ミッション・ポッシブル(前)
「さてと……『こちらアルファ、準備よし』
場所は某国、人もロクに来ない山岳地帯。目の前の断崖絶壁はほぼ垂直の上滑らかで、手をかけられるような凹凸がほとんど無く、ここを登ろうというクライマーはゼロ。というか、国際情勢的に気軽に来られるような場所ではないこともあって、こんな場所があること自体知られていない。
中山徹が左手首の時計を確認しながら呟くと、インカムから応答が返ってきた。
『こちらブラボー、予定通り向かっている』
『こちらチャーリー、配置についたぞ』
『こちらデルタ。全員の配置を確認』
今回の作戦の指揮を執る塚本がふう、と一呼吸入れて宣言した。
『では……二十二時ちょうど……作戦開始』
声と同時に中山が登りはじめた。
アメリカ中央情報局、イギリス秘密情報部、ロシア対外情報庁……およそ先進国とか大国と呼ばれるような国には国内外の情報を収集、分析する諜報機関という者が存在し、日々、自国のために活動している。なにもスパイ活動と言うほど大げさでなくても他国の情報――天気の情報から、ドラッグストアの紙おむつの値段まで――を仕入れることは重要だ。そして日本の場合、内閣調査室や公安調査庁が該当するとされる。が、その活動はお世辞にも優れているとは言えず、「世論調査してるだけ」「犯罪捜査してるだけ」と揶揄されることもしばしば。いろいろと複雑な歴史的経緯を経て、どうにか独立国としての地盤を固め、先進国にふさわしいだけの経済力を持っていく中で、しっかりとした諜報機関を構築しようとしたが……人材がいなかった。
諜報機関に求められる技術を有する者も、指導できるような者も。指導できないから育たない。育たないから指導できないの悪循環だ。
それ故に、何かと歯がゆい思いをさせられてきた政府だったが、ある日、吉報がもたらされた。
「異世界から帰還してきた者がいる」
当然、すぐに飛びつこうとしたところ、「ラノベの読み過ぎ」「現実と非現実の区別をつけろ」などと野党からバッシングを受けたものの、実際に数十人単位で帰還してきた者がおり、その大半が地球人の枠を越えた身体能力を有していることが判明した。そう、心が折れて断念し、城内に引きこもっていたような者でも五レベル程度になっていればだいたいオリンピックで金メダルを取れるくらいの身体能力は軽く有する。色々トラウマを植え付けられて普通の日常生活に戻るのに時間がかかった者も多いが、結構な数の超人が一つの高校に通っていたのである。
そして、全員が口を揃えて言うトップは……非常識に耳と尻尾が生えて服を着て歩いているような人物で、二番手曰く、
「多分、戦艦ヤマトの主砲で撃たれても、服が破れるのを気にするだけだと思う」
という意味不明なコメントを述べているほど。さっそくコンタクトを、と思ったが残念なことに先手を打たれてSPとして採用されることが決定。そんなトンデモ人間ならVIPの護衛はうってつけと諦め、二番手にコンタクトをしたところ、
「私、保育士になるのが夢なんです」
と、あっさり断られた。それでも、と必死に説得を試みたが、頑として譲らず。仕方なく気落ちを切り替えた。子は宝、その宝を見守る人物が自動車を片手で持ち上げて投げられるようなら、預ける親も安心だろうと。そして三番手以降に声をかけた結果、四名が採用となった。
三番手以降と侮るなかれ。
身体能力こそ少し譲るものの、人間の枠外にいることは間違いない上に、信じられない不思議な能力も持っているため、諜報員としては有用だろうと判断。訓練を重ね、少しずつだが実運用が開始されている。
もちろん、世間には公表されていない。
ただ、彼らからは、世界中の山々を巡る動画配信を継続することが条件として示された。当初難色を示したのだが、世界中を飛び回ることに不自然さがなくて良いだろうと合意が得られたのは、日本の将来にとって僥倖だっただろう。
中山の格好は……伸縮性のある丈夫な素材でできた全身タイツのような服――周囲に溶け込むよう、岩肌に似た色と模様の迷彩パターンが施されている――と、背中に薄く貼り付くように取り付けられたバックパックに通信用のインカムと腕時計のみ。通常のロッククライミングのためのロープやペグなどの装備類は一切無い。
そもそもこの程度の崖、中山がその気になれば二足歩行で歩いて登れる。が、それをやるといくらこの暗闇でも何かの拍子に見つかってしまうかも知れないため、仕方なく両手足を使って登っている。もちろん、その速度は世界トップレベルのロッククライマーの数倍以上。目的となる地点、六百メートル先まではあっという間に登り切れっている。
それでも中山曰く、
「川合さんには絶対かないません」
なんでも壁に垂直で立った後、スキップできるらしい。
「よし、こっちもそろそろだな」
高度一万メートル以上を航行する、どこからどう見ても旅客機にしか見えないように偽装された輸送機の後部ハッチが開き、悠然と松島浩平が歩いて行く。映画のワンシーンのようなシチュエーションに顔がにやついているが、マスクのおかげで周囲からは見えず、むしろこの状況で余裕があるように見えている。
『こちらブラボー、降下開始まであと三十秒』
『こちらデルタ、現在のところ問題は無し。予定通り降下開始を』
ハッチ横に取り付けられていたタイマーがカウントダウンしていくのをじっと待つ。
『ゼロ!降下開始!』
トン、と飛ぶのと同時に中にいた作業員たちが一斉に二メートル弱の黒い筒を次々転がして落としていく。
『行ってくるぜ!』
『こちらアルファ、ダクトが見えてきた。少し通信を控える』
『了解』
中山の目の前に縦横五センチほどの四角い穴が開いていた。この岩山の中をくりぬいて作られた施設の換気ダクトで、これから中山が忍び込む場所である。
「某国が山中、この辺りにスーパーコンピュータを設置。色々とよからぬ事をしているとの情報が入った」
「よからぬ事?」
「有り体にいえばハッキングの類いだな。DoS攻撃の起点にもなっているらしい」
「確度は?」
「非常に高い。この資料と、この資料。あとこれも」
日米の安全保障体制に基づき開かれた会合で、何かときな臭い某国が世界で頻発しているサイバー攻撃の一翼を担っていると告げられた。
「このままでは我が国も、当然貴国も近いうちに大きな損害を被る可能性が高い」
「確率は?」
「我が国の分析では三ヶ月以内に六十%、半年以内に九十%以上の確率だ」
「被害の範囲は?」
「ただの乗っ取りでも被害は大きい。回復までに年単位で経済的損失は数兆ドルとの試算だ」
「どうするつもりだ?」
「我が国としては総攻撃を仕掛けたいが、場所が場所。やりづらいことこの上ない」
「ならば……」
こうして、内閣調査室に配属された四人初の大がかりな任務が始まった。
事前にデルタこと塚本が鼠を使役して事前調査を実施。施設内の大まかな見取り図は作成済みで侵入できそうな場所はこの換気ダクトのみと判明。なるほど高さ六百メートルの断崖絶壁に開けた換気ダクトに気付かれずに侵入できるものなど中山を除けばそうはいない。村田幹隆とか川合茜あたりは鼻歌交じりで入り込むだろうが、あれは例外。となると、ここの監視や警戒は手薄になるのも当然で、実際そこらの店でも売っていそうな換気扇がネジ止めされていただけ。手早くドライバーを取り出して外して中へ侵入する。
『こちらアルファ、無線中継器設置。通信状況を確認してくれ』
『こちらデルタ。通信状況は良好。問題ない』
『アルファ了解。ではダクトを進む』
ここから先は見取り図がどの程度正確かの答え合わせの時間だ。
「まず、突き当たりを右……つぎに左に入り……」
ダクトを曲がるポイントごとに中継器を設置し、通信ができることを確認しながら進む。
「時刻は……そろそろか」
『こちらブラボー。そろそろ目標高度』
『デルタ了解』
中山が忍び込んだ岩山は山頂が広く平らになっていて、ヘリの離着陸も可能。そして、周囲の景色に擬態するように内部への入り口が用意されており、周囲を数名の兵が警備している。もちろん全員が重装備だ。そんな山頂まで二百メートルの高さまで頭を下にする、速度の最も出る姿勢を取っているため、全身黒ずくめの松島を下から見つけるのは至難の業だろう。
『全ユニット、開け』
松島がリップコードを引くと同時に周囲で一緒に落ちてきていた黒い筒からもパラシュートが開いていく。
「くっ!」
何度も訓練していたが、それでもオープニングショックはキツく、一瞬うめき声がでるが、すぐに周囲の確認はできる。
「よしよし、いい感じだ」
松島のパラシュートは表も裏も真っ黒だが、周囲を降下中の筒についたパラシュートは裏地が白系の色合い。下から見るとダミーだけはよく目立ち、当然ながら警備の兵たちが騒ぎはじめている。
「ν∃ヵg≒!」
「=き∇∀マダκ!」
「±ム△⊂ロ$÷!」
何を言ってるのかさっぱりだが、とりあえず熱烈歓迎では無さそうと言うのが、下から響く小銃の音でわかった。
「さて、目一杯攪乱しますかね!」
以外と長くなったので前後編に。
後編は山の日(正確には振替休日)予定!




