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果ての防人  作者: 草枕 駁
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五.ひとばらいのはなし

 「荷物はこれで全部ですね。それでは5日後にお届けに参りますのでよろしくお願いします。」


「はい、よろしくお願いしますね。」


 阿藤穂波(あとうほなみ)が運送業者を見送る頃には、すっかり日が傾いておりました。家具私物等の全てが回収された部屋を、朱い夕日が満たします。全てが朱く染め上げられた空っぽの部屋に立って、穂波は、今日、自分が生まれ故郷を離れて往くのだと、そういう感傷に浸っていました。

 

 ヒイ、リラ……ポン、ポン、カチャン。


 差し込む夕日に混じって、聞き覚えのある音が流れ込んできます。音のする方向を探ると、どうも商店街のある方向から聞こえてくるようでした。



 「すっかり寂れちゃってまあ」


 不動産屋に部屋の鍵を返し、久しぶりに訪れた商店街は、ほぼすべての店がシャッターで閉ざされておりました。そしてそのシャッターも錆が広がり、一部は朽ちて崩れ落ちている有様です。

 これから賑わいを見せるのであろう飲み屋街の方面に、辛うじて集まっている人を一瞥し、件の音を探します。

 人の集まりから察するに、祭りがあるわけではない。しかし、あの音、すなわち祭囃子を、穂波は確かに聞きました。録音したものを飲み屋で流すことはあっても、あんなにはっきりとした音が遠方から聞こえることはありません。


「あの、すいません。今日って何か催し物でもやってますか?」


「催し物?特にやってませんね。いつもどおりの、寂れた通りですよ。変なのに絡まれる前に帰ったほうが良い」


 答えた男は、闇に吸い込まれ消え入るかのように去ってしまいました。


 ポン、カン、ポンカン、ヒィリラ、ヒィ……


 辺りが暗くなるのに合わせたように、徐々に笛と太鼓の音は大きく、近くなっているのを感じます。その音と共に、ある匂いも漂ってくることに気づきました。音と匂いのする方は、町で一番大きな神社。その横にある小さな路地から来ています。鳥居の横には、ここが入口だと言わんばかりの赤い提灯をぶら下がっていました。



 「お母さん、今日はお祭なの?あっちで笛吹いてる人がいるよ」


「今日はお祭りの日だけど、子供は行っちゃいけないよ。戻れなくなるから」


「子供は戻れなくなるの?どうして?お母さんは行ってもいいの?」


「そうだねえ……」


 昔母親と交わした会話を思い出しながら路地を抜けると、人影が出入りする明るい通りが広がっていました。神社、居並ぶ建物が全て反対方向を向いており、どう見ても店主や店員が入って行く裏口通りにしか見えません。

 その中で、一軒だけ、いや一台だけ、神社と同じ提灯をぶら下げている屋台がありました。

 ぐらぐらと沸く湯の中を麺が踊り、屋台からは湯気が立ち昇っています。どんぶりに黒い液体が注がれた直後にお湯、続いて麺が放り込まれ、出されたそれを人影が啜っています。暖簾には「ラーメン」とのみ書かれており、客も特に味を指定せず出されたものを食べています。


「ラーメン一つ下さい」


 開いた席に座っても、穂波が声を発しても店主が何かを言うことはなく、声に驚いたのか影が一瞬こちらを一瞥するのみで、皆同じ挙動を繰り返すのみでした。 

 結構な速さで完成したラーメンが出てきました。不思議なことに、湯気が出ているのに丼は冷たく、洗い立てなのだろうかと思いつつ、レンゲでスープをすくいます。


「食わんほうがいい」


 現れたのは、そこらにいる人影よりも黒い、不気味な男でした。


「店主さんすまんね。この人は『まだ』なんだ。次の人に食わしてやってくれ」


 男は懐から、古い紙幣のようなものを屋台に添えると、穂波に着いてくるよう促して路地を進みます。有無を言わせぬ男の迫力と、母親との会話を思い出した穂波は、とりあえず従うことにしました。


「あの、これは一体」


「だから帰るよう言ったじゃありませんか」


 路地を抜け、街灯に照らし出されたのは、先程穂波尋ねた男でした。


「丼、冷たかったでしょう。あれは生者の食い物じゃないんです。それじゃ、女を連れだす不審者になる前に失礼しますね」


「ま、待ってください!!私、今日で引っ越すんです。ここから居なくなります。もう戻ってこないんです。そうしたらお囃子の音が聞こえて、昔、母親に祭りの日でもないお囃子のするところに子供は行くなって言われたんですけど、町に出たらあの屋台があったんです。だから、だからせめて、さっきのアレが何だったのか、最後に教えてくれませんか!?」


 すたすたと去ってしまおうとする男に、思わず声をかけ、自分でも整理しきれない言葉をそのまま投げつけます。

 

「……私はヤドリと言います。あんた、名前は」


「阿藤穂波と言います」



「昔は普段の祭りの他に、『宵祭(よいさい)』ってのがありました。死者が生者に紛れてお祭を楽しみ、そして満足してあの世に旅立ってもらうための、一種の儀式だった。だから普通の祭りよりも規模は小さいし、そこまで騒ぎ立てることもない。それでも人は集まったそうですがね。あの屋台はその名残なんです」


「じゃあ、催しがちゃんとあったってことじゃないですか!」


「そう、『あった』んです。昔はね。だが今は違う。……ちょいと失礼」


ヤドリは神社に置かれた塩をつまみ、穂波に振り掛けながら続けます。


「あそこにいる人影を見たでしょう。あれは全部この世の存在ではないんです。丼、冷たかったでしょう。あれはあそこがこの世とあの世の境目にあるからなんです。

 たくさんの生者が居る中で、死者が紛れて楽しむ、もしくは供えられた物を食して満たされるならいいが、死者に紛れて生者が死者と一緒の物を喰って、無事でいられる保証がない。霊的なモノに敏感とされる子供なら、あの世に引き寄せられかねない。だからお母様も止めたのでしょう。

 そして今は、半ば趣味でやってるあの屋台の店主以外に生者が居ない。だから止めました。」


 穂波が塩を払い落しながら、神社の向こうを見ます。屋台を閉めたのか、もう提灯の明かりはありませんでした。


 「少し、寂しいお話しですね。人がいなくなって、そういう、お祭が消えていくというのは」


「一度衰退した町が盛り返すのは難しい。現状維持が精いっぱいだ。だからあなたも、死者に、脚を引っ張る田舎のジジババ共に足を掴まれる前に、おゆきなさい」 

 

 数年後、ある街に暮らしていた穂波は、ふと自分の故郷の名前をインターネットで検索します。

 トピック欄には毎年恒例となり一切の変わり映えが無いイベントの事ばかりでした。そしてイベントが行われた神社の画像には、提灯はおろか、路地に続く鳥居すら、残ってはいないのでした。

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