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第35話 美しい牢獄

 目を開けたら、見慣れない天井だった。


 あれから。覚えているところまでは一日。

 アルが戻ってくる様子はなく、けれど何をする気にもなれず、呆然とベッドの上で蹲っているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。

 そして目を開けたら、知らない部屋にいた。きっとアルが、私が眠っている間に連れてきたのだろう。身体が妙に重いから、もしかしたら何か薬をもられたのかもしれない。


 綺麗な部屋だった。

 全体的に淡い色を基調とした調度類は、どれも質の良いものであることが一目でわかる。両開きの大きな窓がついていて、そこから昼の温かい光が差し込んでくる。

 けれど、異様なのは、その格子だった。


 窓にはめられたそれは、美しい部屋の中で禍々しい存在感を放っている。外すのも、その隙間から外に出るのも、不可能であることがすぐに分かった。

 恐る恐る、そちらに歩いていく。指先で触れた格子は、ひんやりと冷たかった。

 窓の向こうは、森だった。あたり一面、森。少し遠くに、草原のようなものが見える。きらりと光るのは、湖か。のどかな光景だった。きっと、どこか王都から遠く離れたところなのだろう。


 もう一度部屋に視線を戻す。

 私の好みにあつらえられた部屋。本棚に並ぶ本は、どれも私の好んで読んでいた小説の類だった。歴史書やマナーの本は、ない。あの家にいた頃は、本棚のほとんどがそういった本で埋め尽くされていたのだけれど。

 ゆっくりと扉に手をかけ、押す。想像通り、動くことはない。


 そしてもう一つ。特筆すべきことと言えば、書けるものが、何もないこと。

 私の肩に、もちろん板はない。ペンはもちろん、暖炉やランプの煤など、書くための代わりになるものもない。さらに、紙もなかった。強いていえば本の紙はあるけれど、そこに書き込むことなどできるはずもない。本は貴重品だ。


 私の好む空間の中、移動する自由と、言葉を話す自由だけが、ない。それ以外のものは、きっと私が望めば何でも手に入る。


 ここは、美しい牢獄なのだろう。


 小さく息を吐いて、ベッドに座り込んだ。行儀が悪いが、気にする気分でもなかった。

 アル。彼が私を愛していて、そして私を決して離そうとはしないということは分かった。そして、私が今でも、こんなことをされた今でも、彼を愛しているというのも紛れもない事実だった。


 相思相愛。それなのに、私たちの関係は、完全に壊れてしまった。壊れてしまった、なんて言い方をしたけれど、壊したのは私だ。


 まずやることは、分かりきっていた。

 私は、まだアルを想っていると。そう伝えなければならない。


 アルは私から言葉を奪った。それはきっと、私がアルを愛していないと、私の口から聞くのが怖かったからだ。アルはあの時、そう言っていた。

 その勘違いのきっかけを作ったのが私だという自覚はある。あの男性について行こうと一瞬でも思った私が悪い。


 強く、目を閉じた。握りしめたシーツに、大きな皺が寄った。


 けれど、アルの誤解をとき、これからも婚約者候補としてアルの隣に居続けることが正解なのかどうか、私にはもう分からない。分からなく、なってしまった。

 

 アルの隣にいたい。けれどアルに相応しいのは私ではない。

 相応しい私になるという努力は既に限界を迎えていると思う。努力しても駄目なら身を引くというあの時の気持ちは変わっていないし、もう駄目だという認識は変わらないどころか、ナターシャ様とミーシャ様に会ったことで確信に変わった。


 私は、美しく、強く、誇り高くありたい。


 彼に相応しくないと自覚した上で、恋に溺れ、彼の優しさに溺れて、だらだらと寄生して迷惑をかけるような人間にはなりたくない。

 だからこそ、彼とは別れるべきだと思った。彼のためにも、私自身の信念のためにも。


 噛み締めた唇に痛みが走って、咄嗟に口を開いた。つう、と液体が顎を伝う感触が伝わってくる。


 けれどアルは、身を引く私を許しはしないだろう。閉じ込めても、縛り付けても、私を手元に置き続けるだろう。この部屋が、それを証明している。

 それを愛と呼ぶのか、私は知らない。興味もない。一般的には拉致だとか、監禁だとか呼ばれるこの行為によって、アルを責めようとも思わない。

 アルはどうやら私を一番に想っていてくれて、私は迷いなくアルを一番に思っている。その事実だけで、十分だ。


 両手で顔を覆った。強い日差しが遮られ、目の前を暗闇が満たす。


 正解はわからない。けれど、ただ確かなのは、私が浮気をしていたとアルが思い込んでいて、そうして傷ついているということ。

 そして私が、アルに浮気をしていたと思われることにも、私のせいでアルが苦しげな表情をしていることにも、耐えられないということ。


 だから。どんな手段を使っても、アルに私の気持ちを伝えよう。その後のことは、それから考える。


 くすりと笑った。なんだか、初めて彼への想いを自覚した時のようだ。

 彼に別れを告げるために、私は無茶な行動に走った。痛めつけられたけれど、後悔はない。

 今は、彼に想いを告げるためだ。少しくらい滅茶苦茶な行動だって、構いはしない。むしろあの時よりずっと、気分は良い。


 ゆっくりと立ち上がった。

 もう一度窓の外に立ち、格子の隙間からゆっくりと外の空気を吸う。強く、頬を叩いた。


 前を向いて。美しく、誇り高く。


 アルに、愛していると伝える。


 もう迷いはしない。私がやることは、それだけだ。

 

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[良い点] 後悔をしつつも今までは彼女の幸せを望んでいたのに、いざ極限の状態になれば自己の幸せを優先してしまった この相反することに対して彼はどう思っているのだろう 決して、万が一にも離れられるなんて…
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