大詰め.或ル人ノハナシ
「人は物語を求めずにはいられない」という言葉があります。そもそも、人は物語に何を求めるのでしょうか。見たこと、聞いたことのない世界への憧れ、自身が体験したことのない、経験のしようがないものへの興味、今自身が置かれている状況や現実から逃れたいという逃避、自身の思い出と重ね合わせた追想。求める理由は様々ございます。
ここに在るのは、人が「ここではないどこか」「自分ではない何か」を求め、この世ならざる何者かと繋がったとき、どこからともなく現れて、繋がりを断ち切って回る男の物語でございました。
穏やかな昼下がりでした。空は暗い色の雲が溶け出し、晴れとも曇りともつかず、太陽はぼんやりと雲に覆われ、弱弱しい光で砂を暖めています。森の奥からはウグイスのさえずりが響き、空高くから、トビが突き抜けるような声を上げます。生物の気配が少なく、三途の河へ繋がっていると伝わる湖は、生き物の営みなぞお構いなしに、ただ静かに水を湛えております。
穏やかにそよぐ風と静かに打ち寄せる波の合間に、砂を踏み軋る音を刻ませながら、湖の畔を歩き続けると、やがて細く赤白い巨岩の前に着きます。かつて「鬼石」と呼ばれ、悪霊から参拝者を守ると称えられるもしばし忘れ去られたその奇岩は、今再び、手を合わせて拝む人々を見下ろしておりました。
「草むらから出てきた時は、怖かったです。薄暗いのに真っ黒で、目の前にいる怪物にスタスタと近寄って行くような人ですから。でも、進路に悩んでいる私の相談に乗ってくれて、『自分の居場所を勝ち取る為の戦い』というのが、すごくしっくり来たんです。だから、勝ち取れたんだと思います」
「息子が変な声で暴れ始めたときは、親として情けないですがもうダメかと思いました。でもいただいた薬のお陰で持ち直したのが切っ掛けで、息子は大学の薬学部へと進んでいきました。今にしてみればありがたいことです」
「ボケて徘徊している爺さんを見つけた上に何か喝を入れてくれたらしいんですよ。死ぬ直前で少しの間だけでしたけど、普通に話が出来るようにしてくれたのは本当に感謝としか言いようがない……」
「ウチの裏にね、井戸があるんです。敷地で死んでいた蛇をその人が弔ってくれたからでしょうね。美味しい水が出るんです。なんでか知らないけど学生さんたちがよく汲んでいってますよ」
「今でも夢じゃないかって思うんです。だってそうでしょう。『死者と一緒にご飯を食べるところだった』なんて、まるで映画のワンシーンみたいなことがあったんですから。でも、あの人が教えてくれなきゃ、もしかしたらここに居られなかったかもしれないと思うと、遭えて良かったと少し安堵しますよね」
「変な事を言うんですけど、私は“見える”人なんですよ。でも見えるだけでどうしていいかわからなかった。彼が教えてくれなきゃ、ただの怪奇現象で済ませちゃってたかもしれません。モノの見方を考える機会をいただきました」
「長旅で疲れてたのか、憑かれてしまったのか……婆さんと一緒にスカイタワーを見に行った時にですね。婆さんが施設に入る前に飼ってた猫が二本足で歩いて来たんですよ。家は遠くて絶対にたどり着ける距離じゃないし、二本足で立っている時点で、明らかに“そういう”モノになってしまっているのはわかっていたんです。それでも、彼のことだから、きっと連れて来てくれたんだろうなって思ったんです」
「図書館へよく行くんですけど、その度に思い出すんです。あの時、自分の仮面を取られていたら、一体どうなっていたんだろうって。あの人は、どんな仮面を被って生きていたんだろうかって」
「ヤドリ」という男が居たそうです。怪異に遭遇した人間のもと、どこからともなくフラリと現れ、ある時は手に持つ黒い鉈で叩き切り、ある時は願いを聞き届け、その目的ははっきりとしない。背は並の大人より一回り高く、常に黒ずくめの衣服を纏い、しかめ面の目は常に見開かれ、ダルマのようであったと言います。
そんな男の目撃譚を集めた本は、書店に行けば大抵「旅行」か「民俗・伝承」に分類されて、片隅に置かれておりました。
「こいつと一緒に山を登って、コーヒーを飲むのが至福の瞬間なんですよ。いつだったかの雨の日に、一緒になった人と飲んだのが今でも忘れられませんぜ」
「……僕が描くのは、そのときにだけいる、放っておけばどこかに行ってしまう、異形の何かです。すぐよこにずれ込むだけで入り込んでしまえるような、そういった異界です。
でも、何かの拍子に一人ぼっちになってしまう世界で、妙な熱量を持った人が居ました。どうせ夢だとはわかっていたんですけど、どうにも彼を思い出して描く絵は、動的な熱量を帯びるのが不思議でなりません」
「連れて行かれる、という感覚が怖いという感覚は一生涯抜けないでしょうね。海から手を轢かれたとき、思わず走馬灯が浮かびそうでしたよ。あの時幽霊船を追い払って貰えなかったら、俳人になったんでしょうかね。命というより、魂の恩人です」
「烏とあの人は私たちにとっては縁結びの神様ですね。もしも実体がない存在だったら、祀り上げようかとすら思うくらいです」
「お恥ずかしい話ですが、昔ここのエレベーターで異界への行き方を試したことがあるんです。エレベーターに噂通り女が乗ってきて、降りる直前に話しかけられたときの恐怖は今でも頭に残ってます。結果、着いたは着いたんですが、まるで壊れたゲームのマップみたいな世界で恐ろしかったのは覚えてます。道案内をしてもらわなければ一生あの中だったでしょう」
「私の故郷はだいぶ前に地図から消えました。誰も住んでいないから当然ですね。墓参りに行ったら墓荒らしまでいる始末でした。ただ、この勾玉をくれた人が、私の故郷は決して失われないことを教えてくれました」
「ちょいちょい現実離れしたことが起きて、まさに蜃気楼の中に入ったかのような心地でした。私はあの人に正気に戻して貰った手前言いにくいんですけど、どうにも目の奥から、狂気のようなものを感じずにはいられなかった」
「妖怪とか幽霊よりも、人間が怖いと思うのは変わりません。そういうのには、立ち向かわないといけないとも思っていました。ただこちらはどうにも答えが出ません。逃げていいじゃないかと言われたのには少しホッとしましたけどね。どうもあの人は、それなりに生身の人間も相手していたらしい……」
「小説は良いですね。読んで没入するのもいい。書いて理想の世界を描くのもいい。電車で異界の行き方を実践するよか何倍も、と言いたいところですけど、その時の体験も書くときのネタになりましたからねぇ」
「酔っぱらってるときにかなり上手く介抱してくれたらしい記憶しか残ってませんね。蟲を落としたとかいって何か針のようなものを指して貰ったら、それですっかり調子が悪くなりましてね。正直そういう得体の知れないモノよりも、理不尽にキレてくる上司の方が悩みでしたからね。」
「友達の暴走を止めてくれたのは本当に感謝しております。貴重な文化財まで見つけて貰えて、本当は何かお礼をすべきだったんですけどね。でもあまり慣れてない雪山を捜し歩いてきてくれたのは心配になったけど」
「人に聞いた話なんだが……」地方では怪談がブームを引き起こし、妖怪の地元を見ようという聖地巡礼で、ささやかながらの賑わいを見せておりました。
ある人が言います。「過去にヤドリというお兄さんに助けて貰ったことがある。」またある人が言います。「自分も会ったことがある。」
やがて黒い彼に遭ったとされる人々の情報をかき集めて作り出された本には、異界と現世の狭間を守るように蠢くかれの様子を指して、『果ての守り人』という題名が与えられたと言います。




