第13話 本当はずっと
「リア……ごめんね」
悲痛な表情を浮かべ、縋るように口にする彼に、困惑を隠せない。
私がアルに謝らなければいけないことはたくさんあるけれど、彼が私に謝ることなんて何一つない。その困惑を感じ取ったのだろう、アルが言葉を続ける。
「こんなやり方、卑怯だ。俺は君に、あのままあの家で虐げられ続けるか、俺と婚約するかの二択を迫った。人前で、有無を言わせぬ方法で。そんなの、後者を取るに決まってる。俺への愛があってもなくても。さっき君は俺を想っているって言ってくれたけど、後者を取りたかったらそう言うしかない。リアは、俺を好きになるしかない。……それをよく分かった上で、俺は実行した」
もう一度ごめん、と呟いた彼は、静かに顔を背けた。窓の方を向いたまま、彼は言葉を重ねる。
「本当に君が欲しくて、おかしくなりそうなんだ。君の意思を尊重したいって、ずっと思っているのに。時々そんなこと無視して、無理矢理君を奪ってしまいそうになる。……ごめん、急にこんなこと言われて、気持ち悪いよね」
そんなことない、と否定したかった。
私は本当に彼が好きで、彼の隣にいる努力をする覚悟だって、ようやくできた。
それを伝えようにも、気がつけば私の手の中には板がなく。いつの間にかアルの手の中に渡っていたそれを、彼はひらひらと振る。
「ほら。俺はこうやって簡単に、君の言葉を、意思を奪える。俺が本気になれば、リアを俺のものにすることなんて、簡単なんだ。……でも、俺は、そんなことしたくない」
静かに、アルが板を差し出した。すぐに受け取ると、私は文字を綴る。
「第3の選択肢。……俺と婚約せずに、普通の人として生きる。もちろん、地位も仕事も、必要なお金も物も、全部俺の方で手配する。負い目に感じるなら、いつか働いて返してくれればいい。リアは、どれを選んでもい」
『あなたが好きです』
彼の言葉を遮るように、私は板を突きつけた。
あの時私が臆病だったせいで、伝えられなかった言葉。そのせいで、どれだけ彼を傷つけてしまっただろうか。
『あの時は、逃げてごめんなさい。私がわがままで、臆病だったせいで。私はあの時、アルに迷惑をかけないために身を引きました。そう思おうとしていました。……けれどあの時私は同時に、公爵夫人となることに、怯えていました。あなたの隣に立つ覚悟がなくて、逃げてごめんなさい』
本当は、ずっとあなたが好きでした。
そう言えば、アルの目が大きく見開かれる。
『アルに迷惑をかけたくないという気持ちはずっと変わっていません。正直、今も怖いです。私のせいで、アルが咎められるのは、本当に辛い。でも、アルが私を選んでくれたのに、試しもせずに迷惑だからやめると決めつけることは、したくありません。……それに私だって、身を引きたくなんてない。アルと、一緒にいたいんです』
強く、抱きしめられた。
ぎゅうぎゅうと痛いくらいの力で抱きしめられ、彼の想いの強さを知る。まだ言い足りなくて、そっと彼の胸を押せば、2人の身体の間にほんの少しだけ隙間ができる。
『努力するにもお金と時間が必要なことは分かっています。そして、それを私が負担できないことも。でも、一度だけ、チャンスをいただけませんか』
静かに、頭を下げた。だが、すぐに無理矢理頭を上げさせられる。
一度と言わず、何度だって、と言って笑う彼が、眩しかった。
『でも、それでも私が迷惑ならば、言ってください。その時は、潔く身を引きます。アルのためにも、私のためにも』
「ない。リアが迷惑なんて、そんなわけない」
『……まだ、わかりませんよ。なので、婚約は、少し待っていただけませんか』
「……嫌」
『私が力不足だった時に、私のせいで、アルの経歴に傷がつくのが、嫌なんです。恋人として、周囲に認められるような人になれたら、その時は、絶対にお受けすると約束します』
はあ、とアルがため息をついた。
「分かってる。リアが正しい。でも、俺は怖いんだ。婚約っていう、目に見える形で君を繋いでおかないと。もしふらっと君がいなくなったら、もし誰かに取られそうになったら、そんな時に、恋人なんて関係は曖昧で不安定すぎる」
『そんなことしません』
「うん、分かってる。リアはそんなことしない」
そう言っても、私を離そうとしないアルに、彼の譲れないものを悟った。
だが、私も譲りたくない。彼に相応しくなって隣に立ちたい。彼に迷惑をかけたくない。それはどちらも、私の本音だから。
「分かった、なら婚約者候補でどう?」
『候補?』
「リアの気持ちが変わらないのは分かった。でも、俺も変えたくない。だから、折衷案」
『……分かりました。候補、でお願いします』
「できれば、そっちを強調しないで欲しいんだけどね」
くすり、と笑ったアル。そのほうがリアらしいか、と呟いて、今度こそ彼は私を抱きしめる。
「これからよろしくね、婚約者候補さん? ……君を、愛してる」
おどけたように呟いて、すぐに真剣な声音に切り替えて。
耳元に流し込まれるその言葉に、背筋が震えた。
私も愛してます。
そう言いたくても、彼の手は私を捉えて離さない。仕方なく彼を抱きしめる手に力を込めれば、耳元でふっと笑う気配がした。
「どうしよ、幸せすぎる。リアが、俺の腕の中にいるなんて」
大切そうに、そう言う彼は、本当にずるいと思う。
胸の中が愛しさでいっぱいになって、叫び出しそうになる。ずっとアルは、こんな気持ちを抱えてきていたのだろうか。
彼の細い指が、優しく私の髪を梳く。短くなってしまったそれをゆっくりと、愛おしげに撫でる彼は、少しだけ笑って呟いた。
「好きだよ」
分かっている。これは終わりではなくて、始まりだ。
むしろ、今までよりこれからの方が大切なのかもしれない。
だけど、今だけは。
この溶けるような幸せに、身を浸していたかった。