第26話 愛したことは
『少し話をしても?』
そう言われて諦めたように笑ったミアを、向かいの席に座らせる。非常識なのは分かっているが、あの家では同じ床に座っていたのだ。それよりも、ミアと、きちんと話がしたかった。
「すみません。私からお話しすべきこととは分かっていたのですが」
『気にしないで。話すのに躊躇って当然よ。ミア、単刀直入に聞くけれど』
嫌がらせをしたのは、本当にミアなの?
ゆっくりとその文字を追ったミアは、驚いたように目を見開いた。そうして、少しの躊躇いのあと、静かに首を振った。
「信じていただけないかもしれませんが。やったのは、私ではありません。ですが、私のせいだとも思っています」
『そう』
「……信じていただけるのですか?」
『信じたい、とは思っているけれど。まだ、分からないというのが正直なところ。ミアの話を聞くまでは、判断しないようにしようと思っていたから』
「ありがとうございます」
そう言ったミアは、目を伏せた。その手が強く握られているのを見て、小さく唇を噛む。ミアの、こんな表情は初めて見た。
「嫌がらせの指示を出していたのは、イザベル様です。……到底信じられない話かもしれませんが。淑女の中の淑女と謳われる彼女が、あんなにも綺麗で美しい彼女が、嫌がらせをしたなど信じられないでしょう? 当時、誰もがそう思いました。誰もが、私がやったという彼女の言葉を信じました」
『蜘蛛の話を聞いたの。それで、蜘蛛が苦手なミアがやったということが信じられなくて。こうして話を聞きにきたのよ』
「……そういう、ことでしたか。蜘蛛が苦手なのは頑なに隠していましたから、他には誰も気がついている人はいないと思います。イザベル様は、もちろん自分で手を下すことはありませんでしたし。人に指示をして、エイミー様が1人の時を狙わせていました。そしてその時に、私は必ずイザベル様に誘われて、たった2人きりだったのです。嵌められた、と気がついたのは、随分後のことでした」
ことり、と扉の近くで音がした気がして、私はそちらに目をやった。けれど、すぐに話し出したミアに視線を戻す。
「イザベル様は……なんというか、子供のようなところがある方で。他人が大切にしているものを、自分も、と欲しがるような方なのです。普段は可愛らしいわがままで済みますし、それがきっかけになって流行が始まることもありましたから、皆イザベル様に気に入っていただけるようなものを身につけようと夢中でした。ですが、イザベル様が欲しいと思った人が、1人しかいなかったのが問題なのだと思います」
『……エイミー様の、婚約者の方?』
「はい。エイミー様は彼を本当に愛していましたし」
そこまで言って、ミアは急に言葉を途切れさせた。だが、数度息をつくと、絞り出すように続ける。
「私も、彼を愛していました」
『……』
「恋を叶えたいとは思っていませんでした。始まった時には終わっていたような恋でした。自覚した時から、とうに諦めていました。けれど、イザベル様には、すぐに気づかれてしまって。そしてそれが、彼女の所有欲を、掻き立てたようでした」
親友2人が、夢中になっている男性。
そんな人を、イザベル様はどう思ったのだろうか。
「知られていない話ですが、あの後、エイミー様の婚約者とイザベル様は親密な仲になりました。表向きは、被害者同士の支え合いとしてみなされていましたが、そんなものでないことを私は知っています」
『……』
「私は、友人の婚約者と知っていながら、彼を愛しました。いけないと思いながら、決して好きになってはいけないと思いながら、彼を愛した。それが、あの事件のきっかけになりました」
『それは』
「私については、自業自得だと諦めています。噂を否定する気も起きませんでした。彼に懸想していたのは紛れもない事実で、エイミー様に起こったことの責任が私に降りかかることも、むしろありがたいとさえ思いました。この罪に罰が与えられるなら、罰を与えてもらえるのなら、その方が良かったのです。エイミー様を傷つけたのは、紛れもなく私です」
ミアは顔を上げた。すっと目を細めて、遠くを懐かしむような顔をした。
その唇は消えそうに儚い微笑みを作り、すっと涙が頬を伝った。
「愛したことは、私の罪です」
ばん、と勢いよく扉が開かれた。弾かれたようにそちらを見れば、開けた扉の前に立つルーカス様。そして、ドアの枠に手をつき、もう片方の手で顔を覆っているアル。
「その話は、本当か」
ルーカス様の低い声に、今度はミアは怯まなかった。
「私にとっての真実です。信じるか信じないかは、お任せします」
「……」
触れたら切れそうなほどに鋭い空気が、部屋を満たしていた。誰も口を開けないまま、時間だけが過ぎていく。
重い沈黙を破ったのは、ルーカス様だった。
「……俺には、分からない。話は最初から聞いていたが、ミリア嬢の言葉は演技だとは思えなかった。だが、あの時、親友2人を一気に失って震えていたイザベル嬢の姿も、演技だとは思えなかったんだよ」
「俺は、ミア嬢を信じるよ」
あっさりと、アルは言い放った。
「ミア嬢の言うイザベル嬢の姿は、俺が感じているものに通ずるものがあるし。正直、彼女、最近俺へのアピールがすごくて、うんざりしていたところ。ああそういうことかって、話を聞いてて納得した」
それにね。
ゆっくりと歩み寄ってきたアルが、そっと私の肩を押す。弱い力だったが、完全に油断していた私はぐらりとバランスを崩した。
押し倒されたような形になり、真上にあるアルの美しい顔を見つめる。だが、すぐにアルは離れた。そうして、私の向かいを手で示す。
そこには、完全に立ち上がったミアがいた。思わず、といった様子でこちらに身を乗り出しているミアの手には、熱いお茶がなみなみと注がれたカップが握られていて。
「ミア嬢は、ほんと、俺が嫉妬するくらいリアに心酔してる」
「……試しましたね」
「そうだよ。俺が悪かったから、とりあえずそのカップを下ろしてくれるかな?」
渋々カップをテーブルに置いたミアを見て、アルが言葉を続ける。
「2人の間に何があったかは俺も知らないけど。初めて会った時から、ミア嬢は本当にリアを大切にしているのが分かった。信じられる? 初対面で、ミア嬢、俺ではリアを幸せにできないって、言い切ったからね」
「……その節は、失礼を」
「別に責めてはいないから。むしろ、この人ならリアを絶対に守ってくれると安心したくらい。俺が言いたいのは、そこまでリアを慕っている彼女が、自分の罪を隠そうとリアに嘘をつくかな?」
「だが」
次に口を開いたのは、ルーカス様だった。
「レイリア嬢に心酔しているからこそ、彼女に嫌われたくないと嘘をついた可能性は?」
「それだったら、惚れてたなんて言わない。実際の気持ちがどうあれ、他人の婚約者に恋をするのは褒められたことじゃないでしょう?」
「……」
「嘘をつこうと思えば、自らの潔白を主張することだってできたはずだ。でも彼女はそうしなかった。それが何よりの根拠だと、俺は思うけど」
「……ありがとう、ございます」
小さく呟いて、ミアが頭を下げた。気がつけば、その震える身体を抱きしめていた。
驚いたように顔を上げるミアを抱く腕に、力を込める。反対の手を伸ばして、文字を綴った。
『私は、ミアを信じるわ』
「……レイリア様」
『事実もそうだし、何より、私が今まで見てきたミアの姿から、ミアを信じることに決めた。そしてね、信じる信じないの話になってしまったけれど。私が本当にミアに言いたかったのは、そういうことではなくて。今まで、よく頑張ったねって。いい思い出のない社交界に、私のために着いてきてくれてありがとうって。いつも私のためにありがとうって。そう言いたかったの』
ミアの肩が震えた。
ペンを置いて、そっと両手で抱きしめる。
「分かった、認める。俺は正直ミリア嬢とあまり面識はないから、お前のようにあっさりと信じるとはいかないが。前のように、ミリア嬢だけを批判するつもりも、エイミーの仇だと恨むつもりもない。あくまでミリア嬢の話を信じるという前提の上で話をすると、確かに責任の一端はミリア嬢にあるが、責任の全てを君が背負うべきだとは、俺には思えない。だから、俺は俺で、自分の目で見極める。俺なりの判断がつくまで、ミリア嬢に張り付いてやる」
「……ありがとうございます」
そう言ったものの、ミアの顔は若干引き攣っていた。それもそうだろう。いきなりルーカス様に張り付く宣言をされたら、誰だって戸惑う。
「誤解するな。別に信じると決めたわけじゃない。だが、恨みの感情があると視野は歪む。警戒することは、少なくとも人を見極める方法じゃない。まずは君と、友好的な関係を築きたいと思っているところだ。つまりまあ、これからよろしくというやつだ、ミリア嬢?」
そう言って、ルーカス様はほんの少しだけ唇の端を持ち上げた。
その瞳に、あの時のような強い敵意は感じられなくて、少しだけほっとする。ミアと触れていくうちに、ルーカス様も気がつくだろう。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
少しだけ戸惑ったような顔で、でも少しだけ安心と喜びが滲み出たような顔で、ふわりと笑うミアが、こんなにも可愛くて素敵な、1人の女性だということに。




