十五.校門河岸(こうもんかし)に立つ
「盆に海へ行ってはならない」
お盆の時期になると、水難事故が目に見えて増えます。帰省した人が、夏休みの学生が、田んぼの様子を見に行った老人が、川で、海で、用水路で。まるで引き込まれるかのようにザポザポと水面へ飛び込んでは流されてゆきます。
夜が明けて間もない頃、鶴賀は上司からの着信で飛び起きました。
「これから避難所を作るんだが人が足りない。すまないが来られるか」
「すぐに向かいます。避難所の場所を教えてください」
突然のお誘いにほくそ笑みながら、鶴賀は「準備」を始めるのでした。
「すまんねえせっかくの盆休みというのに呼び出してしまって。ご飯は大丈夫かい?備蓄ならまだ大丈夫そうだが」
「とんでもない、これで貰う手当と体験談が彼岸の土産話になるってものです。それに食料はキチンと買ってきてますよ」
「本当かい?ならいいんだが、あまり気を張らないでくれよ。君のお陰で避難所は随分早く設置できたが、交代要員がいつ来るかわからない。気長にやろうな」
申し訳なさそうに謝る上司に謙遜しつつ、鶴賀は体育館の天井が押し寄せる大雨を一身に背負う音を背景に、つい先ほどから出来上がった川を窓越しに眺めていました。グラウンドはその膨大な土量であっても水を吸い上げられず、土を抉って溜り続けた雨水は、濁流となって溢れ出し、道路手前の排水溝へと流れ落ちます。
幸いにも鶴賀たちがいる体育館及び学校は、街へと繋がる大通りから緩やかな斜面となっており、大きく設計された側溝に流れ落ちる雨水が徐々にその激しさを増していきます。
激しく流れ落ちる雨水とは対照に、街からは住民たちが学校を目指して坂を上っています。
「そういえば鶴賀君は、避難所は慣れてるのかい」
雨と風に電波を阻まれたか、雑音が混ざりだしたラジオを弄りながら、上司は避難者の受付をまとめ終えた鶴賀に問いました。
「3年前の台風と、4年前の大雨で1回ずつ。多少慣れてるくらいですね」
「4年前は川が決壊して橋が落ちた奴か。あれは確かに凄かったねえ。でも二回やっただけでここまでやれるなら大したものだよ」
体育館は史上稀に見るほどに多くの人を収容していながら、大きな混乱なく経営されました。ひと段落して暇を持て余し出した男性たちは敷物や段ボールの配備を手伝い、足腰が弱い人のために、児童は教師らと校舎から椅子やテーブルを持参しています。更に何人かは『夏休みの研究』として避難所の様子や非常食を観察し、一部の高校生は上司にインタビューを敢行し、避難所を取材して回っている新聞社がこれを撮影するという珍事も発生していました。
ある時は直接頭を下げ、ある時は人づてにさりげなく促して周り、自身も常に動き回っていた鶴賀を、上司は讃えると共に疑問に感じていました。
どうして年若いこの男がここまでできるのか?誰に習ったのか?
「上への報告と取材を引き受けて貰って前線を任せてくれたからですよ。
それに、この前に馬鹿をやって死にかけたからこそ、こういう時に役にに立ちたいんです」
「死にかけた」というワードに反応した上司は段ボールの中から紙パックといくつかの物を取り出すと、話の続きを促しました。気づけば、鶴賀の語りを求めて児童が群がり、周辺の者も聞き耳を立てています。
鶴賀は上司から手渡されたコーヒーに砂糖とミルクを突っ込みかき回して一口啜り、短く息を吐くと意を決したかのように口を開きました。
「盆に海に行くと連れて行かれる」なんて言うじゃないですか。俺は迷信なんて信じないぜ、なんて言うイマドキの人間だったんですね。
そんなもので、爺さんが「盆はご先祖様が返ってくるから邪魔しちゃなんねえ、絶対行くな」なんてことを言ったときに、ボケ始めた老人の戯言なんかに付き合ってられるかよって言って、地元で友達と海に遊びに行ったんですね、お盆の最中に、それも夜に。
その日は夜釣りをしてました。いつもなら大きいクロダイとかイカ、タコなんかも釣れる時期なんです。少し前に行った時は大きなミズダコを釣り上げたのに、今日に限って全く釣れない。そういえば今日は波が凪いでるな、風もないなんて友達が言い出すもんだから徐々に怖くなっていく。
それを誤魔化すために、最後は花火をして帰ろうってことになりまして。皆で盛大にやりましたよ。ねずみ花火や線香花火はもちろん、ドラゴン花火って知ってます?地面に置いて火がブワァーッ!て吹き上がる奴ですね。あれを手にもって振り回してみたりと今にして思えば意味不明なことをしていました。
そろそろ終わりにしようかと花火をしまってると、凪いでいた海に波が立ち始めたんです。ん?どうしてわかったかって?ザザァッて波の音が聞こえ始めたんですよ。おや、もしかしたら流れが変わって釣れるかも?なんて思って話をしてると、ボロい癖に俺の背よりも大きな船が岸壁に近づいてきたんですね。
あれなんだ、って話していると、船首からから男?が出てきて、なんかくれ、なんかくれ、って言ってる。よく聞くと、「ヒシャクくれ」って言ってるんです。
「持ってない」って友達が言ったら、突然そいつは友達の腕を掴んで船の方に引き込んでくる。慌ててこっちも「何すんだ!」って友達を引っ張るんだけど、むしろ一緒に引きずり込まれいく。相手が力持ちというより、こっちの力が入らない感じですね。
もう友達の足が岸壁から離れそうになった時に、すっごく大きな声で「何してる!灰を投げろ!」って
声が響いてきたんです。そこらに散らかってたねずみ花火の灰を掴んで投げると、一瞬腕の力が緩んだ。その瞬間に友達を引っこ抜いて、後ろに尻もちをついたら、横から誰かがすごい勢いで船に突っ込んでいく。そのまま大きく振りかぶって何かを叩きつけるか投げつけると、男は「ガアアアッ」ってすごく大きな声で呻きながら船に戻って、その船も岸壁から離れて行ったんです。
後でその人、ヤドリって言う背の高い男の人だったんですけど、教えてくれました。この時期になると、ご先祖様の霊に便乗して、誰にも供養してもらえなかった霊が水辺に、出るんだそうです。道連れが欲しいのか、弔って欲しいのか、少なからずこっちに悪い影響を与える連中だからこの時期は海に来ても損するだけだって。最後に「死ぬ気できたんなら邪魔して悪かった」って言われましたけどね。いや、あれは嫌味を言う人の目じゃなかったですよ。彼は本気でそう思っていた。だから皆、怖い思いをして死にたくなかったらお盆に海だの川だの行くのは止めましょうね。まあ今の雨量だと盆じゃなくても危ないのだけれど。
ある児童は恐怖に涙し、ある老人は静かに深く頷き、ある若い女性たちは「えーヤバイ」などと連呼するなど、語りを聞いた人たちの反応は様々でした。
「友人たちは元気なのかい」
避難者たちが寝静まった夜。上司は文庫本を開きながら、コーヒーを啜っています。
「えぇ。腕を掴まれた奴は消防団で見回りやってますよ」
鶴賀は眠気覚ましのガムを噛みながら、日誌を綴っています。
「そのヤドリって人に助けてもらったから、今回のコレに力が入ってるのかい?」
「友人たちも同罪だったといっても、人の話を聞かずに他人を巻き込んで死にかけたのが、とてつもなく申し訳なくて、恥ずかしくて、情けなかったんです。だから、自分があの時海に引きずり込まれずに済んだのは、そういう人を減らす活動に活かすためだと思って。」
「いい志だ。今日の話で寝られなくなった子がいたら、活動の一環としてあやしてくれたまえ」
「……頑張ります」
幸いにも、この日はトイレに起きた人以外で寝付けないという相談はありませんでした。
そして雨が止み、避難所を解散した後。上司の提案により鶴賀は避難所のレポートを提出しました。それは後に避難所設営マニュアルのアップグレートの助けになったといいます。




