十六.黒羽の仲人
カラスに抱くイメージに、どのようなものがあるでしょう。ゴミを荒らす、群れる、ガアガアと不快な声で鳴く、鳥獣の分際で知能が高い……あまり良くないイメージが多い一方で、神の遣いとされたり、羽色を美しい髪の喩えに用いられたりもしています。
街から大学へと伸びる二本の長い坂は、それぞれ「旧道」、「新道」と呼ばれていました。旧道は道幅が狭く急こう配である代わりに街に近く、学生向けの寮や借家が立ち並ぶ住宅街が広がっています。新道は道幅が広く坂は緩やかであり、街の大通りに繋がるものの、周りは田畑が続く長閑な道でした。
大熊は、駐輪場の電灯に照らされている愛車に跨り、すっかり空っぽになった駐車場を勢い良く抜け出して、新道の長い坂を自転車のライトで照らします。
日が落ちたというのに未だ生暖かい風を一身に受け、耳に絡みつきゴウゴウうねる風を聞きながら、自転車から放たれるか細い光源と、頼りにするには間隔が空きすぎている電灯を辿り、街へと続く道に滑り落ちます。
新道は、昼には多くの車が行き交うものの、夜になると途端に往来が途絶えます。坂の上に用事のある者は特におらず、通るならばより街との距離が近く、人の気配が少しでもある旧道の方がいい。誰もがそう考えるのは当然のことでした。しかし大熊は、電灯の影、林の奥から不気味な泣き声が聞こえて来ようと、光の届かぬ田んぼの水底が不気味に闇を湛えていようと、全くもって関係ありません。
暗闇がもたらす恐怖心はペダルを踏み込む力に変わり、山林を、田園を、光の乏しい夜の闇を、細い光となって突き抜けてゆくのでした。
「ようライダー。お前もようやるね」
登校で全身汗だくとなり、水道で頭と腕を冷やしている大熊に、同級生の藤里苦笑いを浮かべていました。
「スポーツマンでもなきゃあの坂を自転車で登ろうなんて思わんぜ。昨日も新道降りてったんだろう?気をつけろよ」
何か気を付けることでもあったかと頭にはてなマークを浮かべる大熊に、藤里は驚き呆れた様子で続けます。
「下校中の女子がカラスに襲われたって話題になってる」
「そりゃ盆前の話だったろ。繁殖期で気が立ってる時期だろうし仕方なかったんじゃないか。今は時期を過ぎてるし、チャリ通学の俺が襲われてない。今も襲われてるんなら、どうせ彼氏とつるんで悪戯でもしたんだろうさ」
「……随分カラスの肩持つな」
「いや、モテない男の僻みだよ」
大熊はキリキリと歯ぎしりをしながら、悔しさをぶつけるようにタオルを絞る手に力を入れました。
「おい大丈夫か!転んだのか」
次の日。いつものように登校し、汗の始末とクールダウン中の大熊を見かけた藤里は、大熊から水に混ざって赤いものが流れているのを発見しました。大熊の腕には3本のひっかき傷があり、量は少ないものの血が出ています。
「いやカラスだよ。連中の爪と羽を舐めていた」
やはり襲われたのかと驚く藤里に、無事な方の手を振って違うと示し、大熊はちょっとした非日常体験を語りました。
「いつも通り新道を上ってたらな、今日は車の行列ができてる。俺は自転車だから渋滞なんて関係ないって進んでたんだけどな、途中で皆何かを避けて進んでるのが見える。しかも避ける時はやたらと減速してるんだ。誰かタイヤでも落としたのかと思って見てみたら、カラスだったんだよ。まだ小さかったから、巣立ち直後でうまく飛べなかったとかそういうのだと思う。生きてるから皆ビビッてゆっくり避けてたんだろう。とりあえず拾ってすぐ横の林に放してやったんだけど、羽で叩かれるし爪が刺さるし親鳥にも頭を叩かれたよ。我が子を連れてこうとしてるようにしか見えなかっただろうし仕方ねえけどな」
「ほーん、まあお疲れさん」
汗拭きタオルを包帯代わりに巻き終え、平然と講義を受けようとする大熊の手をがしりと掴んだ藤里は、そのまま消毒液を貰いに保健室へと引きずっていきました。
「鳥を助けた直後に鳥肉ってどうなのさ。こういう時くらい違うの頼みなよ」
学食で毎度の如く鶏の照り焼きを頬張る大熊に、藤里は思わずため息をつきます。
「これは鶏だし構わんだろ。よもや『あのとき助けていただいたカラスです』なんて黒髪美少女が出てくるわけでもあるまいに」
「なんだお前黒髪フェチだったのか」
「『烏の濡れ羽色』なんて言葉があるくらいだから、どうせ出てきてくれるならそういうのがいいって話だよ。それに男子たるもの、黒髪大和撫子には憧れるもの……なんだお前黒髪嫌いか?」
「いや……似合わない人からすれば黒髪は頭が大きく見えるから嫌なんだよ」
憮然とした顔の藤里に気圧された大熊は、「そうか」としか返せず、何とも気まずい空気の昼休みとなりました。
夕焼けに照らされた新道は、まだまだ青い木々を紅葉へと染め上げていました。
「悪いねえ買い出し手伝ってくれなんて言っちゃって」
「それは別にいいけど……歩いていくのか?バスで先に行ってもいいんだぞ。俺が走っていくから自転車に乗っても……」
「たまにはね」
買い物の荷物持ちを頼まれた大熊は、昼に機嫌を損ねた後ろめたさから二つ返事で了承しました。
「バスは使わないのか?」
「定期代が馬鹿にならなくてな。いい運動になるし、帰りは気持ちいいぞ。あと、お守りを探していてな」
「お守り?」
「一年生の時に無くして、家に帰ってから気づいて、泣きながら探したんだけど見つからなくってな。今でもどっかに転がってないかと探している」
「どんな奴?」
「いや、もう見つからないだろうし、いいんだ」
道中でとりとめのない話をしつつ、どうして藤里が怒ったのかを探るつもりであったものの、これといった確信を得られずにやきもきしていたところです。
新道の路傍には駐車場兼休憩スペースがありました。普段なら麦わら帽子の爺さん婆さんが、畑でとれた作物かアイスを売っている場所に、明らかにそれらとは異なる、黒ずくめの人物が佇んでおりました。
「まさか本当にカラスの……」
恐怖と期待を込めつつも、大熊は先行して歩を進めます。
「あの、すいません」
濡れ羽色と言うには余りにもどす黒い髪の、服も靴も真っ黒な出で立ちの人は大熊に気づくと、低く、重い声で「はい?」と応答します。
「実は今日、ここらへんでカラスの子どもを助けまして」
「ほう」
「もしかして、カラスが顔見せに来てくれてないかなーなんて思って」
「私はカラスでないヤドリといいます。カラスならさっき群れが林の方に飛んで行ってましたよ」
カラスの化身と少しでも思われていることを察したのであろうヤドリの一言に、恥ずかしさで思わず肩をすくめる大熊に、ヤドリは「ああそういや」と続けます。
「これ、お兄さんのですか」
ヤドリが差し出した手の平に、ボロボロのキーホルダーが乗っていました。恐らく本は白かったのであろうメッキが剥がれ、ほとんど銀色に変化しています。
「確かに俺のです」
探し続けていた「お守り」との突然の再開に驚きつつも、言葉の端が震えてしまうほどに喜びを隠しきれません。
「小さい奴がね、さっきここに落としていったんですよ。巣にでも入ってたんでしょうね」
大熊の手にポトリと鈴を落としたヤドリは、さっさと坂を降りて行ってしまいました。後に残された大熊は久々のお守りとの再会に感じ入り、藤里は「お守り」の正体に目を丸くします。
「それ、私があげたやつじゃん!そんなの探してたの!?」
大熊の顔が、照らされる夕日にも負けないほど赤くなっているのが見えます。
「親以外の異性から物を貰うのが初めてで、とても嬉しくて……別になんてことのないただのお土産だったのかもしれないけれど。だから無くした時は泣いたよ。今は嬉しくて、情けなくて、恥ずかしくて、泣きそう」
藤里は、朝よりも昼よりも深く、とても深いため息をつくと、大熊の肩を、バシと叩きました。
「茶色に染めてあるから黒くないし、美少女って程ではないかもしれないけれど」
しばらく硬直し、言葉の意味を理解した大熊は二度と無くさないよう、鈴をバッグにしまい込みます。
「ありがとう。黒髪の美少女は出てこなかったけど、もっといい人に出会えたみたいだ」
林の奥では、カラスが寝入る前の合唱を始めていました。




