第10話 それでも俺は sideアル
終わった、と思った。
振り払われた自分の手を、くるりと背を向けて走り去っていくその姿を、俺は呆然と見つめていた。
いい加減見慣れた不思議な形の帽子を、もう見ることがないのだ、と思ってみるが、実感は湧かない。
振られたのだ、という事実は、どこまでいってもこの胸に染み込んでくることはなかった。
「アイル様!」
再度呼ばれ、魂の抜けたような心地でそちらに向かう。
領地で大きなトラブルがあったようで、用意されていた馬車に乗り込んだ瞬間、山のような書類を押し付けられた。書類の上を滑る目を手で覆い、大きくため息をつく。
次に目を開いたら、仕事に集中しよう。むしろその方が、余計なことを考えずに済む。こじ開けた目で細かい文字を追いながら、意識して仕事だけに意識を持っていく。
トラブルがあった領地はすぐ近くだ。このまま馬車で向かうらしい。あっという間に止まった馬車から飛び降りると、すでに何人かの知った顔があった。
すぐにそちらに歩み寄り、状況を聞く。大きなトラブルは既にほとんど鎮圧されているようで、さほどやることもないようだった。責任と権力を持つものが必要だったのだろう。
むしろ、死ぬほど忙しい方が良かった。
「おいアイル」
「……ああ。ルーカスか」
「リア嬢関連か?」
「……ははっ、分かっちゃうか」
「お前がそんな死んだ目してるの、久しぶりに見たからな」
ずりずりと引きずられ、気がつけば個室の中にいた。どうやらルーカスが押さえていた宿のようだった。机の上に散らばっている書類は、きっとルーカスが見ていたものだろう。
その、綺麗に並んだ文字を見た瞬間にリアのことを思い出してしまうのは、我ながら重症だ。
「ルーカスはどうしてこんなところに?」
「お前を探していた」
「なんで」
「…………見せたいものがあったんだが、まずお前の話を聞かせてくれ。それから考える」
「話も何も、告白した。それで、振られた。それだけ」
無言になったルーカスの表情を見るのが怖くて、顔を伏せる。
目を閉じても、浮かぶのは彼女の顔ばかり。
「どうせ、何を馬鹿なことをって思ってるだろ? 何先走ってるんだって」
「いや」
短く否定したルーカスが、俺の頭を掴んで無理矢理上を向かせる。そのヘーゼルの瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「お前がリア嬢に本気なのは、認める。ここ最近、根回しばかりでろくに寝てないだろ」
「……」
そう、俺はリアに本気だった。
彼女の気持ちに寄り添いたかったけれど、その前に彼女の居場所を作りたかった。彼女の性格的に、俺に迷惑をかけることを心配して本当のことを話してくれないと思ったから。彼女が俺を頼れるような関係を築いてから、彼女の痛みに寄り添おうと思っていた。
そして、その関係は、恋人以外に思いつかなかった。
だから。俺が彼女を恋人にできるように、ありとあらゆるところに根回しをしていた。どうせ本気ではなく一時の遊びだと思われているだろうが、今はそれでも良い。まずは、彼女との交際を咎められることがないようにしたかった。
まさか、ここ一番で俺の身分がリアに知られることになるだろうとは思っていなかった。一瞬凍りつき、静かに距離をとったリアの表情が忘れられなかった。
「でも、振られたよ。終わった。俺が公爵家の人間だって知られたし。もう会えないとも言われた。多分、リアが俺に心を開くことは二度とない」
言葉にしたことで、ようやく、その重みが胸に降りかかった。
「リア嬢の気持ちはどうなんだ?」
問いの真意がわからず、軽く首を傾げて続きを促す。
「お前が次期公爵と知って怖気付いたのは確かだろうさ。明らかに訳ありなんだから。そういう身分云々を置いておいて、リア嬢はお前のこと、どう思ってるんだ」
「……どう、だろうね」
内心ひどく緊張しながら、ネックレスを贈った時のことを思い出す。
少しだけ頬を上気させて、小さく微笑んだ彼女が、信じられないくらい可愛かったことは覚えている。
「自惚れかもしれないけど。嫌われてなかった、とは思いたい」
よく考えれば、俺の身分を知られるより前に、リアの様子はおかしかった。そう思った瞬間に湧き上がってくる浅ましい期待を、無理矢理に押さえつける。期待するな。外れた時に、辛くなるだけだ。
「前に聞いたことだが、もう一度聞かせてくれ。お前はリア嬢を、どうしたいんだ」
「正妻として娶りたい」
迷うことはなかった。結論は、とうに出ていた。
「そのせいで苦しむのはお前だけじゃない。リア嬢を苦しめることにもなるぞ」
「分かってる。俺にできることはどんなことだってやるつもりだけど、限界があるのも知ってる。でも、リアが俺の隣を望んでくれるなら、覚悟を持って俺に嫁いでくれるなら、俺はもう迷わない」
ルーカスを真っ直ぐに見つめた。俺にとって一番大切なものは、リアだ。
「そして俺は、俺のためにリアを落としたい。リアが欲しい。辛くても俺の隣を選んでくれるくらい、リアを俺に夢中にさせたい。最後はリアの意思を尊重したいと思っているけれど、リアに、俺に嫁ぎたいと思わせるために、手段を選ぶつもりはない」
そうだよ、リアのためではなく俺のため。俺が、彼女を自分のものにしたいだけ。
自分勝手な理屈だけれど、それでも俺は、リアが欲しい。
「その言葉、信じるぞ。……これが、お前に見せたかったものだ」
そう言って差し出された、ルーカスの手の上のものを見て、俺は絶句した。
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