第14話 ここから
そうして、彼に大切に大切に甘やかされながら、馬車はゆっくりと進み。
あっという間に、私は見慣れぬ家の前にいた。
おそらく、アルの家なのだろう。
頭ではそう分かっていても、目にしたものが信じられない。
城、と形容したくなるその家は、堂々たる立ち姿を夜の闇に沈ませていた。見上げれば首が痛くなり、敷地がどこまで続いているのかここからは判別できない。
分かっていたことだったが、怖気付く心を自覚して、自分を叱咤する。見上げれば、心配そうに私を見下ろすアルがいた。大丈夫だ、という意味を込めて微笑みかけ、差し出された彼の腕を取る。
彼の帰宅に合わせて頭を下げる使用人。彼ら、彼女らから向けられる視線は、思っていたよりも冷たくはなくてほっとする。不躾な視線は感じるけれど、どちらかというと、興味深げなもので、余所者を見下すような色はなかった。
応接室のような部屋に通され、彼が手を振ると、部屋の中にいた使用人が退出していく。
身体が深く沈み込むソファ。目の前に並べられた、いかにも高級そうな茶器。
彼が手ずから淹れてくれたお茶は、今までに嗅いだことのない、上品な香りがした。
「リア。……怖くなった?」
ゆるゆると首を振ってみせれば、アルはほっとした顔をした。やはり、彼も不安なのだ。
『少し、驚いてしまって。私の気持ちは、変わりません』
「よかった」
慣れた様子でカップを手に取り、優雅にお茶を飲む姿に、思わず見惚れてしまう。音を立てずにカップを置いたアルは、こちらを見て口を開いた。
「ごめん、確認しなければいけないことがあって。少しだけ、待っていてくれるかな。すぐ戻るから」
当然のことだった。いきなり、何処の馬の骨とも知らない女が屋敷に婚約者候補として現れたら、誰でも驚く。報告や相談が必要になるのは当然のことだ。
頷けば、彼は急いだ様子で部屋を出て行った。本当に、すぐに戻ってくるつもりのようだ。
静かにお茶を飲み、緊張の抜けないまま待っていると、しばらくしてアルは戻ってきた。少し疲れたような様子をしていて、心配が胸を焦がす。
迷惑を、かけてしまっているのだろう。それが表情に出てしまったのか、アルが明るい調子で言う。
「俺としては、せっかく通じ合ったのだから君を甘やかしたいんだけど。残念ながら、そうもいかないみたいで」
相談しなきゃいけないことが、沢山ある。
心の底から残念そうに呟くアルに、小さな笑いが漏れた。
「まずは、住む場所かな。ここはうちの本宅で、俺も今まではここに住んでた。家族としては父と母がいて、使用人もそこそこ。うち主催でパーティーをやる時も、大体ここが会場になる。一つ目はここに住む案で、もう一つ案があるんだけど」
そう言って、アルが机の下から取り出した地図を、促されるまま覗き込んだ。
細く長いアルの指先が、地図の1点を指し示す。
「ここに、普段は使っていない別宅がある。簡単に整えさせれば、普通に使えると思う。俺と君2人で、ここに住むのもありだと思っているんだけど」
苦笑した彼が、こちらを見る。
「その様子だと、リアは本宅に住むっていいそうだね」
見抜かれていた。苦笑せざるを得ない。
彼が用意してくれたもう一つの家は、王都から外れた森のそばにあった。主要な都市からも離れていて、きっと休暇などを過ごすときに使っているものなのだろう。
立地的に、社交は難しいだろう。加えて、2人で住むと言えば、アルは極力使用人も減らす。それは私の心の平穏に繋がるかもしれないが、きっと公爵夫人には繋がらない。
そこに住むのは、逃げだ。少なくとも、私はそう思う。
「分かった。俺の部屋の隣に、君の部屋を用意させておく。……次、あまり言いたくないけど、教育」
こくり、と頷いた。むしろ、これが1番の本題だ。
「信頼できる人を選んで、君の教育を任せようと思う。正直、かなり厳しいスケジュールになるし、リアの大きな負担になる。……それでも、いい?」
『もちろんです。むしろ、お願いします。できるだけ詰めて、短時間で叩き込んでください』
そもそものスタート地点が違うのだ。人と同じようにやっているだけでは足りない。
「俺としては、あまり無理はしないでほしいんだけど」
『……私が、少しでも早く婚約したいので』
「そんなに可愛いこと言われると、話とかどうでもよくなりそうなんだけど」
『すみません。続けてください』
赤くなった頬を隠すように俯けば、アルの楽しそうな笑い声が聞こえる。
「分かった。……リア、応援してるから」
『ありがとうございます』
嬉しくて、ありがたくて。けれどそんなありがちな言葉しか紡げない私は、せめて精一杯の感謝を込めて笑顔を見せる。
「はい、この話は終わり。その次、ここでの生活について。何人か君専用の侍女をつけるつもりだけど、実は1人、もう連れてきているんだ」
そう言って、アルが手元のベルを鳴らした瞬間、控えめにドアが叩かれた。
「失礼します」
その声。自分が聞いた声が信じられなくて、アルに目をやれば、得意げな顔を向けられた。私の驚く顔が見たくて、黙っていたらしい。
「レイリア様、お久しぶりです」
真っ直ぐにこちらを見つめる、ミアの姿があった。
『……』
言葉が出ない私の方へゆっくりと歩み寄ってきたミアは、嬉しそうに、けれど少しだけ困ったような顔で笑った。
そうして、静かに私とアルを見て、ミアは口を開く。
「ただの使用人如きが失礼な口を聞くことをお許しください。ですが、誰よりも長くレイリア様のお側にいて、レイリア様を見つめてきたものとして申し上げます」
ミアは、見たことがない光をその目に宿していた。
「私は、お二人のご婚約を応援することはできません」
そう言い切ったミアは、覚悟を決めたような表情で、真っ直ぐに前を見ていた。
これにて、1章は完結となります。幕間を数話挟んだ後に、第2章、婚約者候補編を始めます。
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