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果ての防人  作者: 草枕 駁
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十三.好食漢、笹を編む

 人の趣味はそれぞれ、趣味への反応もそれぞれでございます。漫画やアニメに影響されたのか、休みの日にわざわざそんなことをするのか、金の無駄じゃないのか、そんなことよりもまともな仕事を、結婚を、考えろ、将来の事を、云々。


 脳裏に浮かんだ上司からの小言に、加納千也(かのうせんや)は、思わず頭を振り乱しました。折角の当時というのに忌々しいことを思い出すなんぞ勿体ないと湯を掬い、顔に叩きつけて深く息を吐きました。


「おっと、失礼」


 広げた手の先に、人間の肌の感触を覚えた千也は慌てて手を引っ込めながら、自分以外に誰ぞ来るものかと、触れた手の方を見ます。果たしてその先には、濡れた髪を後ろに流した大きな男が立っていました。男は大丈夫と手をひらひらさせ、洗い場へと去って行ってしまいました。

 一人残った千也は、改めて湯船の淵に頭を預け、意識を湯の中に沈めていくのでした。



 冬季の豪雪体験ツアーを目玉とするこの旅館は、今の時期にはそう多くありません。年老いた常連客か旅行に来たカップルを尻目に、休憩室で手持無沙汰に古い漫画を眺めていると、風呂で爪が触れた男が視界に入りました。旅の恥はかき捨てとばかりに、千也は立ち上がりました。


 「『休みの日にわざわざ人気(ひとけ)のないとこに行くから彼女が出来ないんだ、幽霊が憑いてくるのがせいぜいだ』なんて言ってきたんですよクソ上司めは。風呂に入って忘れようなんて思っていたのに、よりによって風呂に入ってる最中に思い出すなんて……」


「そいつは難儀でしたね」


「今となっては風呂で寝るのが日課になっちまいましてねえ。それは気絶だとか、溺れたらどうするだとか言われるんですがやめられない。風呂上がりのソレみたいなもんですな」


 千也の視線の先には、詫び代わりに男へ渡したフルーツ牛乳の空瓶がテーブルに転がっています。


「旅はいいもんです。自分で稼いだ金で、少し遠い、自分の知らない土地に行って、少しばかり考え事をしながらのんびりと帰る。これだけで次の日には仕事をする元気が出ますし、これをやるために仕事をしてるんですよ僕は。ヤドリさんはどう思います?やっぱり、いつまでも一人ってのは行けないんでしょうかねえ」


「フフ、いいことじゃないですか。無理に誰かと一緒になる必要はないでしょう。ただ、いつまでも一人でいると寂しくなって、気づいたときには人との接し方がわからない、なんてことがあるのも事実でしてね」


そう言ってヤドリは天井近くの壁に目を向けます。加納が追いかけた視線の先には、深緑の枝葉を両脇に飾り立てた神棚が鎮座しています。


「そこに祀られてる神様、人が苦手で騒がしい人間には罰を当てる上に普段は不在で、しかし定期的に戻ってくるんだそうです」


「随分と気難しい性格してますね」


「旅の宿の家で祀られているのが人嫌いの神様なんて面白いでしょう。だから人の少ない今時期に来たのですよ」



 シャワシャワと響き渡るセミの声が、カナカナと透明感のあるものに切り替わる頃。


「山の中だってのに刺身と海鮮鍋が美味しいってのはなんだか妙な気分になりますな」


 千也はウニやらホタテやらがふんだんに盛り込まれた炊き込みご飯を頬張っています。染み出た具材の塩気やら旨味を含んだ米は柔らかく粘り気があり、噛むとホロホロと口の中で崩れていく具を包みこむようにまとまります。その塩気と粘り気を茶で流し込みむと、得も言われぬ爽快感と満足感が腹の中に溜まってゆきます。


「ここに来るまでは太い一本道だったでしょう。卸売(おろしうり)市場が近いので安定して仕入れができるんですよ」


 千也の豪快な食べっぷりにニコニコと笑みを浮かべ、旅館の亭主はおかわりに応えます。向かい合うヤドリは、熱々の味噌汁に舌を焼きながら、少しずつ啜っていました。


「そういえば、ここの神様はいつも居ないって聞いたんですけど、戻って来てるんですか?」


「神様?あぁ、ササジシ様ですね。気まぐれな神様なので必ずいらっしゃる日というのはあまりないですが、麓の街でお祭りをしている日と、お供えしてある葉っぱが減っている日は、お戻りになっています。なのでその日は、お客様にはお静かにお過ごしして貰っています。」


「ほう、なら今日は早めに寝た方がいいですね」


 見ると、神棚の両端にお供えされている枝葉の片方が、食いちぎられたように欠けています。亭主はヤドリと千也に礼を告げ、足早に去っていきました。


「ササジシ様……どんな神様なんでしょうね」


「マタギの言葉でシシはカモシカを指します。でも祟るくらいの神様ですから、本当の獅子なのかも」


 酔って大きな声を出す客を宥める亭主の声を背景に、ヤドリと千也は食器を洗い場に持ち込み女将に礼を言うと、そそくさと客室に戻るのでした。



 「おい」


 床に就いた筈の千也の耳元に、人の声が流れ込んできます。


「おい」


気のせいだろうと布団を被るも、その声は更に強く、近くで響きます。

 仕方なく声のする方へ振り向くと、千也はどこかの森の中に居ました。昇っている筈の月は太陽に置き換えられ、すぐそばで水の流れる音が聞こえます。


「お前、旅の者だな」


 ふと気づくと、目の前には女の子が一人、佇んでいました。背は千也より一回り小さく、尖った飾りが二つついた帽子をかぶり、夏だというのに白いスカーフを首に巻いています。両目に泣きぼくろがあり、可愛らしさと老婆を思わせる落ち着きが、妙に好ましく思われました。


「旅ったって、ちょっと離れたとこから来てるだけですよ?」


「旅は旅だ。私は今機嫌が悪い。お前明日帰るんだろ。帰る前に美味いもんを作って置いて行け」


「いやそんなこと言ったって、お土産なんて持ってきてないしなあ」


 女の子は不遜な態度で腕を組み、困り果てている千也に苛立ちを感じたのか、更に声を張り上げます。


「そんなだからつまらん相手の言う事を気にするんだお前は!わからんなら黒い奴に聞け!碌なもんじゃなかったら祟るからな!」


 祟るだなんてと飛び起きると既に森はなく、畳と布団を窓から差し込む月明が照らすばかりでした。



 次の日。


「風邪ひいたわけでもないのにお粥がこんなに美味しいなんて感動ですよ……!」


 朝風呂を堪能した千也は、仄かに甘みのある粥の上によく漬け込まれた山菜を乗せてかき込み、肉団子の浮かぶスープを啜り、温泉卵をつるりと吸い上げプチリと噛み潰し、猛然と食べ進めます。選んだ料理は胃に優しくとも、食べる量は生半可ではありません。パンを齧っていたヤドリが思わず「よう食べますな」と呟く程に。


「変な夢を見ましてね、消耗したのかえらい腹が減りましてな。」


夢の内容を聞いたヤドリはしばらく考え込むと、通りがかった亭主を呼び付けました。


「この人、ササジシ様からご用命承ったみたいなんですけど」


 亭主は驚きと戸惑いと申し訳なさそうな表情を浮かべ、ヤドリが何事かを伝えるとすぐさま喜びの表情に変わりました。そういえば、ヤドリは髪の色から履いている靴下までが真っ黒です。


「加納様、大変恐れ入りますが、ササジシ様の気まぐれに付き合って下さいませ。微力ながら我々もお手伝いいたします」



 千也は、もち米とあんこを混ぜたものをこね回し、人差し指と親指で作る円と同程度の大きさの団子を作っていきます。


「とりあえずこんなんでいいですかね、『ササ』って名前が付いてるから笹の付いた料理ならいいだろうって思ったんですけど……」


「亭主さんも協力してくれてますし、気持ちを込めて練ればなんとかなるでしょう」


 半信半疑になりつつ、何か祝詞を唱える亭主とヤドリを尻目に、出来上がった団子を蒸し、その間に笹の葉を沸騰する湯にくぐらせます。蒸し上がり、光沢を放つ団子を柔らかくなった笹の葉を包むも、女将が隣でやって見せるように上手く包むことが出来ず不格好になってしまいます。

 

「下手くそだなぁ~俺、こんなんだしたら怒られそうですよ」


「初めてなんだし大丈夫よ。突然出てきたからびっくりしただろうけど、ササジシ様はお客さんの何かが気に入ったのよ。真摯に向かっていれば、きっといいことあるわ」


 飯をかき込んで騒いだのが癪に障ったんじゃなかろうかという恐怖を感じつつ、夢に出て来た生意気ながらも可愛らしい女の子を思い出しながら作った最後の3つは、餅を綺麗な三角形で包みました。

 出来上がった餅は笹餅といい、女将と千也が作った者は神棚に供えられました。


「ササジシ様へ、とりあえず自分なりに作ってみました。お気に召してくれたのなら良いのですが」


 ヤドリと千也は神棚を眺めながら、昼食を頂きました。シンプルな魚の塩焼きにご飯が進み、千也は静かに食べようと意識するも、結局は美味しさへの感動を口にせずにはいられず、ヤドリも相槌を打つのでした。


 冬も来い。美味い飯が待ってるぞ


「……ヤドリさん、何か言いました?」


「いえ?何か聞こえました?」


「冬も来いって……」


 それを聞いた亭主は目を細め、


「おや、冬もいらっしゃって頂けますか。割引しますよ」


と、女将共々嬉しそうに歓迎するのでした。



「先輩、一緒にご飯食べません?」


「おう加納、旨い丼屋が見つかったんだけど一緒に来ないか」


 千也が旅館から帰ってくると、不思議なことにご飯のお誘いが増えました。人付き合いを苦としていた千也も食事を共にするのは平気でした。そして一緒に食事をした人々は口を揃えて言います。


「彼と一緒に食べる飯はうまい」


 

 やがて雪が降り積もる季節となり、旅館を経営する夫婦は宿泊客が殺到する中、ある一人を待ち続けていました。


「お待ちしておりました加納様。前よりも随分、善い顔つきになりましたな」


「ええ、お陰様で人付き合いに慣れてきたもので。ササジシ様には申し訳ないですが、今日は少し賑やかにさせてもらいますね」


 人を嫌って冬にはあまり戻らないのか、なかなか減らない神棚の笹も、この男が泊まりに来た日は必ず全てが無くなったといいます。

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