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第3話 異質な娘

 読んでいた本から顔を上げて、こわばった体を伸ばす。窓から差し込む強い光が目を焼いて、私は少し目を細めた。


 あの日から、数週間が経った。久しぶりに訪れる図書館はやはり居心地が良くて、小さく微笑みが浮かぶのを抑えられない。家では心を無にしてやり過ごしていた分、ここではどうにも感情的になってしまう。


 ふと、アルの甘やかな瞳を思い出した。

 ゆっくりと周りを見渡してみる。アルは目立つ容姿をしているから、きっとすぐに見つけられるだろうと思ったが、今日はいないようだった。けれど、こうして見てみれば、彼が毎回私の目の前の席にやってくるのは、不思議なことだ。ここは時期や時間帯によっては確かに混み合うが、私が来るような日はさほど混んではいない。席にも、それなりに余裕はあった。

 完全に遠くに意識を奪われ、心ここに在らずだったその瞬間。


 くい、とスカートが引っ張られた。

 びくりと心臓が跳ねる。慌ててそちらを見れば、本棚が目に飛び込んできた。誰の姿も見えず、一瞬慌てる。

 けれど、焦って下を見たとき、その子に気がついた。


 まだ幼い子供のようだった。この図書館に来ているということはそれなりに身分のある家の娘なのだろうが、その割にはやややつれているように見える。私が言えたことではないのだが。

 まだあどけないその顔に涙を浮かべ、小さく震えながら、その子は私のスカートをしっかりと掴んでいた。

 だが、こちらに話しかけてくる様子はない。ふるふると身体を震わせながら、私を見つめるばかりだ。

 こちらから話しかけて警戒されないか心配だが、いい加減周囲の視線が痛い。泣いている子供に縋られて黙っている女性というのは、確かに酷く外聞の悪い状態だった。

 前のように筆談用の板を取り出し、さらさらと書き付けて彼女に見せる。


『どうしたの?』


 それを見たその子は、こてんと首を傾げた。どうやらまだ文字が読めないようだった。私の書いた板を興味深そうに眺めながら、その表面に指を滑らせている。

 正直、途方に暮れるしかない。近くにこの子の親がいる様子はないから、きっと迷子か何かなのだろう。

 私では意思疎通が難しい。けれど、そんなことも言っていられない。今この瞬間、一番辛くて寂しい思いをしているのはこの子なのだから。

 面倒ごとに巻き込まれたな、という思いはある。けれど、どこかこの子には放っておけない何かがある気がした。


 周りにいる人を頼るしかない。私が話せないこと、この子の話を聞いてあげてほしいということを書きつけた板を片手に立ち上がるが、誰も私と目を合わせようとしない。

 皆、面倒なことになりたくはないのだ。当然といえば当然のことだった。ただでさえ、事情を知らない人にとって、不思議な帽子を被った私は怪しげな令嬢だというのに。


 何人かに話しかけようと近づいても、その瞬間に席を立たれる。明確な拒絶に、これ以上は無理だと悟った。ある程度この子が落ち着いたら、自分の職務ではないと迷惑がられるのを覚悟で受付に行くしかない。

 未だに涙を溢れさせるその子の頭に、そっと手を乗せた。せめて泣き止んでほしいと思いながら、そっとその頭を撫でてみる。戸惑ったような顔で見上げられて、心が折れそうになるが、もう少しだけと撫で続ける。


「あの、おねえちゃん」


 初めて、この子が話した。おねえちゃん、という聞きなれない響きに、なんだかくすぐったいような気持ちになる。けれど、私はこの子に話しかける術を持たなかった。


「おねえちゃん?」

「なんでおはなししないの?」


 ごめんね、という意味を込めて小さく笑う。指を口元に当てると、静かに首を振った。


「おはなしできないの?」


 こく、と頷く。


「へえ」


 それで終わりだった。だからどうということもなく。初めてのことで、少し驚いた。


「さっきの、またやって」


 可愛い要求に微笑んでまた撫で始める。こわばっていたこの子の表情がゆるりと解け、少しだけ頬に赤みが差す様は、驚くほど可愛らしかった。

 だが、急にその表情が歪む。痛みを堪えるかのように眉を寄せた彼女は、小さな手で頭を押さえた。


「そこ、いたいからいや」


 どこかにぶつけてしまったのだろう。そう思ったが、嫌な予感はなかなかなくならない。

 確かめるだけだ、と自分に言い聞かせて、そっとその髪をかき分けた。


 瘤のようなものがある。それだけだったら、幼い子供にはよくあることだろう。けれど、切り傷のようなものが目に飛び込んできて、さすがにすっと肝が冷えた。それも一つや二つではない。

 嫌な予感が確信に変わりかけるのを感じながら、そっと彼女の腕に手を伸ばした。服で隠れて見えない部分にそっと触れた瞬間、彼女の顔が歪む。


「いや」


 そう言ったきり私と距離を取る彼女に、どんな言葉をかければよいか分からなかった。

 きっとこの子は、誰かから虐待のようなものを受けている。

 そう思えば、全ての人に目を逸らされたのにも納得がいった。私は貴族社会にもう疎いから分からないけれど、この子の髪や服は、そういったものを見慣れた人にとってはひどく異質に映るのかもしれない。


 気がついてしまったら、見過ごせなかった。

 どこか私に似たところのあるこの子を、放っておくことなど出来はしない。強くありなさい、といった母の言葉を思い出す。母は、こうして困っている子供を無視するようなことを、決して許さないだろう。

 とりあえず、ミアに相談しよう。そう思って立ち上がりかけたところで、私は思わぬ顔を見ることになる。


「リア?」


 少しだけ息を切らした様子の彼が、そこに立っていた。

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