第20話 イザベル・バーンズ
「ねえ、見てあれが噂の令嬢よ」
「あんな女がアイル様の婚約者候補なんて、納得できないわ。絶対、私の方が相応しいのに」
「ほら、見てよあの表情。貼り付けたみたいな微笑みのくせに目だけ笑ってない。病気だったっていうけど、本当なのかしら? 手に負えない問題児で、人に見せないように隠されていただけじゃない?」
「そうよ、きっとアイル様は騙されているんだわ」
想像通りの光景に、もはや笑うしかなかった。
大丈夫だ。昨日の夜、覚悟は散々してきた。真っ直ぐに前を向いて、聞き流すだけ。あの家でやってきたことと、何ら変わらない。
「大人びた、綺麗な顔立ちをしているわね。噂に聞いていた、男を引っ掛けて遊ぶような方には思えないけれど」
「ええ。噂は当てにならないもの。……そうね、所作も綺麗だし、悪い人には見えないかしら」
「この状況で、美しく背筋を伸ばして微笑んでいられるのは、公爵夫人の素質があるかもしれないわ」
「……うーん、あのアイル様が婚約者候補にっておっしゃっている令嬢にしては、ぱっとしない感じがしない? もちろん全体で見れば上の方だとは思うけれど、いまいち決め手にかけるというか、圧倒的なオーラがないというか」
「そうかしら? あの凛とした雰囲気、私は好きよ」
「まあ、本人の資質があなたたちの言う通りだとしても。ここまでの人脈や社交経験が何も無いというのも、事実じゃない?」
「それは、そうね……」
私への反応は、どうやら二分されているようだった。
一つ目は、ただの妬みや嫉み。嫉妬心もあらわに口にする言葉は攻撃的で、憶測や噂が多い。これは、相手にする必要はないし、認められる必要もない。
二つ目は、冷静な批評。正直耳が痛いけれど、決して無視してはならない言葉。この方々とは友好的な関係を築きたいし、彼女たちに認められることが一つの目標だ。
とある令嬢の主催するお茶会。女性だけを集めたこの場は、情報交換の場にもなっているらしい。主催者の令嬢は相当の情報通と有名だ。
私に、痛いほどの視線が注がれているのが分かる。皆、私を評価しようとしているのだろう。味方になるべきか、それとも近づかないようにするべきか。判断の決め手を、探し続けている。
緊張で震えそうになる手を握りしめて、私は前を向いたまま挨拶に回る。綺麗に模様の施された紙に書いた簡単な自己紹介の紙を見せて、頭を下げるたび、物問いたげな視線が私に注がれる。
本当に話せないのか。どうして話せないのか。どうしてこんな常識はずれの社交をするのか。
そう言った視線はこれからのために大切に受け取るけれど、深く考えすぎない。考えれば考えるほど、辛くなるだけだ。ここは、そういう場ではない。
そして何より、私には大切な目的があった。
イザベル・バーンズ侯爵令嬢。
かつてエイミー様とミアと親友だったという彼女に近づき、仲を深める。
それが、当初の予定よりもやや早めに社交を始めた目的だった。
絵姿で見た、華やかな金髪を探す。招待客のリストには彼女の名前があったから、きっとこの場には来ているのだろう。挨拶に回りながら、それとなく視線を彷徨わせて彼女を探す。
それと同時に、招待客の性格や雰囲気も掴み、こちらの印象をよくしていかなければならないのだから、かなりの重労働だ。ゆっくりとすり減っていく心を叱咤して、精一杯優雅に庭を歩く。
「俺は、正直、社交なんて許可を出したくない。でも、リアが俺のためにやろうとしてくれていることは分かってるから、いいよ」
アルは少しだけ心配そうな顔をした。けれど、私の選択を尊重しようと、その気持ちを精一杯笑顔で隠そうとしていた。
手招きされて、少しだけ急ぎ足でアルの元へ歩く。そっと抱き上げられ、膝の上に乗せられた。使用人からの視線が恥ずかしいけれど、いつもより少しだけ強い力で抱きしめられれば、抵抗する気力は失せた。
「リアは、急に綺麗になったよ。見た目も、所作も。前から綺麗だったけど、最近は見惚れずにはいられない。どれだけ頑張ってるんだろうなって、いつも思ってた」
そう囁かれ、思わず頬が緩む。ぎゅ、と強い力で抱きしめられて、私もそっと彼の背中に手を伸ばす。少しだけ力を込めれば、ふう、という吐息が耳元で聞こえた。
「俺のために、すごく嬉しい。ありがとう。でもお願い、無理はしないで。何かあったらすぐ、俺に言って」
胸が苦しかった。アルは本当に、私を思ってくれている。はい、という意味を込めて回す腕に力を込めれば、ふっと笑う気配がした。
「リア。……俺には何もできないけど、応援してる」
そう言ってくれたアルのためにも。私は、頑張ってみせる。認められてみせる。彼に、相応しいと。
ぐるり、と巡らせた視線が、陽の光の下で一際輝く金の髪を捉えた。
見つけた。不自然にならないように数人と言葉を交わしながら、彼女の元へと近づいていく。位置を確認するように上げた目と、彼女の明るい青色の目が、ぴたりとあった。
私の姿を見つめたイザベル様は、こちらに向かって歩いてくる。その度にすっと周りの令嬢が道を開け、私たちの間には細い道のようなものができた。
皆、見届けようとしているようだった。侯爵令嬢というこの場において最も高い身分を持つ彼女が、私にどのような反応を示すのか。
『お初にお目にかかります、イザベル様。レイリア・ウォーナーと申します。どうぞよろしくお願いいたします』
「ごきげんよう、レイリア様。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
当たり障りのない挨拶をして。今日はこれくらいが限度だろう。深入りしすぎも、怪しまれる。そう思ったが、驚いたことに、イザベル様が言葉を続けた。
「私、前からレイリア様とお話をしたいと思っておりましたの。あちらに小さなガゼボがありますから、2人でお話などいかかでしょうか?」
どよ、と周りの令嬢がざわめく。彼女の対応が私への肯定か否定か、計りかねているのだろう。私も見当がつかないが、まさか断るわけにもいかない。そして、こちらとしても望むところではあった。
「ああ、そんなに警戒なさらないでください。私としては、レイリア様を歓迎したいと思っておりますわ」
『ありがとうございます。警戒なんて、そんなことありません。お声をかけていただいた喜びに、恥ずかしながら少し動けなくなってしまいまして。喜んでご一緒させていただきたく存じます』
「あら、良かった」
そう言って鈴の音のような声で笑った彼女から敵意は感じられなくて、とりあえず肩の力を抜く。周りの令嬢からの視線も、少しだけ和らいだような気がした。
彼女が味方になってくれれば、かなりやりやすくなるだろう。これを機会に、少しでも仲を深めてみせる。彼女に促され、ゆっくりと歩く。
「レイリア様。私、あなたと仲良くしたいのです」
ガゼボに咲き誇る美しい真紅の薔薇を背に、彼女は優雅に笑った。




