第1話 再会
「こんなものか。」
世界は自分を必要としない。
厳重に警備された部屋の中で座って静かに時を待っている。
今日、俺は世界から抹消される。
はずだった…。
第一区にある管理機関の特別保管庫。今日は上の命令でここに収容されている模造神器の一つを回収に来たのだがどうも様子がおかしい。一時間前に連絡をした時はちゃんと応答があったのにいざ着いて見れば応答どころか門も開いていない。
「おっかしいな。みんな寝ちゃったのか?」
やはり返事はない。アルヴはため息をつく。
「じゃあ、勝手に入るよ」
拳を握ると腕が黒い力で包まれる。アルヴはその拳で一殴りすると門は轟音を響かせアラートが鳴り響く。そして開いた穴から中へ侵入。
「ああ、なるほどな」アルヴは中に入ってその異常性に気が付いた。アルヴは笑うと地面を強く蹴り上げ物凄い勢いで正面に向かい飛び出した。正確には正面にいる敵に飛びかかった。
「お前が何かしたのか」アルヴは頭部と思われる部位を強く握り問う。
「マギアが侵入しているのに警備システムが作動していない。それどころか全員死んでいる。これはどういう事だ?」握り潰して頭部を外して投げ捨てる。
そのまま首元から胴体内部をえぐり確認する。
マギア特有の魔導核がない。でもコアに相当する部位はあるな。
「ああ、お前マギアじゃないのか」これはデウス。マギアに似た機械兵だ。
「仲間はあとどれくらいいる?」コアに手を伸ばす。
アルヴの手から黒い力が触手の様にうねりコアに触れる。最初その機械兵はもがくようにして動いていたが次第にその動きは弱々しくなり最終的には何も動かなくなった。
目を閉じ集中する。触れたコアの信号を読み取り周囲に意識を広げる。
周辺には同系統の信号はないか。
「じゃあ、お前もういいわ」目を開くとコアに触れていた黒い物は手の様な形になりそれを砕いた。
スマホを取り出す。2コールで繋がった。
「アルヴだけど、ここ壊滅してたわ。脅威は排除しとくから後の処理頼むわ」
そう言って早々に通話を終了した。電話を切った直後、辺りにある魔力に気が付いた。
周辺に魔物がいる。でもこれはデウスの仲間じゃない。あとから誰かが放ったな。
「めんどう増やしやがって」
姿を現す魔物たち。
「犬、巨人、剣士。色々揃ってるね~。数は4、1、2って感じか」
構えをとると、アルヴの両手が黒く染まる。
「来いよ」
その一言をきっかけに犬型二匹がアルヴにとびかかる。
アルヴは片方の噛みつきを避けるともう片方の首元を掴み頭部を地面に叩きつけた。
それに続いて剣士が二体アルヴに襲い掛かる。アルヴの両腕を覆う黒い力がブレード状になり二体の剣を受け止める。それを弾き、迫る三匹の犬型を順番に両断する。一匹目は正面から両断し、左右から来た内の片方の脚部を切断。脚を失い着地を失敗した一匹に絡まりもう一匹が姿勢を崩した所で首をはね落とす。残った一匹は逃げることもできず脚をばたつかせ噛みつこうとしたところを口から裂いた。
背後に迫る巨人。その一撃が振り下ろされる瞬間、アルヴは腕をブレードから巨大な拳闘に変えた。振り下ろされる腕を横に流し、跳ね上がり顔を殴りつける。一瞬怯んだところで剣士二人が巨人の背後から飛び出す。刃の間を縫うように抜け攻撃をかわし着地した片方を目掛けて飛び出す。とっさに反応し剣を振るがそれを避け剣を叩き割る。そのままの勢いで隣にいたもう片方を殴り飛ばす。剣を失った方をさらに殴り飛ばし追撃に向かう。地面に擦られるように止まったそれを上から叩き潰す。魔力が弾けて飛び散る。起き上がりアルヴに斬りかかる相方の刃を避け正面から殴りつける。今度は後ろに飛ばさず地面に向かって叩きつける様に殴った。剣を握る腕と胴の間が弾け魔力が飛ぶ。そのまま追撃に片腕に力を集めより大きくした拳闘で全身を潰した。巨人はその腕を振るいアルヴを飛ばそうとしたが当たる前に拳闘を解き、自身と巨人の腕の間に盾を作った。盾が衝撃を吸収しアルヴは少し離れた位置に着地。それを狙って巨人が飛びかかる。アルヴはにやりと笑うと盾を大剣に変え飛びかかる巨人を両断した。
「案外大したことなかったな」力を解く。
そのまま保管施設内部へ入る。
どうやらここには誰も入っていないようだ。ロックがしっかりとされていたし、何よりも清掃した後みたいにきれいなままだ。
「これなら生き残りくらいいるだろ」
施設内を進んで行き保管庫の前まで来たところでアルヴは肝心な事を思い出した。
「そういえば、ここに入るためのパスコード知らねえな」
施設の人間に開けてもらう予定だったし、俺には権限ないし。
「どうしたものか」
たぶん生き残りがいてもこの中なんだよな。保管庫内部に設けられたセーフゾーン。この施設の避難所であると同時に最後の砦。最も厳重に守られた場所の最も重要な場所。当然その造りも頑丈なわけで、その内を避難所にするのは合理的であり、そこを通過しなければ内部に保管されている物に触れられないという状態にする事で最終防衛線としての役割を持つ。どうせ避難するのはここの人間だけなので、保管されている物を守るという任務の為なら最後まで抵抗してくれるだろうという上の汚い考え丸出しのゴミ設計。アルヴはその重苦しい扉に手を当てる。
「ぶち破ってもいいが、さすがに待つか。中がこんなに無傷だと壊したら後でめんどうだし」
内部から外にいた奴らと同じものを感じないから、たぶん大丈夫だろ。
数分後、処理部隊と関係者数名が到着。無事保管庫を開き内部にいた施設の生き残りは救助され、アルヴも目標を回収、本部に戻り受け渡し終わり、任務を完了。
翌日。退屈な授業を聞き流しながら窓の外を眺め、物思いにふける。
今日の昼ごはんの事、クラスの人間の事、午後の授業の事。全部めんどうだ。
チャイムがなって休み時間がやってくる。クラスメイト数名が机に集まって来て、昨日のテレビや最近はやっているゲームの話を始める。
「アルヴも今日の放課後遊んでいくよな?」
一人がアルヴを誘うと周りの数名もこちらを見る。
「そうだな、今日も行くか」
「よっしゃ、今日は負けねえぞ!」意気込むやつ。
「ゲーセン行ったあとカラオケ行こうぜ」次の予定を考えるやつ。
「飯あそこ行こうよ、前行ったとき休みで入れなかったお店」晩飯の店を決めるやつ。
他数名もわちゃわちゃと楽しそうにしている。
「気がはえーよ。まだ昼だぞ」アルヴは笑った。
こんな毎日だ。ゲーセンに行って、カラオケに行って、みんなで飯食って。
「楽しいな」思わず口からこぼれた。
「だよなー」一人が共感した。
「じゃあ、俺ここら辺で」「おう、またな」一人が帰る。それからまた一人、一人と帰っていく。別にどこかに行くわけじゃないけど、適当に歩きながらそれぞれ帰っていく。いつしかこの道がいつもの帰り道になっていた。全員がいなくなってアルヴは夜の闇に溶ける様に消える。
路地裏、少し小綺麗な隠れ家的な店。24時間営業しているこの店は表向きはただのカフェだが、それは管理機関に繋がる場所でもある。アルヴは中に入り店員に顔を見せる。店員は奥の席へ案内する。店の奥は仕切られたテーブル席で、店員は席に着いたのを見るとメニューを取る様に何かを書き始め、書いたそれをテーブルに置いて去っていった。
俺はそれを手に取り、テーブルの上にある円形の黒いメニュー立てにスマホをかざした。
テーブル席が完全に仕切られる。テーブルは畳まれ床が開き、席が下に降りていく。席が床より下に降りると新しい席が現れテーブルと仕切りが元通りに開く。
アルヴは席に座ったまま下に降り続ける。ある程度行くと白い壁と照明の通路につく。席から立ち上がり道を進んで行くとそこには扉があり、その横の端末にスマホをかざすと扉が開く。その内側は駅のホームの様になっていた。ちょうど電車が到着した。それに乗り込むと先程渡されたメモの番号の座席に座り、備え付けられたゴミ箱にメモを捨てた。
「早速だが、今回の依頼だ」
対面にいた男がアルヴに新しい紙を渡す。
「はいはい」呆れたように受け取る。
電車が走り出す。パラパラと紙をめくり見て閉じる。
「今回はある危険人物の護送だ」
「もう読んだからいいよ」
「相変わらず速いな。それも力のおかげか」
「力のせい、な」すぐに訂正する。席にもたれ不機嫌そうな顔するアルヴ。
「君のその黒い力は未だ謎が多いな」
目をつむり聞く気を示さないアルヴを見て、それでも男は話しを続ける。
「変幻自在、形状も硬度も自由自在、出どころ不明、伸縮自在、超高温でも超低温でも変わらず動き、エネルギー不明、あらゆる物質に似ても似つかない。明確な特性がないのが特性とでも言おうか。魔力にも電力にも熱にも変換できる」
「何が言いたい」
「いや、単純な興味さ。こんなに面白い物質は管理機関が観測しているどの世界でも見た事がない」
電車が止まり目的の場所に到着する。
「さて、時間だ。来るぞ」男がそう言うと開いたドアから数名の機関員が乗り込んでくる。
その中心には人間が一人入れるほど大きな箱があり、それを取り囲むように警備が配置されている。
「俺はこのままいるだけでいいんだろ」
「そうだ。それだけで十分だ」
電車が再び動き出す。アルヴは座ったまま暇そうにスマホの画面を見始めた。
数名の警備が不安そうにアルヴを見ているのに対面に座っている男が気付いた。
「大丈夫、彼がいれば絶対安全だから」笑顔でそう言った男に警備の一人が尋ねる。
「し、しかし彼はただの子どもですよね?」
「大丈夫、彼が本気出したら街一つ消えちゃうくらいに強いから」
「は、はぁ」にわかには信じられない様な顔をする警備たち。
アルヴは顔色一つ変えずにスマホを見ている。何一つ気にしていない様子だったが突然口を開いた。
「本部に着いたら中身見ていいか?」
一同はその発言に驚いく。
「どうしたんだ?」
「危険、という割に何の力も感じない。別に力を隠している様子でもない。どんな人間か、どう危険か、単純に興味がわいた」
「なるほど…。後で上に聞いてみよう」
「いいんですか!?」男の発言に警備の一人が動揺し隊列を崩した。
「崩すな」瞬時に男は立ち上がり銃を取り出し隊列を崩した者の頭に突き付ける。
「申し訳ございません!」慌てて隊列を組みなおす。
「それでいい」男は銃を戻して席につく。
「彼ならこの問題に対処できるかもしれないからな。上に取り合う価値はあるんだよ」
男は警備たちに向かって笑顔でそう言った。
「君もそのつもりなんだろ」
「まあ、半分は」
まったく恐ろしい男だ。顔はいつも笑顔か無表情。こいつはこの手の任務では毎回会う。ちなみに名前は知らない。聞いても答えない。答えられないのだろう。彼の役目が俺への依頼以外に何があるのか俺は知らないが個人情報を一つも出せない程の事をしているのだろう。そしていつも銃を携帯しているが、俺の前では一回も撃った事がない。こうして警備に銃を向けても撃たない。敵がいても撃たない。彼にとっては威嚇や牽制の為の道具の一つに過ぎないのだろう。
電車が止まった。到着した場所は管理機関本部。特別管理区画。
「さて、行こうか」男が立ち上がると警備たちが箱を動かし電車から降りていく。
「で、どこまで行くの?」
「ここの通常管理室だ」
ここの通常管理室、という事はそれだけで厳重な警備が施された部屋であることを示す。普通の人間であればまず脱走はできない。まあ普通の人間が入れられる事はないのだが。
開いている管理室の中に箱が入れられる。警備の人間が全員部屋から出る。
「んで、中身確認していい?」
誰かと通話をしている男にアルヴは尋ねる。
「ああ、今許可が出たところだ」そう言って彼は通話を終えスマホをしまった。
「じゃあ、さっそく」
アルヴは部屋の中に入り箱に近づいていく。
「念のため施錠させてもらうよ」
部屋の扉を閉め、ロックがかかる。警備たちは部屋の外からアルヴの行動を注視している。
男は落ち着いた様子で部屋の中の状況を観察している。
アルヴは箱の前まで行くとゆっくりとその周りを一周した。そして正面で止まり、箱につけられた端末にスマホをかざしロックを解除する。箱の面と面の接続部が数センチ展開され離れる。上面と側面がゆっくりと畳まれ底面に折りたたまれていく。そしてその中から出てきたのは……。
「お前は…」アルヴは驚いた表情でその人物を見ていた。
そこにいたのはアルヴと同じ学校の制服を着た少女だった。
「確か、同じクラスの」アルヴは名前を思い出そうとするがなかなか出てこない。
「エリム・ヴァレイン、彼女の名だ」男が代わりに名前を告げる。
「そうだ、そうだ。全然話したことなかったけど、結構美人だって有名だよね」
アルヴは笑顔で彼女に話しかけるが、彼女は生気を失った様な瞳でただ地面を見つめている。手足と首には鎖が繋がれていて、それはどこかに縛られているわけでもなく宙で謎の空間に消えて行っている。だがそれにより手足の自由は奪われ動かすことはできず、首の鎖により姿勢も固定されている。アルヴはその鎖をじっと見つめる。
「これ、マジもんの神器じゃん」鎖を指さし男の方を見る。
「よく気付いたね。さすがだ。それは世界縛りの鎖と呼ばれる物だ」
「世界の力を以って世界のモノを縛る鎖か。神器に分類するには少し特殊な性質を持っている未分類神器の一つ。そんなものをただの人間に使うなんてどういう事だ?」
「その人物の持つ力は超破壊の力。その名からわかる通り、あらゆるものを破壊する力だ。管理機関上層部はその力を危険視し暫定的にクラス2危険指定、保護の名目で収容、管理しようとした。その過程で力が行使され被害を見て危険度を改め暫定的にクラス3に再指定。数々の模造神器を用いたがどれも効果無し。渋々上層部が使用許可を出した限られた神器の中で唯一効果のあったそれでなんとか保護できたって訳だ」
アルヴはそこで動かなくなっている少女の前に立つ。
「でもこいつはただの人間だ。力が確認されたからと言って危険だと判断しこんな風にするのは違うだろ」
抵抗もしない、敵意も悪意も感じない彼女を見てアルヴは何か思うところがあるのか。アルヴの声に珍しく怒りが籠っているのに気付いた男は一瞬だけ笑みを浮かべた。アルヴ自身もこの怒りの正体が何かわからなかった。ただなぜか悲しみを感じて、そんな表情ひとつ変えない彼女を見てどうしようもない、けど誰かに向いて牙を剥こうとするこの怒りを抑えきれなかった。
「じゃあ、どうする?」男は問う。その言葉にわずかな期待を込めて、アルヴの背中を見つめる。
「それはこいつが決める」そう言って少女の前にしゃがみ込む。
「お前はどうしたい?」その問いに反応はない。静かに、ただ動かず黙ったままだ。
しばらく少女を見つめていたが、痺れを切らしアルヴは少女に迫る。
「答えろ、お前はどうしたい」
同じく黙ったままの少女。アルヴはしばらく待ってから少女の顎を突然掴み目を合わせる。
「対象から離れろ!」警備の一人がそう言うと全員が銃を構えアルヴの頭に照準を合わせる。
「まあ、待て。まだ撃つな」男が警備を止める。
「しかし…」「俺はまだ発砲許可を出していない。そのまま待てと言っている」
男は電車の時以上の圧を感じさせる声色でそう言って警備を黙らせる。
部屋の中でアルヴはもう一度問う。今度は目を見つめて、顔を逸らせないようにして。
「お前はどうしたい。このまま最悪抹消されるか、また今日みたいに普通の生活をするか」
少女は静かに震えた。そしてゆっくりと口を開き声を絞り出した。
「…っこのまま、このまま私が消えて」
声は震え、目には涙が溢れる。ほんの僅かな雑音にもかき消されてしまいそうな声で。
「このまま私が消えて……誰も傷つかないで済むならそれでいい」
頬を伝った涙がアルヴの手に触れる。
「誰かを傷つける力なんてっ」かすれて、擦り切れそうな声で必死に語る。
「…ぃらない」大粒の涙が零れる。そして一気にだらだらと溢れ出す。
「……そうか」アルヴは残念そうに顎を掴んでいた手を放す。
そして彼女の涙を自分の服の袖で拭った。
「ぅ…」彼女は声を漏らし、涙を止められずにいた。
男はそれを黙って見ていたが、警備たちは動揺し数名が照準を外してしまう。
「でも」少女は再び口を開く。
「でも、もしも許されるなら。いつも通り普通に…、みんなと同じ様に生きていたぃ」
消えそうな声は、押し殺した希望を吐き出した。
それを聞いてアルヴは再び少女の目を見つめる。そして静かに頷いた。
「それが、聞きたかったんだ」
アルヴは落ち着いた目で少女の潤んだ瞳を見つめ、言葉を紡ぐ。
「辛くて。苦しくて。それでも君の本心を教えてくれて、こんなに涙を流してまで伝えようとしてくれて、ありがとう」
そう言い立ち上がる。
「あっ…、待って。行かないで」少女は思わず言葉を漏らした。今度は諦めではなくただ傍にいてほしいという願いを秘めて。
アルヴは鎖に手を伸ばす。照準はまだアルヴの頭を狙っている。下手な真似をすれば撃たれてしまうだろう。だがそんな事は関係ない。アルヴはその手に力を纏わせ鎖に触れる。
パリィンッ!
その音とともに鎖が全て弾ける。
「発砲許可を!」警備が男に発砲許可を迫る。
男は黙ってまだ部屋の中の光景を眺めている。
弾けた破片が宙を舞い、床に落ちる。
「このままじゃ、間に合わなくなる!」
声を荒げ引き金に置いた指に力が入る。
破片が床にあたる音が部屋に響く。
「もう勝手に撃ちますよ!」
別の者が男にそう言ったが男は全く動かない。
「全員構え!」警備たちは再度アルヴの頭に照準を合わせる。
その瞬間、男はスーツの内側に手を入れた。一瞬警備全員の動きが止まる。
男はそこから銃を取り出しアルヴに向ける。警備たちはそれを見て互いに合図を送り、引き金の指に力を込め、しっかりと狙いを定める。
「大丈夫」怯える少女へ、アルヴは優しく言った。
「撃て」男の合図と同時に全員が一斉に発砲を始める。
少女は目をつむりアルヴから顔を逸らす。
多数の銃声が響く。それは数十秒間続いた後、一斉に止んだ。薬莢が床に落ち、転がる。
首元から背中と頭部を守るように黒い腕が四本生えた少年が平然とそこに立っていて、少女は強く目をつむり顔を逸らしたまま震えている。
「嘘だろ…」「あれだけの数撃ったんだぞ」警備たちは動揺し銃を下ろす。
黒い腕が握っていた手を開くと、撃ち込まれたはずの弾丸がバラバラと足元に散らばる。
「期待以上だよ……全員銃を降ろせ」男は笑みを浮かべ銃をしまう。そして彼の言葉に従い全員が銃を降ろす。不服そうな表情を浮かべる者も多くいたが彼らに対して男が首を横に振ると渋々とそれを受け入れた。それを確認したアルヴはそれ以上の力を行使する必要がないと判断した。アルヴが力を解くと黒い腕が消える。
「もう大丈夫、目を開けて」
その言葉を聞き恐る恐る目を開きゆっくりとアルヴの方を見る。
「これで君は自由だ」笑顔で少女に手を差し伸べる。
少女は差し伸べられた手にそっと手を伸ばす。何かに導かれる様にその手を掴んだ。
ああ、そうか。私はずっと―――。心の中にあった思いが溶けていくのを感じた。
この一件の後、アルヴの意見によりエリムの収容、管理は中止された。
これで一件落着。いつも通り普通の日常って訳だ。事情なんて知らない。理由なんて単純だ。誰かに頼まれた訳じゃない。でもあの日、エリムを見て思い出してしまった。自分もあんな風に抹消を待っていた事を。そこに正当な理由なんて必要なく、ただ機関が危険だと判断しただけで俺たちは有無を言わさず抹消される。異常な事だがあそこにいる誰もが受け入れていた。俺はそれを、受け入れられなかった。それだけなんだ。
「暇だな」窓の外を眺めそう呟いた。
朝の教室は賑やかで、誰かにその呟きが聞こえる訳でもないのだが。
ドアが開き、エリムが入ってくる。昨日までと同様に静かに自分の席に行き、荷物を置き席に着く。それを見て安心した。
いつも通りって感じだな。
「たまには話しかけるか」
アルヴは立ち上がりエリムの席へ向かう。
「あれから大丈夫か」
突然話しかけてきたアルヴに一瞬驚いたようにこちらを見てから少し俯く。
「あ、あのね」
「?」
何かを伝えたそうにしているがなかなか言い出せない様子。
無理に話させる必要もないか。
「もし、また何か困った事があったらいつでも頼ってくれ」
そう言ってアルヴはエリムの席から離れていった。
「あ…」言えなかった。あの日のお礼……。助けてくれたこと、ありがとうって。
本当はあの鎖も警備も、施設ごと全部―――。エリムは自分の手を見つめる。
だめ、そうじゃない。この力は誰かを傷つけてしまうから。
「…どうしてあの人は私を助けてくれたんだろう」
エリムはアルヴの方を見る。友人たちと笑顔で会話をしている。
楽しそう…。友たちといる時はあんな風に笑うんだ。私の時は―――。
あの日、笑顔で手を差し伸べていた彼の姿を思い出す。
「……優しかったな」
昼休み。教室を出て、賑わいが過ぎた昼休みの廊下で窓の外を見ているとエリムの方から声をかけてきた。
「どうして、あの鎖を壊したんですか?」
アルヴはその声がエリムだとすぐに気が付いた。そして彼女の方を見る。
「あなたは機関の人間なのに…どうして」
不思議そうに尋ねるエリム。アルヴは再び窓の外を見て一息ついて話し始める。
「君も本当はあれを壊せたんだろう?でもそれをしていなかった」彼は見透かしたようにそう言うと空に向かってわずかに笑みを浮かべた。
「どうしてそれを…」
「なんとなく。あの鎖の本来の役割は人やモノを縛るためのものじゃない。あるべきものをあるべき場所に固定するための鎖だ。だから力を封じるなんてことはそもそもできない。なのに君は黙ってそれに縛られていた」
「……。」
「君の意思がどうあるのか、その答えによっては壊さないつもりだった」
だってそれはエリムの選択だから、と彼は心の中で言い聞かせていた。だが心のどこかから声が返ってくる。答えがどうであっても俺はそれを壊しただろう、と。
エリムは黙って俯いていた。しばらく沈黙が続いた後、エリムは口を開いた。
「あなたの言った通り、確かに鎖は壊せました。でも…」
言葉に詰まる。胸の内のこの感情を打ち明ける事が怖かった。今まで誰一人も理解者がいなかったから。でもこの人は違う。なぜかそう思えた。心のどこかにそう思える何かがあった。
「私、小さい時からこの力のせいで多くの人を傷つけてしまって、それで…。誰も傷つけないために力を抑えていたのに―――。あの日、彼らが、機関の人たちがやってきて私を抹消すると言って」
「それで思わず力を使ってしまった、と」
アルヴの言葉に頷くエリム。
「ずっと抑えて、やっと今の普通の生活を手に入れたのに。普通の人みたいに学校に通って、友達を作って、一緒に遊んだり……そういう生活があの瞬間にすべて終わってしまうのかなって思ったら怖くて。でも、もういいかなとも思ってしまったんです」
「どうして?」
「私自身、この力をいつまで抑えられるかわからないんです。この力は今も確かに存在していて私の中でその力を増していく。私が生きている限りこの力は存在し続け、より強く、大きなものになっていく。いくら抑えてもどれだけうまく隠しても私の力は誰かを傷つけてしまう危険なものに変わりない。そんな力、無い方がいいに決まっています」
「だから自分で抹消されることを受け入れたと?」
彼女は静かに頷く。
「……でも、あなたがやってきた。私なんてただのクラスメイトの一人でしかなくて、機関の人からすればただの管理対象でしかないのに、そんな私に優しく手を差し伸べてくれて、私の意思を尊重してくれた。だから―――。でも私はまだ怖いんです。せっかく手を差し伸べてくれたのに、いつかこの力がまた誰かを傷つけてしまうんじゃないかって」
声が震える。怯えた様な目をして肩をすくめている。そんな彼女に対してアルヴは落ち着いた声で話し始める。
「でも今の君は誰も傷つけていない。ならこれから先もきっと大丈夫。それにたとえ誰かを傷つけてしまう力であっても誰かを守ったり助けたりする事に使うことだってできるはずだ。だろ?」アルヴはエリムにあの時と同じ、優しい笑顔でそう言った。
なんだか、彼がそうやって笑うとわかっていた気がする。やっぱり、この人に言ってよかった。これは自己満足に過ぎないけど、それでも心がスッと軽くなった。
「そう、ですね」エリムも笑顔で答える。
「それに、もし力が抑えられなくなっても君が生きたいと望む限り何度だって俺が止めるから」
笑ってそう宣言する彼を見てエリムは幼少期の記憶を思い出していた。幼い頃、彼の様に笑ってそう言ってくれた少年がいたことを。アルヴにそれを重ねてハッとする。
そうか、この人もこうやって私に優しくするんだ。
そして彼女は最高の笑顔で言った。
「――――ありがとう」