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果ての防人  作者: 草枕 駁
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四.垂水縄(たるみなわ)

 「夢のマイホーム」なる言葉がございます。今がそうかはわかりませんが、結婚して子を授かり、複数階建ての一軒家を購入することは、「男のステータス」でありました。しかし家というのは如何せん高く、例え中古であっても相応の値段がするのが道理。格安物件というものは、何かと、物的、精神的「瑕疵」が憑き物でございます。


 小平(こだいら)は、とある家を購入しました。木造亜鉛板葺き2階建て。築20年。歩いて5分とかからぬ範囲に店があり、交通の便も悪くありません。そして何より――


「安かったなぁ」


 念願叶って遂に手に入ったマイホーム(仮)と、祝杯の味に恍惚としながら、小平は独り()ちました。


 切っ掛けは些細な、そしてありがちなものでした。独身貴族も長じると、精神的に没落するもの。一つ盛り返しを図るべく、ただ溜まり続けたお金を何かに使いたい。そして思い立ったのが、家の購入でした。


「独り身には広すぎるな」「プレハブに毛が生えた程度はちょっと……」「もうちょっといい立地が欲しいな」 


 急ぐわけでもなし、不動産屋とインターネットを巡る日々が続きました。


「条件付きだがいい物件ありますよ」


 そうして紹介された家は、築年数を感じさせない程に綺麗でした。家は角地にあり、部屋は広く、窓の向き、隣家との距離もあります。そしてなにより衝撃だったのは、費用が退職前の小平の貯金で間に合ってしまう事でした。


「いい所じゃないですか!どうしてこんな安いんですか?」


「……この家に、何かが棲みついておるのですよ。」


「何か?」


 眉間に皺を寄せ、顔の皺が更に深まる不動産屋の表情を見るに、どうもただの事故物件ではないようです。


「四日以上家を空けるとな、出てくる。今まで何人かこの家に入ったが、皆それに怯えて手放してしまうんですよ。去年までは賃貸で出してたんですが、借りた女性が凄い形相で『あんな家解体してしまえ!!』なんて言い出しましてね。それで今回、安くていいので売ってしまおうということになったんですよ」


 家の中は明るく、とてもそんな恐ろしいものが出そうな気配はありません。しかし、そのような家をすぐさま手元を放してしまうのも寝覚めが悪いという不動産屋の良心もあり、しばらくは賃貸価格で住み、大丈夫そうであればそのまま差額分を支払うという契約になったのでした。



 最初の異変は3日目、小平が祝杯を挙げた日でした。

 玄関をベシベシと叩く音が聞こえるので、備え付けのカメラを移すも何も映りません。しかし、明らかに「何か」の気配があります。

 「何か」はそのまま窓、勝手口を叩き、開かないと知って諦めたか、音はいつの間にか止んでいました。恐る恐る音がした部分を覗いて見ると、屋根から水でも落ちたか、水に濡れた痕が、一直線に引かれているだけでした。


 次の異変は一週間後に起きました。


「なんか最近痩せましたね。大丈夫ですか?ちゃんと食べれてますか?」


 いつも軽口を叩き合う仲の同僚が、どこかのおっかさんみたいな事を言いだしたのです。


「家を買ったからな。少しは節制してお金を貯めないと。むしろ太るよりましじゃありませんか」


「いやぁそうなんですが、今の小平さんは痩せてるというより、やつれているように見えるんです。朝もふらついてませんでしたか」


「新しい環境は慣れるまでが大変だって言うだろう。マイホームに癒されるようになればむしろこれから元気になるから大丈夫だって。それに、酒飲んだ時の方がよっぽどフラフラだぜ」


 そう言っておどけて見せたものの、確かに最近は何処か踏ん張りがききません。しかし、これは新しい環境に慣れていない故である筈。定期的に窓を叩きに来る音にも慣れて来たし、家に帰ってゆっくりして、そうしていれば大丈夫。そう言い聞かせながら仕事を進めていくのでした。



 そして、3つ目の異変が起きたのは49日目の事でした。


「契約しといてなんですが、大丈夫ですか」


 契約が決まろうとしているにも関わらず、不動産屋の顔は、晴れやかではありませんでした。視線の先の相手が、以前に比べ明らかに痩せこけています。


「ええ、大丈夫ですとも。あそこはいい。休みの日はいつも出掛けていたんですがね、最近は家にいることが多くなったくらいです。」


 眼は大きく見開かれ、頬の横には何かを引っかけたのか、皺とも傷ともわからぬ線が一本。袖から覗く腕は乾燥しているのか、一部が鱗のようにけば立ってさえ見えます。


「売却は今月末です。何かありましたら、遠慮なく言ってくださいね。」

 

 とっぷりと日が暮れた帰り道、小平は電柱によりかかるようにして立っていました。今日はどうにも脚が重い。引きずるようにしてようやく歩けるといった様子です。そんな小平の異様な雰囲気を察してか、道行く人々は避けて通ります。


 やがて横断歩道が青になり、前の人に続いて一歩を踏み出した瞬間でした。後ろから凄まじい力で肩を引っ張られると同時に、頭は後ろに倒れ込み、踏み出した脚は中空に放り出されました。

 倒れ込んだ小平を、恐ろしい形相の鬼が覗き込んでいます。


「な、なにすんだあんた!」


「赤ですぜ」


「何言ってんだ、青だし渡ってる人もいた……」


「歩道の一番前にいたあんたが、一体誰についていこうとしたんですか?」


 ふと奥にある信号を見ると、確かに赤く転倒しています。自分が見たのは幻覚か、もしくは人ならざるものであったと悟ったためか、起き上がろうと力んでいた溜息と共に吐き出され、そのままがっくりとうなだれてしまいました。


「ここで会ったのも何かの縁だ。お兄さん、ちょっとおっさんの人生相談に乗ってくれ。」



 

 「アヤシイ家を買ってから調子が悪い?大家さんからも警告があった?随分と金と命を投げうった冒険をしましたね」


 家に招かれた鬼のような男はヤドリと名乗り、意識の半分を思考の海に投げりながらも、小平の説明に相槌を打ち、そして辛辣な感想を叩きつけたのでした。


 前の持ち主たちが4日毎に現れる「何か」に恐怖し出て行ったこと、自分が買ってからも「何か」は現われ続けていたが、特に害はなかったこと、そして自分の体調は悪くなり続けていったこと。


「いやぁ、ヤドリ君の仰る通りだ。大家さんは女性の入居者に解体しろって迫られたらしい。幸い僕はそれほど怖い目に遭っていないんだ。あぁでも、足が重くて引きずるように歩くようにはなったかな。気づけば腕の皮膚がかさつく、鏡を見れば皺が増える、そして今日は居もしない人に気取られて危うく赤信号を渡るところだったが」


「十分怖い目に遭っていらっしゃるんですよ。お家の中に怪しいものは?」


「いや、引っ越した日に家中を調べたけどお札の一枚もなかったよ。」


「家に『何か』が尋ねてきた時に何かを残して行ったりは?」


「何も、いや、訪ねてくるときは濡れた線が出来てた。丁度屋根の淵の端のあたりだから、雨でも降らせてるのかと思ってたんだが」


 ヤドリはしばし、小平の顔をジロリと見つめます。そうして何か納得したか、ヤドリは「ああ」とため息のような声を上げました。


「くちなわですねえ」



 「これは腰に堪えるな……っ!」


「これさえ終われば体が軽くなる筈ですから、頑張って下さい」


 小平は家の裏、十字路に面している側溝の蓋を持ち上げていました。最近は雨が降っていないためか、排水路は乾いています。


「小平さんちと繋がってる排水溝はここと、ここと……お、あった。」


 庭から伸びるパイプ管にライトを当てていたヤドリは、そのうちの一本から何か黒いものを引きずり出しました。


「これが、縄?」


 取り出されたモノはズタズタになっており、先が潰れています。


「縄ですね。朽ち縄。蛇の事ですよ。尻尾の先が潰されて、逃げ込んだ先の側溝で力尽きた。その後雨でも降れば排水溝から水攻めをされる。だからこの家に住む者に助けて欲しかったんでしょうなあ」


 ヤドリは朽ち果てた蛇の頭を撫でています。不思議なことに、蛇の入っていたパイプ管だけは濡れており、そこから引きずり出された蛇は、勿論水を滴らせています。


「それで窓や勝手口を叩いていたのか……濡れた体を引きずって」


排水溝の蓋を戻しながら、ヤドリは尋ねました。


「この蛇、どうします?どうにもできないなら引き取ります。このままだと役所が拾って焼いてしまうか、鳥が食って終わりですからね」


 小平は蛇をじっと見つめます。濡れているのに腐ることなく、ミイラのように朽ち果てた蛇。助けを求めた結果怖がられ、結果として人を遠ざけてしまった蛇が、今こうして自分の目の前にいることに、何かの縁を感じずにはいられませんでした。


「いや、僕が引き取りますよ。不動産屋さんと相談して、どこかでお焚き上げして貰おうと思います。長年苦しんだでしょうからね」


 ヤドリは回答に満足したかのように目を細め、朽ち縄はタオルに包まれ、小平に手渡されました。



 しばらく後、小平の家の裏に、蛇を模した黒い注連縄が施された、小さな祠が建ちました。「水縄(みなわ)」なる蛇を祀り、そして祠の横に滾々と湧き続ける井戸水がありました。

 特に効能があるわけではありませんが、「告白や大事な事を伝える時は、この水が助けになる」として密かな人気を集めているそうです。



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