養老律令
養老2年(西暦718年)、東宮。
皇太子が険しい顔で座っているところへ、1人の女官が入ってきた。
「御産まれになったのは元気な女王様でございます。」
女官が皇太子に報告すると、皇太子の表情が和らぐ。
「安宿媛も無事か?」
「ええ。産後の様子も極めて良好ですよ。」
「それは良かった。」
「それでは失礼いたします。」
女官が退出すると、部屋の前に薄い縹色の朝服を着た青年が控えていた。
「加利さん、ごきげんよう。」
「ごきげんよう。大歳さん、どうかなさいましたか?」
「東宮の反応は。」
「大変良好ですわ。」
「井上王の時と比べたら?」
「比べるのも変ですわ。全然違いますもの。」
「そうか。それは良かった。」
「良かった、って、あんまり言うと大夫人に睨まれますわよ?」
「ああ、それはそうだがな。」
女官は一礼して通り過ぎる。その後暫くしてから青年も東宮を出た。
青年が向かった先は新田部親王の家であった。使用人を呼び止めて言う。
「春宮坊少属の者が来たと伝えてくれ。」
「ああ、はい。」
少し使用人が怪訝な顔をしたが、そのまま去っていった。暫くするとまた使用人が出てきていった。
「どうぞ、お入りください。」
案内のままに進んだ先の部屋には、深い紫色の朝服に黒いシルクの烏帽子を被り、金銀で装飾された帯を身に着け、象牙で出来た笏を手にする紳士が座っていた。
青年はその紳士に向かって平伏する。
「面を上げよ。」
青年が顔を上げると、紳士は笑っていった。
「名乗りをせずに儂の家に来るとは、お前ぐらいなものだ。」
「申し訳ございません。」
「いや、構わん。だがな、お前が自分の出自を気にする時代も、直に終わるぞ。」
この言葉は、青年の心に大きな意味を持っていた。
姓は氏族を示す。姓を名乗ることで、自分がどの氏族に所属するか、判ってしまう。
その氏族を誇りに思うものも、いる。しかし、青年にとってはそうでは無かった。
如何に春宮(東宮)で働く栄誉に与っても、薄い縹色の服を着られる身となっても、姓を名乗ると軽蔑される。自分が公民では無いからだ。
この時代、国民は大きく良民と賤民とに分けられ、良民は上から貴族、公民、雑色人とに分けられた。
雑色人は表向き良民で公民同様官吏となる権利もあるものの、庸調等の税を免除されることと引き換えに、職業選択の自由は無く朝廷に絶対に近い服従を強いられ、何よりも公民からの社会的差別が激しかった。
官吏に就職後も差別はあった。青年は春宮坊の少属という職に就いた。これは本来、従八位下に相当する職である。しかし、青年は未だに小初位上だ。
官位相当が守られないことは少なくないとはいえ、青年はここに位階を定める当局による差別的なものを感じていた。官職は名乗られないと判らないが、位階は着ている服の色で判る。黙っていても本来同格の者から自分が着ている服の色で下に見られるのに、姓を名乗るとどうなることか、判ったものではない。
「ところで、この度産まれた王は女王だと言うが。」
「その通りです。東宮は井上王の時以上の喜びようです。」
「ふむ、それは参ったのう。」
苦笑いする新田部親王を見て、青年は怪訝な顔をした。
「ああ、そうか。儂はお前にこう言ったな、東宮の子が男の子で無ければ、東宮の次に即位するのは儂かその子だ、と。しかし、状況が変わったのだ。」
一息ついて、新田部親王は続ける。
「右大臣はな、何としてでも自分の血を引く者を即位させたいのだ。」
東宮の正妻は右大臣藤原不比等の娘である安宿媛であったが、その間に生まれた子供はこの度産まれた女王一人だけだ。他に昨年県犬養広刀自との間に産まれた井上王もいるが、井上王も女性である。
従って、東宮にこのまま男の子が生まれなければ、別の親王家の男子が東宮の次の皇位継承者となる。現時点で有力な親王は舎人親王と新田部親王だ。
「今、右大臣が律令の改訂作業を行っていることは知っておろう。右大臣はなんと、女子にも相続権を認める大規模な改正を考えているそうだ。しかも、だ。皇位継承においても皇后の子であることを大きな条件にするらしい。もしもそうなれば、仮に安宿媛が男の子を産めず、他の女性が男の子を産んでも、この度産まれた女王が即位することとなろう。」
「それは・・・トンデモナイ大変更ですね。」
「ああ。私としては何としてでもこの謀略を阻止したいと思っている。」
その頃、治部省を一人の男が訪問していた。
「――と、言う訳で、これを新しい律令とすることで右大臣の裁可も得られましたので、治部卿に置かれましても何卒、ご了解のほどよろしくお願いします。」
訪問者の矢集宿祢虫麻呂は、机の上に二十巻の巻物を並べて、治部卿の石川朝臣石足に頭を下げる。石川は巻物の一つと広げながら言った。
「これは当初聞いていたものとは違うではないか!」
何も言わない矢集に向かって石川は続ける。
「今の律令では位田や封田の相続について曖昧だから、その相続放棄について明文化するという事で戸令も改正する、とこれまで説明していたのに、これは一体どういうことだ?田だけではなく、相続法全般の改正、いや、改悪ではないか!」
「石川卿、そこまで言われると私も反論せざるを得ません。これは右大臣も納得されて裁可されたものであり、石川卿もきっと賛同して下さるであろう、と思って持ってきたのです。一体、どこの内容に不満があるのですか?」
「嫡男だけの相続ではなく、極端な分割相続になっている!跡取りをないがしろにするとはどういうことだ?」
「いえ、嫡男は他の兄弟の二倍の相続権を得ます。むしろこれは跡取りの円滑な相続を可能とするものです。」
「いや、他の兄弟との分割相続なのは紛れもない事実だ!こんな内容だと遺産相続をめぐる訴訟が頻発するぞ?ただでさえ賤民や雑色人から公民権を認めろとの訴訟でこっちは大変だというのに!」
「他の兄弟に全く遺産の相続権を認めなかった従来の制度が可笑しいのです。それは確かに訴訟こそ起きなかったかもしれませんが、資産の無い国民を多数生む結果となったのも事実です。中国でも分割相続は行われており、日本も中国のような大国を目指すためには分割相続は必要です。」
「それはあまりにも中国かぶれの見解だ!しかも女性にまで財産相続を認めるとなると、一人一人の取り分は異常に少なくなるぞ?こんな規定、中国にもない筈だ。」
「日本は中国とは違い、女性にも口分田が支給される国ですから。」
「ほら見ろ、さっきは中国を見習えと言い、今度は中国とは違うという、矛盾しているじゃないか!」
「中国の良い面は見習い、日本独自の良い面はそれを反映させていく、と言うことです。」
「屁理屈だな!私はこんなもん、認めん!」
この年、右大臣藤原不比等の裁可を経て『大宝律令』に代わる新しい律令が編纂された。それが『養老律令』である。
貴族階級主体での改革に限界を感じていた藤原不比等は矢集虫麻呂を始めとする下級官吏を登用して律令編纂を進めた。結果、様々な法律用語の在り方が見直された上、国民の生活に密接な関係のある「戸令」に至ってはほぼ全面的に改められることとなった。
だが、そのあまりにも斬新な内容は貴族階級からの大きな反発を生む。
さらに同年9月19日に藤原不比等は息子の藤原武智麻呂を式部卿とした。これは『養老律令』を通しやすくするための人事ではあったが、各氏族から公卿は一人しか出さないのが慣例であった中、そもそも位階的には公卿になる資格のない藤原武智麻呂の就任には反発も大きく、逆効果となった。
反対派が軍事クーデターに及ぶとの不穏な情報も流れ、11月23日には畿内の兵士に初めての動員命令が出されて平城宮の警備が命じられる騒ぎとなった。
しかし、首都を軍隊が闊歩することは却って人心の不安をあおり、治安は悪化した。人々の犯罪を軍事力で鎮圧することも検討されたが、不用意に国民へ弓を向けることは却って君民同治の國體を危うくするものと判断された。
12月7日、元正天皇は元明上皇と協議の上、大赦令を出した。一方で、『養老律令』の施行は無期限延期となった。