第17話 初めましてと久しぶり
「初めまして、レイリア嬢。アイルから、散々話は聞いてる」
どうすれば良いか分からず、手を宙に彷徨わせている私に、ルーカスと呼ばれた彼は人好きのする笑顔で笑った。
「大丈夫、君が話せないことは知ってるし、俺もこいつと一緒でそれを面倒がったりしない。ああ、俺はルーカス・ディア。よければ、ルーカスと」
『初めまして、ルーカス様』
「あんまり馴れ馴れしくしないでくれるかな」
不快げな表情を隠そうともしないまま、アルがいつの間にかルーカス様に握られていた私の手を引き剥がした。嫌そうな顔をしているが、くつろいだ様子の彼が、少し眩しくなる。きっと相当に、気心が知れた仲なのだろう。私の前ではなかなか見せない表情が、新鮮だった。
「お前が色んな女に手を出すのは勝手だけど、リアに手を出したら容赦しないから」
「流石の俺でも、お前がそこまで惚れてる女に手を出すほど命知らずじゃない」
「そうであることを願ってるよ」
そこまで惚れてる女。
その言葉が嬉しくて、くすぐったくて、小さく微笑む。だが、すぐにルーカス様にその表情を見られていることに気がついた。
「……アイル、お前が言ってたことがようやく分かった。笑顔、びっくりするくらいに可愛いな」
「黙ってもらえるかな? 俺以外がリアを褒めるのは気に食わない」
「レイリア嬢の可愛さを知ってるのは俺だけでいいってか? そう思うのは別に好きにすればいいが、ちゃんと守れよ? 人によっては理性吹っ飛ばす可愛さだと思うぞ。普段が大人びてるから尚更破壊力が」
「言われなくても。とりあえず目の前のこいつからリアを守ろうと思うんだけど」
『あの、ありがとうございます』
白熱する2人の前で、ひらひらと板を振る。いい加減羞恥心が限界なのと、先ほどからあちこちから好奇心に溢れた視線を感じるのだ。
確かにアルとルーカス様が2人並んでいる姿は、見惚れたくもなるほどに綺麗だろう。私でもそちらにいたら見つめていたくらいだ。だが、自分も一緒に見られるとなったら話は別だ。
『その、私は、アイル様の前以外では笑えないと思います。ご心配、ありがとうございます。褒めていただけて、嬉しかっ』
「リア……」
言葉の途中で、いきなりアルに後ろから引き寄せられ、私は彼の膝の上に尻餅をつく。痛かっただろうと心配して振り返れば、満面の笑みのアルがいた。
「俺の前だけなの?」
『……はい』
私が嬉しくなるのは、アルに愛されていると思った時。アルに褒められた時。
こんなにも嬉しくなって、思わず微笑んでしまうのは、いつだってアルが近くにいる時だった。そう素直に伝えたつもりだったのだが、こんなにも喜ばれるとは思わなかった。
「本当に可愛い。これ以上俺を惚れさせて、どうするつもりなの」
「……アイル、よそでやってくれ」
本当にお前、誰だよ。
呆れたような顔をして目の前で虫を追い払うように手を振ったルーカス様の、その心底嫌なものを見たような表情が少し可笑しかった。
私の前ではこれが通常だけれど、ルーカス様から見た彼は違うのだろう。彼の違う一面を少し覗き見たようで、嬉しくなる。
「じゃあルーカスがどこかに行けば? ここ、俺の家なんだけど。というかルーカス、なんでこんなところに?」
「そりゃ、お前が惚れ込んでる噂の令嬢を一目見ようと思って」
噂の令嬢。
私の存在は、どうやらとうに周知の事実となっているらしい。当然と言えば当然の話に、すっと心が冷える。少しだけ翳ってしまった表情を悟られないように、意識して真っ直ぐに前を見た。
「じゃあ帰って?」
あっさりと笑って追い返そうとするアルと、何がなんでも残ろうとするルーカス様。
その2人の攻防をくすくすと笑いながら見つめている私に、後ろから小さな声がかかった。
「レイリア様」
後ろにいたのは、ミアで。
どうやら、すぐ近くにあった使用人用の出入り口から出てきたらしい。アルは2人きりになりたいからとすぐに人払いをしてしまったから、ミアもその時に退出していたはずだった。
何か用、と首を傾げて見せれば、失礼します、と囁いたミアがそっと茶器を手渡してくれる。どうやら、お茶のお代わりを持ってきてくれたようだった。
確かに、今テーブルの上にあるお茶はかなり冷えてしまっていることだろう。気の利くミアを、さすがと讃えたい。
ついでに、ルーカス様にもお茶を出したほうが良いだろう。追加のカップをお願いしたくて、ルーカス様を手で示す。ミアは、これだけで察してくれるはずだ。
私の手を追ってゆっくりと動き、その視線がぴたりとルーカス様に重なった瞬間、ミアの顔が凍りついた。
そのまま、ぴくりとも動こうとしないミアに、不安が募る。何があったか聞こうと、テーブルの上に置いたままになっていた板に手を伸ばしたところで、ルーカス様の視線がこちらに向けられた。ただならぬ雰囲気を察したようで、アルの視線もこちらへ。
しばし、沈黙があった。
ミアを見つめるルーカス様からは、完全に表情が抜け落ちていた。
暗い目だった。何の光も宿さぬその目をミアから一瞬たりとも逸らさぬまま、彼はゆっくりとミアに近づいた。
誰も、動けなかった。
その手がゆっくりとミアに伸ばされる。使用人らしく後ろできつく一つにまとめた髪を、彼の手が乱雑に解いた。
そのまま少しだけ身体を引き、顔を傾けてミアを見つめる。そして。
「――!!」
ルーカス様の口から漏れたのは、言葉にならない、言葉として成り立っていない、怒号のようなものだった。




