十八.漂泊者の拠る所
盆に正月、何かの節目に、帰る方は多いものかと存じます。しかしながら、ふと振り返ると、帰るべき実家が既に無く、帰郷を伝える者すらいない。そのようなことが往々にしてあるのは、少しばかり寂しいものです。
空そのものがそういう色であったかと錯覚させる程に、満遍なく、そして隙間なく敷き詰められている鉛色の雲の下を、湊本は歩いていました。
車が入れないほどに細く、脇からガードレールを乗り越えた野草が道路にしだれかかり、そして土が見える寂しい田舎道を、迷いなくスタスタと進みます。
この道の行く先を、自分以外に誰が知っているのだろう。自分が来なくなったら、誰が来るのだろう。近くに山菜取りの爺さん婆さんでもいるのだろうか。
鬱蒼とした茂みを払いのけ続けていくうちに開けていく視界の先には、山菜取りにしては怪しい見た目の人影がありました。その人影は、道の開けた先にある小さな石碑を見下ろしながら、何やら思案しております。
「おや、どうも。山菜採り、ではなさそうですね。地元の方ですか」
「どうも、私は墓参りです。ここの地元民はもういないのでね」
湊本は全身黒ずくめの男に多くを語らず、男も再び歩を進め始める湊本を止めることはありませんでした。
石の隙間から伸びる草を引き抜き、風化してあちこちが削れ、欠けた石の前に、掌に収まるサイズの小さな鏡を置いてから、酒と米、いくつかの菓子を供え、湊本は手を合わせます。周囲は枯れゆく草花を押しのけて薄の穂が立ち、生ぬるい風の中にそよいでいます。
荒涼とした静けさの中で、かつてあった喧騒に想いを馳せるひと時が、湊本は好きでした。あの家には誰が住んでいたっけか、同級生の奴は元気にしているだろうか、最後まで住んでいた婆さんは流石にもうくたばったろうな、この墓の下か……
黙想を打ち破ったのは、その廃屋から発せられる物音でした。物をひっくり返し、それをどこかに投げやる音。それが何かにぶつかり、割れる音。
さてもさっきの男の仕業かと駆けつけると、その男は家の中でなく、湊本とは反対の道から現れます。
「おや、違いましたか」
「私の目的は家探しではないですからね。そちらこそ違ったんですか。墓参りついでに何か取りに来たものかと思ったんですがね」
このまま放っておいても帰路が危ない。そう考えた二人は家の戸の前まで来ると、湊本がドアノブを握りしめ、男は鉈を腰に差して反対側に張り付きます。ごとり、パリンと絶え間なく続く音が途絶えたのを合図に湊本が戸を開け、男が足音も立てずに中へと滑り込んでゆきました。
「!!!なんだお前っ」
「私はただの旅の」
「お前も『鍵』を探しに来たのか!!!そうはさせんっ」
家の奥にいたソレが甲高い声で叫び出すと、湊本も家に入り込み出口を塞ぎます。男は投げ付けられる食器を鉈で叩き割り、更に大きな椅子やラジオは掴んで横に投げ捨てズンズンと相手に接近していきます。
追い詰められているソレは、ガリガリにやせ細った年若い男でした。眼は焦点が定まっておらず、髪はボサボサと生え伸び、来ている服も長らく洗っていないのか赤茶けています。横からもう一人来ていることに気づいたソレは、更に素っ頓狂な声で「キョエエエ!!!」と奇声を発すると、窓ガラスを叩き割り家から這い出て行ってしまいます。後に残ったのは、鉈を構えて腰を落とす男と、椅子を構えた湊本でした。
「すみません、逃がしました」
「……いえ、まだ追いかけられそうですよ」
湊本が椅子を下ろして指さしたのは、割れた窓の破片についている血痕でした。
「よほど焦っていたのかそもそも頭がおかしいのか……どうします?」
そう問いかける湊本の心中に、滾るものがこみ上げてきます。仮にこの男が応じなくとも、きっと一人で追いかけるだろうことは、誰の目にも明らかでした。
「あなた、中々血気盛んな方のようだ。私も血の気が多い方でしてね」
空一面に敷き詰められた雲が、そろそろ溢れ出さんとしているのか形を変え始めた頃、二人は点々と続く血痕を追いかけていました。追いかけるといっても、そう大きくない目印を注視しながら下を向いて歩く上に、特に急ぎもしなかったためにのんびりとしたものでした。
「妖怪変化や怪異を求めて全国放浪とは、ヤドリさんは変わった人だ」
「フフ、変わったことをしないとそういう連中には遭えぬものでしてね。湊本さんこそ、誰も来ない墓にわざわざ一人で来るとは変わっている」
「私以外は、もう誰も訪ねて来ませんからね。墓じまいすらまともにやれないほどに、みんな離散してしまった。かくいう私も、もうここには来られないのですが」
「ほう、転勤か何かで?」
「ええ、拠点が変わるんです。海外に行く機会も増えるし、これからは自分の家族を養うので精いっぱいです。もう時間も取れないでしょう」
「……成程。ところで、さっき家にいたアレが言っていた『鍵』ってのは、何なんでしょう。見た限りでは、ここに何か秘密はあるとは思えませんが」
「検討も付きませんねえ。この村は過疎化、限界集落となって住む人が消えただけです。特にめぼしいオタカラがあったなんて話は聞いたことがない」
ヤドリは、ふーむとため息のような声を漏らすと、またトボトボと血痕を辿り、まだ乾いていないそれを見つけると、目でその先を追います。そこには、湊本が手を合わせた墓と、墓の前で、血痕の主が蹲っているのが見えました。
「思ったより失血してるんじゃ、死なれちゃまずい」
最悪の結果が頭を過ぎり、駆け出そうとする湊本にヤドリが待ったをかけます。
「いいや、そこまでの心配はなさそうだ」
ガツガツ、ムシャ、ムチャ、クチャクチャ……
墓前から聞こえてくる不愉快な咀嚼音。ソレは、傷の悪化ではなく飯を食うために蹲り、湊本が備えた供物を獣のように貪っているのでした。
供物と墓前を荒らされたことを知った湊本は、弾かれたように飛び出し、ヤドリもこれを止めません。
「おい、鍵は見つかったのかよ」
若者は湊本の声でようやく後ろに気づくも既に遅く、慌てて逃げ出そうとしたところを蹴倒され、なおも逃げ出そうとする腕を掴まれ、再び墓前に叩きつけられます。
「放せっ鍵は渡さんぞ」
なおも暴れようとする若者は、脇腹を蹴られて昏倒し、その拍子にポケットに入れていたものを落とします。
「これが鍵だって?何を言っているんだ」
すかさずヤドリに拾い上げられた『鍵』は、湊本が墓前に捧げた鏡でした。
「とっとぼけるなっ俺は知っているんだぞ。ここには昔、大和朝廷に対抗した民族が、居た。彼らは朝廷に敗れた後、再起を図るべく異世界へと渡った。その時に、使った鍵なんだろう」
息も絶え絶えに持論を重ねる若者に、湊本の瞳の奥から鋭い光が宿ってゆきます。そして、鏡をヤドリから受け取ると、
湊本は、鏡をそのまま握り割ってしまいました。
「お前、俘囚という言葉を知っているか」
「な、なに…?」
「昔のことだ。ここいらに朝廷の威光が届いていなかった頃、確かにエミシと呼ばれる民が暮らして居た。朝廷は彼らを平定すべく兵を動かした。征夷大将軍と言う奴さ。そしてそのとき、大勢のエミシが捕らえられ、有無を言わさず住み替えさせられた。そうしてエミシは全国に散って行った。地図もない時代のことだ、故郷に帰れないエミシは集まり、小さな集落を作って住むこともあったらしい」
「そ、それが」
「この村の成り立ちさ……わかるか?帰れなくなった者達の拠り所だったんだ、ここは。異世界へ渡るだと?でたらめだ。そんなものはない!!」
「う、嘘だ!そんなはずはねえ」
「……お前、名前は。実家はあるのか、親はいるか」
「よ、米村。親は、一応実家にいる……」
「なら帰れ!!ここの集落は貧乏だった。日々飯と寝床のことで頭はいっぱい、若い者はここを出て、残った老人はあの世という名の異世界に逝って、それで終わりだ!!!早く行け、今なら近くのバスにまだ間に合う……」
湊本に気圧された米村は腰が抜けて立てず、ヤドリの介助と食糧をもらい受け、ヘロヘロと去ってゆく様を見送られるのでした。
「少しばかり、騒がしい墓参りになっちまいましたね」
「いや、それでいいんです。私はもう、エミシでもなんでも無いんでね」
ようやく流れ始めた雲の切れ目に、青と朱の空が見え始める頃。
「正直あいつには悪いことをしました。私にはもう、帰る故郷がないなんて言いつつ、いざほったらかしになっている家や墓を荒らされると怒り出さずにはいられない」
「確かに、湊本さんの故郷は事実消滅しました。もはや地図にも残っていない。それでも、湊本さんはそんな消えた故郷も含めた『この国』の守り人という御役目がありましょう」
「私の所属をご存じで……?」
「短く刈り込まれた髪と、よく鍛えられた全身。拠点が変わって海外にも行く機会があるってところから、予想はされる先は、海軍かしらと思いましてね。
あとは、目つきです。ああ、厳ついとか怖い目つきという訳でなくってですね、警察やらそういった方はですね、目の奥に鋭い気配がする。そんな気が、するんです」
「いや、驚きましたよ、よく人を見ている。旅をしてると、そういうのは見えてくるものなんですか?それとも、妖怪たちを追いかけているから、見えてくるものなんですか」
「暗闇に目を凝らしても、目が慣れるか、あの米村とかいう男のように幻が見えるだけです」
それもそうかと納得するも、どこか気が晴れない湊本に、ヤドリは一つの勾玉を手渡します。
「これは?」
「村の中央に黒曜石を拝借して作ったものです。急ごしらえなので出来は悪いですが、自らの故郷を離れて、誰かの故郷を守る湊本さんへ、ささやかながらの贈り物です」
盆や正月、何かの節目を、湊本は必ず勾玉と共に迎え、何かあるのかと同僚や部下に尋ねられた時は決まって、「これが俺の魂の故郷さ」と笑って言ったとのことです。




