十.無能面
紀国汐里は、動画配信者でした。
3ⅮCGで描画したキャラクターに自己の挙動を投影させる動画の流行に便乗した彼女は、界隈でトップクラスとまではいかないまでも、ニッチな需要を満たしたことにより一定数のファンを獲得しました。
「本日のお話はここまで。ご視聴有難うございました」
配信動画のコメント欄は、彼女、のキャラクター「辻織夜子」 を労う言葉と共に「今日も怖かった」「ゾクゾクした」「ヤコちゃん可愛い」などといった感想で溢れかえっています。彼女は、怪談語りを得意とする配信者でした。一口に怪談と言っても、百物語や江戸時代より伝わる由緒正しいメジャーなものを少し、取り扱うのは現代の都市伝説や電子掲示板の書き込みで有名になったもの、またそれらから着想を得た新たな物語が専らでした。身近に感じる恐怖感を、物腰柔らかく落ち着きのある声で、可愛らしいキャラクターが演じる様は視聴者を虜にし、怪談の合間や小休止中に行われる雑談は多くの視聴者を惹きこみました。
ある日の夜。今日も動画配信で怪談を一つ二つと語り終え、雑談が始まりました。
「皆書き込みありがとう~今全部は拾いきれないけど、録画で確認させてもらいますね」
何らかのテーマを出すと、書き込みはより多くなります。それにしても、普段はせせらぎ程度に流れてゆく書き込みが、今日は少しばかり増水している模様です。
汐里のアバターである夜子の上に掲げられたお題『都市伝説を掘り起こそう』について、視聴者達が様々に書き込んでいきます。「異世界の扉の開き方」「幽霊との鬼ごっこ」「A社を襲った祟り」「怪異で満ちた村への行き方」……時折関心を引く書き込みを見て詳細を促すと、仕方ない事とは言えどれもが何処かで聞いたことのある話ばかりです。
しかしそんな中に一つ、妙に目につく書き込みが一つ、浮かんできました。
「のっぺらぼうの出し方」
ゲームの攻略情報に在りそうな文言に惹かれた夜子は、思わず、「どうやって出すの?」と尋ねます。コメント主が示した方法は、寺か神社への分かれ道に繋がっている坂道で、特定の歩数で道端に明かりを灯すというものでした。
「でも、のっぺらぼうはどうしてそんなんで出るんだろうね?」
「顔にも口にも出ないくせに、化けて出るのな」
他の視聴者からの茶化しにより、一通り盛り上がったところで今回の配信はお開きとなりました。
そしてあくる日。汐里は青坂と呼ばれる坂道にやってきました。坂の中腹で小さなお寺へと続く道があり、条件を満たすのには丁度良い場所でした。坂道は広く、お寺へと続く道もそこまで長くはありません。十字路に設置された信号は、幾分か恐怖を軽減してくれました。
辛うじて残っている夕日の光を頼りに、歩数を数えながら寺へと向かいます。長くないとはいえ、木々が並ぶ石畳の上を一人で歩き、しかもそれを怪異に逢うために数え続けるという行為は、汐里の予想を上回る恐怖と緊張をもたらしました。一歩数える度に心臓の高鳴りを感じ、後半は鼓動と歩数のどちらを数えたものか、曖昧になってゆきました。
もし間違えたら、何も起こらないのか。もっと恐ろしい何かが起こるのか。とにかく、目標の歩数に到達した汐里は、道端で持参の電気ランタンを灯します。風に吹かれ、葉が擦れ合う音、枝が打ち合う音、それらが自然の物であることはわかっているけれど、暗闇と緊張で研ぎ澄まされた聴覚に、それらは些か過剰な刺激でした。しかしそれ以上の刺激がなく、汐里は残念半分、安堵半分にランタンを手に持ち、目と鼻の先にある寺に歩を進めました。
寺はこじんまりとしていて、普段は誰もいません。故に、軒下で何か黒いものが腰掛けているのを視認した瞬間、汐里は小さく飛び上がり、ランタンを落としそうになりました。
汐里の気配に気づいた黒いものから、男と確認できる顔が起き上がりました。その顔には目、鼻、耳といったパーツが全て揃っており、男はこちらを一瞥すると、またすぐ手元の光る板切れ、即ちスマートフォンに目線を落としました。
先客が人間であることに安堵している矢先、今度はすぐそばの草むらからガサガサと物の動く音がします。これにも驚き飛び退くと、背が白く足先の黒い動物が横切って行きました。
「タヌキ……?」
「あれはムジナとかアナグマといって、タヌキはもう少し顔がでかい。あんた、お参りにしては少し遅い時間に来たね」
男が見せた光る板切れには地図が表示されておりました。ゲームに表示された現地に居合わせるタイプのゲームを遊んでいたようです。
驚きの連続で気が動転していた汐里は、人から聞いたのっぺらぼうが出る方法というものを確かめに来たことを話します。
「ここに出るのはスポット目当ての私みたいな不審者と、さっき出て来た野生動物くらいだ。本当に何か出る前に、疾くお帰りなさい」
暖かくなったとはいえ、夜には肌寒い日が続く昨今。陽がすっかりと落ちた帰り道は心細いものでした。石畳の先にある、青坂の街灯妙に暗く感じます。手順が悪かったのか、「明かりを灯す」方法がまずかったのか、しばらくして何も起きず、スマホであそぶおっさんと動物に飛び退き、挙句そのおっさんから蘊蓄を聞いて終わりという、なんとも締まらない結果。いっそあのおっさんを適当な怪異に仕立て上げて怪談のタネにするか……
しばらく逡巡しているうちに、汐里はあることに気づきます。そろそろ青坂を抜けてもいい頃だというのに、下り坂が終わりません。少し足早に進み続けるも、気づけば石畳を挟んだ十字路に戻ってきているではありませんか。
外気に触れてないはずの背筋が凍り付くような感覚に焦りを感じ始め、ランタンを強く握りしめて走り出します。横切る十字路を視界から追い出し、夢中で走り続け、そして4度、5度と現れる十字路に疲労が重なり、やがて膝に手をついたとき、それまでとは違う光景が現れました。
街灯の下に、女性がしゃがみこんでいるのです。ようやく人のいるところまで着いたかという安堵、寺であった男がちゃんとした人間であったことが重なり、相手が何であるかという可能性を一切考えずにに声をかけます。
「すいません、ここらへんの方ですか?道に迷ってしまって……」
女性はこちらに見向きもしません。
「あの……?もしかして気分でも悪いんですか?救急車、あれ圏外だ。もしもし、大丈夫ですか?」
徐ろに女性は立ち上がりましたが、汐里には背を向け、やはり手で顔を覆い咽び続けました。
「大丈夫ですか、何か、何かできることはありますか」
……するとその、女性なるモノは振り返りました。そして覆っていた手を、顔をつるりと撫でながら下ろしました。――街灯に照らしだされた女性なるモノは、目も、鼻も、口もありません。引きつった悲鳴のような声あげて、汐里は逃げ出しました。
一目散に青坂を駆け登ります。汐里の目の前は真っ暗で、一寸先も見えない虚ろでした。振り返る勇気も無くて、ただ只管に、走りに走り続けた挙句、はるか遠くに、ぼうっと灯された蛍火のような光を見つけて、その方向に走って行きました。やがてそれは道端にある小さな小さな交番の赤色灯であることが分かりました。しかしどんな灯りでも、化物に遭った後であれば有難いことこの上なく、まして交番でありますから、汐里はもう交番の入り口に倒れ込まんばかりの勢いで入り、激しく乱れた呼吸の中で声を挙げました。
「ぜえ、ぜえ、助けて、助けて下さい!!」
「おや、おや!どうしました!誰かに襲われたんですか!」
警官は驚いた声で、しかし静かに尋ねました。
「い、え、襲われては、いないんです……ただ、ただ、ああ!!見たんです!!」
「何を見せられたのですか」
「お寺の近くの坂で、見せて来たんです……でも、それが……」
「ほう!その見せたのは、」
「こんなものだったってかぁ!!」
目の前の警官を見上げようとした汐里の視界に写ったのは、卵のような顔になった警官と、その警官に怒号と共に何か黒い物体を叩きつける、寺で出会った男でした。警官が倒れ込むと、光っていた筈の赤色灯は消えてしまいました。
「動画配信で募集していたネタを実践していたらこうなった、と」
今度こそ帰り道へと続く青坂を未だ震えの止まらない脚で降りながら、汐里はヤドリと名乗った男に経緯を説明しました。
「申し訳ありません……そして助けていただいてありがとうございます。あれがのっぺらぼうだったんでしょうか?」
「貉、という怪談があります。あらすじはまさに紀国さんが体験した通り、のっぺらぼうに遭遇する話です。」
「ヤドリさんは、ああいう怪異が好きなんですか」
「……どうして」
「のっぺらぼうを倒したヤドリさんが、すごい楽しそうだったから、もしかしたらと思ったんです。もしよければ、他の話も聞かせて貰えればなーなんて、すみません、初めての人にする話じゃないのは分かってるんですけど、こんな機会なんてもうあるかどうかもわからないものですから」
「人様に話せるようなものはありませんよ。現実を忘れたい、とにかく逃げたい一心で、こういう怪異を追っかけているだけですから。……ここまで来ればもう大丈夫でしょう。辻道、暗闇にはお気を付けください」
汐里はヤドリに深く頭を下げると、雑踏の中に紛れていき、やがて見えなくなりました。
「キャラクターのガワを被るにせよ、匿名の群衆に紛れるにせよ、自己から逃げるという意味では俺も同じ『穴の狢』なんだろうな」
少し後の話です。
「と、いう訳で、夜子さんののっぺらぼう探しは黒ずくめのおっさんの助力によってなんとか終えることができたのでした!」
「解決方法が脳筋過ぎる」「時空のおっさんかな?」「無事で何より」「これ紹介した奴やばすぎん?」
汐里演じる辻織夜子の配信では、しばらくの間「黒ずくめのおっさん」というフレーズが流行るのでした。




