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第4話 落ち着かない鼓動

「リア?」


 ほっとして、思わず頬が緩みかける。

 まだ出会ってからほとんど経っていないというのに、私はアルの姿を見てこれ以上ないくらいの安心感を覚えていた。


 只事ではない私の様子をアルも察したのだろう。幼い子供を連れている私の姿を驚いたように見つめながら、大股でこちらに歩み寄ってくる。


『お久しぶりです』


 そう書いて見せれば、アルは久しぶり、と呟いた。だがその表情は明らかにこわばっていて、何か失礼をしてしまったかと心配になる。

 いつものように腰掛けることもなく、上から私を見下ろした彼は、ぶっきらぼうに口を開いた。


「その子は誰」


 苛立ったような様子の彼が気掛かりだったけれど、まずはこの子の事情が先決だろう。

 慌てて板に文字を綴る。


『話すと長くなるのですが……』


 そうして始まった話を、アルは黙って聞いていた。傷の話をした瞬間に、彼の表情が変わる。怒っているような機嫌の悪い顔から、真剣な顔へ。


『これは私の憶測ですが』


 この子は、虐待を受けているかもしれません。

 そう書いた瞬間に、彼が短く声を発した。うまく私には聞き取れなかったけれど、すぐに彼の元に人が来たから、きっとこの人を呼んだのだろう。

 アルの小声での話を真剣な表情で聞いている彼は、きっちりとした服を纏っていて、かなり高貴な人であることが窺える。その人に指示を出しているアルは、やはり本当に身分の高い人なのだろう。ここには、お忍びで来ていると言ったところか。

 そしてしばらく、2人は真剣な顔で言葉を交わしていた。アルの、普段は見ることのない表情が新鮮で、つい横目でちらちらと見てしまう。その度にスカートを引っ張られて、撫でることを要求されるけれど。


「では、そのように」


 話を切り上げたアルが、こちらを振り返った。


「その子のことは、こちらで必ず何とかする。信じて、俺たちに預けてもらえるかな?」


 不安気に揺れるアルの瞳。けれど、私は迷わなかった。

 こくり、と頷く。面食らったようなアルの表情が、おかしかった。


「俺が言うことじゃないけど、リア、人を信頼しすぎじゃない? もう少し人を疑った方がいいと思うけど」

『誰でもではありません。貴方だから』


 そう、アルだから。

 昔の私が聞いたら鼻で笑うだろうが、私はもうアルなら信じられるという気持ちになっていた。

 正直に言えば、直感だ。数度しか会っていない男性を信頼するなど、きっと馬鹿げた行為なのだろうけど。


「……」


 不自然な間に、私は頭を撫でる手を止めて、アルの方を見上げる。

 なぜか妙に慌てた様子の彼は、両手で顔を覆っていた。指の隙間から見える顔の色が少し赤いように見えて、私は目を凝らす。

 けれど、すぐにスカートが引っ張られて、私は視線を不満げな顔をする女の子に戻した。要求に応えて、再び手を動かす。


「あのさあリア……」


 ため息をつくように言われるけれど、彼の言おうとしていることがよく分からず、私は首を傾げて見せる。私の様子を見て小さく笑った彼の様子は、もういつも通りだった。


「ごめん、なんでもない。じゃあ、その子はこちらで預かってもいいかな」

『お願いします。ただ、この子は文字が読めないようなので、アルの方から伝えてもらえませんか?』

「分かった」


 そう言った彼は、そっとしゃがみこんで彼女と視線を合わせた。虐待ということには触れずにうまく彼女を連れて行く話を進めていく彼。幼い子供と話すことに慣れている様子だった。

 彼には、子供がいたりするのだろうか。子供がいなくても、婚約者くらいはいるのだろう。きっと彼は、素敵な家庭を作るに違いない。子供が、この子のような、私のような思いをしなくて済むような家庭を。

 それはきっとすごく喜ばしいことのはずなのに、確かに私の心は喜んでいるはずなのに、少しだけ重いものがあるような気がして、私はそっと胸を押さえる。

 不思議な気持ちだった。


「おねえちゃん」


 不意に声をかけられたと同時に、どんと衝撃があった。勢いよく私の足に抱きついたその子は、ふるふると首を振る。


「やだ。わたし、おねえちゃんといっしょがいい」


 途方に暮れて、彼の方を見ると、彼もまた、困ったような顔をしていた。


「こちらに来ることにはどうにか納得してもらったんだけど、リアが一緒じゃないと嫌だと聞かなくて……とはいえ来てもらうわけにもいかないし、どうしよう」

「あの」


 アルのそばで控えていた男性が、そっとアルに耳打ちする。何事かを聞いたアルが、ぱっと笑顔になった。どうやら、良い方法を思いついたようだ。


「リア、その子を膝に乗せてくれる?」

『経験がありません。上手くできるか……』

「大丈夫。ねえライアちゃん。このおねえちゃんのお膝に乗れる?」


 この子の名前はライアというらしい。いつのまにか聞き出していた名前に気を取られているうちに、ライアちゃんはいそいそと私の膝に登ってきていた。慌てて手を貸すと、あっさりと私の膝に乗ったライアちゃんの顔がふっと緩む。

 そのままくいと手を引っ張られた。どうやら撫でてほしいようだ。

 可愛いおねだりに微笑みながら頭を撫で続ければ、少しずつライアちゃんの力が抜けていく。程なくして、すっかりライアちゃんは眠ってしまった。


「リアは、優しいんだね」


 ぽつり、とアルが呟いた。


「こういう、少し事情がありそうな子に関わるのって、結構勇気がいることだと思うけど」

『そうでしょうか』


 正直に言ってしまえば、ライアちゃんに関わると決めた段階では彼女の事情など何も察してはいなかったのだ。優しい、と言う形容詞は、少し大袈裟な気がした。


「そうだよ」

『なんだか、放っておけなくて。……私に似ているから、でしょうか』

「リアに?」

 

 そうアルが言った瞬間に、ぐらりと手の中のライアちゃんの身体が傾いて、私は慌ててくったりと力の抜けた身体を支えた。

 想像通り、と呟いたアルは小さく笑うと、声を落として囁く。


「リアはそのままでいいから。この人がリアの膝から起こさないように受け取ってくれるよ。こんな顔してるけど、3人の娘の父だから」


 その名に恥じず、全く起こすことなくライアちゃんを抱き上げたその人は、得意気に笑う。

 確かに承りました、と囁いて、にやりと笑って、一言。


「そうされていると、主とリア様、夫婦みたいですね」


 な、と呟いたきり固まってしまったアル。

 頼みの綱の男性はあっさりと立ち去ってしまって。私は、恐る恐る言葉を綴った。


『すみません。私と夫婦なんて』

「嫌じゃない」

『え』

「別に、嫌じゃないけれど」


 そう言った彼の真意が分からず、けれどこの雰囲気を何とかしたくて、私は無理やり話題を変える。


『そういえば。私、何かアルの気に障ることをしてしまいましたか?』

「なんで?」


 眉間に皺を寄せた彼の、心底心当たりがないという表情。


『最初に、少し怒っているように見えたので』

「……ああ、あれか」


 言い淀むアル。中々見ない様子に、もしかして聞いてはいけないことだったかと心配になる。


『話しにくいことでしたら、すみません』

「いや」


 そう言ったきり黙ってしまったアルの顔をじっと見つめる。しばらく逡巡した後、アルはゆっくりと口を開いた。


「あれはただ、ライアちゃんがリアの娘なのかと勘違いして」


 一瞬意味がわからず戸惑ったが、すぐに悟る。

 私の年齢でライアちゃんくらいの歳の子供がいたら、それは貴族の結婚適齢期に比べて早すぎる。不貞や、婚前交渉を疑われかねない歳だ。彼が嫌な思いをするのも当然だろう。


『すみません。ですが私は、未婚です』

「そう。婚約者は?」

『いません』


 私に婚約者ができることはないだろう。あの家にいる限り、決して。


「そっか。……よかった」

『あの、アルは』

「俺? 俺も一緒。未婚だし、婚約者もいないよ」


 そう言って微笑んだ彼は、妙に満足そうで。ゆったりと甘い光を瞳に湛える彼に、つい見惚れてしまう。

 きっと彼のことを好いている女性は多いのだろう。


 そう思った瞬間になんだか落ち着かなくなって、私はそっと胸に手を当てた。

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