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幕間4 淑女の中の淑女と、不穏なお茶会

「お久しぶりです、アイル様。早く着きすぎてしまって、大変失礼をいたしました」

「いや、君は待っていようとしていただろう? うちの者が勝手に連絡しただけのことだから、気にしないで」


 ふっと微笑みかければ、目の前の彼女の頬がぱっと染まった。

 その様はまるで蕾の先だけ赤く染まった白い薔薇のようで美しい、のだろう。


 イザベル・バーンズ。


 淑女の中の淑女と謳われる彼女が俺に想いを寄せているらしいことは、社交界では有名な話だ。彼女もそれを隠そうとはしていない。

 本来なら婚約者のいる男性への想いを露わにするなど非常識な話だが、俺とリアの関係はまだ婚約者候補で止まっている。そして認めたくはないが、リアはまだ社交界できちんとした地位を築けていない。むしろ、リアの方が略奪者のような扱いを受けていることは知っていた。


「お会いできて嬉しいですわ」


 そう言って微笑む彼女の物腰は、貴族令嬢として申し分のないものだろう。悔しいが、長年磨かれた所作の美しさではリアは敵わない。けれど、それが俺の心に響くかといえばそれはまた別の話で。

 ぴくりとも動かない心を隠し、甘く微笑んで見せれば、彼女は満足げな顔をした。

 

 リアの方がずっと美しくて可愛いのに。世間の男は見る目がない。けれどそれでいい。リアの良さは、俺だけが知っていれば良い。

 そう思うけれど、やはり世間の中でリアを認めさせる必要があるから、そうはいかないのが悔しいところだ。そして、今リアの評判を貶める中心人物が、彼女だった。


 青い顔をしていたリアの、不安げな表情を思い出す。

 たとえリアを追い込んでいる元凶が俺にあるとしても、少しでも彼女の憂いを取り除く努力はしたかった。

 だから俺は、心底興味がないのを押し隠して、彼女に微笑みかける。


 彼女が初めて私的に話しかけてきたのは、ちょうど俺とリアとのことが噂になり始めていた頃の、とある夜会だった。

 その潤んだ目元や、さりげなく身体を寄せてくる仕草に、面倒なのに絡まれたな、と内心思っていたのだが。立場上邪険に扱うこともできず、今に至っている。

 けれど今は、あの時の俺に感謝したい気分だ。リアのためにも、彼女の機嫌は取っていたほうが良い。


「今日こうしてお訪ねしましたのは、一つお話ししたいことがあったからなのです」

「話したいこと?」

「はい。……レイリア様の、社交界での評判について、です」

「ごめんね。リアの批判は、受け付けてないんだ」


 引き攣りかけた表情を無理矢理笑顔に戻して、一言で切り捨てる。機嫌を取るとはいっても、俺の心がリアの元にしかないことは示しておく必要はある。

 

「ち、違います! すみません、誤解を招くような言い方をしてしまいました。そうではなく、私は、レイリア様を心配しているのです」

「君が、リアを?」

「はい! レイリア様が今、お辛い立場におられるのは、私のせいだと思っているので……」


 答えに迷った。

 入手した情報によると、彼女は同情を誘う様子で俺に惚れていると茶会の最中に訴えたのだという。それがきっかけになって、彼女のファンの令嬢や、家柄に媚びる令嬢たちにリアが敵視されていると聞いていた。そしてそういった令嬢が主流になり、多くの令嬢が迎合しているという。

 

「他人が大切にしているものを、自分も、と欲しがるような方なのです」


 ミア嬢が語る彼女という人間に、俺も納得していたところがあった。だから、彼女が俺を欲しがるのはリアへの対抗心や嫉妬心からだと思っていた。本気で俺に惚れているというよりは、俺に対して所有欲を掻き立てられているのだと。


「私が、アイル様へのお気持ちを抑えきれず、あんなことを言ってしまったから……お友達の皆さんにも、やめるように何度も伝えてはいるのですが、皆さんは本当に私を大切にしてくださっていて、なかなか止まっていただけなくて。本当に嬉しいことではあるのですが、困っているのです。レイリア様が傷つけられることで、アイル様が苦しまれているのが、私も辛いのです。……ご存知の通り、お慕いして、おりますから」

「……それを俺に話して、どうしたいの?」


 抑えきれない苛立ちを感じながら、話を遮る。有名な話とはいえ、このように想いを伝えてくるのは常識的に考えておかしいと理解できないのだろうか。

 このままだと、思ってもいないリアへの謝罪を始めそうだと思った。


 語気が荒くなった俺に、彼女がびくりと身体を震わせる。

 

 彼女の態度は、流石にわざとらしさを感じるほどのものではないが、あまりにも健気すぎる。

 

 恋というのは、そう生やさしいものではないと、俺はもう知っている。あれだけ真っ直ぐなリアでさえ、俺に迷惑をかけるのを承知で俺といたいと願った。相手の幸せだけを願えるほど、俺たちは綺麗ではない。

 

 彼女の健気さには、腑に落ちないものがあった。今まで周りから聞いた彼女という人間像や、俺自身がもつ彼女への印象を考えても、納得がいかない。

 俺を落とそう、という作為を感じるのだ。それは、恋情と呼ぶには些か狡猾だった。


「そこで、私は、これから社交界で、レイリア様の味方をしたいと思っております。けれど、やはり、アイル様のことを思うと、難しくて……」


 唇を噛み締めるような様子を見せる彼女を適当に見ながら、先を促す。


「だから、その、私の気持ちを、少しだけ、少しだけで良いので受け入れてくださいませんか? もちろんお心のほとんどはレイリア様にあって構いません。ですが、少しだけ、私の方も」

「つまり君が言いたいのは、取引しようってことかな?」

「取引なんて、そんな」

「君にその意図があってもなくても、そういうことでしょ」


 苛立ちのまま言葉をぶつけている自覚はあった。

 

「俺がリアと別れて君を愛するなら、社交界でリアの立場を作ってあげる。そう言いたいんでしょ?」

「別れるなんて、違い」

「本音で話さないと意味がない。腹の探り合いをしてたら、いつまで経っても話が進まないよ」

「……そうですわ」


 顔を上げた彼女が、挑戦的な表情を浮かべた。隠さずその目に現れた欲望に、ようやく本性が見えたと苦笑する。


「レイリア様と別れて、私と婚約してください。そうすれば、私は全面的にレイリア様の味方をいたします。今のように、苦しめられることもなくなりますわ。アイル様としては、好きな方の幸せを手に入れられるのですから、悪い話ではないのではなくて?」

「そんな提案をするのは、君が俺を愛しているから?」

「はい」


 臆面もなく言い切った彼女の瞳に映る熱は、果たして所有欲か恋情か。そんなことは俺には判断できないけれど、判断する必要性も感じなかった。


「君はね、俺という人間を美化しすぎだよ」

「……え?」

「君には、俺が好きな人の幸せのために自分を犠牲にするような人間に見えてたんだね。残念だけど、全然見当違い」


 そんな真っ直ぐな心を持っているのは、リアだけだ。

 もしかしたら、俺ではなくリアに取引を持ちかけたら、リアは俺の幸せのために飲んだかもしれない。当然、逃がしはしないけれど。

 

「俺にとっての一番は、リアが俺のものであること。リアの幸せはぎりぎりその次。……ほんと、最低だよね。失望した?」


 自嘲するように笑いかけても、彼女は呆然とした表情のまま答えない。どうやら、相当に予想外だったようだ。


「まあそれは置いといて、もし俺がリアのために自分を殺すような人間でも、君の取引は前提から間違ってる。別にリアはね、社交界にも身分にも財産にも、全然関心はないんだよ。彼女が社交界にいるのは、俺がいるから。俺のため。ね、可愛いでしょ?」

「……」

「だから、俺が君と婚約した瞬間、リアは社交界からいなくなる。平民として生きるか、俺が援助してどこか地方でささやかな生活をすると思う。……正直、そっちの方がリアには合ってると思うしね。だから、君が提示する対価にはなんの価値もない」

「……」

「だから、俺は君の取引を受けない。受ける理由がない。分かった?」

「……わかり、ました」


 自分の負けを悟り、みっともなく足掻かず身を引くところはさすがと言ったところか。

 これで彼女が諦めるとは思えない。そして明らかな敵対関係となってしまったから、もう少し警戒する必要がある。

 

 帰宅の意を告げ、立ち上がって礼をする彼女の手元から、一枚の布が落ちた。そのまま気づかず立ち去ろうとする彼女に、仕方なくそれを拾い上げる。

 ハンカチのようだった。繊細なレースが施されていて、赤い小さな薔薇が刺繍されている。彼女がそのような失敗をするとは考えられないから、大方わざとなのだろう。

 

 彼女を呼び止めて差し出せば、ふわりと美しいらしい笑みを向けられた。その後の彼女の対応に、今までの狡猾な様子はない。

 これからも本性を隠すという意思表示だろうか。それならそれで、構わないのだが。


 リア。


 出発する彼女を適当に見送りながら、俺の頭の中は大切な恋人のことでいっぱいで。

 馬車が動き出す直前、彼女が向けた明らかな執着の眼差しの意味を、深く考える余裕はなかった。

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