二十三.北漁村雪景色
おみくじにある「待ち人」とは、一体誰のことを指しているのでしょう。将来苦楽を共にする異性、待ち合わている仲間、突如として現れる誰か。それら全てに共通する、「自分の人生に何らかの影響を及ぼす人」であるそうです。待ち人は歩いた先に出会うかもしれませんし、待っていることでやってくるかもしれません。
人が途絶えて久しく、それが何であったかも忘れ去られた建物がありました。根元を残して腐り落ちた柱が、溶け出した雪の周囲から辛うじて頭を突き出しています。奥へ進んでもただ広い、真っ白な敷地がそこにあり、掘っ立て小屋の倉庫と言われれば納得してしまう程のオンボロなそれは、真ん中に吊り下げられた鈴が辛うじてここが神社であることを示しています。久方ぶりの参拝者を迎え入れました。参拝者は、墨汁をたっぷりと含ませた筆の様に黒く、白紙のような雪原を横切ると、今にも千切れてしまいそうな麻紐を振り回し、錆に軋みながら響く鈴の音を聴き、そして二回、破裂音のような柏手を打って合掌します。
その様子を見た杉崎陸は、このような辺鄙な場所に、「言われた通り」人が現れたことに大層驚きました。そして、恐る恐る、墨染めの参拝者に近づきます。
「研究員の、方ですか」
「白衣を着ずに廃墟をうろつく人間が、あなたには研究員に見えるのですか」
ぐらりと振り向いた男の顔は、頬がこけ目は陰り、その奥に宿る光は、鬼火のように炯々と杉崎を睨みつけております。眼光に怯みながらも、上から覗き込むように挑発的な物言いをする男に、杉崎は思わず対抗心を抱いてしまいました。
「突然すみません。俺の、いえ、私の友人が、近くここに研究員が現れるだろうと言っていたので、てっきりあなたがそうなのかと思ったんです。ここは普段、全くと言っていいほど人が寄り付きませんから」
「そのご友人は、何の研究者が現れると言っていたのですか」
「妖異。妖怪やら都市伝説といったものを、研究する機関があると言ってました」
「このご時世に、まさかそんな、どこぞの月刊誌で取り上げそうなことを言うとはとんでもない。それで、その研究機関に会って、あなた何をしようって言うんです」
「私の友人に、会って欲しいんです。そして可能であれば、その月刊紙で取り上げそうなことを言って回るあいつを、止めて欲しいんです」
「私は妖怪やら都市伝説に個人的な興味はあるが、どっかの機関に所属しているわけじゃない。それでもいいなら、会ってみましょう」
そんなわけで、杉崎は廃神社にたむろしていた不審者を、藁にも縋る思いで案内するのでした。
「大輔!」
「おう、戻ったか陸!ん?あなたはもしや……!」
「ヤドリといいます。ただの旅の者です。研究者では、ありませんよ」
男は、野沢大輔と言いました。杉崎によると、野沢は地元の漁を手伝っており、そろそろ雪が溶け出してもいい季節だというのに吹き込む雪を「雪女の仕業だ」と触れ込み、街へ降りてはビラを配り、SNSで情報拡散を繰り返していました。そして、いつしか「研究員」と称する人が村を訪れたことがあるという話を耳にし、彼の「活動」は更に活発になったというのです。
「ほお!ヤドリさんも妖異や伝承を見て回っているのですか!それは素晴らしい。ならばこの異常気象も妖異の仕業であることがよくわかりましょう!!」
「10年以上前にこれよりひどい豪雪に見舞われたことならありますがね」
「この度の雪で、大きな被害はありませんでした。しかしこの時期になって、猛烈に風が吹き始めているんです。これが超常の減少とわかれば、すぐにでも国の研究機関がこの村に来るでしょう」
「その研究機関の名前はご存じで?」
「いやあ、それが、表ざたに出来ないものなのか、名前がわからないんですよ。しかし以前にこの村を訪れていたのは事実として住民たちが話してくれているし、インターネットで調べれば彼らの情報は入ってきます!もうじき、もうじきなんです」
人の気配が少ない寂れた村を、ヤドリはフラフラ歩いています。時節、漁に使うのであろう道具を手入れする老人や、釣りに訪れている人々に声をかけ、村の集会所を眺めたりする様は、杉崎にはいささか悠長にしているように感じられました。
「あの、ヤドリさん。大輔は、大丈夫なんでしょうかね」
「私が何かせずとも、明日にでも自分の探している研究員とやらが現れないことを思い知りますよ。それよりも杉崎さんは、随分と野沢さんを心配するのですな」
「数少ない同級生ですからね。ヤドリさんが見た通り、ここは小さな漁村です。俺は仕事をするために街へ出ました。アイツはここに留まりました。このまま寂れていくのが目に見えてる村で、一体何をするつもりなのか、正直心配なんですよ」
相槌を打ちながら、ヤドリは村の郷土史に目を通します。古い写真には、能と神楽を合わせたような、混とんとした民俗芸能の紹介が載っておりました。
次の日。村は夜から吹雪に見舞われ、しかし昼にはぴたりとそれが止み、陽が差しておりました。この天候の急変を「神がかり」と捉えた野沢は、嬉々として外に出かけ、かつて研究員が訪れたという、山の麓の能舞代の上に立っていました。
「研究員は見つかりましたか、雪女は居ましたか」
肩を震わせ、目の前の現実に打ちひしがれる野沢。かける言葉が無い杉崎に対し、容赦のない現実を言葉にするヤドリ。
「違う!俺は……俺は見たんだ!雪女を!そうでなきゃ、ここまで雪は降らない!風も吹かない!じきに必ず国の機関が来る筈なんだ!」
「最近の異常気象は今に始まったことじゃないし、ここだけの話でもないんですよ。全国ニュースをご覧になられましたか?雪が積もらぬと言われた都でさえ、ここ数年は一面真っ白なんてよくある話だ。周りの山でも残雪は例年より多い。ここに雪女が居るというなら、全国に雪女が居るということになる。少なくとも、ここが特別であるということの証左には、ならない」
「そんな、そんなことはない!……そら!風が吹いてきた。あんたのような存在が不快だと、山の神たちがお怒りになっているんだ」
ビョウビョウと音を立て、舞い上がる雪を見た野沢は喜びの奇声を上げると駆け出してゆきます。後を追おうとする杉崎を、ヤドリは手を挙げて制します。
「連れ戻してきます。お部屋を暖めて、飲ますためのお湯を沸かして待っていてください」
「あいつ、正気に戻れるでしょうか」
「本当に彼が取り憑かれていて、ここに山の神が居るというのなら、この風が彼に憑いたモノを払い落してくれるでしょう。後はご友人の杉崎さんが、彼をこの世に留めてくれれば良いのです」
ヤドリは、ニイと笑うと、腰程に積もる雪をズンズンと雪かき分けながら登ってゆきました。
「ここは特別な地で、だから人が少ないんだ」
「ここは特別辺鄙な村で、若者が皆出稼ぎに行っちまった。残された爺さん婆さんは介護施設に行くか死んじまって、だから人が少ないのさ」
「自分を祀らない山の神様が怒って雪女に吹雪を吹かせてるんだ。だから今年は雪が多くて、それを調べに国の研究員が来るんだ。俺は案内役になる」
「この程度が神霊の御業とは聞いて呆れる。この村が潰れでもしない限りはお国が腰を上げる筈もない」
陽が沈み、風の音と冷気が二人の耳を削ります。
「これが山の神の怒りだ。じきにお前は、この山で死ぬ」
「そうか」
そう呟いたヤドリは、次の瞬間に巻き上げられた吹雪に掻き消え、後に残された野沢は勝利を確信して笑い声をあげました。そう、ここには神がいるのだ。それを奉る自分が正しい。人が少なくなっても、ここに留まり続けた自分が正しいと。
しかし、上げた声とは裏腹に、野沢の気持ちは徐々に小さくなっていきます。一時の感情に身を任せ、決して良くない天候の中で一人山の中に突っ込んだのです。急いで戻ろうと雪に足を取られながら歩き、自らの足跡を追い続けるも、吹雪で帰り道が掻き消えていることに気づきます。自分が後ろに残した足跡を頼りに真っすぐ引き返し続けても、一向に終わらない山道に、やがて疲れと恐怖からその場にへたりこんでしまいました。
風が止んでもしんしんと積もり続ける雪。生物の気配を、音を、覆い隠してしまう雪。野沢は一人になってようやく、ソレと対峙する恐怖を理解しました。この静寂への恐怖が、今日に伝わる雪女を生み出したのだと。そこに、雪女が実在するか否かはどうでもいいことだったのだと。
「助けてくれ、陸、帰りてえよ……」
心細さから自分の行動を顧みる野沢は、どうあっても自分の傍に居続けてくれた友人に助けを求めながら、涙声を漏らして再び歩きます。自分が見知ってきたはずの山は、こうも簡単に姿を変え、そうして迷い込んだものを返さない。
その恐怖心からか、歩き続ける野沢の前に、ある人影が立ちはだかりました。服は白く、細い姿はヤドリや杉崎の背格好ではありません。それでも、暗闇と寒さにあって、人影を見つける心強さは、不審さを大きく上回る者でした。
「た、助けてください」
話しかけた野沢はしかし、次の瞬間には悲鳴を上げました。上げたつもりでした。
声に応じて振り返ったのは、カッと目を見開き、牙と角を生やした女――つまり般若面を被った白装束の女だったのです。
次に目を覚ましたとき、野沢は自分に掛けられていた布団をはね飛ばしたことに気づきました。
「おはよう」
声がした方を見ると、杉崎が急須にお湯を注いでいます。
「陸……?どうなっている?俺は山に入って」
杉崎は湯呑を野沢に差し出しながら、壁の一角を顎で指します。
「あっ……!」
そこには、ボロボロになった鬼の面と、ビニール紐が絡まった蓑が掛けられておりました。
「ヤドリさんが、それをみて卒倒したお前を担いできてくれたんだよ。何も無いと納得しないだろうからって、それも持ってきてくれたんだ。それで、集会所でな、そこいらの爺さんたちに聞いてみた。神楽に使っていたらしい。祭りの日とか年明けなんかになると、民話を題材にしての能舞や獅子舞をやっていた。そしてその中に、雪女の話もあったらしい。」
「じゃあ、俺は、昔の出し物を必死に探しまわってたのか。それじゃ、国の機関なんてものが、来る筈もねえよな、ハハハ……」
がっくりとうなだれ、消沈する野沢。啜ったお茶の温かさが、余計に自分を惨めにさせているようで、思わず鼻の奥が熱くなっているのを堪え、大きくため息をつきました。
「いや、そうでもなかったぜ。」
「は?」
「村の神楽面は大学に保存されているんだと。もう舞える人がいないからな。で、あと一つがどこを探しても見つからなかったそうなんだ」
「じゃあ、あと一つが、あれだったのか」
「来週にも大学が調査のために来るそうだ。別に大きなニュースになるようなものでもないけど、無駄にはならなかったみたいだな」
しばらくの後、ある地方紙に、「失われた神楽の復活」という文字が踊り、その記事に、杉崎と野沢が写ることとなりました。
ヤドリは、野沢が倒れていた辺りを漁っておりました。ひと際大きな木があり、般若の面とビニール蓑が掛けられていた錆びまみれの釘が刺さっています。釘は容易く引き抜かれ、手に持つ黒い鉈で皮を剥ぎ落すと、ボロボロの白い布きれが、挟まっておりました。ヤドリは布切れを全て取り出すと、マッチを当て、広がる炎の中に錆釘も放り込んでしまいました。
「掃き溜めだな、北の国は。いや、呪詛の吹き溜まりか」
空気中に舞い上がった燃えカスは、北にある山へと吸い込まれるように、吹き飛んでゆくのでした。




