7.5間話 お互いの目指す結果
二人の男は誰にも悟られる事のない空間で向かい合って座っていた。もしここに気が付く者がいるとしたら、それはハイリアスくらいだろう。二人は真っ白い空間の中で常人には見えず、知覚すら不可能な黄金の椅子に腰かけている。
「君が求めるのは五つの火の内の一つ。そして俺が求めるのは五つの火、全て。」バゼアは目の前の男に向かって、この交渉が明らかに成立していない事を告げる。しかし男は薄ら笑いを浮かべ、口を開いた。
「だが僕は君たちの求める情報を与えられる。機関の目的はあの星空を、星の神々を焼き尽くす事、星界を悉く灰にする事なのだろう。しかしそれは上手くいかない。僕は君たちには計り知れないほどの可能性を見てきたが、その全てにおいてそれは正解には辿り着けない」
バゼアは男の言葉に妙な感覚を覚えた。
「“君は何度失敗した?”」男が言った。バゼアはその言葉に言い知れぬ恐怖を感じ、反射的に立ち上がる。何かがおかしい。頭の中に声が聞こえた。いや、心の中か。いずれにしても、目の前の男が明らかに人間でない様な気がしてならない。立ち上がった勢いで黄金の椅子が倒れた。男はそれをはっきりと知覚している様だ。
「…王と言ったか、君は何者だ。」バゼアは男に問う。
「僕は、ただの人間だった……そして、君たちが生み出し作り変えられた存在。」男は不敵な笑みを浮かべて皮肉交じりに言った。だけどその言葉に理解が追いつく前に男は立ち上がり背を向けた。
「まあいい。今回の交渉はいったん保留で構わない。いずれまた、互いの力が必要な時が訪れる。その時にまた会おう。その時にそこに世界があったなら、また会えるはずだ。」男が歩き出し、数メートル程度行った所で彼が手を叩くとその空間は閉じた。
気が付くとバゼアはその空間に入った場所、つまりは機関に設けられた自室にいた。あの男の会話は初めてではない。交渉を持ち掛けてきたのはいつだって向こうからで、ゼーテルの一件以降は今回が初めての交渉だったが、その開始時からいつもとは明確に違う感じがしていた。彼はこちらの計画に気が付いていた。そして、ゼーテルもその様な口ぶりをしていた。彼はエリムの時と同様に誰かに操られていたという報告があった。
バゼアは一つ一つの点が繋がっていくがそれはどこにも辿り着く事のない、答えのない謎として目の前に漠然と存在していた。王と呼ばれるあの人物の来歴について、誰も知らない。どの国の、どの時代の、誰にとっての王なのか。それが一切の謎であるにも関わらず、彼は王と呼ばれている。
機関が有しているのは五つの火の内の四つ。星火、命火、真火、龍火。そして残った最後の一つである剣火は未だ見つかっていない。もし仮に最後の一つが手に入らなくても……いや、そんな事を考えるのはやめよう。どうせ一つでもかけていたら全ては意味をなさなくなるのだから。
机の上のスマホに着信があるのに目がいく。そろそろジュウの反響による結果が出る頃だ、とメッセージがあった。重い腰を上げ、立ち上がる。その結果次第で、今後の対応を決めなくてはな。ポケットの上からもう一つの端末に手を当てる。
「これは、使わないのが一番なんだがな。」きっとそれは叶わぬ願いだろうと、諦めた様な表情をした後、すぐにいつもの真面目な顔を作り、部屋を出て行った。
玉座に座って、かつて歩んできた道を懐かしそうに虚ろな瞳が宙を見つめる。その先には朽ちた壁に施されていた神々を描いたステンドグラスの一部が残っている。王はただ息を吐いて己の犯してきた罪を飲み込んだ。
何度も手を伸ばしては、手放した。あの日、彼女の手を取れたなら世界を救えていたのだろうか。いいや、その可能性はもう通過している。結果は変わらず、終焉は訪れる。十一の約束の刻を超えた先に待っている絶望を知らず、人は明日に向かっている。
「……知らない方がまだ幸せに終われるのかもしれない。」また後悔と迷いが体の内側を満たしていく。それは冷えた炭酸水の様な涼しさを持っているが、どこか遠くに感じる、形容し難い儚く淡い感情を感じさせる。もう戻れない日々を懐かしく想う。遠くに消えた全ては記憶の中で今も自分の背中を押している。
「まだ、諦めないよ。」機関の計画はわかっている。何度もそれを見届け、何度もその後始末をしてきた。全ては失敗に終わる。星界は燃えず、神々は灰にはならない。そして後に訪れる世界の意思が人類を悉く灰にしてしまう。その光景を何度もフラッシュバックして吐き気を催した王はその場に吐しゃ物をぶちまける。真っ黒いそれは足元に広がって、その液体は自分を笑って消えていく。
「僕は…誰も失いたくないだけの愚か者。」そう呟き立ち上がる。次の目的地は決まっている。あの愚か者たちを少し止めなくてはいけないからな。
王が部屋を出て行こうとドアノブに手をかけた時、部屋の中に現れた気配に気が付き振り返る。そこにいたのはフルロフレトだった。彼は王をじっと見つめて立っている。
「どうしたんだ。」
「あなたこそ、どこへ向かうおつもりで。」その生き物の双眸は一切の揺らぎも許さず、こちらをただ点に線を繋げる様に見つめている。その不気味さに王は目の前の人物が人間ではない事を再認識する。
「お前たちの愚かな行為を止めに行くのさ。」
「愚か……、私は私の主と、私自身の行い。それらと同等の行為…つまりは、諦めきれない者の事を愚かであると定義しています。ですが、あなたはその許容量を遥かに上回っている愚者、本物の愚か者だと認識しています。そしてそれは、もはや賢者と言える域にあるとも認識しています。」
「…誰に向かってその口を利いているか、理解しているのか?」
「ええ、あなたは諦められない。世界の全てを救いたいのは、世界の全てが諦められないからではなく……」
瞬間、刹那、或いはそれよりも遥かに短い、もしくは小さい時間の中で王の振るった刃はフルロフレトの喉まで到達していた。その鋭い刃はフルロフレトの喉の皮膚を一枚、痛みもなく裂き、血を飛ばすことなく宙に振り抜かれていた。振るった勢いによって生まれた風圧で部屋中の小物や燭台が倒れ、その刃から放たれた斬撃によって壁に大きな亀裂が入る。
「それ以上は……聞きたくない。」そう言って王は下を向いたままフルロフレトに背を向ける。部屋を出ようと再び扉へ歩き出す。
「私たちの邪魔をしないでほしい。」フルロフレトは彼のその小さな背中に向けて言った。
「……すきにしろ。」彼は今にも破裂しそうな感情を押し込めて返答した。その感情は怒りではなく、後悔と悲しみと、虚しさと……あり得たかもしれない可能性への憧憬。
王の去った玉座の間でフルロフレトは小さく溜息をついて、それよりも小さな声で王に言おうとした言葉の先を呟いた。
「―――あの日、救えたはずの人を救えなかった自分を否定している。救えた先にある幸福な未来を知っているからこそ、あの日の絶望と自分への失望は尽きず、その完璧な未来の可能性を諦めきれないのでしょう。」彼が去っていた扉、閉じたその扉へ視線を送る。この扉はきっと今の彼の心と同じだろう。固く閉ざしてはいないが、何も語らない。
「ねぇ、王様。君はなんで。」数多の質問が湧き出るがそれは数秒でたった一つの単純で簡単な問いに収束する。
『―――君はなんで王様なんだっけ?』




