、多くの者が諦め、その甘美な夢から覚める事を拒んだ。諦めなかったのは我らの王と、あの少年だけだった。彼らがあの夢の中で目覚め、全てを現実に戻した。だが、王の使いの者とあの少年を信じるただ一人の仲間以外にとって、それは更なる地獄をもたらした。」

「…君は抗えたのか?」ガロリアは一瞬、自分の言葉に憐れみが含まれている事に気が付き、最初は躊躇ったが、今度はそれを払拭してから口を開いた。

「確かに最初は抗えなかった。でも何度もそれを味わううちにその苦痛に嫌でも目を覚ますようになった。あれはボクにとって甘美な夢でも、理想でもなく、ただ醜く脆い悪夢になったんだ。」

「…一つ、聞きたいことがある。彼を信じるただ一人の仲間とは、誰の事だ。」裁定者は不思議そうに彼に問う。

「それは裁定者様ではないのですか?」シュレーは彼女に続いて尋ねる。

「違う。」ハイリアスは首を横に振り、否定した。

「水底の刻を超えた時、彼の隣にいたのはミリア・ワイエルだった。」

「他の者は?」

「多くが赤子の刻の顕現と暴力により死んだ。ガロリア、あなたも例外ではない。」

「…そうか、僕も勝てなかったのか。」ガロリアは存外驚きはしなかった。自分は所詮、人間であると理解しているからか、それ以上の存在との対峙がいずれ命を奪うという事も自ずとわかっていた。だが、やはり内面においては多少の動揺はあった。ただそれが表に現れなかったにすぎない。

「赤子の刻は時間と共に成長する。過去にあれが世界を滅ぼした時、禁忌の力と星の神々の力以外の一切を受け付けなかった。唯一、彼らの刃が届いたのだ。」

「それでも滅んだのだろう。」裁定者は彼が語る過去の全てが既に起きた最悪な事実である事をよく理解していた。

「そうだ。あれが覚醒し、完全な存在になれば打つ手はない。だが、君たちの力ならば届くかもしれない。今あれは覚醒していない、完全な存在でもない。しかし既にほとんどの異能を受け付けないだろう。」

「なぜ、我々の力なら通用する可能性があると言ったのだ?」

「君たち、裁定者として八星の権能を使う事が出来る者の力は過去数回の戦いで有効な攻撃になった。」

「だが、どうしてそれらは有効だったのでしょう。」

「これまでの赤子の刻との経験からすると、あれは時間の経過と共にこの世界のものを学習し、それから耐性を獲得している。学習して、対策して、テストに挑む、子供の様にな。あれは存在の姿や形こそ違えど、人間と大して変わらないのかもしれない。だが、知る限りでは、いずれの約束の刻に含まれる存在も、星の神々の力と禁忌の力には対抗できていない。恐らく、神にとって脅威にならないように最後の安全装置としてその様に創造されているのだろう。」

「約束の刻は神が創造したものなのか?」

「王はそう言っていた。十一の約束の刻は星の神々が古の時代に世界に打ち込んだ物だと。」

「彼はそんな時代から生きているのか?」ガロリアは一度、王と対峙した事があったが顔は見ていない。だが、それでも彼がそんなに古くから生きてきた者だとは思えなかった。

「生きている、というよりも、生きてきたんだ。何度も世界を巡って、定められた結末を避けるため、その道中にあるあらゆる障害と向き合ってきた。約束の刻もその一つだ。そして、彼は多くの世界の真実を知っている。だから、彼の言葉は十分に信じられるものだ。」ハイリアスは確かな信頼を以ってそう断言した。

「確かにそれなら我々の力が有効だという理由としても納得はいく。権能を一度得た時から、我々の力の全ては星の神々と同様のものに格上げされる。ここにいる三人は既に多少なりとも権能の行使が可能な状態にある。つまり……」裁定者はシュレーとガロリアを見る。

「僕たちはあれを倒せる。」ガロリアは腕を組み頷いた。

「そうだ。だから君たちには赤子の刻の本体を倒してほしい。固有世界内の他の無垢やこちらへの侵攻はボクが全て止める。」ハイリアスは手元に杖を呼び出す。地面にそっと杖の先をついてその意思を表す。

「ハイリアスさんは、我々が赤子の刻の本体と戦っている間、本当に一人で他の無垢を抑え込むおつもりですか?」シュレーはその策のあまりの無謀さに彼が冷静さを失っているのか、或いは自惚れているのか、それを疑った。

「何度もやって来た事だ。問題はない。それに何かあればマリフスタが引き継いで対処してくれる。」

「彼女はここにいないようだが?」裁定者はわざとらしく周囲を見渡した。だが、彼女がここに姿を現す事はなかった。

「君と彼女の実力を疑う訳ではないが、君たちだけで本当に抑えられるのか?今までの話を聞く限りでは、かなり難しいと思うが。」ガロリアの言う通り、それは確かに簡単なことでは無かった。だが、ハイリアスはそれが出来ると信じていたし、やらねばいけないとわかっていた。だから彼は最初から、どんな代価を払ってでもそれを成し遂げるつもりでいた。

「あれらの出現には特異な力は使われていない。単にやつの固有世界とこちらとの境界の空間を移動しているだけだ。その点においてボクと彼女の二人に勝る者はいないはずだ。」

「私は異論ない。どのみち、ここにいる者でやつらの出現を直接的に止める事が出来るのはお前しかいない。結局、我々がやるべきことは、お前の限界が訪れるよりも先に、赤子の刻を倒す事だけだ。」裁定者はそう言ってハイリアスに全てを任せる事を受け入れると、彼を見て頷いた。

 二人は彼女の意思を聞いた後、少しの間黙り込んでいた。最初にそれに同意したのはガロリアだった。彼も同様にやるべき事を受け入れて、彼を信じる事にした。

「確かに彼女の言う通りだ。僕には戦う事しか出来ない。強大な力を以てしても、いつかの世界で敗北を味わう事になっているのなら―――僕は今それに抗おう。君と共に、敵を討つ為、肩を並べよう。」ガロリアは手を掲げ、宣言した。

「……。」だが、シュレーはそれでも決めかねていた。

「信じられないなら、それでもいいんじゃない?」四人の元に足音もなく彼女は現れた。

「マリフスタ、随分と遅い登場だな。」裁定者は彼女の接近に最初に気が付いていた。最初に彼女がマリフスタを挑発した時、遠くで何かに光が反射したのが見えていたが、この時までマリフスタが姿を現すとは思っていなかった。

「そこのお嬢さんを急かす訳ではないけど…あんたの悩みは理解できるからさ。気楽に考えなって言いに来たんだよ。」マリフスタはシュレーの前まで歩いてくると彼女のおでこに指をあてる。

「やめてください。」シュレーはそれを振り払い、マリフスタは揶揄う様に笑みを浮かべる。

「あんたが心配する気持ちはわかる。けど、やる事だけしっかりしてくれたらあたしはそれでいい。」背を向けて両手を腰に当てながら彼女は言った。

「……そこまでの自信を持てるのなら、わかりました。任せましょう。」シュレーは彼女の背中を見て、それが確かな自信と信頼による発言であると理解した。気持ちの整理がついたかと問われれば、今はまだ微妙なところだが、やらねばいけない事はわかっていて、その重要性はもっとわかっている。だから自分は全力で以て最善を尽くすと、心に決めた。

 裁定者がガロリアに目線を送る。彼もまた彼女の方を見る。

「…お嬢さんだってさ。」

「ああ、お嬢さんだってな。」

二人は小声でマリフスタがシュレーをお嬢さんと呼んだ事を笑った。

「どっちが若いと思う?」

「僕にそれを聞くのはやめてくれ。色々危ない。」

「お二人とも、聞こえていますよ。」いくら小声で話していても、さすがにほぼ隣にいるから当然聞こえるわけで、二人もそれをわかった上で話していたのだが、それがかえってシュレーを怒らせた。彼女は二人に笑みを向ける。怒りを込めたとても恐ろしい笑みだ。

「おっと。久しぶりにシュレーを怒らせたかな?」裁定者は彼女が手を出さないのを良い事に調子に乗っていた。

「まあ、そのくらいにして。」ハイリアスは三人の間に入って喧嘩が起きるのを止めた。

「それで、倒しに行くのはいつ頃だったか?」マリフスタはハイリアスに向けて聞く。

「日付変更直前、ここに無垢たちが現れる。その空間の歪みを利用して仕掛けに行く。」

「なら、まだ時間はあるな。」ガロリアはそう言ってどこかに向かって歩き出した。

「どこへ行く?」裁定者が彼を呼び止める。

「土産を何人かに届けてくる。日持ちしない物の多くは配達を頼んであるのだが、まだ全てを届けてはいないからな。安心しろ。時間までには戻って来る。」彼はそう言うと再び歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ