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果ての防人  作者: 草枕 駁
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十二.夢現風聞書(ゆめうつつふうぶんがき)

 夢の中というのは、人によっては全て思い通りにできる天上の世界であり、これまでの嫌な事全てが津波の如く押し寄せる地獄の底でもあります。一般には「記憶を整理するため」に見る言われるその世界、記憶の奔流から、何かを掴み取って夢から覚める人もいるようです。

 

 自分が今までに住んでいた家とは明らかに異なる、初めて見る筈の一軒家。杢保(もくぼ)は、インターホンを鳴らした後、戸に手をかけました。吹き抜けとなっている玄関を上がり、すぐ右手の先の和室には神棚があり、小さな鉢に盛られたご飯が供えられています。左手の階段を登り、廊下を通ると部屋がいくつかあります。一番奥の寝室には、いつの時代からやって来たのかもわからない程古ぼけたブラウン管テレビが鎮座し、その一つ手前の部屋には電子オルガンと妙に大きな勉強机が佇んでいます。

 一番手前の部屋は、開けっ放しにされていた前二つの部屋と異なり扉が閉ざされていました。特に鍵がかかっている訳でなく、しかし取っ手の冷たさが気になります。

 ドアノブを下げ、ゆっくりと戸を押し開け、内部を確認します。白い壁に青いカーペット。何の変哲もないテーブル。窓からは、差し込む光は、部屋に漂う小さな繊維を反射します。全てがはっきりと、空気の層が取り払われてしまったようにはっきりと見えているこの光景に、杢保はここが夢であると得心しました。そのくっきりとした空間の中に、一つだけぼやぼやとしたものが置かれてあります。


 「僕の本じゃないか」

 

 テーブルの上に置かれていたのは、杢保が最近手掛けたイラスト集でした。発売されて間もないというのに、本は閉じているのに少し膨らんでおり、表紙や各(ぺーじ)の根元にはくっきりと折り痕がついています。特に気に入ったのであろう頁は、より深く折られ、開いて置くと戻らない程です。


 「その人の絵、お気に入りなんです」


 入口を塞ぐように立っていたのは、黒くて大きな男でした。しばしの沈黙が流れ、杢保はこういう時に言うべき台詞を逡巡した結果、何とか返答を絞り出します。


 「勝手に入ってごめんなさい」


 「構いませんよ。どうせ夢ですし」 


 杢保をリビングに案内した男は、神棚から降ろした鉢からご飯を取り出すと、小さなお握りのようにして口に放り込みながら、コーヒーを淹れています。


 「洋画のような厚塗り調のタッチで、絵の雰囲気は薄暗いのに、その全体ははっきりとわかるんです。手足の多い化物やでっかい獣が、どこかの田舎の廃墟なんかにポツンと居る。化けて出るとかでなく、ただ、居る。ふと一本横道に逸れれば本当に居そうな身近さと、一旦目を話して振り返ればもう居なくなりそうな呆気なさが気持ちいいですね。心の奥底に不安を感じるし、不穏さはあるけれど、汚らわしさが無い。一時(いっとき)余程憧れて絵の練習もしたんですがね。書けたのは本当に化け物だけだった」


「随分、その絵師が好きなんですね」


「大好きですね。特にこういう、クソ田舎ってのは怪談や都市伝説の舞台になることがよくありますが、実際にはあんなのしか出て来ないんです」


 マグカップを手に差した掃き出し窓に目を遣ると、奇声をあげながら翼を打ち、メスを探し求めて忙しなく走り去る雉が見えます。わざわざ立ち止まってからこちらを一瞥していくカモシカ、巣箱を出入りする白黒の鳥、我が物顔で横切る黒い猫。それらも「あんなの」の中に含まれているのだろうなと、夢であるがゆえに味のわからないコーヒーを啜ります。


「私の絵が気に入って貰えているようで、良かったです」


「杢保さん、だったんですね。申し遅れました、私はヤドリといいます」


 杢保に向き直り、ヤドリと名乗った男の大きく見開かれた眼には、目の前にいるのが敬する絵師であることへの驚愕と、「やはりか」という納得と落ち着きが、ないまぜになった複雑な表情でした。


「そんなヤドリさんには申し訳ないんですが、実は今絶賛スランプ中なんです」


「最近あんなに本を出しているのにですか。『巨大生物図鑑』、『田舎の外れ道』、『うつろう神』……思いつくだけでも数か月に1冊は出てますよ」


 杢保は熱心な読者への感謝と申し訳なさを一心に負いつつ、話し始めました。


「僕は元々絵しかない人間なんです。絵を描くより楽しい事なんてほぼ無くて、絵を描き続けてきた甲斐があって、今は絵で食っています。

 でも、最近気づいたことがあるんです。自分と同じ時期からやっている仲間や、尊敬していた絵描きが少なくなっている。ある人は己の限界に絶望してしまい、ある人は会社勤めとの両立ができず、ある人は他に楽しいことがあるからと言って、離れていきました。

 『これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』、なんて言葉があります。絵は好きですが、僕は絵しかないので描いています。他に楽しいことがあって、それでもなお絵描きを選択している人には、勝てないんじゃないかって、最近そう思うんです。そこから、どうにも悩んでしまって、この有様です」


 ヤドリは、杢保の独白に応えました。


「ここは、私の夢です。日頃異界への憧れからあちらこちらを彷徨(さまよ)う身ではありますが、一度寝てしまえばほれこの通り、恋しさからかかつて住んでいた家に帰る夢を見る始末。

 好きだから、楽しいからとやっていることも続けていれば苦痛になりましょう。でも、私は杢保さんがそうして悩んでいらっしゃることがとても嬉しく思うのです」


「なんですって」


「だって、こんな神秘的な絵を描く方ですから。何やらぶっ飛んだ発想の持ち主だったりするのかしらんと思っていました。実際には思い悩みながらも、その果てに素晴らしい作品を世に出す人と知れて、少しほっとしたのですよ」


 にわかに、あんなにもくっきりとしていた家の中へ霧のようなものが立ち込めてきます。


「私は、そういったものは捨ててしまった。捨てきれないときは、逃げ出してしまった。だから、実のところは嬉しいんじゃなくて羨ましいんです。私は耐えきれなかったから」


 濛々(もうもう)と立ち込める霧の中、気づけば(くつろ)いでいた家は霧の彼方に消えてなくなり、仮面を被った黒いモノが一つ、杢保を見つめておりました。


「帰り道は、こちらです」


 二人は無言で歩き続けました。時折霧の奥から、細長い手足の者、人並みに大きな獣等が出てきては、黒いモノになぎ倒されていきます。

 霧の向こうに緑色の蛍光色が見えてくると、それは非常口と書かれた扉でした。

 

「ヤドリさん」


 非常口をくぐる前、杢保は金色の四つ目を光らせる黒いモノに振り返ります。


「お元気で。続刊が出たら買ってくださいね」


「必ず」


非常口の扉は閉ざされ、灯りが消えました。


 後日。ある一枚の絵が投稿されました。金色の眼が二つ飾られ、覗き穴の奥から睨む眼光。重なった手の上で、両手を固く握り、祈るように合わせている鬼の姿でした。

評価欄には、「杢保氏に珍しい、動の気配と音がある風景」との書き込みがあったそうです。

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