幕間3 とある侍女と次期公爵の一幕
「失礼します」
強張った表情で、俺の前に現れた1人の女性。
侍女らしく、きっちりと束ねられた栗色の髪の毛。その中で、意思の強そうな、髪よりも少しだけ濃い色の瞳が真っ直ぐにこちらを向いていた。
その姿を見て、俺は静かに目を細める。リアを待たせているのだから、できるだけ手短にすませたい。きっと、いきなり連れてこられた家に落ち着かなさを感じていることだろう。
前置きもなく、本題に入った。
「君を、うちで雇いたい」
そう言った瞬間、ミア、と名乗った彼女の瞳が大きく見開かれる。だが、すぐに悟ったような光を灯した。
「レイリア様とマグリーク様が、ご婚約されるということでしょうか」
「俺としてはそうしたいと思っているけど。相談の結果、婚約者候補ということになった。けど、ここに住んでもらうことになったから、君にリアの侍女として仕えてほしい。その方が、きっとリアも安心する」
「……お断りします、と言ったらどうされますか?」
「どうもこうも、なぜ? 願ってもみない話だと思っていたのだけれど」
リアがあの家を抜け出して図書館に来ることを手引きしていたのは彼女だと聞いている。てっきり、彼女も俺とリアの関係を応援してくれているものだと思い込んでいた。
「私が、お二人のご婚約に反対しているからです」
「……言うねえ。ああ別に、怒っているわけではないよ」
「そういうところです。私はマグリーク様のそういう姿を見て、レイリア様を幸せにできないと判断しました」
「……へえ。君は、俺とリアが会うことを助けてくれていたと思っていたのだけれど」
怒りが、ゆらりと胸の奥で揺れる。
けれど、ミア嬢は長い間リアを支え続けた女性だ。一時の感情で失ってしまうのは惜しいし、彼女の言葉は無視できないところがある。
そして、俺がそう思うことを見越している彼女は、俺が罰することなどできないと確信した上で遠慮のない口を利いているのだろう。聡明な人だ。
「綺麗に恋を忘れられて楽になれるようにお助けするのと、ご婚約を応援するのは違う話です」
「そう。……聞いてみるけど、そういうとこってどういうとこ?」
「レイリア様の幸せではなく、ご自分の幸せを追い求めていらっしゃるところです」
どきり、とした。
「レイリア様がもし、マグリーク様の隣を拒んだら。あなたの隣が辛いとレイリア様が仰ったら。マグリーク様は、レイリア様を手放せますか?」
私には、そうは思えません。
そう呟いたミア嬢が、急に大人びて見えた。リアから話を聞いているだろうし、物陰から姿を見られていた可能性は十分にあるが、それでも数度しか会っていない関係のはずだ。自らの心の奥底、リアには決して見せないようにしようと思っていた昏い部分を覗かれたようで、思わず戦慄する。
「それに、マグリーク様と婚約されて苦しむのはレイリア様です。レイリア様は非常に優れた方ですが、公爵夫人になるといったら膨大な量の教育が必要になります。また、言葉を話せないままで公爵夫人になるのは無理です。愛がどうこうの問題ではなく、事実です。そのために、レイリア様に過去に向き合うことを強いるおつもりですか?」
そこまでを一息で言って、彼女は大きく息を吸った。その目の怒気を隠さぬまま、言葉を続ける。
「もしレイリア様が公爵夫人になれば、レイリア様に対する他の令嬢の反応は予想されているでしょう? 陰口、嫉妬、精神的物理的攻撃。あんなゴミみたいな世界に入っていくことで、レイリア様がどれだけ傷つくか、想像できないような人間ではないと思っていたのですが」
「……そうだよ、認める。俺は俺のために、リアが欲しくてしょうがない。俺としては、できるだけリアの意思を尊重したいと心から思ってるし、そうすべきだと思っているけど、時々自制が効かなくなってる自覚はある」
だが。
「俺たちは、似たもの同士ってところか」
「……どういうことですか」
「君はリアが好きで好きで堪らない。それこそ自分の全てを投げ捨てられるほどに。それは俺もだ」
「……」
「それで、君も俺と一緒で自分勝手だ。自分勝手に、リアの幸せを決めつけてる」
「何を」
「君、恋をしたことはある?」
そう聞けば、意味がわからないというように彼女の眉が寄せられる。不快な感情を隠さなくなってきた彼女に、俄然興味が湧いた。もう一度、ゆっくりとその姿を観察する。
「俺は、リアのためだったらどんな苦労にも耐えられる自信がある。どんなにひどい目に遭わされようと、リアが俺を想ってくれさえいればなんとも思わない」
「本当の苦痛を知らないから言えることです。レイリア様が味わってきたような」
「そうかもしれない。でも、今俺はそう思ってる。だから、リアなしの何不自由ない生活と、リアがいる地獄だったら、俺は迷わずリアがいる地獄を選ぶ。それが、俺の幸せだから」
「……」
「どうして君は、リアの幸せを決めつける? 聡明な君は察してると思うけど、今回の選択はリアの選択だ。リア本人が、自分で選び取ったリアなりの幸せを、どうして第三者の君が否定する?」
思わずきつい言い方になってしまって、俺は軽くため息をついた。
やはり、リアのこととなると抑えが効かなくなる。自覚はあった。
「……そう思いたいだけなんじゃないですか」
「……」
「マグリーク様が、レイリア様がご自分の幸せのためにマグリーク様の隣を選んだと、思い込みたいだけなんじゃないですか? マグリーク様の心の平穏のために。もしくはレイリア様が、このような強引な手段を取ったマグリーク様の心を楽にするために、優しい嘘をついていらっしゃるのでは?」
「違う、と言いたいけどね」
やはり俺と彼女は似ている。
「分かった、この件に関してはいくら話しても平行線だ。意味がない。俺は絶対に譲るつもりはないし、それは君も同じだろう?」
「はい」
「だけど、リアに幸せになってほしい、という点では共通してる。違う?」
「違います。いざとなったらマグリーク様はご自身の幸せを選ぶはずです」
「君の言い分はいちいち極端だ。確かに君のいう通り、俺は俺の幸せを考えてる。だが、俺のせいでリアが悲しんでたら、俺は普通に傷つくし、少しでもその憂いを取り除きたいと思う。それは分かって」
「……わかりました」
「そしてもう一つ、俺はあの腐った家にリアを戻す気もないし、なんの支えもなしに街に放り出すほど薄情でもない」
「それをしたら、本気で恨みます」
「だろうね」
その目が、少し諦めたような色を宿した。どうやら、話の行き先を察したようだ。
「そうすると、どんな形になるにしろ、リアは俺の保護下に置くしかない。俺が色々なものを用意するしかない。それは俺が望んでいることでもあるけど」
「……」
「だから、侍女は俺が選ぶ。そこで、君ありと君なし、どっちがリアの幸せ?」
「卑怯ですね」
「そうだ、俺は卑怯な男だ。それがリアのためになるなら、卑怯で結構」
「…………わかりました。お受けします。ですが」
真っ直ぐに、彼女は俺を見つめた。その姿に微かに記憶をくすぐられ、眉を顰める。
「私は、お二人のご婚約を応援できません。それをご理解の上、雇ってください」
「俺も、婚約を諦めろという言葉には従えない。でも理解はしたし、その意見を曲げろと強いるつもりもない。リアを見て、君が判断して」
「わかりました」
話は終わり、とばかりに退室しかけた彼女の妙に美しい礼を見て、強く記憶が刺激される。
ふ、と思いついた勢いのままに問いかけた。
「君。ミリア・エイブリーという名に心当たりは?」
「……さあ、存じ上げません。どなたでしょうか?」
すっと細めた目が、こちらに向けられる。
今度こそ退室した彼女を見送って一つため息をつくと、俺はリアのもとへ歩き出した。
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