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皇親政治

 養老4年(西暦720年)8月3日、右大臣藤原不比等が逝去した。既に左大臣は空席であり、朝廷は政治空白の危機に追い込まれた。

 ここで朝廷が取った方策は、超法規的措置によって皇族主導で大臣不在の朝廷を運営するという「皇親政治」であった。

 翌8月4日元正天皇は、舎人親王を知太政官事に、新田部親王を知五衛及授刀舍人事に、それぞれ任じた。これらは律令には無い役職であるが、知太政官事は太政官、つまり政府の権限を行使する役職であり、知五衛及授刀舍人事は政府の軍事部門である五衛府や授刀舍人を指揮する役職である。

 つまり、大臣不在の状態で、親王が公式な役職にはつかずに行政と軍事を握ったことになる。また、大臣に次ぐ役職の大納言には既に長屋親王が就任しており、公式な役職においても皇族がトップであった。こうした皇族への権限集中は政治空白の中での貴族同士の権力闘争を抑える役割は果たしたが、権力を握った皇族が皇位継承に干渉することが懸念された。

 10月9日、石川石足が左大弁となった。弁官は大臣・大納言を支える太政官の実務機関であり、その筆頭が左大弁である。他の弁官も各氏族の有力者が任じられたが、藤原氏からの任官者はいなかった。こうして朝廷の中枢から藤原氏は一掃された。

 そんなある日、新田部親王が東宮を訪問した。応接間では皇太子と新田部親王が向き合って座り、春宮坊少属の朝妻金作大歳が奥の方で控えて記録を取っていた。

 新田部親王は両隣に自分の息子を座らせ、後ろには何人かの職員を従えていた。


「皇太子殿下にとっては私のような、殿下の祖父と同世代の人間が後見にいても頼りないかもしれませんが、このように私にはまだまだ若い倅たちと一緒に殿下を支える所存です。」

「それは頼もしい。」


 新田部親王は話の中で、しきりに自分の子供たちをアピールした。皇太子の即位後に重用してもらうためであることは明白であった。

 朝妻はそのような中で新田部親王から何か政治的な発言があれば記録しようとしていた。


「大宝元年に今の律令が施行されてから二十年前。ここまで特に問題なく施行出来て、有難いことです。」


 この発言は政治的に意味があるな、と思って記録する。だが、他の発言はあまり意味がありそうでは無かった。


「そうか!新田部も梅の花が好きなのか!」

「殿下も梅の花が好きとは!気が合いそうですな。」

「親戚でありながらこれまで話できなかったものな。」


 これは世間話だ、あまり重要ではない、と。

 このように聞き分けながら記録をつける。すると不意に、新田部親王が朝妻の方へ声を掛けた。


「そう言えばそこにいる男、確か朝妻金作大歳と言ったはずだが。」


 朝妻は一瞬、ぎょっとする。


「前、春宮からの花見の招待に使者で来たのは確か彼だったと記憶するが、殿下は中々礼儀正しくて聡明な部下をお持ちですなぁ。」


 それを聞いて朝妻は少し安心する。自分との関係をばらすわけでは無さそうだ。


「そうか?そなたの家令に欲しいか?」

「いやいや、私のような者が殿下から春宮の職員を引き抜くなど、恐れ多い。もし殿下が即位されたら彼のような者を日本の為に使ってくださるのでは、と期待しておるのだ。」

「なるほど。だがな、彼はやはり――」

「そうそう、彼を雑戸から解放することも提案しようか、と思っている。その方が殿下も彼を使いやすいと思いまして。」

「はぁ、どうして東宮の一職員にそこまで。」

「いや、私は各部署の有能な人材を発掘するのが趣味でしてな、ここに集めた者も実は各部署から呼んできた人材なのだ。殿下のお目に叶うかは判りませぬが。」

「そうなのか?そなたの目に叶ったのであれば覚えておこう。」

「ありがたき幸せに存じます。まず、ここにいるのは治部省の役員でして、この度左大弁になられた石川石足殿の片腕であったものです。中臣酒人古麻呂と言い、仕事は素早くミスなく済ませ、友人も多い能吏です。次に、その隣にいるのは宮内省の役員でして、私たち皇族も日頃お世話になっている訳ですが、特に彼はうちの家令も――」


 朝妻は新田部親王が推薦した名前を記録していく。恐らく彼らも自分と同じく何かの仕事の拍子に目を掛けられたのだろう。そのうちの一人として主人に自分の名前を告げられたのであれば、特に問題は無い。


「なるほど。大叔父様はよく色々な官吏についてみおられるのですなぁ。」


 新田部親王の説明を聞いて皇太子もすっかり感服した様子であった。一通りの話を終えると新田部親王たちは退出した。

 朝妻は残務処理を終えると春宮から退勤しようとした。すると、後ろから声がかかった。


「大歳、大叔父に目をかけてもらえて良かったな。」


 見ると皇太子がいる。朝妻は苦笑しながら言った。


「滅相もございません。どうして私のようなものを覚えてくださっていたのか、ただ恐縮するばかりであります。」

「きっと大叔父は記憶力がいいのだろう。この調子で頑張れよ、大叔父の口添えがあったらお前も近く雑戸から解放されるだろうな。」

「勿体ないことです。」


 大歳は一礼して退出する。東宮を出ると同じ朝妻金作一族の河麻呂がいた。


「よう、大歳。久しぶりに俺の家に来て飲まないか?」

「ああ、偶にはそれもいいな。」

 大歳はそういった後、近くに濃い縹色の朝服をきた男が自分の方を見ていることに気付いた。

「あ、そちらは先程の――」

「ああ、俺は古麻呂と言うんだ。酒に誘おうと思ったんだが、先客がいたか。」


 すると河麻呂が笑いながら言った。


「古麻呂とやら、俺の分も飲ませてくれるならばお前の家でも良いんだぞ?」

「はっはっは、面白い奴だ。いいとも、二人とも俺の家に来い。俺は酒の氏族の出身だからな。」


 大歳と河麻呂が古麻呂の家に行くと、中臣酒人の名通り、様々な酒が置いてあった。


「俺のお勧めはこの清酒だ。」


 この時代、日本酒を巡る文化が花開き始めていた。

 当時は清酒と言っても今よりも純度は高くなかったとされるが、都だけでなく地方でも清酒が作られていた記録があることから、酒を造る技術の向上が全国的に行われていたことがうかがえる。

 酒を飲みながら古麻呂は大歳に言った。


「大歳さん、俺の友達なんだがな、貴方に合わせたい奴がいるんだよ。」

「さっき新田部親王が紹介した中にいたか?」

「いや、いない。彼は帰化人の官吏なんだかな、付き合いが悪いんだよ。酒も女も興味ないって言うんだ。」

「そうか、まぁ、私も河麻呂に誘われない限りは酒を飲まないがな。」

「じゃあ、そいつと似ているかもしれんな。」

「いや、古麻呂さんの話だと彼は中々無欲な人間のようじゃないか。私はな、欲はあるんだよ。」

「ほう、あんたが欲を持っていると?」

「ああ。私はな、この朝妻一族を雑色人の身分から解放して、そして、この国の貴族にしてやりたいんだ。」


 大歳がそういうと河麻呂が大きく笑っていった。


「ほら見ろ、こいつはいつもこういう感じなんだよ。いくら雑色人が働いても貴族になれっこないのに、一切遊びをせずに仕事に集中してんだ。だから俺がこうして偶に遊びに誘ってやるんだよ。」

「いや、河麻呂、こういうのがその内本当に貴族になるかもしれんぞ。それでだな、俺が合わせたいと言っているのは、四比忠勇という男なんだ。」

「四比忠勇?あ、もしかして、数年前表彰された節婦の親戚か?」


 大歳は6年前に百済貴族の末裔が節婦として表彰された、という話を覚えていた。


「そうだ、彼もお前と一緒で仕事熱心でな、ま、いつか一緒に会ってやってくれ。」

「考えておこう。」


 12月21日、朝妻金作一族に朗報が来た。

 大歳との縁者に池上君の、河麻呂とその縁者に河合君の姓が授けられ、雑戸から解放されたのである。河麻呂が追加されたのは、他に一族で誰か親しいものがいれば一緒に解放するとの皇太子からの申し出を受けて大歳が推薦したからであった。

 こうして大歳は晴れて雑色人から公民となった。

 養老5年(西暦721年)1月5日、長屋親王が大納言から右大臣に昇格した。大納言には中納言であった多治比池守が就任した。

 新しく中納言の座に就いたのは、藤原不比等の長男である藤原武智麻呂であった。だが、武智麻呂には皇親政治を打破するだけの実力は無かった。

 9月11日、皇太子の長女である井上王が伊勢の神宮の斎内親王に任ぜられた。背景には非藤原氏の母を持つ井上王を皇位継承から遠ざけたい武智麻呂の意向もあったが、一方で、井上王を内親王とすることで彼女の権威を次女の阿倍王(母は藤原安宿媛)よりも上げたいと言う皇親勢力の意向も強く反映されることとなった。

 水面下での権力闘争が進む一方、藤原不比等の悲願であった律令改正は行われないまま時間が過ぎていった。


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