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第37話 壊れて

 そっと、重なっていた唇が離れた。


 呆然とする彼の頬に、片手で包み込むようにして触れる。伸ばした指先で、そっとその滑らかな表面をなぞった。

 混乱に揺れる彼の青い瞳を覗き込んで、そっと微笑みかける。


 言葉が使えないなら。表情で、行動で、溢れんばかりの愛を。


 すり、と頬を寄せた。そのまま、もう一度口付けようと、顔を傾けてゆっくりと彼に近づく。けれどその唇は、あっさりと、アルの手に阻まれた。


「……どうして、今更そういうことするの?」


 愛しているから。

 答えられない私は、行動で示すしかない。しかし、もう一度伸ばした手は、すぐにアルの手に捕らえられる。ぴくりとも動かせなくなってしまった手を見下ろすと、すぐに肩の上に重さがかかった。

 アルが、私の肩に頭を乗せているのだ。恥ずかしいと言ってもやめてくれなかったアルのせいで慣れてしまったその重みが、信じられないほどに懐かしかった。


「そんなに、ここが嫌?」


 すぐに、首を振る。

 嫌かと聞かれれば、好きではない。けれど、こうすることでアルが安心できるのなら、少しでもアルの気持ちが楽になるのだったら、数日くらいは苦でもない。

 そういう意図を込めての否定だったのだけれど、アルにはそこまで伝わっていないだろう。予想に違わず、アルは見慣れてきてしまった自嘲的な笑みを浮かべた。


「分かってるから、俺の機嫌を取ろうとしなくてもいいよ。頑張ってるところごめんね、いくら君が俺に優しくしたって、俺はここから君を出せない」


 機嫌を取ろうとしている。

 私の行動を、アルはそう受け取ったのだ。

 私が、ここから出たいと望んでいると。そしてそのために、アルを愛しているような演技をしていると。

 違う、と首を振った。けれどアルは、微笑むばかり。


「否定しなくても、それでリアを責めたりしないから。大丈夫。俺が君の立場だったとしたら、俺だってそうする」


 何を言っても、どれだけ否定しても、きっと今のアルには届かない。

 どうにかして、私が本気だと伝えたい。唇を噛み締めた。どうすればいい。どうすれば――。 


「ねえ、リア。このまま君を抱けば、君は俺のものになる?」


 思い出したのは、そんな言葉だった。

 私を抱くことで、アルが私を彼のものだと感じてくれるのなら。私が伝えたいのもそういうことだ。私の心は、いつだって変わらず彼の元にあると。彼のものなのだと。完全に間違えてしまったのは私だけれど、その気持ちだけは変わっていないと。

 そう思えば、迷わなかった。不思議と、恐怖はなかった。


 勢いよく、起こしていた上半身を倒した。

 その勢いで、私と繋がっていた両手が引っ張られるような形になったアルは、ぐらりと、バランスを崩した。油断していたのも、きっとあるだろう。

 倒れた身体が、自然と私に覆い被さるような形になった。


 息が混ざり合うほどの至近距離にアルの顔があって、私は迷わず唇を重ねた。びくりと、身を引いたアルが、私を見下ろす。

 奇しくも、あの時にそっくりの状況だった。あの時は古びた宿屋で、今は美しい部屋だけれど。そしてあの時に私を組み敷いていたのはアルだけれど、今は、私の意思でそうしている。


 薄暗い室内で、痛いほどに鼓動が鳴っていた。お互いの少し乱れた息の音だけが響く部屋の中で、私はゆっくりと、私の横でベッドを押さえつけている彼の腕を引いた。

 アルにも、抵抗する様子はなかった。ふっと、彼の腕の力が抜けた。


 そっと、私の胸の上にその手を乗せた。

 その瞬間、大きく彼の目が見開かれる。その頬に、確かな赤みが宿るのを見た。

 目を細めて、微笑んだ。好きにして、という意味を込めて。


 一瞬にして、身体にかかっていた重みが消えた。

 弾かれたように私から身体を離したアルが、ゆっくりと後ずさる。それは、紛れもなく、拒否だった。


「……リア。俺は、こういうのを望んでたわけじゃない」


 無理矢理襲いかけた俺が言うことじゃないけど、と呟く。


「何度も言うけど、何をしたってここからは出せない。たとえ、君を差し出されたって。お願い、分かって。理解しなくても、認めなくても、許さなくてもいいから。その事実だけは、分かってほしい」


 それは紛れもなく、懇願だった。

 大きく頷いたけれど、気がつけばアルは私に背を向けていた。私の声は、届かない。


「でも、笑っちゃうよね。こんな時でも、こんな状況でも、俺は嬉しいんだよ」


 はは、と乾いた笑い声を立てる彼を、呆然と見つめていた。


「リアからキスされた時、幸せで時が止まったかと思った。リアから俺に触れてくれることなんて滅多にないから。嬉しくて、溶けそうだったよ」


 ゆっくりと、彼が扉に向かって歩き始めた。止めようと思っても、身体は動かない。

 そう、私は傷ついているのだろう。私の言葉は、届かない。受け取ろうとしてくれない。


「君から迫られた時も危なかった。理性を飛ばさなかった俺を褒めてほしいな。……馬鹿みたいだ。馬鹿みたいだよ、ほんとに」


 壊れたように笑うアルに、どう声を掛ければ良いか分からなかった。その表情は見えなかったけれど、口からこぼれ落ちる笑い声は、笑っていなかった。血を吐くような笑い声だった。


「これだけ傷つけて傷つけられて、苦しいのに、こんな思いもう嫌なのに、それでも愛してるんだ。……ねえ、リア」


 ふっと、彼の笑い声が止んだ。

 かつてのような柔らかい響きを纏った声が、優しく私の名前を呼んだ。


「少しの間、離れよう」


 離れよう。

 そう提案のような形をとっているけれど、そこに私の意思を求められていないことは明白だった。

 

「頭を冷やさせて。この気が狂いそうな熱が、静まるまで待って。ここの監視も、俺への報告も、全部やめさせるし、当分ここにはこない。お互いに冷静になって、また話そう。……ここに閉じ込めてるってだけで、俺の身勝手を押し付けたままだけど。この屋敷の中だったら、好きに動けるようにしておくから。お願い、それだけ、俺の頭が冷えるまで、受け入れてほしい。ごめん。……多分それが一番、俺たちのためになるから。」


 ゆっくりと、その内容を理解した時にはもう、扉は閉まっていた。

 私の部屋から離れていく足音は、最初は一定だったけれど、急に乱れたようになった。駆け足のような速さで響き、時折よろめいたように揺れる。がん、と何かがぶつかる音が聞こえた。


 少しの間、離れる。


 確かに、それが最善なのかもしれない。

 私もアルも、きっと、どこか壊れている。お互いへの感情を、拗らせすぎている。だから、この提案も、悪くない。そう、思うのに。


 溢れた涙が、頬を伝った。


 私の心はまだ、こんなにも、アルと離れることを悲しんでいる。


 微睡んで、すぐにはっと覚醒して。

 夢と現の間を彷徨いながら、ゆっくりと空は白んでいく。

 

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