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第30話 他ならぬ、その時

「……俺は。昔の彼女が、好きだったんだ」


 夢であれば、と願った。

 アルとお茶をする約束をしていたにも関わらず、心配をかけた上に熟睡してしまった。おかげでここ最近の中では一番身体が軽くて、アルに謝罪とお礼を言おうと彼の部屋の前に来た。少しだけ漏れ聞こえる話し声に、来客を悟る。内容も、その相手も聞き取れなくて、ゆっくりと扉に歩み寄った時、その声を聞いた。


 頭が真っ白になった。

 何も考えられなくて、ゆっくりと扉の前から離れる。聞きたくなかった。聞くべきではなかった。


 くるりと踵を返して、部屋に戻った。廊下を走っていく私の姿は、さぞ異様な光景に見えたことだろう。

 部屋に駆け込んで扉を閉めた。


 昔の私が、好きだった。


 それは、今の私は好きではないという意味なのか、という嫌な想像が頭の中を走り抜ける。あの時は取り乱してそこしか聞けなかったから、きちんと話を聞けば違うのかもしれない、という考えは、はたして事実か現実逃避か。

 外の空気でも吸おうと、窓を開けた。庭を見下ろせば、私とアルがお茶をする予定だったテーブルセットが見える。

 そこに、人影があった。


 1人は、見間違えようがない。光の中でもその輝きを失わない、夜を溶かし込んだような黒髪。アル。

 そしてもう1人。太陽を梳いたような、金色の髪。その輝きには、見覚えがあった。


 イザベル、様。


 何を話しているのかは流石に聞き取れないし、表情も見えない。けれど、イザベル様は身を乗り出しているようで。下から、縋るようにアルを見つめている。

 アルにも、拒む様子はなかった。それどころか、甘やかな微笑みが、その顔には浮かんでいた。


 見ていられなかった。咄嗟に、顔を引いた。

 あの時のアルは、イザベル様に良い印象を持っている気はしなかった。けれど、気が変わることがないとも言い切れない。ミアを信じると言ってくださったけれど、こんな光景を見てしまった今となっては、どこまでが本音かもわからない。

 

 私は、彼に迷惑をかけてばかりで。声も出ない、何もかもが至らない。一方で、目の前にこびりついて離れない光景は、認めたくはないが信じられないくらいに綺麗で。

 御伽噺の一場面のような。どこからどう見ても、お似合いの2人。

 今思えば、アルの部屋の中にいてアルと話をしていたのも、イザベル様だったのかもしれない。話し相手の声は聞き取れなかったから、その可能性は十分にあった。


 勢いよく、窓を閉めた。バタン、という耳障りな音が、静かな部屋に響く。


 ずっと、頑張ろうと思っていた。

 彼の隣に相応しい人になるために、努力は惜しまないつもりだった。いや、その気持ちは今も変わっていない。

 けれど、アルが。他ならぬアルの心が、私から離れてしまったら。それを繋ぎ止める術は私にはないし、私が努力したところで何の意味もない。

 私が、アルに甘えすぎていたのだ。迷惑ばかりかけて、それを良いと言ってくれるアルに甘え続けていた。優しくしてくれたのは同情だろうか。虐待され、帰る家を失った私への、同情。そして私を拾い上げてしまったことへの、彼なりの責任の取り方だったのだろうか。


 ふらふらと、ソファに座り込む。かつてアルの体温があった隣の席を、指先でなぞった。


 今までの優しさが、全て嘘だったとは思いたくない。

 きっと彼の中にある私への情は、完全に無くなってはいないだろう。それを確信できるくらいには、私は愛されてきた。けれど、それと、結婚相手として、恋人として望むということは全く違うことだ。

 黙っていれば、彼は私を見捨てない。それは分かっている。きっと責任を持って、私に優しくしてくれるだろう。

 だが、最近の彼の変化を、私は見逃していない。アルは私を見ると、一瞬困ったような、苦しげな顔をしてから、笑うのだ。一瞬見せた暗闇を、覆い隠すかのように。


『いくら努力をしても私が彼に迷惑をかけるなら、その時は大人しく私は身を引きます』


 今が、その時なのだろう。

 分かっていたし、この言葉をアルに告げた時には、いざとなったら身を引く覚悟を決めていた。身を引く時なのに、分かっているのに、嫌だ。私は彼と別れたくない。


 握りしめた手が、真っ白に染まっていた。震えるその手を睨みつけた。


 自分の浅ましさに、吐き気がする。

 自信満々にあんなことを言い切っておきながら、アルの優しさに甘えて、今の関係を続けようとしている、自分に。

 あと、少し。そんなことを考えてしまうのが嫌で、目を閉じた。視界がぐらぐらと揺れて、堪らず背もたれに寄りかかる。分かっているのに、心は引きつれるように痛むのに、別れだけが告げられない。


 リア、と優しく私の名前を呼ぶ彼の声が聞こえた気がした。幸せな声で、大好きな声が、今はどうしようもなく苦しい。


 結局その夜も一睡もできず。夢を見て飛び起きて、嫌な汗を拭う。そんな日々がしばらく続いた頃、限界は来た。


「レイリア様!? レイリア様!!」


 うららかな日差しの中。外の空気でも吸おうかと、本を外に持ち出して勉強していたときのこと。

 手に持っていた紅茶の乗ったトレイを放り出してこちらに駆け寄ってくるミアの姿を、ぐらぐらと揺れ、霞む視界の中で見た。

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― 新着の感想 ―
[一言] リアがあの部分だけ聞いてたのか… 話し合えば誤解が解けそうなのに、二人がすれ違ってるのが心苦しい… 最後のリアが心配で次の更新が待ち遠しいです。
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