第19話 過去と違和感
『ミアについてのことでしたら、私にできる範囲でなら協力いたします。ですが、彼女は私にとっては大切な存在です。ルーカス様がミアに害をなすと判断したら、こちらもそれなりの対応をいたします』
失礼だと怒るだろうか。
だが、他人の侍女に関して聞き出すために、約束も無しに押しかける方も失礼だ。この場において、失礼を気にしていては話が進まない。それはきっと、ルーカス様も同じ気持ちだろう。
「俺の話を聞いても、君があの女を庇うのなら、好きにすれば良い」
ため息をついたルーカス様が、前髪をぐしゃりとかきあげる。
「事情を知ってもらわないことには、平行線になりそうだ。とりあえず聞いてほしい」
そう言って、ルーカス様は手で顔を覆った。そうして、低い声が、空気を揺らす。
「俺には妹がいる。エイミーと言って、今はとある領地の隅の館で療養している。そのきっかけになった出来事に、あの女が大きく関わっていたんだ」
ミリア・エイブリー。
それが、ミアの本当の名前だった。
エイミーには、幼い頃からの婚約者がいたという。そして、エイミーは彼に心底惚れていた。だが、厄介なことに、もう1人、彼に惚れている女がいたらしい。それが、ミリア・エイブリーだった。
「エイミーとミリア、そしてもう1人イザベルという女がいたんだが、3人はいわゆる親友同士という奴だった。社交界でも有名な話で、花の三人衆、なんて呼ばれていたと思う。パーティー会場ではいつも一緒に行動していたから、俺は全員の顔を知っていた。だから、会ってすぐ、君の侍女がミリアだと分かった」
そうして、仲がとても良かったはずの3人。だが、複雑な心境の3人が、そのまま過ごせるわけもなく。
ある日、事件が起こる。
「エイミーが襲われた。馬車の中だった。その時のことを俺は語りたくないし、俺の姿を見たエイミーがどんな顔をしたのか、俺には語れない。ただ、その事件がきっかけになって、エイミーは言葉が話せなくなった。まともな食事も取らなくなり、やつれていったエイミーを見ていられずに、家族で相談して、エイミーを療養させることにした。その日から、エイミーは領地から一歩も出ていない」
すぐに、調査隊が組織された。
侯爵家の調査隊は非常に優秀で、捕まった犯人が話したことを元に、次々と事実を明るみにしていった。曰く。
「その襲撃はある人間の指示だった。それだけではなく、エイミーはずっと執拗な嫌がらせを受けていた。大人数を巻き込んだ大規模なものではなかったが、水をかけられたりなど直接的な被害もあった。それらをやったのは、誰だったと思う? ……言い方を変えようか。常にエイミーの近くにいて、嫌がらせに気がついていたイザベルが、その犯人として突き出せなかった人物は、誰だと思う?」
ミリア・エイブリーだよ。
その言葉が、信じられなかった。
私の知っているミアは、そんなことをする人間ではない。そう言いたかった。
「理由なんて簡単だ。ミリアは、エイミーの婚約者に惚れ込んでいたからな。自分のものにしたくて、暴走した。それだけのことだ。だが事実が知られて、ミリアは社交界から追放された。家からも勘当されたと聞いている。とうにのたれ死んだとばかり思っていたが、まさか君のところでのうのうと生きていたとは」
『それは、確かな事実なんですか? ……私には、信じられません』
「あいつは、君に生い立ちを話したか? どんな経緯で君に仕えることになったか俺は知らないが、君の反応を見ているとあいつが貴族令嬢だったことも知らないだろう? それが何よりの証拠じゃないか?」
『……』
ルーカス様の瞳が、強い光を宿してこちらを見つめる。
「納得したなら、話してくれ。君はどこでミリアに出会った」
『……納得は、まだできません。しかし、私の話が必要だということは理解しました。お話しします。と言っても、さほど話せることがないというのが正直なところですが』
ミアはある日、うちの家の前に倒れていた。ぼろぼろになったミアを拾って、うちの侍女にした。ただ、それだけのことだ。
「正気か? どこの馬の骨とも分からない人間を家に入れるなど」
『私は、まだ幼かったので。ですが、私の母がきちんと調査をしたのでしょう。母は、調査もせずに許可を出すような人ではありませんでしたから』
「君の母は? 今、どこに?」
『もう亡くなりました。随分前のことです』
「それは……すまなかった」
『いえ』
だが。そう考えると、違和感があるのだ。
『私の家は一応伯爵家です。母も、愚かな人間ではありません。もしルーカス様のおっしゃっているようなことが真実だとすると、母がミアを雇ったことに違和感があります』
「それは……」
『ルーカス様の考えを否定するつもりはありません。ですが、私にも私の信じるものがあります。私なりに少し、考える時間をいただけませんか』
それは、もしかしたら無駄な足掻きなのかもしれない。
ミアは彼のいうような最低の人間で、ずっと私や母を裏切っていたのかもしれない。そして、私は今、それを信じたくなくて聞こえの良い反論を並べているだけなのかも。
それを自覚していても、ずっと支えてきてくれたミアを、今の話だけで否定する気にはならなかった。
「……分かった。俺としても知りたいことは聞かせてもらったし、もう何もいうことはない。だが、これだけ言わせてくれ。くれぐれも、あの女には気をつけてほしい」
その言葉に頷くことも、首を振ることも出来ぬまま、私は彼を見送った。
もともと長居するつもりもなかったのだろう。門のままに停められたままの馬車は、彼を乗せるとすぐに発車した。次第に小さくなっていく馬車を見つめながら、私は一つの決意を固める。
『アル。いえ、アイル様……私が社交界に出る、許可をください』
夕食の席。その言葉を聞いたアルは、大きく目を見開いて、少しだけ苦しそうな顔をした。




